EP 6
マッサージチェアと、小さな幸福
ルナミスデパートの地下階、通称『デパ地下』。
そこは、世界中の美味なる食材が集結する、美食と欲望のダンジョンである。
「プロデューサー、ここからは時間との勝負です! 試食コーナーのおばちゃんたちが休憩に入る前に、全フロアを制覇しますよ!」
ツヤツヤの顔になったリーザが、戦場へ向かう将軍のような凛々しい顔で宣言した。
手には、デパ地下タダ活の最強武器である『自前の爪楊枝』が握られている。
「よし、俺の胃袋のチューニングは完璧だ。いっちょ食い尽くしてやるか!」
俺もすっかりタダ活のテンションにアジャストし、リーザの背中を追った。
『高級ロックバイソンの粗挽きウインナー』のブース。
「あらリーザちゃん! お兄さんも一緒にどうぞ!」
ジュワッと溢れる肉汁。ロックバイソンの野性味あふれる旨味が口いっぱいに広がる。
『ピラダイの新鮮カルパッチョ〜マヨ・ハーブ添え〜』のブース。
「おっ、嬢ちゃんたち、今日は綺麗にしてるな! サービスでもう一切れだ!」
コリコリとした白身の甘みと、マヨ・ハーブの酸味が絶妙なハーモニーを奏でる。
『ハニーかぼちゃの濃厚ポタージュ』のブース。
「フン、下等な芋の汁など……ズズッ……ニャンだと!? この甘み、疲れた脳髄に染み渡るニャ!」
胸ポケットのガオンまで、試飲用の小さな紙コップに顔を突っ込んで夢中になっている。
前菜からメイン、そしてデザートの『マイ茄子のひんやりシャーベット』まで。
俺たちは一切の金貨を支払うことなく、デパ地下の試食だけでフルコースを完成させてしまった。
「ふぅ……食った食った。腹八分目、最高のコンディションだ」
「大満足ですね! さあプロデューサー、お腹もいっぱいになったところで、本日のタダ活ツアー、究極のフィナーレに向かいますよ!」
リーザに案内され、エスカレーターで最上階の『魔導家電売り場』へとやってきた。
そこは、最新の魔導具が並ぶ近未来的なフロアだった。
冷気を放つ『魔導冷蔵庫』や、炎の精霊を封じ込めた『全自動調理魔導コンロ』などが展示されている。だが、リーザが一直線に向かったのは、フロアの奥にある薄暗く静かなコーナーだった。
そこには、高級感あふれる黒革張りの巨大な椅子が数台、ズラリと並んでいた。
『最新型・極楽魔導マッサージチェア・リヴァイアサンSP(お試し無料)』
「これです! デパートで歩き疲れた体を、魔法の力で極限まで癒してくれる至高の玉座!」
「お試し……無料! なんて素晴らしい響きだ!」
俺とリーザは、空いているマッサージチェアにそれぞれ腰を下ろした。
子猫ガオンは俺の膝の上に丸くなる。
「起動!」
リーザが手元の魔導パネルを操作した瞬間。
「……ッッ!!?」
ウィィィン……ゴリッ、グゥゥゥ……。
背もたれの内部に仕込まれた『疑似闘気ローラー』が、俺の背中から腰にかけて、絶妙な力加減で入り込んできた。
さらに、足元からは『温熱魔法』がじんわりとふくらはぎを温め、肩周りは『風の精霊』が優しく揉みほぐしてくれる。
「あぁぁぁ……っ」
俺の口から、前世でも出したことのないような、だらしない声が漏れた。
日雇いの壁塗りで限界を迎えていた腰の痛みが、徹夜でエンタメ業界を生き抜いた前世の疲労が、すべて魔法の力で溶かされていく。
「プロデューサー、どうですか……?」
「最高、だ……。背骨が、トロける……」
隣を見ると、リーザも完全に目を閉じ、だらしない顔でチェアの動きに身を任せていた。
俺の膝の上にいるガオンも、マッサージチェアの振動が気持ちいいのか、「ゴロゴロゴロゴロ……」と大きなエンジン音のような喉鳴らしを響かせている。
静かなフロア。心地よい空調。
お腹の中には、美味しい試食品の数々。
そして、全身を包み込む極上のマッサージ。
俺は目を閉じ、深く息を吐き出した。
(……あぁ。世界を救うとか、魔王がどうとか、どうでもいいな)
そんなスケールのデカい使命なんて、俺の知ったことじゃない。
休日の昼下がりに、タダで美味しいものを食べて、クーラーの効いた部屋でマッサージチェアに沈み込む。
これが、これこそが『幸福』なんじゃないか。
「なぁ、リーザ」
「……はいぃ……」
「お前の言ってた『日常の心』……痛いほど分かったぜ。こういう、ささやかで、お金がかからなくても満たされる時間……これこそが、俺たちの守るべき『世界』なんだな」
「えへへ……分かってくれましたか、プロデューサー。私、この椅子に座ってると……本当に、生きててよかったって……」
俺たちは、完全に悟りを開きかけていた。
タダ活の果てに行き着いた、涅槃の境地。
この平和で温かい時間が、永遠に続けばいい。本気でそう思った。
――だが。
ルナミス帝国の絶対的な防衛結界の内側。
最も安全であるはずのこのデパートの最上階で、俺たちの『ささやかな幸福』は、突如として無慈悲に切り裂かれた。
ズバァァァァァァンッッ!!!
「「えっ!?」」
鼓膜を破るような轟音。
俺たちが座っていたマッサージチェアの、わずか数メートル横の壁。
頑強な魔導コンクリートで覆われていたはずのデパートの壁面が、まるで薄い紙のように、外側から『巨大な十字』に両断されたのだ。
吹き飛ぶ瓦礫。舞い上がる土煙。
警報のサイレンが鳴り響き、家電売り場にいた客たちの悲鳴が上がる。
「きゃあああっ!!」
「な、なんだ!? 爆発か!?」
土煙の向こう側、ポッカリと空いたデパートの壁の穴。
そこから、カツン、カツンと、軽い足音を立てて『誰か』が入ってきた。
「アハハハハハッ! いやぁ、驚かせてすみませんねぇ! 結界を抜けるのに、少し手間取ってしまいまして」
甲高く、芝居がかった、ひどく耳障りな声。
現れたのは、巨大な鎌を肩に担ぎ、不気味な笑みを浮かべた『道化師の仮面』を被った男だった。
男の背後からは、刃のように鋭いカマを持つ、緑色の巨大な虫の化け物――『死蟷螂型』が、音もなく這い入ってくる。
「な……っ!? 死蟲機……!? どうして、結界の内側に!」
俺がマッサージチェアから跳ね起きると、道化師の仮面を被った男――魔人ギアンは、フロアを見渡し、酷薄に唇を歪めた。
「おや、おや。底辺のネズミどもが、随分と『ささやかな幸福』を満喫しているじゃありませんか。腹を満たし、体を癒やし、笑顔を浮かべる……」
ギアンは、ピエロのように大げさな身振りで両手を広げた。
「虫唾が走りますねぇッ!!」
その声に込められた圧倒的な悪意と殺気に、俺の全身から一瞬で血の気が引いた。
「さあ、最高のショーの始まりです! 絶望に顔を歪ませなさい! 貴方たちのそのくだらない『幸福』を、私が今から、ぐちゃぐちゃに切り刻んであげましょう!!」
日常は終わった。
最悪の敵が、俺たちの目の前に立っていた。




