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残光の箱庭  作者: 米田
1章
2/34

1

 歌を歌うことは好きだった。

 もしかして私って歌上手いのかな?って1人でこっそり来たカラオケ店で採点をして思ったり。でも別に自分が選ばれた特別な人間なわけじゃないって、そんなの小さな頃から分かっていたし。蓋を開けてみたら、自分の人生って自分の思い通りにできることって割と少ないなあって。


 だからって私の人生が不幸だってレッテルを貼られたら、それには絶対にNOと言い返せる。

 優しい友達と日々一緒に過ごせたり、なんだかんだ喧嘩をしても家族思いの弟とアイスを半分こして食べたりとか、近所の猫が子猫を引き連れて会いに来てくれたりとか、海外ドラマが豊作で夜通し観ちゃったりとか、それに誰にも知られずにこっそり歌っているだけでも私は幸せを感じている。

 些細なことでも幸せを感じられる私って、お得な人間だ。


 だから両親に大学進学やこの村を出ることを反対されても、それならそれでしょうがないと割り切ることが出来た。もちろんこの田んぼと畑と山が一面に広がる村から出て都会での生活に憧れることもあるけど、出れないなら出れないでそれはいいかな、なんて思ってた。

 この景色はきっとどこでも見られるものでもないだろうし、都会でやることがあるのか?と聞かれれば強い目的意識もなかった。


 そんな風に思っていたのだけれど。


「あんた、もしかして歌でやっていこうなんて思ってるんじゃないでしょうね?そんな外の世界なんて甘くないよ!ああいうのはね、小さな頃から努力してきて、しかも才能がある子がやってるんだよ!!あんた程度じゃ棒にも箸にもかからないよ!夢なんて見てないで、現実見な!高校卒業後はここ入って、そんで卒業したら少しでも畑手伝ってほしいんだから!」


 全く口を挟む余地を与えられずにそう母に捲し立てられ、挙句パンフレットを押し付けるように渡されてさすがにムッとしてしまう。


「そんなこと思ってないよ!でも調理の専門学校だって行きたいなって思ってたのに、何でここ一択なの?畑は長男に渡すもんだってあんなに言ってたじゃん」


 パンフレットはここからそう遠くない農業大学校のものだった。両親は農業を営んでいて、普段から私もよく手伝っている。将来畑は長男である私の弟に継がせるとよく言っていて、私は関係ないものだと思っていた。


「見てたらわかるでしょ?畑なんて人手がいればいるほどいいんだよ。穂乃果(ほのか)、やりたいこともないならね、家族を助けなさいよ。それが嫌なら、自分でなんとかしなさい」


 今の時期も人が足りないんだよ、とぶつぶつ文句を言いながら母は席を立った。

 手の中のパンフレットをぐしゃりと握りつぶし、そのまま持っているのも嫌になってテーブルの上へ投げ捨てた。


 母も父も私の話はあまり聞いてくれない。私にあまり興味がないようで、私がいかに役割をきちんとこなすか、の方がとても重要らしい。


 どのみち、私が大人になれば、嫌だと思えばいつでもこの家を出ていけるし、今の時点で特段夢もなければ、親の言うことに従ってしまうのが楽なのだろう。

 でも、あんな風に決めつけて縛り付けなくても。


 高校2年生でやりたいことが決まっていないのは、そんなに悪いことなのだろうか?

 何だかむしゃくしゃしてしまい、そのまま靴を履いて家を飛び出した。


 夏も終わりかけで、夜になるのが早い。この時間でも陽は随分傾いていて、あたりが夕陽で真っ赤だ。

 私が住んでいるところは本当に畑や田んぼだらけの田舎なので、この時期はアキアカネがそこらじゅう飛び回っている。


「お母さんってば、なんであんな言い方するのかな?!私料理好きって言ってるんだし、別に外に出なきゃどこの学校行ったって良くない?!学校でまで畑のこと考えたくないよ!素直に家にいて欲しいって言えばいいじゃん!調理師になって家を出て行かれたら困るってさー…」


 こんな風に歩きながら叫んでも誰もいないので誰にも聞かれない。家の間もとても間隔が広いので、家の中にいる人に聞かれる心配もない。ひとしきり叫ぶと落ち着いたけれど、すぐに家に帰るのも癪だったので散歩することにした。


