一話
ネオンカラーの輝く配信画面の裏側で、俺——Vtuber「天霧カナタ」の中の人(本名:佐藤陸)は、冷や汗をダラダラと流していた。
「……なぁ、マジで言ってんの?」
「大マジだよ。ほら、枠取り終わったから。あと15分で開演ね」
画面の向こうで明るく笑うのは、事務所の同期でありライバルのVtuber「星宮ルナ」の中の人、結衣だった。
今日の配信は、チャンネル登録者数50万人突破を記念したコラボ配信。……のはずだった。
事前の打ち合わせでは「まったりトークとゲーム配信」のはずだったのに、結衣が開演直前に叩きつけてきた企画書には、信じられないタイトルが踊っていた。
『第一回!中の人バトロワ!〜デスボイスで即興エモポエムを詠詠むまで出られない部屋〜』
「リスナーが求めてるのはエモさなんだよ、カナタ! 50万人だよ!? 普通のトークで終わらせてどうするの!」
「エモさのベクトルがおかしいだろ! デスボイスとエモポエムは水と油なんだよ!」
「大丈夫、カナタならできる! あと、負けた方は『1ヶ月語尾に“にゃん”を強制』だからね!」
「リスクが高すぎるだろ!!」
ドタバタと揉めているうちに、無情にもカウントダウンがゼロになった。配信画面が切り替わり、コメント欄が猛スピードで流れていく。
『きたあああああ!』
『50万人おめでとう!』
『なにこの謎の企画タイト草』
カナタ(陸)は一瞬でプロのVtuberの顔へと切り替えた。
「はーい!みんなこんカナタ〜! 今日はめでたい50万人記念! ……なんだけど、横にいる狂犬が変な企画を持ち込んできました!」
ルナ(結衣)が可愛らしいアバターをぴょこぴょこ動かしながら割り込む。
「こんルナ〜! 狂犬とは失礼な! 今日はカナタの節目を、最高の“エモ”で祝ってあげようという温かい心遣いだよ?」
こうして、カオスな配信が始まった。
前半戦は散々だった。
重低音のデスボイスで「みんな……いつも……ありがとう……!(デスボ)」と叫んでは、リスナーから『悪魔の召喚儀式?』『お祝いの重み(物理)』『腹筋崩壊した』と草の嵐が巻き起こる。結衣も結衣で、デスボイスを出そうとして「ゴホッ、ケホッ」とマジの咳込みを配信に乗せる始末だ。
コメント欄は『草』『腹痛い』『これが50万人記念配信ですか?』と大盛況。企画としては大成功(?)だが、肝心のエモさはどこにもなかった。
企画の終わりが近づき、残り時間あと5分。
ふざけ倒した空気の中、結衣のルナがふと声を落とした。アバターの表情が、少しだけ柔らかくなる。
「……まあ、冗談はこれくらいにしてさ。本当に、おめでとうカナタ」
「……急に真面目になるなよ、調子狂うだろ」
「本当のことだもん。……覚えてる? 3年前」
結衣の言葉に、陸は思わず息をのんだ。
「登録者数、3人だったときのこと。一人はカナタで、一人は私で、もう一人はbotだったあの頃」
コメント欄の流れる速度が少しだけ緩やかになる。
「誰もいない配信部屋で、二人で何時間も喋ってたよね。『いつか大人気になって、3Dライブやって、大きなステージに立とうね』って。あの時、カナタが折れずに続けてくれたから、私もここまで来られたんだよ」
陸は、画面の前で一瞬言葉を詰まらせた。
3年前。鳴かず飛ばずで、コメント一つ付かない日々。画面の向こうに誰もいない恐怖と戦いながら、それでもマイクに向かい続けられたのは、隣で同じように泥をすすりながら笑っていた結衣がいたからだ。
「……なんだよ、急にしんみりさせやがって」
陸はマイクの距離を少しだけ調整し、深く息を吸い込んだ。
いつもの軽薄なキャラクターの裏に隠していた、本当の感謝を言葉に乗せる。
「……ルナ。お前がいたから、俺は今日ここにいられるんだよ。一人だったら、絶対途中で逃げてた。お前が最強のライバルで、一番の仲間でいてくれたから……俺は『天霧カナタ』になれた」
画面の向こうで、結衣が小さく息をのむ気配がした。
配信のコメント欄が、一気に温かい色で埋め尽くされていく。
『うわあああエモい』
『初期組助かる』
『てぇてぇ通り越して泣いてる』
『カナタ、本当におめでとう』
画面の上の2つのアバターが、寄り添うように並ぶ。
長年支え合ってきた2人だからこそ醸し出せる、本物の温かい絆。誰もがその感動的な空気に包まれ、最高のフィナーレを迎える……
——はずだった。
「……うぅ、カナタ……いい奴だな……」
結衣の声が鼻声になっている。本当に泣いているらしい。
そして、感極まった結衣は、最大のミスを犯した。
「陸、本当にありがと……っ」
一瞬の静寂。
コメント欄の動きが、ピタリと止まった。
『……りく?』
『今なんて?』
『名前呼んだ????』
『中の人の名前?????』
陸の顔から、一瞬で血の気が引いた。
結衣も自分の犯した過ちに気づいたようで、マイクの向こうで「あっ」という悲鳴が聞こえた。
「あ、ちがっ! 陸じゃなくて! 陸上部の陸! カナタって陸上部っぽいじゃん!? そういう概念の話で!!」
結衣の必死すぎる雑な言い訳が、余計に墓穴を掘っていく。
陸は頭を抱えた。感動の涙は一瞬で吹き飛び、冷や汗がナイアガラの滝のように噴き出す。
しかし、ここでパニックになったら負けだ。陸は腹を括った。マイクに顔を近づけ、今日一番の、魂を込めたデスボイスを響かせた。
「ヴォイイイイイイ!!(誤魔化しの爆音デスボ)」
『声デカいwwwwww』
『誤魔化し方雑すぎるだろwwwww』
『神回確定wwww』
『感動を返せwwwwww』
配信は大爆笑と大混乱の渦に包まれたまま、終了時間を迎えた。
配信終了のボタンを押し、機材のランプが消える。
静まり返った部屋で、陸は脱力して椅子に深く沈み込んだ。すぐにスマートフォンが激しく振動する。結衣からの電話だ。
「……もしもし」
『り、陸ぅぅぅぅぅ!! ごめんなさいいいい!! 本当にごめんなさい!! 1ヶ月語尾に“にゃん”つけるから許してぇぇぇ!!』
受話器越しに半泣きで絶叫する結衣の声を聞きながら、陸は呆れたように、でもどこか嬉しそうに息を吐いた。
「ハァ……まったく。お前といると、感動的な思い出も全部コメディになるな」
『うぅ……だって、陸がエモいこと言うから……』
「はいはい。まあ、俺たちらしいんじゃない? ……コメント欄も大盛り上がりだったし」
陸はパソコンの画面に目を向けた。
Twitterのトレンド1位には、いつの間にか『#カナタ50万人』と『#陸上部説』が並んで入っていた。
「さーて、反省会という名の打ち上げ、行くぞ。奢れよ、結衣」
「うん! 何でも奢る! 焼肉行こう、陸……じゃなくて、カナタ!」
アバターの皮を被っていても、どれだけ失敗しても。
この最高にハチャメチャで温かい世界で、俺たちはこれからも一緒に生きていくのだ。
画面の中の「天霧カナタ」が、誇らしげにニッと笑った気がした。




