第81話 賢者の言葉
私達は、ノラの持ってきてくれた朝食を食べながら、子守唄の解読を試みる。私が一言一句、ゆっくりと子守唄を言葉にし、それをルークが言語対応表で一文字ずつロマ語に当てはめていく。いつの間にか部屋にやって来ていたニコが、ルークの机の上の言語表を覗き込んで首を傾げた。
「ねえ、ご主人様。朝から何やってるの?」
「ん? ああ、今、クレアの子守唄の意味を調べてるんだよ。お前もよくクレアに歌ってもらってるだろ? 夜眠れない時にさ!」
ニコの背に乗っていたフロガーが、言語表の脇にぴょんと降り立つ。
「へえー、なんだか難しそうな文字じゃねえか。俺も随分長生きしてるが、こんな文字は見たことねえな。これなんか、ロマ文字一つに、三つも文字が当てられてやがる。こりゃあ難儀だな。ご主人様でも、解読出来ないんじゃねえか」
腕組みをして眉を寄せるフロガーに、ルークはフフン!と胸を張った。
「おい、フロガー。お前、誰に向かって言ってるんだ? 僕は、王都の学府の最高責任者で、このロマ王国最高の頭脳の持ち主だぞ? その僕が、これしきの文章を解読出来ないと本気で思ってるのか?」
「そうだよ、フロガー。ご主人様は、料理も掃除もてんでダメだし、我儘すぎて周りの皆を困らせてばかりだけど、魔術と学問のことだけは超一流だもん。分からないわけ、ないよ!」
真面目な顔でルークを擁護するニコに、ルークは「お前な……」と呟く。私は、苦笑して言った。
「そうね……ルークは、すごく頭がいいもの。きっと、この歌の意味を解き明かしてくれると思うわ」
私がそう言うと、ルークは急に上機嫌になって言った。
「ははは!! ほら見ろ、フロガー。クレアは、僕のことを、すごく頭がいいってさ! まあね。その通りなんだけどね! 可愛いクレアがこんなに僕のことを信頼してくれてるんだから、早く解読しないとな! お前達も、僕の助手なら、ちょっとは手伝えよ!」
「ええっ! 手伝えったって、何をすればいいの、ご主人様? ボク、こんなに難しいの、分かるわけないよ!」
ニコがそう言って鼻をぶるるんと鳴らすと、ルークが意味深な笑みを浮かべた。
「ふふん。お前達に手伝ってもらいたいのはな……これだ!」
と言って、ルークは机の脇にある木製キャビネットの両開きの扉を開けた。中から、ザザーッと音がして大量の書類が滑り出て来る。ルークは、腰に手を当てて言った。
「この中に、辺境の屋敷の設計図が入ってるはずなんだ。『宮廷魔術師殿 ご自宅建設計画書』って書いてある一枚紙ね。屋敷の修繕に当たって、建築家から、あるなら提出して下さい!ってせっつかれてるんだよ。それが無いと、3階部分の完全な復元が難しいらしくってさあ。確か5年くらい前に、この中に放り込んだ気がするんだけど、見当たらないんだよねえ。だからお前達、ちょっと探しておいてくれよ! 『今週中に頂けないと、修繕が大幅に遅れますよ!』って脅されてるから。お前達も、早くあの屋敷に帰りたいだろ? 全く、あいつも、自分が建てた屋敷の設計図くらい、複製しておけばいいのにさ!」
上から目線で文句を言うルークに、足元を書類に埋もれさせたニコがプリプリ怒って叫んだ。
「もうっ!! どうしてご主人様は、いつもこうなのさ!!」
ニコとフロガーがせっせと書類を確認している間、私とルークは歌の解読を進める。が、ことはそう簡単にはいかない。私の記憶にある発音が不明瞭だったり、ミラー師匠の対応表が一部未解読だったりして、ルークは頭を抱えて何度も文字を書き直していた。
陽は次第に高く上り、随分長い時間が経った。私が最後の言葉を言い、ルークがそれを書き留める頃には、私は疲労困憊だった。必死に書類を探していたニコとフロガーも、疲れて床に座り込んでいる。私はほっと息を吐いて、彼らの隣に腰を下ろした。