 最近、お気に入りの散歩コースがある。春に生まれた野良猫の溜まり場だ。毎日寄っていたのだが、今日は寄り道禁止と言われていたので、会いに行きたかった。黒いハチワレの子が私のお気に入りで、私を見かけると見た目に反してハスキーな声で足に擦り寄ってきてそりゃもう可愛いのだ。

 学校の帰路からではなく家から向かうので、いつもは通らない道を歩く。

 

 そういえば、この辺りにとんでもない豪邸が建ったと近所でもっぱらの噂だ。ものすごい重鎮の家らしいとか、誰か有名人の別荘じゃないかとか。

 最近、この辺りはいろんな建物が建ってきて、以前の環境から少しだけ変わろうとしている。変化に弱い村の人々はそれだけで攻撃的になってしまうのだ。製薬会社の研究所や、それに伴う研究所専用の駅。大型のショッピングモールは建設反対運動で今大盛り上がりだ。そんなときに豪邸が建ったので、みんなそれらと一緒くたにして批判したり、目の敵にしている。


 父も豪邸をわざわざ見に行ってきたようで、「あれは景観を壊していて良くない」なんて言っていて、ちょっと面白かった。

 こういう、新しいものを否定的に受け取ることが当たり前だったり、それなのに注目してわざわざ粗探しをして文句を言ったりとか、人の家庭の事情まで根掘り葉掘り聞いたりとか、そういうジメジメしたところがこの村のちょっと好きじゃないところだな、といつも思う。


 でも私も景観を壊すような、どんなすごいきんらきらの建物が建ったのか気になってしまった。こんな田舎に、お城みたいな金ピカの建物が建っていたら確かに面白い。でもそれより猫ちゃんたちに会いたい気持ちが勝ったのでまたいつかにすることにした。


 しばらく歩いていくと、目的地に着いた。林の中の大きな木の根元に今日も猫たちが集まっていた。今日は私のお気に入りの子も含めて、三匹いた。三匹を見た瞬間、心がパアッと明るくなった。


 私はポケットから猫たちが大好きなおやつを取り出して、「きたよ〜!」と話しかける。そうすると真っ先に黒いハチワレの子がハスキーながらも甘えた声をあげながら私に擦り寄ってくる。制服が毛だらけになるが、そんなの気にしない!かわいい!とにかくかわいい!


 他の二匹はちょっと警戒していたが、私が手の中のおやつを見せると尻尾をピン!と立てて近寄ってきた。液状のおやつがスティック型の袋に入っていて、先の袋を破くとそこから中身が出てくる。スティックの先を我先にとなめている猫たちを見てとんでもなく癒される。


「はーーー!!とってもかわいい!こんな可愛い子に会わせてくれるなんて、あなたたちのママに感謝だねえ。ママはいるの?いない?迷子ちゃんなの?えへへ、迷子の子猫ちゃんだねえ」


 テンションが上がった私は、そのまま童謡を歌い始めた。どうせこの子達以外は誰も聞いてない。ノリに乗ってきたので、そのまま猫の歌を歌い始めた。


 そう、私はこういう日常が大好きだ。このままこんな小さな幸せをずっと噛み締めていければいいんだけど。

 背後からカサッと音が鳴り、四匹目かな?と思った瞬間、黒いハチワレ猫がシャーッと威嚇の姿勢をとり、その子以外の二匹はサッとどこかへ逃げ出してしまった。びっくりしてしゃがんだまま首だけ振り向くと、そこには人が立っていた。


「……」

「……」


 女の人だ。

 ここの住人ではないと断言できる。何故ならこんな綺麗な人だったら、この村で注目されないわけないから!!

 昔、修学旅行で見にいった女性だけの歌劇団を思い出した。女の人が男の人の役もやっていて、全然違和感がなかった。そこに出てくる人みたいに、顔が小さくて手足が長くて、背が高くて、そして綺麗でかっこいい!普通に歩いているだけで、みんなの注目を集めそう。


 なんでこんな人がここに?誰?ドキドキして言葉が出てこなかった。

 すると、彼女が同じ視線に腰を下ろした。そんな動作だけでいちいち絵になってしまう。


「歌、上手だね」

 

 うた、じょうずだね?


