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36話 最終回 古木の誓い

 ヴァルハイト領に本格的な夏がやってきた。

 

  リネアは身軽な格好で籠を背負って館を出ると、よく晴れた朝のみずみずしい空気を吸い込んだ。


  彼女は草を踏みしめて、古い城壁跡へと向かう。


 古い 城壁の狭い隙間から中に入り込むと古井戸が見えてきた。

  ふと、体の大きくなったアシュリーはこの隙間から入り込めるかなと思った。


(今のアシュリー様では無理じゃないかしら?)


  足が速くてすばしこかったアシュリーを思い出す。


  井戸は水が枯れていて、縄梯子が垂れ下がっている。


  リネアはしっかりとした足取りで降りていき、短い地下道へと入る。

  あのアプリコットの古木へと向かっているのだ。


  今日はアシュリーの誕生日だった。


  だから、早起きしてアプリコットタルトを焼こうと決めていた。


  本当は王都へ行ったとき、アシュリーに何かプレゼントを買おうと考えていた。


 だが店にも王都にも慣れておらず、結局ずっとアシュリーと行動を共にするか、タウンハウスでゆっくり過ごしていたので、何も買えなかった。


  というより、彼に何を贈っていいのかわからなかったのだ。


  それに王都ではアシュリーの母校を訪ねることも、公園の散策も中途半端に終わっていた。


  だから、今日はアシュリーが目覚める前にアプリコットタルトを作っておこうと決めたのだ。

  きっと彼はびっくりすることだろう。


  リネアにとっては去年のことでも、アシュリーにとっては七年ぶりだ。


  ふと、大人になったアシュリーは味覚も変わっているのではないかと心配になる。


  ほどなくして地下道を抜けると、縄梯子が見えてきた。


  リネアはしっかりと手をかける。


  考えてみたけれど、リネアにはアプリコットタルトしか思い浮かばない。


  子供の頃の彼の印象に引っ張られていて、今のアシュリーをしっかり見ていない気がしてきた。


(そうだ。何が欲しいのか、アシュリー様にしっかりと聞いてみよう)


  リネアは七年ぶりに生還してからというもの、ずっと宙ぶらりんな状態だ。


  アシュリーとの関係性がはっきりしない。


 そして アシュリーはリネアと子供の頃のままの距離で付き合っている。


  周りもそれをよしとしていて、いつの間にかリネアもそれを心地よく感じていて……。


  リネアが縄梯子を登り切って息をつくと、上から涼しい声が聞こえてきた。


「驚いた、リネアはずいぶんと朝が早いんだね」

  すでにアシュリーがアプリコットをとっていた。


「アシュリー様! ずるいです。一緒にアプリコットを取りに来ようと言っていたのに」


「リネアだって、『わかりました』と言っていたじゃないか」

  そう言って楽しそうに笑う。すっかり先を越されてしまった。


  でもこれで彼が本当にアプリコットタルトを楽しみにしていたのだとわかった。


「アシュリー様、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう、リネア。僕が起きてくる前にタルトを焼くつもりだったんだね」


