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残光の箱庭  作者: 米田
2.5章
84/96

9

「ホノカ、昨日ちゃんとレイに飲ませた?!」


 シーちゃんが朝起きるなり私に詰め寄る。振り向いてシーちゃんの姿を見て、ギョッと後退りしてしまった。


「し、シーちゃんその格好は?!」


 リボンや繊細なレースがあしらわれた可愛らしいキャミソールなのに、シースルーなので下着が透けている。彼女の雪のような白い肌が、細いのに女性的な柔らかいラインの魅力的な肢体が、惜しげもなく晒されている。可愛さよりもそちらに目がいく。あまりに肌色が多すぎて私は思わず目を覆った。いや、まあ、お風呂で裸は見ている仲だけれど、そういう場以外でここまで露出されるとちょっとこちらも目のやりどころに困る。

 シーちゃんは私の反応を全く意に介さず、腕を組んでイライラしたように舌打ちをする。


「レイ、いつもの部屋にいなかった!他の部屋も探したけど、どこにもいないし!……まさか、ホノカの部屋にいたわけじゃないよね?!」

「えっ、と、いないよ」


 嘘だ。朝までぐっすり私の隣に寝ていた。私は端で寝ていたはずなのに、何故か起きたらレイさんの腕の中だった。朝起きて、レイさんの綺麗な寝顔を見ても何だかムカムカしてきて、そのまま腕を雑に払い除けて起きた。いつもなら長いまつ毛とか、主張しない控えめで整った口元とか、顔の造りをしばらく眺めちゃうんだけど、それすらしなかった。あまり怒ったことがないから、怒りの収め方がよく分からない。

 けれど、レイさんと朝まで一緒に仲良く寝たのは事実なわけで。シーちゃんに私の部屋を開けられなくてよかった!夜中に修羅場になるところだった!

 私は一つ咳払いをして、シーちゃんに向き直る。


「あの……昨日レイさん、またどうせ自分の部屋に来るだろうからあの部屋では寝ないって言ってたよ。どこで寝たかは知らないけど……」

「そうなの?」

「うん、だから飲ませなかったよ」

「ふぅん?」


 彼女は目を細めて、人差し指を口元に当てて何かを考える。少しの間の後、私へ問いかける。


「ま、いいけど。で、レイはどこ?」

「もう研究所に行ったよ。シーちゃん起きたら迎えに来るって言ってた。連絡してって」


 シーちゃんはいつも起きるのが遅い。私とレイさんは比較的早くから起きて動く方だけど、彼女は陽がすっかり昇り切って、朝ご飯と昼ご飯の間のような時間にいつも起きる。まあ、時差とかもあるから仕方ないんだろうけれど。

 だからいつもレイさんが先に研究所へ向かって、シーちゃんは私が側まで送って行っていた。自力で来な、と冷たくいうレイさんに、内緒で。


 私がそう伝えると、シーちゃんはぴくりと眉を動かして、そして嬉しそうな顔をする。


「え、迎えにきてくれるの?優しいね、レイ」

「そうだね」

「やっと私の魅力に気付いてきたかな」

「んー、そうかもね」


 曖昧にそう頷くと、シーちゃんはニヤニヤと笑んだまま私の隣に立って、腕を絡めてくる。薄い布越しに彼女の柔らかな肌の温度が伝わって来て、どくり、と心臓が跳ねる。


「ホノカ、やきもち?」

「え?」

「私とレイが仲良くなると、ホノカは嫌?」

「え、嫌じゃないよ」


 そう伝えると、シーちゃんは私の耳に唇を寄せる。ぶわっと咲き乱れる花の甘ったるい、そして果物の瑞々しい香りが混ざった匂いが彼女からする。女の子らしくて、可愛い匂いだ。レイさんの大人っぽい薔薇の香りともまた違う。何だか、くらくらする。


