第82話 結婚してくれて、ありがとう
その夜、王城から帰ったルークは、いつも通りルカの身軽な服装で私を迎えに来た。私達が屋敷のエントランスに出ると、テオとノラが「行ってらっしゃいませ」と言って、可愛らしい花の冠を頭に載せてくれる。これはこの時期にだけ王都で販売される、特別な装飾品だ。
「さあ、奥様! 夜の王都は、それは賑やかで楽しい所ですよ。私がご案内しますから、絶対に、私から離れないで下さいね!」
ルークはそう言って、私に手を差し出した。私はその手をそっと取り、人生で初めての祭りにドキドキしながら、ルークに連れられて夜の町へ出る。
夜の王都は大変な賑わいだった。が、ルークがずっと手を繋いでいてくれるので、思ったよりも怖くない。あの舞踏会で人前に出たせいで、少し度胸がついたのかもしれない。結婚前の私では、考えられなかったことだ。
私達は数多ある店の間をそぞろ歩き、ルークが買ってくれる甘い砂糖菓子を食べ歩きしたり、花の香りのする名物のお茶を飲んだりした。祭りと言うものが、こんなに楽しいものだったなんて。私はルークと共に、たわいない話で笑いながら、色々なお店を見て歩く。
ルカの姿をしたルークを気に留める人など誰もいないし、私もまた、あの魔術師姿のルークが一緒でなければ、注目されることも無い。私達は気軽に辺りを歩き回り、やがて広場の一角の、噴水の縁に腰を下ろしていた。そこでは沢山の人々が私達同様に休憩をしていて、何人かの大道芸人が、酔客から喝采を浴びながらコインを稼いでいた。
辺りの露店の明るい灯や、人々の楽しそうなざわめき。そうした全てを、私は長い間、知らなかった。この婚姻で、私は、一体どれだけの幸せを得たことだろう。もしもあの時、ルークが私に、求婚してくれていなかったら……。
思わずルークに身を摺り寄せると、大道芸を見て笑っていたルークが、驚いた顔で私を振り向いた。
「奥様?! どうしました、何か怖い事でも……」
「……いいえ。そうではないの。ただ……」
私はルークを……今はルカに扮して緑の羽根帽子を被っている、世界で一番大切な夫を……見上げた。町の明るい灯が、逆光になっている彼の輪郭を彩っている。ルークが心配そうに私を覗き込んだ。
「奥様? お疲れですか? そろそろ屋敷に……」
「いいえ。私は、ただ……とても、幸せなだけよ……」
そして、周囲の人に怪しまれない程度に、ルークにそっと寄り沿った。こうしてルークと、仮面も、マントも無しに、人々の雑踏に紛れて身を寄せ合っていられるなんて。普通の人にとっては何でもない日常かもしれないが、私にとっては、人生で今まで経験したことのない、最高に幸せな時間だった。
ルークは暫く、彼に控えめに寄り添う私の様子を見つめていたが、やがてゴフッと変な咳をして呟いた。
「うぐ……か、可愛い……キスしたい……いや、ダメだ……ここでそんなことをしたら、クレアに、弟子との不貞疑惑が……く、くそっ……こんな扮装でしか出歩けない自分を、我ながら、呪いたい気分だ……!」
ルークは「うぐぐ……」と言いながら、体を硬直させて私に寄り沿ってくれていた。
別邸のルークの私室に戻ると、ルークは羽根帽子を放り投げ、頬を紅潮させて喚いた。
「ちょっとさあ! きみって、ちょっと罪だよね?! よりにもよって、あんな人前で……僕が何も手出し出来ない時に、なんで、あんな顔をして、くっついてくるんだよ!! きみが僕のことを大好きなのは知ってるけど、あれじゃあ、堂々と僕を誘ってるようなものじゃないか!!」
「ち、違うわ!! 私は、ただ……あなたと一緒にいられて、なんて幸せなのかしら、ってそう思って……えっ? き、きゃああ!! な、な、何するの、ルーク!!」