 言われた言葉を自分の中で咀嚼して、そして理解して一気に顔が赤くなった。


「ままままままままって…聴いてました?!どこから?!まって?!」

「にゃんにゃんくらいかな?すごい、よく通る声だね。結構離れてても分かって…」

「にゃんにゃん?!にゃんにゃんから?!?!わーーーーまってまって、聴かなかったことにしてください!!!!恥ずかしい!!!!!!」


 恥ずかしさが天元突破してしまい、私は立ち上がって顔をおさえた。急に立ち上がってびっくりしたのか、猫も一目散に逃げていってしまった。

 お姉さんは少し残念そうに猫を見送り、スッと立ち上がった。


「なんで?あんなに上手な歌なら、誰に聴かせても恥ずかしくないよ。何かバンドとかやってるの?すごく素敵な声だね」

「や、やってないですよ!人に聴かせられるようなものじゃないし…人前で歌ったことないです…あっえっと、声はちょっと変わってるねってよく言われます…」


私がそういうと、お姉さんは心の底から驚いたように、大きな瞳を更に大きく見開いた。


「そうなの?勿体無いね。私があなたなら、片っ端からオーディション受けるけどね」


 そう言いながら肩をすくめる。その仕草が大好きな海外ドラマに出てくる俳優さんに似ていて、綺麗な人は仕草まで洗練されてるんだな、と思った。まだドキドキが治らない胸に手を当てる。


 でも、褒めてもらえて素直に嬉しい。歌を褒められた記憶はないし、身内に歌を聴かれても特に反応はない上に、さっきなんて棒にも箸にもかからない、なんて言われてしまったから。


「……お姉さんみたいに素敵な人に褒めてもらえて嬉しい。ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げた。


「あっ、いや、急に声かけちゃってごめんね。びっくりしたよね。猫見つけて追いかけてたら、綺麗な声が聞こえてきて、つい」


 慌てたように弁明するお姉さんの姿が可愛くてちょっと笑ってしまう。ちょっと隙があるところも素敵だ。


「お姉さん、あまりお見かけしないですね。この辺りにご用事あったんですか?」


 私が問いかけると、お姉さんはそうそう、と思い出したように顔を上げた。


「迷っちゃったんだよね。同じ景色が続いて目印がないから……最近建った新しい家とか知らない?」


 ピンときた。噂の豪邸のことだ!お姉さんのお家だったんだ。確かに身につけてるものとかも洗練されてるし、きっとものすごいお嬢様なんだろうな。何だか納得。お城みたいな家なのかな?でもお姉さん、私に聞いてよかった。だって他の人に聞いたら、きっとあの家の人だからって理由で冷たくするんだろうな。

 私の表情の変化を見てか、お姉さんは私が家のことを知っていると理解したんだろう。


「あ、知ってる?この辺り、新しい家とか建ったら目立つよね。良ければ案内してもらってもいいかな?」

「いいですよ。私も実際には見にいったことないんですけど、場所は分かるので……」


 そう言って、私たちは歩き出した。その間に、たくさん話をした。お姉さんのお名前はレイさんで、海外の大学でずっと勉強してるらしい(だから仕草とかちょっと海外っぽいのかな)。年齢は聞いてないけど、多分20代だろう。私とはちょっと離れてるんだろうな。実家は東京だけれど、このあたりにレイさんが将来勤める可能性や隠居後の趣味諸々を考え、別邸として両親がここに建てたらしい。お金持ちの考えってすごい。


「この辺りに勤めるっていったら、研究所ですか?近々できるらしいっていう……」

「そうそう。あそこ、東京から一本で来れるよう、駅まであるのにさ…そもそも日本に戻って就職するかもまだ分からないのに、何で家建てたんだろう……」


 親の考えることって本当に分からない、とレイさんは呟いた。


「でも研究所で働くってなんかかっこいい。レイさん頭もいいんですねえ」

「ありがとう。でも道には迷っちゃった」


 少しおどけて言って見せる姿を見て、褒められ慣れている人の対応だなと感じた。綺麗で頭も良くて、実家もお金持ちなんて、世の中には漫画の中みたいな人もいるんだな〜とぼんやり思った。

 そんな人とお話して、隣を歩けてる今ってかなり幸運なのでは?間違ってもこんな田舎で出会える人材じゃなさそう。


 ラッキーな経験をしたな〜なんて考えていると、道の先に高い塀が見えてきた。金ピカのお城を想像していたが、コンクリートようなグレーの高い塀に囲まれた、黒い建物が上の方だけチラリと見えた。