ルークはたった一人で大きな机に残り、恐らく周りが見えていない程の集中力を発揮して仕上げの作業をしている。彼の美しい灰色の瞳が、純粋で理知的な探求心に燃えていた。この状態の時の彼は、お茶も飲まず、食事も摂らない。私はこんな時、心からルークを尊敬する。私達は、ルークの邪魔をしないように部屋の片隅で身を寄せ合い、静かに彼の様子を見守っていた。完成したらしき文章を何度も読み返して検証していた彼は、やがて額の汗を拭い、大きく頷いた。
「よし……出来たぞ!!! 皆、待たせたな!」
私達は歓声を上げ、拍手と共にルークの傍に集まる。彼は、手元に書き留めた文言をゆっくり読み上げた。
『天の智者 巡り来りて 闇は去り 妙なる調べ 遍く満ちる 始祖の言の葉 求むるならば 燃ゆる岩峯 白銀の海 星をよすがに 渡りて来たれ 太陽と月 交わりし時 昏き眼に 光は宿る 生命のみどりご 悦び唄え この地の果てに 相まみえん』
私達は、無言でルークを見つめた。彼は私達の視線を受け止め、重々しく頷く。
「……間違いない。これは、カエルムの賢者の遺した言葉……古の塔への、道標だ……!」
それから私達は、ノラの届けてくれた遅い昼食を食べる。今日から城下町では、遂に花冠の祭りの本番が始まるだそうだ。昼食のトレイにはいかにもお祝いらしく、こんがり焼いたポークソテーや色鮮やかな野菜のバター焼き、ベリーソースのかかったケーキなどが、刈り取って来たばかりの花々と共に乗せられていた。私とニコは、初めて見る王都のお祝いメニューに興奮を隠せない。
「すごいわ! なんて素敵なのかしら! モーガンの家では、こんなお祝い料理は見たことが無かったわ!」
「ボクも、王都なんて来たことが無かったから、初めて見たよ!」
ニコが「すごい、すごい!」と飛び跳ねている横で、フロガーがふっと笑った。
「田舎もんだなあ、あんたたち! 俺ぁ、こう見えて王都出身の都会派蛙だからな! 花冠の祭りのご馳走っちゃあ、まあ、数えきれねえほどお相伴に預かってるぜ!」
ルークが笑った。
「北の城外には、ガマガエルが好んで住む泥沼があるからな。まあ当然、その辺の露店には、よくガマガエルが飯食いに来てるよな。……でも良かったな、フロガー。そこで捕獲されなくて。たまにいるんだぞ? 露店の飲食台に上って来たガマガエルを捕まえて、丸焼きにして食っちまう輩がな!」
「ゲフォッ!! い、嫌なこと言うんじゃねえよ、ご主人様!!!」
ルークはポークソテーを頬張りながら、私に言った。
「さて。僕はこれから王城に行って来るけど。クレア、今日の夜、ちょっと僕と一緒に町に出てみないか?」
「えっ!! 私が、町に?」
「ああ。きみは、花冠の祭りに来たことがないんだろ? 折角だから、クレアと夜の町を少し歩いてみたいと思ってね! ……なぜなら、僕らは暫く……王都に帰って来れないだろうから」
私は無言でルークの顔を見つめる。ルークは何も言わない。けれど私は頷いた。
「……古の塔に、行くのね」
「ああ、そうだ。……昨夜、デズとその話をしていた。ロマは、スティリアとの戦争は望んでいない。だが、サイラスが、もしも、賢者の力を手にしてしまったら!! 現在この大陸の平和を保っているギリギリの均衡は、いとも容易く崩れ去ってしまうかもしれない。だから、なんとしても古の塔に赴いて、奴を止めなければならない……! そして、恐らく、それが出来る者は」
そして、ルークは私の目を見つめて、言った。
「あの大魔道士ミラーの元でサイラスと共に修業した弟子であり、王国最高の魔術師でもある僕と……恐らく、カエルムの賢者の血を引いているであろう、きみしかいないんだ……!」