ルークは私をきつく抱きしめながら、首筋に顔を埋めて来る。私は焦ってもがくが、とても逃げられそうにもない。
「はあ……クレアのいい匂い。好き。はあ……なに? さっきの幸せそうな顔……もう、僕への愛が、溢れ過ぎてた。ちょっともう、可愛すぎて無理……」
「は……離して……くるしっ……」
私はジタバタするが、ルークはお構いなしに私の額にキスを一つ落とし、ふふ、と悪戯っぽく笑った。
「……実はさ。そんな、世界で一番可愛くて大好きなクレアに、とっておきのプレゼントがあるんだ! ちょっと待ってて!」
ルークの戒めから逃れた私がハアハアと息をしていると、ルークは上機嫌でキャビネットから何かを取り出し……私の傍へとやって来た。そして、ごほん、と照れ臭そうに咳ばらいしてから、私の目の前にスッと跪く。私は驚いて声を上げた。
「えっ?! ど、どうしたの? ルーク……」
彼は私を見上げてニコッと笑い……握り込んでいた左手を、ゆっくり開く。そこには。
「……指輪……かしら?」
ルークが差し出してくれたのは、月光のように白銀に輝く台座に緑色の大きな宝石があしらわれた、美しい指輪だった。ルークは頷き……やっぱり少し照れ臭そうに、けれど先程までとは違う、真剣な声で言った。
「ああ、そうだ。この指輪は、僕からきみへの……最愛の妻への、結婚の贈り物だ。僕らの結婚式は……ちょっと異色だったから。あの時は、僕が結婚というものに何の興味も持てなくて……きみと、誓いのキスも、指輪の交換もしなかったことを、ずっと後悔していたんだよ」
と言って、彼は、戸惑う私の左手をそっと取り、薬指に指輪をはめてくれる。そして、手の甲に口づけをして、私を見上げた。ルークの灰色の瞳が優しく輝いている。
「……遅くなってごめん、クレア。今ここには、司祭も、招待客も誰もいないけど。僕は、心から神に誓うよ。きみを生涯愛し、守ることを。だから……」
そして彼はスッと立ち上がり、私を抱きしめた。
「これから先も、ずっと……僕らの命が尽きるその時まで、一緒にいよう。この先にどんな困難があっても、支え合い、笑い合って……僕はきみと、生涯を共に過ごして行きたい」
そして彼は、突然のことに硬直している私の髪を撫でてくれる。それから、少し不安そうに私を覗き込んで、小声で囁いた。
「……きみも、そう思ってくれる?」
私は微かに頷き、彼の首に両腕を回して抱き付いた。ルークは暫く私の髪を撫でていたが、やがて、自分に抱き付いている私を促し、そっと真正面に向き合わせた。そして、私の目を真っすぐに見つめて、言った。
「愛しているよ、クレア。今までも、これから先も……ずっと」
私は、その優しい声に胸が詰まって涙が溢れそうだったが、辛うじて……声を絞り出すようにして……私もまた、彼の目を見つめ、囁いた。
「私も……愛しているわ、ルーク。こんな私と結婚してくれて……本当に、ありがとう。私、毎日が、本当に幸せだわ。これから先も、ずっとずっと、大好きよ、ルーク……」
私達はそれから、最高に幸せな夜を過ごした。その夜、私は、この先に待つであろうことを……古の塔のことを、カエルムの賢者のことを……全て忘れ去っていた。私は目の前にいる男に溺れ、恐らく相手もそうだったろうと思う。私達が信じられないほど幸福な気分で眠りに着いた時……世界の果てのどこかで、天空に届くという巨大な塔の扉が遂に開かれたことを、私達はまだ知る由もなかった。
いつもお読み頂き、誠にありがとうございます!
古の塔に旅立つ日も間もなく。続きもどうぞお楽しみに。
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