20(終)
2.5章最終話です。
吸い込む空気が少し昨日より冷たい。暑い日が続いたからそう感じるだけかな。ちょっとだけ秋に近づいた気がする。雲一つない真っ青な空の下で、ウッドデッキに座り久しぶりにギターを握る。
髪をいつものようにまとめようとして、髪を滑る指が早々に毛先に辿り着きハッとする。そういえば昨日切ってもらったんだった。結ばなくてもいいのは楽かもしれない。
耳を澄ますとカラスの鳴き声や名前は知らない鳥の鳴き声が聞こえてきて、その鳥の声の途絶えた一瞬にジャーンとギターを鳴らした。
何を歌おう。やっぱりラブソングかな。少し古い曲だけれど、ギターを弾いている女の子が歌うミュージックビデオが頭に浮かんできて私は歌い始める。
外壁の外の電線に鳥たちが並んでいて、音階みたい。可愛いな、なんて思いながらサビまで歌うとカラカラと背後の窓が開いた音がして、レイさんが隣に座った。
私は歌うのをやめて、ギターの弦から指を離す。レイさんは足を組んで私の顔を見つめて、それから視線を空に移した。
しばらくトンビが鳴きながら空を旋回する様子を二人で眺める。獲物を見つけたのか、上手く風に乗れなかったのか、トンビはどんどん高度を落として視界から消えた。
そして私はさっきの曲のイントロを弾き出す。レイさんの目がキラッと光って、身を乗り出して私が歌うのを期待している。私は笑って首を振って、レイさんを指差した。私?というように眉を寄せてから、レイさんはAメロを歌い出した。
相変わらずの音痴だ。てんで出鱈目で、元の曲が全く分からない。思わずフッと笑ってしまって、それからレイさんの声に重ねて歌い出す。私の声量につられて少しは音程が合ってきた。
一番を歌い終えると、レイさんはキラキラした瞳で私を見つめる。
「人生で一番上手く歌えた気がする……!」
「上手でしたよ」
「うん」
弾んだ声でレイさんがそう返事をして、子供みたいで可愛いなと思った。私は何となくメロディを弾きながら、鼻歌を歌う。
「ねえ、まだ昨日のこと怒ってる?」
「んー。ちょっと?」
「そう……」
「だってやっぱり、レイさんのしてること納得はいかないかな。らしくないというか」
「そっか」
「ねえ、何で?レイさん」
ギターストラップを肩から外し、傍へ置く。それをレイさんは横目で見て、それから視線をまた空に戻した。
私たちの間にそよそよと穏やかな風が流れる。軽くなった髪の毛を風が遊ぶように揺らして、顔にかかってくすぐったかった。
「……ホノカちゃんは、女性は恋愛対象なの?」
「え?シーちゃん?」
「……まあ、うん、とかね」
名前を出すと、有耶無耶にレイさんは頷く。シーちゃんのことじゃなかったのかな。というか、私の質問の答えになってない。何か関係があるのかな。レイさん、この前から恋愛とかそんな話ばっかりしてるような。
恋愛、恋愛か。
レイさんは私の方は見ずに、相変わらず無言で空を眺めていた。私はしばらく唸って考えて、答えを絞り出す。
「んー……そもそも、恋ってよく分かんないや。他の人に渡したくなかったら、恋?でも友達の友達にも嫉妬しちゃうことあるしな。キスしたいと思ったら?そんなの、いいなと思った人とはみんなしたいんじゃないかな」
「分からないの?」
「うん。……レイさんは?どうでした?」
「そうだね。私が恋をしたら……」
「恋をしたら?」
レイさんは私へ体を向ける。膝と膝がコツンとぶつかったと思ったら、わざわざ足を組み直し、長い足で私の片足を巻き込んだ。その仕草に思わずドキッとして、視線を上げると目が合う。ゆったりと膝に頬杖をついて、その整った顔を私に近付けて話しだす。
「――体の隅々までキスをして自分のものだって刻んで、他の人間の名前なんて呼ばないように唇を塞ぎたい。私の味を知って欲しいから口の中まで舐めたいし、私以外を見つめないように覆い被さって視界を塞いでしまいたい。唇を離したら、私の声だけ聞いてほしいから名前を呼び続けたい。ずっと、ずっと、お互いしか見えない世界に閉じ込めたい。……そんな欲望を、相手に対して抱く、かな」
真っ直ぐな、熱っぽい視線でそう言われ、私の心臓が跳ねた。
いつも揺れずに穏やかで、凪いだ海を思わせる瞳が、今は欲に塗れて執着心に囚われている。見つめているだけでこちらも引き摺り込まれそうで、私は思わず目を逸らした。