 「うわーーーーーすごい大きいですね!どこまで塀なんだろう?!端っこ見えない!え〜〜〜黒くてかっこいい!!いいなーーすごーーい!!え!もしかして屋上あります?!3階建て?!すごい!!」

「……すごい目立つね……何もこんなに大きくなくても……」


 私が興奮している横でレイさんはがくりと項垂れた。あまり目立つのは嫌なのかな?確かにこんなかっこいい建物はこの辺りに一軒もない上に、林を抜けた田園地帯に建っているのでやたら目立つ。景観を壊すと言っていた父の発言はその辺りからだろう。


「レイさん、いいなー!!あの研究所に就職して、ここ住みませんか??そして私にも一部屋貸してください!お手伝いさんに私なります!ご飯つくります!」

「魅力的な提案だけどね……ちょっと考えさせて」


レイさんは徐に懐からスマートフォンを取り出して、外観の写真を撮った。きっと家族へ送るのだろう。


「案内してくれてありがとう。……本当に歌、人前で歌わないの?」

 

 レイさんのまっすぐな瞳が私に刺さる。きっと今までうんざりするほどたくさんの賛辞の言葉を受けていたレイさんだから、お世辞なんて初対面の私に向かって言わないだろう。そんな人に目を見てちゃんと褒めてもらえるだけで、今までのちょっと拗ねて背を丸くしてた気持ちがシャンとする。


「へへ。褒められてとっても嬉しいです。でもカラオケで楽しむくらいにしておきます」

「そっか……。じゃあ帰国した時にカラオケ一緒行こうよ。ID教えて?」


 そういって片手に持ってるスマホを揺らす。まさか連絡先を聞いてもらえるなんて、思ってもなかった。ただ案内しただけなのに、私はそんなに気に入ってもらえたのかな?何だか無性に嬉しくなった。


「え!ぜひ行きましょ!えっとスマホ……」


 ポケットに手を突っ込んで取り出す。スムーズに連絡先をやりとりして、私たちは別れた。


 それからしばらくはポツポツと連絡のやり取りはあったけれど、会うことは一度もなかった。レイさんはとても多忙で日本に帰ってくることもなく、時間は過ぎていって私は親の言う通りの進路へと進んでいた。いつしか連絡は途絶えて、私も頭の端っこにはあったかもしれないけれど、レイさんのことは正直忘れていた。


 最近、起きてるのか寝てるのかも曖昧なくらいにバタバタしてる。授業、バイト、弟の受験、家の手伝い。全部詰め込みすぎて、気付けば大事なこともぽろぽろ頭の中からこぼれ落ちていた。


 何で急にあの日のことを思い出したんだろう?私、夢を見てるのかな?そういえば、最近レイさんと久しぶりに連絡をとったような。


 ーーーそうだ、思い出した。レイさんはあの研究所で働くことになって、とても忙しくて家事にまで手が回らないから、バイトとして家事をしにきてくれないかって言われてたんだった。現状を説明してお断りしようと思ってたけど、じゃあ尚更今やってるバイトを全て辞めて一本化しないか?と提案してもらってそれを受け入れたんだ。


 私、どうかしてる。深夜のコンビニに応援に行くアルバイトとかして、そこから早朝の授業を受けたりするような生活をしていたからおかしくなっちゃったのかな。健康には自信があったのに。早く体調を整えなきゃね。バイト一つだけなら、何とかなりそう。


 でも、そろそろ起きなくちゃ。目の前がやけに明るい気がする。まだまだ眠っていたいけど、そうもいかない。これは、朝日だ。




***




「おはよう、ホノカちゃん。朝だよ。ちょっと手首触るね」


 優しい、聞き覚えのある声が耳に届く。瞼を開けると、眩しさに目が眩む。ひんやりとした何かが、手首に触れた気がする。


「今日顔色良さそうだね。うん、脈も落ち着いてる。熱測るね。昨日は久々に高熱だったから……」


 やっと光に目が慣れてきて、目の前の景色がようやく見えるようになってきた。


「……あれ?」


 寝起きだからか、思ったより掠れた声が出てきた。

 というか、目の前にレイさんが、いる。


 何で???????


 周りを見渡しても、全く見覚えがない。うちはこんなに新しくて片付いてない。ここは自分の家じゃない。


「……?」


 レイさんが怪訝な顔で私を見る。初めて会った時より、線が細くなった気がする。心なしか顔もやつれているように見えた。疲れてるのかな?

