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残光の箱庭  作者: 米田
1章
22/85

16

 あれからレイさんとは2人で話していない。別に特に話すようなこともないのでいいのだけれど。あの話はあれ以上広がりようがないし。


 というか、レイさんもナリタさんもあまり私とリカコさんを2人にしないようにしているのが分かる。2人一緒に研究所へ行くことは減り、必ずどちらかは在宅して農作業に付き添ったり夕ご飯の支度を手伝ったり。リカコさんはレイさんが来るとまるでレイさんはそこにいないかのように扱う。私はそれもどうかと思ったのでレイさんにも話しかけていたけれど、結局最近はもっぱらナリタさんが在宅している。リカコさんはナリタさんにもかなり素っ気ない。以前のような楽しそうな喧嘩もない。


 私のせいなのかな?それで不穏になっちゃってるのかな。一瞬過ったけれど、相変わらずリカコさんは優しいし、聞いても『ホノカは何も知らなくていいのよ』なんて言われてしまうので、私はただその優しさに甘えていた。

 


「あれ?これ忘れ物かな?」


 テーブルの上の社員証を持ち上げた。

 ナリタさんはさっき、レイさんに呼び出されたのか研究所へ一度行ってくると言って出ていった。これがないと入れないんじゃないかな?大丈夫かな?

 私はレイさんにテキストで連絡を入れる。するとすぐ返信がきて、持ってきてくれないか、と頼まれた。私はリビングでくつろいでいるリカコさんへ声をかける。


「リカコさん、私研究所に忘れ物を届けてきますね」


 レイさんの素性がバレない方がいいなら、リカコさんを研究所から離した方がいいかな、と思い1人で行くことにした。本当は一緒にいたいけれど、釘を刺されてるのに約束を破るのもな。

 そう言うと、リカコさんは立ち上がってこちらへ来た。


「忘れ物?あの人、何忘れたの?」

「なんか、社員証?です」


 リカコさんは私の手からそれを取り、ふーん、と言って眺める。


「いいわ。私が届けてくるわよ」

「え?じゃあ一緒に行きたい……」


 焦って言う私の頭をポンポンと撫でてくれる。


「ゆっくりしてなさい。みんなホノカをこき使いすぎよ。たまには休んで。今日はのんびりできる日なんだから」

 

 そう言われると何も言えない。


「…………じゃあ、お願いしますね」


 私は車の鍵も渡した。


「帰ってきたらあのドラマの続きでも観ましょう。あのクソ男が地獄の底へ落ちるシーンが早く観たいわ」

「ふふ、それ多分まだ先ですよ」


 そう言うと、リカコさんは呆れたように手をヒラヒラとさせて扉から出ていった。

 一応、レイさんに連絡を入れた。まあ、研究所に行ったからと言って何かバレるようなことはないだろう。こうして連絡も入れてるし、大丈夫だろう。

 私は言われた通りのんびりすることにした。




***




「いやーーーーごめんごめん、うっかりしていたよ!!!まさかテーブルの上に忘れてくるなんてなあ」

 

 お腹を揺らしながらワッハッハとナリタさんが笑う。

 

 ここ最近、あまりホノカちゃんとリカコさんを2人きりにしないよう交代で研究所に来ていたものだから、社員証をナリタさんが持っていたことを忘れてしまっていた。この時間まで特に必要がなかったので気付かなかったが、確認したいこともあったしついでに社員証も持ってきてもらおうと頼んだ。そしたら肝心の社員証を忘れてしまったらしい。

 こういうことがあってもあまりナリタさんを憎めない。そういう魅力がある人だ。


「ホノカさんには申し訳ないね。僕が出迎えにいこうかな」

「そうですね、お願いします」


 私がそう言うと、ナリタさんは荷物を置いてからまた玄関の方へ蜻蛉返りした。

 ……そろそろ着く頃だろうか。

 私はスマホを確認した。そこにはリカコさんが代わりに向かう旨が書かれていた。一瞬驚いたが、ナリタさんが迎えにいっているなら大丈夫だろう。私はコーヒーを飲みながらナリタさんを待った。




「……ふーん、随分新しくて立派なのね。正式稼働されなくて、残念ね」


 その声に、私はすぐ立ち上がった。リカコさんだ。

 別に入られても特に困らないが、今は私は無視をされている立場なので警戒はする。何故入ってきたのだろう。その後ろから申し訳なさそうな、神妙な顔をしてナリタさんが入ってくる。ナリタさんと目が合うと、険しい顔をして顔を振る。まさか、バレた?


