第一章『転生農家と虹色の漬物石』
過労死社畜、ジャージの女神と契約して『虹色の漬物石』を拾う
俺の人生は、蛍光灯の無機質な光と、エンターキーをターンッ!と叩く乾いた音の中で幕を閉じた。
カイト、享年28歳。死因、過労死。
ブラック企業での過酷な連勤記録が四十日目に突入した朝、デスクから立ち上がろうとした瞬間、俺の心臓は突如としてストライキを起こしたのだ。
薄れゆく意識の中で、俺は強く願った。
(……もう、疲れた。もし次があるなら、誰もいない静かなド田舎で、のんびりと土いじりでもして暮らしたい……)
上司の理不尽な怒鳴り声も、深夜に鳴り響く社用スマホの着信音もない、納期に追われない平和な世界で。
「はいはーい! その願い、採用ね!」
パチンッ、と指を鳴らす軽快な音が響いた。
目を開けると、そこは果てしなく広がる真っ白な空間だった。
だが、俺の視線は空間の異様さよりも、目の前にある『生活感の塊』に釘付けになった。
真っ白な空間の中央に、なぜか場違いな『こたつ』がポツンと置かれている。
そして、こたつに入って胡座をかき、ピンク色の芋ジャージを着てポテトチップスを貪っている金髪の美女がいた。
「やあ、お目覚めかな? 私は女神ルチアナ。永遠の17歳にして、君がこれから行く世界『アナステシア』の管理を任されている第3種惑星創造神格公務員よ」
「……公務員?」
「細かい役職はどうでもいいの。君、なかなか悲惨な死に方をしたみたいだからね。特別に私の管理するマンルシア大陸の辺境に、お望み通りの『農地』と『家』を用意してあげるわ」
ジャージ姿の女神は、指についたポテチの塩を舐めとりながらニカッと笑った。
怪しさ満点だが、ブラック企業の面接官よりはよほど愛想がいい。
「本当ですか……!? 静かに農業ができるなら、場所はどこでも構いません!」
「うんうん、素直でよろしい!」
ルチアナは満足げに頷いたが、俺は知る由もなかった。
彼女の視線の先――空間に浮かぶ半透明の『エンジェルすまーとふぉん』の画面に、神々が運営する動画配信サイト『ゴッドチューブ』の管理画面が開かれていることを。
(計画通り……! 今、神界のトレンドは『癒やし系農業スローライフ』! この純朴な元社畜青年が健気に畑を耕す姿を配信すれば、日々の業務に疲れた神々がこぞってスパチャ(お布施)と高評価を押すはず! そうすれば私の今月の予算も増えて、愛しの月人君の新作グッズが買える……ッ!)
脳内で現金(いや、神力か)の計算を弾き出しながら、ルチアナは鷹揚に頷いた。
「ただ送るだけじゃすぐ死んじゃうからね。君には特別なスキルを二つ授けよう。一つ目は【絶対飼育】。君が育てた生き物や植物は、絶対に病気にならず、懐き、その種族としての『限界』までスクスク育つ最強の農業スキルよ。二つ目は【品種改良】。育てたものを掛け合わせて新しい種を生み出せるわ」
「おお……! 地味ですけど、農家にとってはまさにチートですね! ありがとうございます!」
「ふふん、感謝しなさい。あ、言い忘れたけど、そこ『魔境』の近くだから、戸締まりはしっかりね。じゃ、行ってらっしゃーい!」
足元の床が唐突に消滅した。
「えっ、ちょっ――うわあああああああっ!?」
俺の絶叫は、ルチアナがプシュッと缶ビールを開ける音にかき消された。
†
「……っ痛てて」
気がつくと、俺は荒野のど真ん中で仰向けに倒れていた。
起き上がって周囲を見渡す。
見渡す限り、岩と雑草だらけの荒れ地。遠くには鬱蒼とした深い森が見える。
そして目の前には、今にも隙間風が吹き込みそうな木造のボロ小屋がポツンと建っていた。女神特典の『家』らしい。立て付けの悪いドアの横には、錆びた鍬と、無限に水が湧き出るという小さな水瓶が置かれていた。
見事なまでの、何もないド田舎だ。
コンクリートのビル群も、排気ガスの匂いもない。
あるのは、澄み切った青空と、頬を撫でる爽やかな風だけ。
「……最高じゃないか」
俺は深く、深く深呼吸をした。
空気が美味い。生きている実感が全身に満ちていく。
異世界補正のおかげか、ブラック企業でボロボロになっていたはずの体は羽のように軽く、内側から力が湧いてくるのを感じた。
後で知ったことだが、このアナステシア世界の人間の基礎身体能力は、地球のトップアスリートを遥かに凌駕するらしい。
「よし、さっそく畑を作るか! 俺の新しい人生の第一歩だ!」
俺は錆びた鍬を手に取り、家の前の荒れ地に向かって振り下ろした。
ザクッ!
硬いはずの土が、まるで豆腐のように容易く掘り返される。
岩をどかし、雑草を引き抜き、土を柔らかくしていく。単純作業だが、誰にも急かされない自分のための労働は、極上のエンターテインメントだった。
「おっ、なんだこれ?」
作業開始から数時間。鍬の先が「カキンッ」と硬いものに当たった。
土を払って掘り出してみると、それは直径三十センチほどの、楕円形の石だった。
だが、ただの石ではない。
表面が虹色に輝いており、太陽の光を浴びて、見る角度によって色がゆらゆらと万華鏡のように変わるのだ。微かに、ドクン、ドクンと脈打つような温かさすら感じる。
「すげえ……宝石の原石かな? でも、こんな綺麗な石を売るのも勿体ないな」
俺は袖で石の汚れを丁寧に拭き取った。
重さも十キロほどで、両手で抱えるのにちょうどいい。
「よし、決めた。野菜が収穫できるようになったら、漬物を作ろうと思ってたんだ。お前は今日から、俺の専用の『漬物石』だ」
俺はその虹色の石を大事に抱え、小屋の隅へと安置した。
初日の作業はここまでだ。水瓶の水で泥を落とし、女神様からおまけで貰った種芋をかじって飢えをしのぐ。
質素な夕食だが、不思議と心は満たされていた。
泥のように疲れた体を固いベッドに横たえ、俺は静かに眠りについた。
――この時の俺は、まだ知る由もなかった。
俺が拾ったその石が、漬物石でも宝石でもないことを。
それは神話の時代に覇権を争い、世界を一度「無」に帰したとされる、全ての魔獣の頂点。
時間を操る力を持つ突然変異のバグたる存在――『始祖竜クロノ』の卵であったということを。
そして翌朝、俺の夢見た平穏な農業スローライフは、この『虹色の漬物石』の孵化によって、明後日の方向へと全力疾走を始めることになるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