「私たちのこと応援してくれるホノカのこと、大好きだよ」


 小さな囁くような声でそう言われ、耳がくすぐられるような感覚になる。思わずビクッと体を反応させると、シーちゃんはクスッと笑う。


「ありがとね?ホノカ」


 そう言って、彼女は私の頬へ唇を押し当てた。ふわふわで柔らかいのに、さくらんぼのように瑞々しくて張りのある彼女の唇の感触。そこは昨日の夜、レイさんにもキスをされた箇所で――……


「ええええええっ?!」


 私は思わずシーちゃんの手を振り払ってしまう。シーちゃんは私の反応をニヤニヤ笑って眺める。


「ね、ホノカ。今日も送っていってよ。レイが来るより、そっちの方が早いでしょ?」


 そう言って彼女は扉から出て行った。

 し、心臓がバクバクして、止まらない!昨日はレイさん、今日はシーちゃん、私イケメン美女と黒髪美少女に頬にキスされてる!何これ!でもどっちも私のことを好きじゃないんだよね?!情緒がおかしくなりそう!もしかして、私2人におもちゃにされてる?!何これ!


 しばらくその場で混乱して、それから頭を抱えた。仲のいい友達とノリでキスするのとは訳が違う。たくさん人がいる場で盛り上がって頬にキスすることはあっても、こうやって1対1で何だか意味深にされたことはない。

 ……私ってやっぱりちょっと無防備なのかな。私のことを好きじゃないって公言してる2人にほっぺキスを許すなんて、ガードが甘いのかも。

 今更レイさんに言われたことが身に沁みて、これからはもう少し気を付けようと反省した。



******




 ブレーキから足を離す。クリープで車がノロノロと進み出して前へ出た。

 この家はガレージまで広く何台も車が置いてあるけれど、大半がガソリン車なので常時使えるものは少ない。結局使えるのは電気で走るものだけだ。このコンパクトな軽自動車は、こういう近場を走るのに向いているのでよく乗り回しているものの一つだ。村の中を移動したい時は大半これを使っている。


「……?」


 違和感を覚えた。何だか、おかしい気がする。カラカラ高い音がエンジン音に紛れて聞こえるような。


「これ何の音だろう……」

「……え?何も聞こえないけど」

「カラカラって聞こえない?」


 そう後部座席に座るシーちゃんに声をかける。一度ブレーキを掛けて車を停めようとするとシーちゃんが不機嫌そうな声を飛ばす。


「聞こえないって。ホノカ神経質なんじゃない?」

「ええ〜?そう?気のせいか……」

「そうだよ。早く行こう」


 そう急かされ、確かに気にするほどの音でも無かったかもと思い直し、私は再び車を発進した。昔から耳が良くて、家電の音もよく気になっていた。だから、何でもない音を拾ってしまっているのかもしれない。


 いつもの景色がガラスを横切っていく。今日は茹だるような暑さではないけれど、まだまだ外で作業すると汗をかく気温だ。雲ひとつない真っ青な空がフロントガラスに広がる。シーちゃんは頬杖をついて外を眺めている。彼女の瞳がスクリーンになって、そこに外の景色が流れている。


「レイ、昨日どこで寝てたんだろ〜」

「……どこだろね……」

「リビングとかかな?もしかして、朝見てないし研究所の方にいたとか?」

「研究所、泊まれる部屋あるもんね。レイさんちょっと前まで泊まることも結構あったな」

「……本当にホノカ知らないの?」

「し、知らないよ?」


 なるべくとぼけた声で返事をし、シーちゃんの追求を逃れようとする。人を喜ばせようとする嘘じゃなくて、騙す嘘って心苦しい。しかも自分に後ろめたい部分があるから余計に。

 運転中なのに目が泳いでしまう。いけない、集中しなきゃ。ドキドキする鼓動を落ち着けるように、深呼吸をする。


「今日はレイどこで寝るんだろう。絶対部屋じゃ寝ないよね」

「そうだね〜……」


 その発言でハッとする。もしかして今日もレイさんは私の部屋で寝るのだろうか?無理無理無理、もう絶対ダメ!シーちゃんへの罪悪感で潰れそう!万が一、探しに来られたらバレてしまったら私は、もう!