「な、なんかアダルト……!」
「そうだね。まあ私は独占欲が強いのかな」
「大分強いですね!」
「どう?ホノカちゃんは」
「いや、ええ?うーん……」
「…………」
レイさんは頬杖をついたまま、至近距離で私から目を離さない。返答を促すように、私の足を巻き込んだままリズムを刻んで組んだ足を揺らす。
何だか、今日のレイさんは普段とちょっと違う。大人で冷静沈着で頼れるレイさんが、ちょっぴり可愛らしくてアダルトで、いつもとは違う魅力に溢れている。
昨日シーちゃんとキスをしたせいか、意識がレイさんの唇に向いてしまう。レイさんの唇はどんな味で、どんな柔らかさなんだろう、と思ってしまい、墓穴を掘ったようで一気に頭のてっぺんまで熱くなる。
ドキドキして何も考えられない。レイさんから香る微かな薔薇の匂いも、捉われたままの足の感触も、瞳の含む熱も、私の思考を塗りつぶしていく。
訳が分からなくなって、心臓の音だけが響いて、そしてぐちゃぐちゃになった頭で叫ぶ。
「――わ、私、恋愛はしたくない!」
「え……」
「だって、もしどっちかに恋人が出来ちゃったらこの生活終わっちゃうよ?!シーちゃんのことは応援したいのに、ちゃんと女性が恋愛対象外ってレイさん断らないかなって思っちゃったもん!一緒にずっといたいのに、そんなの嫌だよ!」
「ホノカちゃん……」
「考えてみてよ!付き合ってラブラブな二人と一緒に暮らすなんて、超お邪魔虫じゃん!そしたら私、鶏二羽を抱えて家を出て、寂しく実家で暮らすんだよ?そんなの、絶対嫌!レイさんと今の暮らし続けたい!」
「あ、鶏は連れて行くんだ」
半ばパニックになった私は、勢いよく立ち上がる。絡まっていた足が外れて、レイさんは足を組まずに座り直した。
いつもは身長の高いレイさんが私を見下ろしているけれど、今は立っている私の方が背が高い。さっきの熱はいつの間に冷えたのか、普段通りの静かな瞳で私を見つめるレイさんを見下ろして、ギュッと拳を握った。
「でも……私、わがまま?レイさんに依存しちゃってる?……レイさんに幸せでいてほしいのに、その幸せが私と一緒にいることであってほしいなんて、おかしいのかな」
精一杯の勇気を振り絞ってレイさんへ問い掛ける。自分が不相応な願いを持ってしまっている気がする。心臓が不安で軋んでいるような感覚がして、縋るような視線をレイさんに送ってしまう。
しばらく私を見つめてからゆっくり瞬きをした後、レイさんはフッと表情を崩してそれからクスクスと笑った。
「……何で笑うの?」
「可愛いなって。それに嬉しくて。……おいで?」
レイさんはそう言って、私に向かって手を広げた。また膝の上に座るのも、と思い遠慮がちに隣に座る。おずおずとその腕の中に入ると、レイさんは私をゆっくりと抱き締めた。
陽の光に当たっていたレイさんは、ポカポカいつもよりも温かい。お日様と薔薇の匂いが混ざって、いい匂い。私の頭を撫でる手付きが、宝物でも触るみたいに大事そうで、それが何だかとても嬉しくて。
何だかこの感じ久しぶり。温かくて、気持ち良くて、安心できて――
「ホノカちゃんが私に気持ちをぶつけてくれて、嬉しい。前は遠慮してたのかなと思って。……私もホノカちゃんとずっと一緒にいたいよ。他の人間に恋なんてしないでね。私のこと、ずっとこうして……」
遠くでレイさんの声が聞こえる。落ち着いた、静かな海みたいなトーン。寄せては引いていく波みたいな心臓のリズムが心地良い。
そういえば、海に行こうって言ってたのに忘れてた。もう海水浴には寒いだろうからピクニックにして、浜辺で貝殻拾ったりしたいな。レイさんは付いて来てくれるかな。私がお願いしたら、いいよって言ってくれてすぐに準備を始めて、そんなに荷物いらないのになってくらいバッグに詰め込むんだろう。そしてはしゃぐ私を目を細めて見つめて、眩しそうな顔をして。
瞼の裏でそんな何でもない幸せな未来のことを考えて、それから波に意識をさらわれるように、レイさんの腕の中でうとうとと眠りについた。
3章は多分かなり長い話になりそうで、書くのに時間がかかりそうです。お待たせして心苦しいですが、少しでもいいものを書けるように頑張ります。
ありがとうございました。




