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辺境の魔術師と月下の花嫁  ー引きこもり令嬢と天才魔術師の幸せ結婚生活ー  作者: 愛崎アリサ
最終章 この地の果てで

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第83話 皇帝サイラスを追え

 広い空を、灰色の雲がやけに早く流れていく。旅装束を身にまとったルークが、空を見上げ眉を潜めた。


「……様子がおかしい……急がないと」


 私はルークと共に、北を目指していた。フロガーを背に乗せたニコも一緒だ。私達は先程、ルークの転移魔法で王都から辺境の屋敷へ飛び、さらにこの王国の北端を目指して移動している……ルークは馬に乗って、私はこの異形の姿で。


 それは、華やかだった花冠の祭りが終わって、わずか数日後の朝だった。王都の別邸に、王城から早馬がやって来た。ルークがすぐに登城して国王陛下と面会したところ、驚くべきことに、隣国スティリアでクーデターが起こったらしい。その首謀者は、外務卿のウンブラ……つまり、サイラスだ。サイラスを至高の王と崇める一派が、スティリア国王を処刑し、勝手に帝政を敷いた。彼らは、サイラスを皇帝として、スティリア帝国を名乗っている……。


「サイラスの奴……なんということを……!」


 馬を駆るルークの灰色の瞳が、怒りにその明度を増している。私は、マントも無い昼間の装束で森を軽やかに移動しながら、言った。


「彼は今、一体どこに……」


「デズと軍事院の情報によると、サイラスは国王を処刑して帝国の政治体制を整えたあと、数人の側近を連れて姿を消したらしい……ロマの執政院(しっせいいん)が放った密偵の報告では、皇帝補佐を名乗る人物が、サイラス不在中の指揮を執っているそうだ。混乱もなく国が回っているところを見ると、奴め、随分と周到に準備を進めていたのだろう。国の体制を整えたあと……自分は、賢者から至上最高の叡智を授かろうと目論んだに違いない」


「彼は、賢者から叡智を授かって、どうするつもりなのかしら……」


「軍事院の情報では、帝国内では現在、大規模な戦の準備が急速に進められているらしい。恐らく、サイラスは(いにしえ)の塔から戻った後、帝国を率いてロマ国内に攻め入るつもりだ」


「スティリアが……ロマに!?」


「ああ。奴は以前から、スティリア国王に、大陸全土の統一を囁いていた……だから、老齢で戦に踏み切らない国王を処刑し、賢者の叡智を得た自分が、それを達成しようというわけだろう。賢者の叡智がどんなものか分からないが……人類の知恵を超える究極の力であることは間違いないから。今、ロマの中枢は大騒ぎさ。軍事院の長……つまり僕の兄さんは、総力を挙げて迎え撃つ、と息巻いている。むしろこれを良い契機として、こちらからスティリアに攻め入ろうという意見も出ているんだ」


「そんな! そうしたら、この大陸全土が戦場になってしまうわ! ロマとスティリアは、どちらも大国なのだもの!」


「ああ。史上最大規模の、大きな戦になるだろうな。だからデズは僕に、サイラスの行方を追って開戦を阻止するよう、密命を出したんだ。僕らはサイラスが帝国に戻る前になんとしても奴を探し出して、倒さねばならない!」


 私達は、あっという間にベスビオの森……通称、灰色の森へ到着していた。目の前に、あの陰鬱な灰色の木々が広がっている。フロガーがゲコォ……と心底嫌そうにげっぷをした。


「俺にとっちゃあ、二度と思い出したくもない場所なんだがな……」


 ルークは頷き、言った。


「そうだろうな。だが、あの魔女はもうここにはいない。森全体にかけられていた魔術も全て解かれて、火トカゲたちも、本来の知性なき生物に戻っている。今となっては、ここは単なる暗い森だよ」


 ルークは顎に手を当てて考えながら言った。


「子守唄の、あの歌詞。『燃ゆる岩峯(いわみね) 白銀の海 星をよすがに 渡りて来たれ……』。恐らく、燃ゆる岩峯、とはこのベスビオ火山のことを指している。そして、白銀の海……僕はまだ見たことがないが、古文書にあるんだよ。ベスビオ火山を超えたところに、氷に覆われた海がある、ってね。間違いない。古の塔は、その先にあるはずだ」


「氷の、海……」


「ああ。だがまずは、ベスビオ火山を超えなければならない……もう少しで、ここに、彼女が来てくれるはずなんだが……」


 私は耳をピクリと動かす。南から……馬車の(わだち)の音が近づいて来る。


「誰かしら……南から、馬車が近づいて来るわ」


 ルークが「来たか!」と笑みを見せた。その言葉から間を置かず、「長ぁー!」と言う、聞き馴染みのある明るい声が響いてくる。私は顔を上げて叫んでいた。


「……レイン!!」


「長! 奥様! お待たせしました、仕立屋のベルさんを、お連れしましたよ!!」


 テオの御す馬車に乗っていたのは、レインと、あの仕立屋のベルだった。腰までの短いマントを羽織ったレインは、ひらりと馬車を飛び降り、胸に右手を当てて敬礼した。


「長! この度は、任務お疲れ様です!! マイルズ補佐官より、魔術院の復興は任せて下さい、長のご無事なご帰還を、魔術院一同、心待ちにしております! との伝言を承っております!」