 リカコさんは空いている適当な椅子にドサリと座った。普段ホノカちゃんに接している時のような優しげな雰囲気はまとっていない。初対面の時よりも、ずっと神経質で疑い深そうで、そして凄まじい怒りを秘めた視線で私を睨みつけてくる。


「ずっと3人で話したかったのよ。ホノカにストレスはかけたくないし。……私の話したいこと、分かるでしょ?とりあえず2人とも座って」


 私たちは何も言えない。黙って席に着く。

 この分だと、多分昨日今日バレた話じゃない。ずっと機を窺ってたんだ。

 リカコさんは私たちが座ったのを見てから、バサリと乱暴に鞄から何かを机に投げる。週刊誌だ。もう一年以上前の。


 ピンときた。私のことが載ってるんだろう。私の顔はネットにもあがっている。世界が崩壊してしまい、インターネットの機能は保守運用している人間も消えたので、ほぼ使えなくなっている。(私たちが村の中で連絡を取り合えているのは特殊な中継点を使っているからだ)限定的な機能しか使えない状況では、保存してない限りネットで私の顔は確認できない。だから大幅に印象を変えればバレないと思っていたが、油断した。そんな週刊誌がその辺にあったのか。


「このページに載ってる、ネレイド社の社員の写真。あなたよね?この頃は髪が長かったのね。私もロングヘアの女性として認識してたから、わからなかったわ」


 そうだ。今はショートヘアにして、あえて顔が見えるように前髪をセンターでわけている。リカコさんの前ではメガネもかけていた。バレないようにするために。余計なトラブルを避けるために。


「……ヒカリって名前も偽名でしょ?まあ、あなたのせいでこれだけ大勢死んでるのに、名乗れるわけもないわよね」


 フン、と鼻を鳴らして腕と足を組む。


 記事のページには、大きく見出しに『美貌の天才科学者、パンデミックの黒幕か?!チームメイトの証言も入手』なんて、センセーショナルな見出しが添えられている。この手の記事はこの時期世界中のどこでも書かれていたのでいちいち見ていなかったけど、どこも似たり寄ったりだろう。


「リカコ、前から言っているがネレイド社が公に否定していただろう。その社員が故意に漏洩を行ったわけではないと」


 ナリタさんが鋭い声で反論する。その強い響きにリカコさんが怯むかと思ったが、途中で被せるように喋り出す。


「ハア?あなたは黙っててよ!!世界を滅ぼした戦犯企業の言い分を誰が信じるわけ?それにレイってあのラングフォード家の一員なんでしょ?そこが圧力かけたってもっぱらの噂だったじゃない。あの豪邸も納得よね?自分だけおめおめ生き残ってね!」


 バンと机が強く叩かれる。リカコさんのボルテージが上がっていくごとに、私の心の中は冷めていく。何度同じやり取りをしただろう。何度見ただろう。結局、世間の人間には信じたいものしか見えないのだ。どう証拠を出されたって、人は信じたいものを信じていく。私1人を悪者にした方が楽なんだ。


「……そうですね。その記事に出ている写真の人物は私で間違いないです」

「ハッ。素直にネレイド社に所属してたレイ・ラングフォードですーって認めなさいよ」

「合ってます。日本では神崎レイ、海外ではレイ・ラングフォードと名乗っていました」


 リカコさんが私を憎しみで燃えたぎった目で睨みつけてくる。立ち上がり、私の近くへドカドカと音を立てながら歩いてくる。


「おい、リカコ……」

「黙っててって言ってるでしょ。あなたも分かっててこの女と共同研究なんてしてたのよね?……何でそんなに涼しい顔してるわけ?世界中の人間がウイルスで死んだのよ?よく生きてられるわね?」

「私がウイルスを漏洩させたわけではありません。別の人間です」


 淡々と答えると、リカコさんの顔が歪む。


「まだそんなこと言ってるの?誰が信じるわけ?あなたの言ってること」

「誰が信じる、信じないかは関係ありません。事実を言ってるだけです。それとも私が謝ればそれで満足なんですか?」


 その瞬間、頬に衝撃が走った。顔からメガネが吹っ飛ぶ。リカコさんに叩かれたのだ。遅れてジンジンとした痛みが走る。これも顔がバレた時によくやられたな。懐かしい。

 ナリタさんが立ち上がり、暴れてもう一発殴ってきそうなリカコさんを体ごと抱きしめて止めようとする。片手が使えないので、苦戦している。


「離して!!!!!こいつのせいで、ナオが死んだのよ?!殺してやる!!!!!」

「落ち着け!そんなことしても何もならないだろう!!!!」

「ナオは、ナオは一歳の誕生日も迎えられなかった!!!もっとたくさん楽しいことをさせたかった!!!ママって、ママって呼んでもらいたかった……!!!!つたないあの子のお喋りを、聞いてみたかった……!!!!!」


 そう言って、最後は泣き崩れてその場に座ってしまった。

 無音の部屋に、リカコさんの悲痛な泣き声が部屋に響き渡る。


「……レイさん、悪いけれど何か飲み物を用意してきてくれないかい?」

「……わかりました」


 私は立ち上がって部屋から出た。メガネは床に放置したままだ。どうせもう必要ない。顔も冷やしてこよう。


 各階にある休憩スペースに私は歩く。冷蔵庫に入れてあったペットボトルを2本出して一つは頬に当てた。冷たくて気持ちが良かった。頬が腫れているところを見られたら、ホノカちゃんが驚いてしまうかもしれない。……でも、どうかな。もう私には興味もないかも。


