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第一話

「床が……無い」


 宙に浮いている不思議な感覚に戸惑い、上下の感覚の無さに思わず息を呑む。

 目に映る自分の手は白い影のようだった。


 ここはどこなのか。


 そんな疑問を思い浮かべ遠くを見ると、ふと誰かを見つける。そこに行きたいと思っただけで、体はすぅーと流れるように移動した。

 便利だ、楽でいい。


「うーんと、これで全員ね」


 やっと一仕事終わった、そんな感じで手をパンパンと叩く女性。彼女はその場ですっと立ち上がると、大きく背伸びをした。

 年のころは二十代くらい。なんともいえない妖艶さを持つ魅力的な顔立ち。

 美女。

 その言葉がそのまま体現したような女性だ。彼女はこっちの気配に気がついたのか、音もせず後ろを振り返ると目を点にする。


「あら、まだ残ってたの……」


 そう言うと彼女は両手をこちらに向けてすっと伸ばした。

 そして目を閉じると、ゆっくりと話し出す。


「貴方の魂はこのままだと消えてしまいます。どうしますか?」

「どうって……」

「もう、疲れるのよ! 早く決めて……そうね、転生しなさい」

「えっ」


 彼女はいきなり不機嫌そうにそう言い放つと、何やら紙を取り出して転生と書き記した。どうも自分はどこかに転生することになったらしい……と、いうか俺は死んだのか?

 そう思った瞬間、ふっと記憶が蘇る。

 二十三歳になった日の会社からの帰り道。突然息が苦しくなって倒れ、そうだ、俺は死んだんだ。


「私を信仰しているエルフの少女に危機が迫っているから助けてくれる? お願いね」


 美女はこちらへ人差し指を立てると、可愛らしくおねだりする。そして、先ほどの紙にその旨をすらすらと記載した。


「これで良しっと、ゼウナ様への報告案件は全部終了ね」

「あの……貴方は誰なんですか?」

「わ、私? 女神。君たちの世界でも有名なんだけど」

「すみません。神様とかには詳しくなくて」

「そうね。知らないんなら仕方ないわね。一応、愛と美の女神をやっているわ」


 そういうと何やらポーズをとって見せる彼女。


「さて、もう時間だから。うーんと言語理解と能力向上。この二つのスキルを与えといたから大丈夫でしょ」


 なんとも軽いノリで俺にそう言った。


「えっ、でもどうしたらいいのか」

「大丈夫、大丈夫。君なら問題ないって」


 彼女は俺の肩をポンと叩くと、そのまま続ける。


「もう時間がないのよ。今のあなたの姿だと霊体で何もできないからダメよね……誰でもいいから思い浮かべてみて」


 急にそんなことを言われても。

 そう焦る俺に向かって、顔を近づけじっと見つめ待つ女神。

 美女にそんなに見つめられると……この歳まで女性との付き合いがなかった俺は思わず顔を赤くする。


 その時、一人の人物の姿が頭に浮かんだ。

 学生時代の美人の先輩。さらさらとして艶やかな黒髪、胸下まであるストレートロング。すらりと長い手足。

 目の前の美女とはまた別の魅力を持った彼女は、皆の憧れだった。廊下ですれ違っただけで、大騒ぎしたのを思い出す。


「じゃ、決まりね。早く行って助けてちょうだい」

「ちょっと、待って」


 こうして、何がなんだか分からないうちに俺は転生させられたのだった。


 ☆


 気がつくと森の中に仰向けになって寝ていた。

 このまま空を見つめて、いろいろ考えていてもしょうがない。そう考えた俺は、上半身を起こし、大きく背伸びをする。

 腕を見ると学生服の袖が見えた。紺のブレザーから覗くライトブルーのカーディガンと、胸元のリボンの赤が視線の端にちらつく。そして纏わりつく長い髪……あれ、どうしたんだ俺?


 嫌な予感がして、立ち上がってみた。なんだかバランスがおかしい気がする。重心が少し上にあるような感覚。

 チェックのスカートが心もとない気がする。

 周囲を見渡すと、すぐ近くに池を見つけた。そこへと近づき、恐る恐る水に顔を映してみる。


「先輩だ」


 さっき思い浮かんだ先輩の整った顔がそこにはあった。右や左に向きを変えると、そのまま水上の顔も同じように向きを変える。

 その少し切れ長で涼し気な瞳は、間違いなく自分が先輩の姿になっていることを表していた。


「どうしよう……いや、どうしようもないか」


 戸惑い、考え、ハイソックスを履いた脚を抱えて座り込む。すると胸が足に当たり、その感触に慌ててしまった。

 思わずその部分をじっと見つめる。だがその時、森の奥から何かがこちらに走ってくる音がした。


 何を考えていたんだ。俺は我に返るとそこに触れようとしていた手を地面につけ、その正体も分からない音に不安を感じつつ立ち上がった。


「まさか、猛獣とかいる森に転生とかないよな」


 あの女神ならやりかねないという、不安に思わず冷や汗を流す。

 そしてごくりと俺が唾を飲み込んだ時だった。

 目の前の草むらが大きく揺れたかと思うと、そこから人が現れる。


「あっ!」


 その声とともに俺にぶつかりそうになる彼女。その両腕を前に出すと、俺を押し倒して止まった。

 今日は女性と顔を近づける日なのか。少し照れながらも、相手をよく見る。

 明るい青色の髪に赤い瞳、丸みを帯びた美少女顔、それに耳は長く尖っていた。


「ごめんなさい。ちょっと慌ててて」


 エルフだ。そう思った瞬間、彼女と目が合い、思わず視線を下にそらす。

 そこには自分の大きな胸の上に、さらに大きなグラビアアイドルのような双丘が乗っていた。防具は着けているが、それからはみ出す肉感と、シャツの上から見える谷間が俺の顔を熱くさせる。