「はい、まさかアシュリー様に先を越されるとは思いませんでした」


「あははは、大丈夫だよ。リネアの分はとってあるから、好きなだけとるといい。ちょうど食べごろで良く熟しているよ」


「もちろんです。アシュリー様、今日はリネアがアプリコットを持って帰ります」

  そう言って、リネアは背負える籠を見せた。


「リネアって本当に面白いね」


「はい、七年間もお待たせしましたから」

  リネアはきっぱりと答えた。


  子供の頃の彼に引きずられて今の彼を見ていない。


  先ほどまでは本気でそう思っていた。


  でも今ならわかる。


  彼は子供の頃から欲しいものはきちんと言うし、行動で示してきた。


  大人らしい外見や仕草にまどわされたけれど、彼の本質は変わっていない。


  好きなものに対しても嫌なものに対しても、彼の態度は一貫している。


  だから、自分は宙ぶらりんだなどと思いながらも、安心してアシュリーのそばにいられたのだ。


  もちろんリネアはアシュリーのことを、何から何まで理解しているとは思っていない。


  少なくとも彼はリネアに本心を隠したことがないし、隠す必要もないはずだ。


  だから、アシュリーがアプリコットタルトが食べたいと言えば、それは本当のことで、彼はそれ以外を望んでいない。


  リネアはそれを全力でかなえようと思った。


  アシュリーに見守られ、時には手伝ってもらいながら、よく熟したアプリコットを潰さないように枝から取っていった。


  籠がいっぱいになっても、まだアプリコットはなっている。


  日の光を受けて金色に輝いていた。


「このアプリコットを見るたびにリネアを思い出していたんだ」

  アシュリーが噛みしめるように言う。


「なんだか、情けのないことになって申し訳ありません」


「あれはリネアのせいじゃないって言っているでしょ?  館を守ってくれたんだから。……それより、リネアに渡したいものがあるんだ」

  アシュリーがはにかんだように笑う。


  子供の頃のアシュリーもこんなふうに笑うことがあった。


「楽しみです!」

  リネアが嬉しそうに答えると、アシュリーがほんの少し首を傾げた。


「リネア、僕が何を渡すかわかっているの?  それとも何か欲しいものがある?」

「アシュリー様が何をくださるのかわかりませんが、私は手紙が欲しいです」

「手紙? 僕からの?」


「はい、アシュリー様は子供の頃、時々手紙を書いておりました。私もアシュリー様からの手紙が欲しいです」

  アシュリーが困ったように額に手を当てる。


「リネアに会えた時に渡そうと思って書き溜めたものがあるけど、それはあとでいい?」

  リネアはびっくりした。


「あるんですか!」

 過去のアシュリーからの手紙の存在に、リネアの胸は熱くなる。


「リネア。普通は宝石とかドレスとか、欲しがらないか?」

  欲しいとは思わないし、それをアシュリーにねだるのはおかしいと思う。


「ドレスは素敵なものをアシュリー様からいただきました」

「はあ、わかったよ。相変わらず欲がないな。リネア、ちょっと目をつぶっていてくれる?」


「はい?」


「僕がいいって言うまで目を開けちゃだめだよ」


「わかりました!」

  リネアは慌てて目を閉じる。


  ほどなくして、アシュリーの楽しげな声が聞こえてきた。


「リネア、目を開けて」

  目の前には夏の日差しにぴったりな明るいオレンジ色の花束があった。


「……マリーゴールド、これを私に?」

  リネアは驚いてアシュリーを見上げる。


「そう、これをリネアに。三年位前かな、この先でマリーゴールドを育て始めたんだ。いつかリネアに贈ろうと思ってね」


「ありがとうございます」

  リネアはアシュリーから大きな花束を受け取り、ぎゅっと両手で抱きしめる。


  思いのほか嬉しくて涙が出そうになった。彼は庭にいろいろな植物を植えて、リネアの帰りを待っていてくれた。


 それに 男性から花束をもらったのは初めてだ。


  いや、違う。幼い頃からアシュリーは野の花を摘んではリネアにプレゼントしてくれた。


  リネアもそれを大切にして、部屋の花瓶に飾っていた。


  こんな大きな花束は初めてけれど……。


  そんなリネアを見て、アシュリーは笑う。


「どうやって持って帰ろうか考えている?」

「はい、でも絶対持って帰ります」


「大丈夫。それは僕が持って帰るから。それと、まだリネアにプレゼントがあるんだ」

「ええ! まだあるんですか! 今日は、アシュリー様のお誕生日ですよ?」


「誕生日っていう歳でもないよ。それに今朝ここでリネアと会えたら、絶対に渡すつもりでいたものがあるんだ」


「今朝、会えなかったらどうするつもりだったんですか?」


「時期を見て渡そうかなと思っていた」

  アシュリーはそう言って、リネアの手からマリーゴールドの花束を取り上げる。


  もう少し花束を抱きしめていたかったので、少し名残惜しい。


  リネアが籠に置かれたマリーゴールドの花束を見ていると、突然アシュリーがリネアの前に跪いた。


  驚きのあまり、リネアは固まってしまった。


「リネア、僕と結婚してくれますか」

  そう言って彼が差し出したのは、透明感のあるエメラルドの指輪だった。


「わ……私でいいんですか?」

「リネア以外考えられない」

  返事をしようとしたのに、嗚咽が先に漏れた。


「リネア、これは神聖な誓いだから、僕は君が返事をくれるまで立ち上がれないよ」


「は……はい、アシュリー様と人生を共にします」


  アシュリーはリネアに指輪をはめると立ち上がり、ハンカチで優しく涙を拭いてくれた。


「リネアは泣いてばっかりだね」

  そう言って笑った。


「この場所も、アシュリー様もとても大切だから……」


「うん、今朝リネアがここに来た時、絶対に僕と結婚してくれるって分かっていたよ。リネアをここに連れてきた時、いつかここでリネアに結婚を申し込むと決めていたから」

  リネアはびっくりした。


「だって、あの頃のアシュリー様はまだ子供で」


「子供だって恋をするよ。リネア、魔物が出た晩に僕に言ったよね。『あなたを必ず守ります』って」

  リネアは頷いた。


「そうです。その気持ちは今も変わりません」


「あの時のリネアの背中がね……」

  そこまで言ってアシュリーは突然ふきだした。


「え、なんで笑うんですか?  あまりかっこよくなかったですか?」

  あれはリネアの本心だった。

 心に大きな傷と孤独を抱えるアシュリーを絶対に守りたかったのだ。


「いや、そうじゃなくて、驚くほど頼りなく見えたんだ」

「………た、確かに頼りないかもしれません」

  リネアは恥ずかしくてうつむいた。


「だから、絶対に僕がリネアを守ろうと思った」

  アシュリーの言葉に、はじかれたように顔を上げる。


  口元は柔らかく微笑んでいるのに、紫の瞳の奥には強い意志を感じた。


  そう、あの時彼は本当にリネアを助けに来たのだ。自分の正体がばれるのもいとわずに。


  アシュリーにぎゅっと抱きしめられた。


  リネアの胸の鼓動が早鐘を打つ。アシュリーを男性として強く意識した。


  彼は子供の頃からずっとリネアを守ってくれた。


  そして彼がリネアを必要としていることもわかっている。


「ずっとあなたのそばにいます」


  ――今度こそ絶対にあなたのそばを離れない。



  リネアはアプリコットの古木の前で誓いを立てた。




fin



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