「そうか。感謝する、レイン。マイルズにも、魔術院の皆にも、宜しく伝えてくれ」


「はいっ!!」


 そして彼女は、私に顔を向け、明るい笑顔を見せた。


「奥様! お体の具合がすっかり回復されたようで、何よりです!」


「レイン……! あの時は、本当にありがとう……あなたがいなければ、私……」


「いえ! 礼には及びません! 命を助けられたのは、こちらの方ですから!」


 レインは元気よく言って頭を下げると、テオとベルが馬車から荷物を下ろすのを手伝いに走る。仕立屋のベルが、妖精の一族らしく、軽やかに馬車から飛び降りた。私は思わず声をかけた。


「ベル……! なぜあなたが、ここに……!」


 ベルはちら、と私を見て、ふっと笑みを見せた。


「……なるほど。私はどうやら、奥方のことを、たった半分しか分かっていなかったみたいだね。その姿……どうりで、あの時、私の胸が騒いだはずだ」


 私はぐっと言葉に詰まる。そうだった……すっかり油断していたが、私は今、マントも無しに、この異形の姿を晒しているのだ……と思ってふとルークを見ると、身軽な旅装束姿の彼もまた、仮面を被っていない。私は驚いて言った。


「ル……あ、あなた!! その、仮面が……」


「ん? ああ……これね。僕は以前から、その人物が十分な信頼に値する、と僕が判断した時点で、正体を明かすことにしている。マイルズや、レイン。それに、ここにいるベルに対して、僕はそれだけの信頼を抱いた……というわけだ」


 ルークは、マントも無く異形の姿で突っ立っている私を見て、微笑んだ。


「……僕が不在にしていた間の、魔術院での出来事は聞いたよ。マイルズも、レインも、何のわだかまりもなく、きみを受け入れてくれたろう? 僕はそれに対して、非常に感謝するとともに……彼らの忠誠の心に、尊敬の念すら抱いている」


「も、も、もったいないお言葉です、長!! 私も、マイルズ補佐官も、当然のことをしたまでで……!」


 顔を赤くして恐縮するレインに、ルークは笑った。


「ははは。まあ、今のは、聞かなかったことにしてくれ。僕の独り言だ。……同様に、ここにいるベルも、僕は心から信頼している。ベルは長きにわたって僕の秘密を守り、あの衣裳一式を全て仕立てて来てくれた、大切な協力者だからね! ……さて」


 と言って、ルークは彼らが持参した木箱を見る。ベルが頷き、木箱から濃紺色の布と飴色の靴を取り出した。


「親愛なる魔術師殿。出発前に間に合わなくて、申し訳ない。今回のあなたからのご注文の品は……これまでで一番、難しいものだったから。だが、やっと先程、完成したよ。これがその、神威(かむい)のマントと庇護(ひご)のブーツだ。どちらも、我がフェイの一族最高の技術を注ぎこんで仕上げた逸品だからね。これを身に付けてもらえば、燃える炎も凍てつく氷も、そのダメージを大幅に軽減できる。……少しだけ暑かったり寒かったりするのは、我慢してもらわなきゃいけないけどね」


 ルークはベルから受け取ったマントを、ばさり、と広げた。月の無い夜空を模したような濃紺のマントが、美しく滑らかに揺れる。飴色のブーツは革製のようだが、底には何かの金属が貼り付けられて強靭そうだ。ルークは2つを暫く検分したあと、力強く頷いた。


「……素晴らしい出来栄えだ。ベル。きみの力添えに、心から感謝する……!」


「喜んでもらえて良かった。魔術師殿と奥方はもちろん、仔馬くんと蛙くんのも用意しているからね。きみたちも、我がフェイの一族の力に驚くといい」


 私達はベルの装飾品を早速身に付ける。身に付けるだけで、そこに強い魔力が織り込まれているのが分かった。特にブーツは、私のこの足にも……もっと言えば、ニコやフロガーの足にも……ぴったりと作られているのが驚きだった。ニコは初めて4本の足にブーツを履かせてもらったからか、はしゃいで飛び跳ねている。


 レインとベルが空の木箱を馬車に積んでいる間に、テオがすっとルークに近寄り、小さな麻袋を差し出して小声で言った。


「坊ちゃん。こちらは、いつもの干し肉と乾燥豆です。道中、お召し上がり下さいませ。良いですか、坊ちゃん。奥様がご一緒だから心配ないと思いますが、旅の間でも、食事を(おろそ)かにしてはいけませんよ?」


「あー、もう、分かってるって! 今回はクレアが一緒だから大丈夫だよ! 全くテオは、いつまでも僕を子ども扱いして……」


「坊ちゃんは昔から、少し目を離すとすぐに生活態度が乱れますからね。旅先でも規則正しい生活を心がけるんですよ……奥様。どうか、坊ちゃんを、宜しくお願いします」


 涼しい顔で言うテオに、ルークは「だから!」と顔を赤くするが、私は深く頷いた。


「ええ、分かっているわ、テオ。彼のことは、私に任せて」


 テオは口端を少し上げ、頷いた。レインとベルがこちらに走って来る。ルークが咳払いして姿勢を整え、言った。


「……では、行って来る。皆、あとは宜しく頼んだぞ。また再び、会う日まで!」


 彼ら3人は胸に右手を置いて頭を下げた。私達は彼らに別れを告げると、ベスビオ火山目指して灰色の森を駆け抜ける。


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