 俺は思わず横に目をそらした。


「驚かせてごめんね」


 そう言って、体を起こす彼女の胸を思わず横目で追ってしまう。

 乳でけえ。

 縦に揺れる爆乳。気づくと正面からそれをじっと見ていた俺は、目の前に出された手に気がつかなかった。


「ねえ」


 その言葉に、いまさらながら気がついた俺は右手を差し出した。


「ありがとう」


 だけど、先ほどまでの行為に気まずくなった俺は一瞬、掴むのを躊躇した。だが、思い切って彼女の手の感触を感じた瞬間、急にドドドッと大きな地響きがこちらに向かってきた。

 俺の腕が瞬間的に引っ張られる。そして俺の脚と背中に腕を回されると、彼女にお姫様のように抱え込まれた。

 彼女がそのまま走り出すと、後ろから地響きの正体が現れる。

 猪、それも数メートルはあろうかという巨体だ。


「捕まって」

「うん」


 俺が彼女の首に手を回す。すると彼女のどこにこんな力があるのか。同じくらいの身長の俺を、軽々と抱きかかえて高速で走りだした。

 エルフだから魔法か何かを使っているのだろうか。凄いと感心していると、急に向きを変える。


「うわっ」


 思わず叫んでしまった。勢いで彼女に思いっきりしがみつき、気づくと顔が近くてドキッとする。


「ごめんね、どこか姿を隠せるところを見つけるから」


 申し訳なさそうに眉をひそめる彼女。


「お、おう」


 なんとなくそう返事をした。

 猪は相変わらず、こっちをめがけて真っ直ぐに向かってきている。

 小さな木などはかまわず押し倒している、凄いパワーだ。


「魔力が切れそう……どこか安全なところ」


 彼女は周囲を見渡し、右斜め前方で視線を止める。俺もその方向へと顔を向けると、崖に小さなほら穴が開いているのが見えた。

 あそこに行くのか、そう思った時だった。


「うわっ、魔力切れ」


 そう叫んで急にバランスを崩した彼女は、なんとか地面に足を着けると俺を抱き抱えるように地面を転がった。ほら穴の近くで、その勢いが止まる。


「危ない」


 彼女に腕を引っ張られ、ほら穴へと引きずりこまれる俺。その時、猪は勢いのままにこちらへとぶつかってきた。


 ドン!


 そのまま壁にぶつかり大きな衝撃が加わると、彼女と俺は同時にビクッと身をすくめる。

 そこでようやく、自分がぎりぎりのところで助かったのだと理解した。


 ☆


 巨大な猪はほら穴の入り口から離れずに、周囲をうろついていた。きっと、俺たちが出てくるのを待っているのだろう。

 ほら穴は小さく、高いところで1メートルほどで、奥行きは5メートルくらいだ。幅は奥に向かって広くなっていた。


「この奥は行き止まりみたい」


『自分が見てくる』と小さな横穴に入って行った彼女だったが、数分もしないで戻ってくると、残念そうに眉を下げてそう言った。


「そうか……」

「本当にごめんね。巻き込んじゃって」


 天井が低く立ち上がれないので、四つん這いで俺に近づいてくる彼女。


「いや、大丈夫。俺も迷子みたいなもんだったし、誰かに会えてほっとしたというか」

「そうなの!? 大変じゃない、この辺モンスターもいるのに!」

「えっ、モンスター……もしかして、あれも?」

「うん。そう、見たこと無いのね」


 彼女はぼそっと、そう言うと黙って背中を壁につけて座り込む。

 俺もこの状況をなんとかできないかと必死に考えた。

 そうだ、女神が「言語理解」と「能力向上」のスキルをくれたっけ。


「言語理解は分かるとして、能力向上って」


 俺が思わずつぶやくと、頭の中であの女神の声が流れた。


「スキル条件を設定してください。しない場合は次にした行動が発動条件となります」

「えっ」


 それに思わず驚きを口に出してしまった。


「ねえ、何かあったの?」


 近づいてくる彼女に、俺が返事をしようとした時だった。今までじっとほら穴の前に座っていた猪が、突然こちらへ向かって突進してきた。

 大きな衝撃音とともに、不安定な状態で近づいてきていた彼女は体勢をくずし、俺の方へと倒れこむ。


「ご、ごめんね」


 俺たちは偶然、唇を重ねてしまった。思わず謝り、距離をとる彼女。


「だ、だいじょうぶ」


 俺も平静を装い、そう答える。本当はドキドキしてる、こんな美少女とキスなんて。

 そう思った時だった。再び脳内にあの女神の声が響く。


「同性とのキスが能力向上の条件として設定されました」


 最後に「あはっ」と女神の笑い声が聞こえた気がした。

お読みいただきありがとうございます。

本作は毎日20:10に1話ずつ更新予定です。(第一章33話・約8.8万字執筆済み)

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