愛執
ひどく懐かしい夢を見ていた。嫌だと言っているのに、姉に見知らぬ屋敷に無理矢理と連れてこられた幼い自分が泣いている。そんな自分に、初めて出会った一つ下の女の子が戸惑いながらも話しかけてくる。だが、何か言わなきゃと分かっているのに、心とは裏腹に泣き止むことが出来ない。しばらくして、女の子は背を向け何かを作り出してしまった。
―また、こんな自分にまた呆れられるのだろうか。だからこんなところに来たくなかった。―
陰謀がうずまく宮殿に待望の後継ぎとして生まれ、幼いながらにも周囲の過剰な期待と敵意が理解出来て、生まれてきたことが嫌で嫌でたまらなかった。王子という身分を捨てたくてたまらなかった。勉強は好きだったが、人付き合いはひどく苦手だった。人見知りがすごかったしその上少し心を開いたはずの学友となるよう紹介された子たちは、両親の言いつけ通りアルフォンスと仲良くするだけで、すぐ泣いたり癇癪もちなアルフォンスのことを裏でめんどくさいなど自分の親に悪口を言っているのを何度も聞く度に、傷つきまた自分の殻に閉じこもって行くことしか出来なくなっていた。その上、宮殿で自分にすり寄ってくる人間は皆、王子を取り込んで甘い汁を吸いたい人たちばかりで、誰を信じていいか分からず恐ろしくて母から離れたくなかったのだ。
「えぇっとアルフォンスさま。これあげるわ。プレゼント。」
俯いているアルフォンスの目の前に、女の子が花冠を差し出す。今まで美しい豪華な花束は数えきれないほどもらってきた。それに比べると、地味な野花で出来ていて、ところどころほつれていて不格好だ。それでも、あんな心のプレゼントをもらったのは生まれて初めてだった。今までで一番綺麗なプレゼントだと思った。それが嬉しくてアルフォンスがお礼を言いながら笑うと、女の子はそんなアルフォンスを見て嬉しそうに心から笑ってくれたのだ。『友達になってほしい。』そう言われ頷くと、エミリアはアルフォンスの左手を引いて走り出した。あの瞬間から、アルフォンスの真っ暗だった世界は、彩り鮮やかな光り輝く世界に変わった。連れ出してくれたのがたまたまエミリアだったから、エミリアを好きになったのかもしれない。それでもあの時あの場所で友達になろうと言い、自分の手を引いてくれたのはエミリアだった。
王子というフィルター越しにしか見られない自分を、唯一ただの男の子と見てくれたのもエミリアだけだった。何をするにしても干渉され、どこに行くにも護衛が付き添い、王族に生まれ息苦しくてたまらなかったのだ。それでもエミリアといるときだけが、心から安らげる時間だった。国内でも三本の指に入る名門貴族の家に生まれたエミリアが、自分の婚約者候補と知った時にようやく、初めて王子に生まれたことに感謝した。父はフォスタ王国の友人の娘であるリーリアを推していたが、母が誰よりも聡明なエミリアを気に入っていたのもあり、最終的に父もアルフォンスの判断に任せていてくれた。エミリアと結婚するためならば、どんな辛いことでも我慢できた。完璧な王子になるために笑顔を覚えたし、勉強にしろ剣術にしろ人一倍努力するのも苦ではなかった。
エミリアは自分のことなど忘れ幸せになるよう言ったが、忘れるとかそういう次元じゃないのだ。エミリアは自分のすべてであるし、そして何よりも出会ったときからただ純粋にずっと好きだった。大人になるにつれて何をするにしても計算を覚え、純粋さなど失ってしまった。そんなアルフォンスにとって、エミリアへの思いだけが自分の中に残った唯一綺麗なものだった。
「エム!」
アルフォンスは自分の寝言で目を覚ました。変な胸騒ぎがして、心臓が早く脈打っている。
―エムを公爵夫妻が連れて行ってしまうのではないか・・・。―
アルフォンスは何故か漠然とそう思った。
―いや。そんなわけがない。―
自分の考えを打ち消すように強く首を振ると、時計を見た。時刻はちょうど日付を超えるところを示していた。
――そうか。倒れたんだっけ・・・。―
意識を失う前に、シャイルが驚いた顔で必死に自分の名を呼んでいたのを思い出した。
―本当に情けないな・・・。何て情けないんだろう。―
半日以上寝ていたせいなのかそれともうなされたせいなのか、寝汗をひどくかいていて体がべたつく。シャワーを浴びようと起き上がると、アルフォンスは風呂場に向かった。
風呂場から出ると、母と父が座って待っていた。口を利くのも面倒くさく、一瞥し寝室へ行こうとする自分を母は呼び止め座るように言った。しぶしぶ腰を下ろすと、母は心配げな顔で尋ねてきた。
「体は大丈夫なの?申し少し休んだ方がいいわ。」
「はい。お言葉に甘えてもう少し休もうと思います。」そういい立ち上がろうとするアルフォンスを父は目で制すと言った。
「ここ最近倒れるまで頑張っているそうだな。」
「・・・。」
「少し無理をし過ぎだ。別荘に休養に行きなさい。このままじゃ体を壊してしまう。」
父の言葉にアルフォンスは鼻で笑うと皮肉気に言った。
「そうですね。唯一の後継ぎですもんね。でもご心配無用です。そう簡単に死にませんから。」
「アルフォンス。お願いだから休んでちょうだい。顔色も悪いし、あれから全く寝れてないことは分かっているのよ。」と母が言う。
「・・・。」
「悪かった。」そう父が言うのを聞いた瞬間、アルフォンスは腹の底から湧き上がってくる怒りを抑えることが出来なかった。
「悪かった?謝る人が違うでしょう?エミリアは・・・。エミリアは僕のせいで足を失ったんですよ?なぜ、リーリアにあそこまで肩入れしたんですか?父上はなぜそんなにリーリアが良かったんですか?エミリアの事故を幸いとして、すぐリーリアを僕の婚約者にあてがってきたのは何故ですか?」
「・・・。すまない・・・。リーリアの亡くなった産みの母親とフォスタ国王とは学友で・・・。昔お互いの子供を結婚させようと約束したことがあって・・・。」
「初恋だったんですか?」
「え?」
「リーリアの母親は、父上の初恋だったんですか?そんなに、その亡くなった母親がリーリアに似てましたか?」
「・・・。」
幼稚なことを口走っていることも、両親を苦しめることになることも分かっていた。それでも一度吐き出すと止まらなかった。
「僕は何も望んでませんでした。たった一つを手に入れるためならすべて犠牲に出来ました。父上のいう賢王になるために、母上の望む歴史に名を刻める名君になれるよう、全て犠牲にしてきました。自分の進まなければならない道を妨げるものがあるならば、この手だって汚してきました。そう。たった一つだけ手に出来ればよかったんです。エミリアだけ手に出来れば・・・。」
「・・・。」
「僕にどうしてほしいんですか?後継ぎを作ってほしいのですか?父上は国のためなら、僕の意思さえ犠牲にすることを躊躇しなかったのに、今更何を望んでいるのですか?僕の体を心配しているにではなく、ただ僕に何かあった時に血筋が絶えることが心配なのでしょう?」
「・・・。」
母が何か言いかけているのが分かったが、アルフォンスは涙が出てきそうなのを隠すために自分の部屋だが出ていくことしかできなかった。