 というか、この状況は何?????


「え、あの、え、おはようございます……?」

「おはよう……?」

「あの、あの、私は何でここにいるんでしょうか……?」


 自分の思った状況と違くて、怖くなってきた。心臓がいやにドキドキする。


「……?覚えて、ない、の?」


 レイさんの顔が不安で歪む。今にも泣いてしまうんじゃないかと、私は心配になってしまった。雇用主を不安にさせてしまっては忍びない。少し不安な気持ちを隠して、声を上げた。


「いやーーーーー、すみませんすみません!もしかして寝落ちしちゃいました?!?!あまりにも疲れてたものだから、最近の記憶が怪しいです!!でもでもでも!!ちゃんと仕事はこなしてましたかね?!変な味のご飯とかつくってませんでした???」


 勢いで喋ってしまっているが、その私の勢いにちょっと押されて、泣きそうな顔からちょっと不安そうくらいになっていた。


「ちょっと、ちょっと待って。……ホノカちゃんが、どこまで覚えてるのか確認してもいい?」

「あっあっそうですよね?えっと、えっと、まず私は昨日初めてレイさんのお宅にバイトに来てて……」


 そうだ、ちょっとずつ思い出してきた。今日は学校終わりにレイさんのお宅にお邪魔して、働くにあたっての書類を記入したり、契約の話をしたんだ。それからひろーい家の中を案内してもらって、ご飯をつくって、久々に会ったから話も弾んで、夕食ご一緒させてもらって、そしてその後の記憶が全然ない。

 レイさんの質問を挟みつつ、私は一通り話した。


「あの……本当にすみません……熱出ちゃった上に記憶もあんまりなくて……私……ご迷惑かけちゃって……」

「それは全然いいんだけど、…………」


 レイさんは難しい顔で黙ってしまった。そりゃあ、高熱出して記憶も曖昧になってしまったなんて言ったら、そんな顔にもなってしまうだろう。


「最近本当に寝る時間なく予定詰めてて……普通に忙しいのもあるけど、弟も受験の年だから家の居心地悪くて、無理して忙しくして疲れちゃってて……本当にごめんなさい……今は寝たからすっきりしてます」


 何とか元気なのをわかってもらえるように、手を大きく振ったりしてアピールしてみる。レイさんの瞳から不安の色が消えることはなかった。


「とにかくちょっと、体が元気かどうかだけ診させてもらってもいい?心配だから……採血とかするね」

「もちろん!……あれ?レイさんってお医者さんでしたっけ?」

「うん……。まあ、そうだね。薬の研究がメインだから、専門医とかじゃないけど、医師の資格はあるよ」

「えー!すごい!かっこいい!何でもできちゃうんですねえ」


 私がはしゃいで褒めると、レイさんは複雑そうな顔をした。


「どうかな。能力だけあってもね」


 その返事に少し違和感を覚えた。レイさん、仕事が忙しくて疲れて、ちょっと落ち込んでるのかなあ?レイさんくらいとんでもなく優秀そうな人でも、やっぱり疲れるとそうなっちゃうのかな。


「ふふ、レイさん、かわいい」

「え?」


 私がそういうと、レイさんはびっくりして私を見る。


「だって、レイさんくらいすごい人でも、ちょっと自信無くしちゃうことあるんだなあって。そんな可愛くて素敵な人のご飯をこれから作れるって、幸せだなーって」


 瞬く間にレイさんの顔が赤くなる。ほら、やっぱり可愛い。


「ホノカちゃんって、たらしなの?!」

「それよく言われますねえ」


 くすくす笑って答えると、納得いかないような少し安心しているような、複雑な表情を浮かべる。


「まあ、笑える元気はありそうでよかったよ……」


 ぼやきながらレイさんは立ち上がった。ちょっと診察の準備をしてくるね、と。


「全然、元気ですよ!寝てる間にレイさんの夢も見ました!」

「じゃあさぞかし悪夢だったんだろうね」


 扉を開きながら、レイさんが言う。


「ふふっ初めて会った日の夢ですよ。私の人生で、キラッと光った幸せな日だったんですよ」

歌、初めて褒めてもらえたなあ。


 レイさんは私の方を見て、眩しそうに目を細めて少し微笑んだ。その表情がやけに悲しそうに見えて、私は声をかけようか少し迷った。

 迷っているうちに、扉は静かに閉じてしまった。

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