「ホノカ?ちゃんと前見て?」

「え、あっ、ごめ……」


 呟いたその瞬間、パンッ!と大きな破裂音が響き渡る。

 咄嗟に思い切りブレーキを踏み、シーちゃんの悲鳴とブレーキ音が鼓膜を突き刺す。車は数メートル滑ってから、大きく跳ねて停止した。


「――ごめん!大丈夫?!」


 上半身を捻って後ろを振り返ると、シーちゃんが顔を歪めて口を押さえている。どこかにぶつけたのだろうか。私は慌ててシートベルトを外して、後部座席へ移動した。


「ぶつけた?!」

「うん……切ったかも」

「見せて」


 彼女がゆっくりと手を外すと、唇の横が変色し、切れて血が滲んでいた。サーッと自分の体から血の気が引いていく音が聞こえる。


「ご、ごめん、ティッシュ、消毒、あ、鏡も……」

「え、いいよそんなの」


 シーちゃんはそう言い、カバンからポーチを出してそこから小さな鏡を取り出す。鏡を開いて数秒、いろんな角度から傷を見て、指で拭いながら呟く。


「こんなの、全然大丈夫。歯が折れたら嫌だったけど。口の中も切れてないし」

「本当にごめんね……」

「いいよ。それより何で急ブレーキかけたの?」

「え、すごく大きい音したでしょ?破裂したみたいな。パンクかと思って……」

「音?」


 シーちゃんは顔を顰めた。そしてハッと鼻で笑って首を振った。


「しなかったよ、そんなの」

「ええ?!結構大きな音だったよ?」

「じゃあ外確認したら?」

「あ、そうだ、見てくるね」


 そう言い、私は車から降りる。ぬるっとした空気が肌にまとわりつく。その不快感を無視して、しゃがんで車体を隈なく確認した。

 ――どこにも異常は無い。タイヤはどれも無事だし、何かを踏んだ、たとえば空き缶とか、そういった形跡も無かったし、車体に傷ひとつ付いてなかった。後ろの道には、ブレーキ痕だけが付いていた。


「えー……?」


 首を傾げて何度も丁寧に確認するけれど、何も問題は無い。この状況も、頬を撫ぜるぬるい風も気持ち悪い。私は困惑したまま、車内に戻った。


「……何も無かった。車も問題無くて……」

「そうでしょ?もう、ホノカしっかりしてよ」

「うーん……」


 でも、確かに聞いたのにな。あんな大きな音、間違いなことあるのかな。私が悩んでいると、シーちゃんは体を乗り出して私へ言う。


「何?疲れてる?神経過敏になると、小さな音でも大きく聞こえることあるらしいよ」

「んんー……そうかなぁ……。シーちゃん、傷レイさんに一回見てもらってね」

「いいよ、これくらい。レイには黙っておいてあげるから、貸しひとつねホノカ」


 そう彼女は唇の端を上げて悪戯っぽく言いながら、カバンからマスクを取り出し着用した。小さなサイズのはずなのに、少し大きそうで彼女の顔の小ささに衝撃を受けた。


「でも、他にどこか怪我してるかもしれないし」

「平気だって。車も問題ないんでしょ?」

「ええー?」

「それよりほら、早く行こう」


 彼女に促され、私は迷う。確かにここでいつまでも停まっているわけにもいかないか、そう思い私は恐る恐るアクセルを踏んだ。

 問題は無さそうだ。あのカラカラと高い音もしなくなっていて、少しホッとした。何だったんだろう?やっぱり気のせいだったのかな。

 それでもやっぱり心配で、車をいつもより慎重に、ノロノロと走らせる。シーちゃんがブツクサ文句を言っていたけれど、事故を起こすよりマシだ。


 研究所の前へ着いて、彼女を降ろす。レイさんに会えると嬉しそうに体を弾ませながら歩く彼女を見送った。それからもう一度、今度はボンネットまで開けて車体を確認するけれど、やっぱりおかしなところは見当たら無い。釈然としないけれど、やっぱりシーちゃんが言うように私が神経過敏だったのかなと思い、車を出発させた。

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