 リカコさんとホノカちゃんの様子がおかしいと気付いたのは最近だ。仲良さそうだな、とはこれまで思っていたが明らかにホノカちゃんの様子がおかしくなっていた。何を聞いても一旦リカコさんを介さないと答えなかったり。また、リカコさんもある日を境に私を避け始めた。その日に雑誌を見つけたのだろう。


 ナリタさんはリカコさんと、私はホノカちゃんと喋ったが、どちらもうまくいかなかった。ナリタさんと2人で話し合い、あまりリカコさんとホノカちゃんは2人きりの状況を作らないようにしよう、ということになった。

 リカコさんが分かっていないはずがない。ホノカちゃんを意図的に依存させてるのでは、と思っていたが、状況的にやっぱりそうだろう。私への当てつけだろうか。大切なものを奪われたんだから、お前も同じ思いをしろってことなのか。


 でもホノカちゃんの目の前で修羅場を起こすような真似はしなかった。そこの良心は残っていたのか。

 私はゆっくり顔を冷やしてたっぷり時間をかけてから、鏡で腫れがまあまあ引いているのを確認して水を持って部屋へ戻った。

 リカコさんは落ち着いたのか、ナリタさんの隣の席に座っている。テーブルの上にメガネが置いてあった。私はナリタさんへ水を手渡して、少し離れた席へ座った。


「……レイさん、頬は大丈夫かい?すまなかったね」

「いえ……」


 沈黙が流れる。このまま2人が私と暮らすなんて無理じゃないだろうか。私だけこの研究所に寝泊まりでもした方が良さそう。

 ここも災害時が想定されてるのか、ある程度の設備は整っていた。太陽光やその他のエネルギーから電力を賄えるようになっている。浄水槽などもあるので水も使える。仮眠室もシャワー室もあるようだし、まあナリタさんの怪我が治るまでなら暮らしていけるだろう。


 ……正直ホノカちゃんは心配だけれど、2人なら悪いようにはしないだろう。本音を言うなら離れたくない。でも今ホノカちゃんが渇望してるのはリカコさんの隣だ。私じゃない。

 自分の家を他人に明け渡すのもちょっとどうかな、と思ったがそれが1番スムーズだ。提案しようかと思った時、リカコさんがふ、と思い出したように喋り始めた。


「……ねえ、待って、ここならワクチンあるんじゃないの……?あなた、見つけて保管してるんじゃない?研究用とかで……」

「!」


 まずい、という顔をナリタさんがする。私は察した。この人、何で世界が滅んだのかも理解してないのか。それとも理解を拒んでるのか。

 要するに、エートン社の欠陥ワクチンの信者ということだ。


「もう期限が切れてますよ」

「そんなわけないわ。6ヶ月から1年に後から延びたもの。まだギリギリ使えるものがあるはずよ」


 ああ、そういえば後から使用期限が延びたんだっけ。そんなこともあったな。


「……あったとして、どうするんですか?」

「決まってるじゃない!うちの夫に打つのよ!」

「…………」


 何も言えなかった。どう説明したって私の話は信じてもらえないだろう。ナリタさんが説明しているはずなのにこんなことを言ってるということは、ナリタさんの話だって信じていない。


「リカコ。僕は打たないよ。前にも説明しただろう。エートンのワクチンは致命的な副作用があるに違いないと。あれのせいで世界中の人間の死期が早まったんだよ」

「でも2回打って大丈夫だったじゃない」

「3回目接種時にどれだけ多くの人が亡くなったと思ってるんだ!覚えてないのか!」


 ナリタさんが珍しく声を荒げた。

 リカコさんは全く意に介さず話を続ける。


「あなた、それで東京へ行って感染したらどうするわけ?意味ないじゃない。道中で見つけたら打つって話はどうなったわけ?」

「…………」


 ナリタさんは黙る。

 既にナリタさんはワクチンを接種している。もちろん私が作ったものだ。

 "私が作ったもの”というのが厄介なんだろう。リカコさんが知ったら暴れ狂いそうだ。何故自分の娘を殺した人間が作ったものを体内に入れるのか、という話になるに違いない。


 ……この2人は、もう既に深い亀裂がきっと入っている。娘さんが死んでしまった時に、研究者でもあり合理的で打算的な面もあるナリタさんは、娘の死を『仕方のなかったもの』として受け入れられたが、リカコさんはそうではなかった。2人で共有して悲しむべきことを、リカコさんはその悲しみ方は本物ではない、として自分1人だけのものにしてしまったのだ。


 そこで私の存在が更にリカコさんの癪に触っているのだろう。ここで私のワクチンを打ったと知られたら、亀裂は更に深くなり、2人はもう一緒にいられないかもしれない。ただでさえ今ギリギリだ。

 私は頭をフル回転させ、代案がないか探った。


「……エートン社のワクチンは、重大な欠陥があるので人に打てません」


 リカコさんが私を睨みつけ何か言おうとするが、私は人差し指を唇に当て静かにするよう促した。


「ワクチンだけが抗体を得る方法ではありません。……血清をつくって打ってみませんか?」


 私がそう提案すると、ナリタさんはハッと顔を上げた。

 ひとまずこの問題は片がつきそうだと、私は内心ホッとしていた。

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