↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
善人が裁かれる日 ~人を救えば死刑、悪人ほど生き残る世界~  作者: ☆☆アダム☆☆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/20

第1話 善人が裁かれる日

十二月一日


その朝、井出勇気は、自分が誰かを助けたことを後悔する日が来るなど、考えたこともなかった。


冬の冷たい空気が街を包み、駅へ向かう人々はコートの襟を立てながら足早に歩いていた。歩道に並ぶ街路樹はすっかり葉を落とし、ビルの窓には朝日が反射している。電車は時刻表どおりに走り、コンビニには朝食を買い求める会社員たちが列を作っていた。


勇気もまた、そんなありふれた朝を過ごしていた。


会社に着けば同僚と挨拶を交わし、パソコンを開いて仕事を始める。昼になれば食事を取り、夕方には残った仕事を片づけて帰宅する。


昨日もそうだったし、今日もそうなるはずだった。


「おはようございます、井出さん」


事務所に入ると、同僚の白石奈々が声をかけてきた。


「おはよう。今日は早いね」


「昨日の仕事が少し残っていて。午前中までに終わらせないといけないんです」


奈々は困ったように笑いながら、抱えていた書類を机に置いた。


その量を見て、勇気は思わず眉を上げた。


「それ、全部?」


「はい。昨日、急に追加された分もあって……。昨日のうちに終わらせるつもりだったんですけど」


奈々は書類を整理しながら、疲れたように息を吐いた。


勇気は自分の予定を確認した。今日中に終わらせる仕事はいくつかあるものの、午前中に多少時間を使ったところで、大きな支障はない。


「少し手伝うよ。分けられるところだけでも」


「えっ、いいんですか?」


「一人で全部やるより早いでしょ。困ったときはお互いさまだよ」


奈々は驚いたように勇気を見た後、ほっとした表情を浮かべた。


「ありがとうございます。本当に助かります」


勇気は書類の一部を受け取り、自分の席で作業を始めた。


誰かに褒められたいわけではない。特別な理由があったわけでもなかった。


同僚が困っていて、自分には手伝う余裕がある。


ただ、それだけのことだった。


ところが、作業を始めてしばらくした頃、奇妙なことが起こった。


視界の右上に、突然数字が浮かび上がったのだ。


《100》


「……ん?」


勇気は手を止めた。


数字は半透明で、薄い光を帯びている。目の前に浮かんでいるように見えるのに、実際にはどこにも存在していなかった。


顔を左右に動かしても、数字は同じ位置についてくる。まばたきを繰り返し、目元をこすってみても消える気配はない。


「なんだ、これ……」


思わず声が漏れた。


「井出さん、どうかしました?」


隣の席から奈々が顔を上げた。


「いや、変な数字が見えて……」


「数字?」


「うん。100って書いてあるんだけど」


その瞬間、奈々の表情が変わった。


「えっ、井出さんもですか?」


「もしかして、白石さんにも?」


「はい。さっきからずっと見えてるんです。目がおかしくなったのかと思って……」


奈々は不安そうに目元を押さえた。


勇気が周囲を見渡すと、ほかの社員たちも落ち着かない様子だった。何度も目をこする者、スマートフォンを確認する者、隣の席の同僚に何かを尋ねる者。


やがて、事務所の奥から大きな声が上がった。


「おい、みんなも数字が見えてるのか?」


その問いに、何人もの社員が顔を上げた。


「見えてます!」


「私も百です!」


「これ、何なんですか?」


静かだった事務所が、一気に騒がしくなった。


勇気は窓の外へ目を向けた。


道路を歩く人々の中にも、立ち止まって空中を見つめている者がいた。スマートフォンを耳に当て、慌てた様子で話している男性もいる。


どうやら、この現象は会社の中だけではないらしい。


「何かの新しい技術なんでしょうか」


奈々が尋ねた。


「そんな話、聞いたことないけど……。そもそも、どうやって目の前に数字を表示してるんだろう」


勇気は自分の視界に浮かぶ《100》を見つめた。


手を伸ばしても触れられない。視線をそらしても消えない。


説明のつかない現象に戸惑いながらも、勇気はひとまず仕事を続けようとした。


そして、奈々から預かった書類の一部を片づけたときだった。


《99》


数字が変わった。


同時に、その下へ小さな文字が浮かび上がる。


《善行判定 -1》


「……え?」


勇気は思わず声を漏らした。


百だった数字が、九十九になっている。


何か特別なことをした覚えはない。ただ、奈々の仕事を手伝っていただけだ。


「白石さん」


「はい?」


「僕の数字、減ったんだけど」


「えっ?」


「百から九十九になった。それで、善行判定って表示された」


奈々は驚いたように目を見開いた。


「善行って、良いことをしたって意味ですよね?」


「普通はそうだよね」


「じゃあ、どうして減るんですか?」


その疑問に、勇気は答えられなかった。


善いことをしたから減る。


言葉にすると、ますます意味が分からない。


奈々は勇気の手元にある書類を見つめた。


「もしかして……私の仕事を手伝ってくれたから?」


「いや、まだそう決まったわけじゃないよ」


勇気はそう答えたものの、胸の奥に小さな不安が生まれていた。


もし本当に人助けが原因なら、なぜ減点されるのだろう。


普通なら、善い行いには何かしらの報酬が与えられるはずだ。それなのに、目の前の数字は逆の反応を示している。


「俺も減った!」


少し離れた席から声が上がった。


「こっちは増えたぞ!」


その言葉に、社員たちの視線が一斉に集まった。


「増えたって、どういうことですか?」


「さっき同僚と口論になって、ひどいことを言ったんだよ。そしたら数字が変わったんだ」


男性は困惑した表情で、自分の視界を見つめていた。


勇気は背筋が冷たくなるのを感じた。


人を助けると減る。


人を傷つけると増える。


まだ確証はない。しかし、もしこの二つが本当なら、何かが根本から間違っている。


「井出さん……」


奈々の声が震えていた。


「これ、何なんでしょう」


勇気が答えようとした瞬間、事務所のあちこちでスマートフォンの通知音が鳴り始めた。


一つや二つではない。


まるで誰かが合図を出したかのように、社員たちの端末が次々と震えている。


勇気もポケットからスマートフォンを取り出した。


画面にはニュース速報が表示されていた。


『世界各地で謎の数字が出現』


『日本国内でも同様の報告が相次ぐ』


『各国政府が情報収集を開始』


勇気は記事を開いた。


海外でも同じ現象が起きているらしい。年齢も職業も関係なく、人々の視界に数字が現れているという。


さらにSNSを確認すると、数字の増減に関する投稿が猛烈な勢いで増えていた。


《人を助けたら数字が減った》


《悪口を言ったら増えた》


《これって何のゲーム?》


《誰がこんなことをしてるんだ?》


勇気は眉をひそめた。


最初は困惑していた人々が、少しずつ数字を増やす方法について話し始めている。


中には、誰かを傷つける行為を面白がっているような投稿まであった。


「……これ、まずいんじゃないか」


思わず声が漏れた。


「何がですか?」


「みんな、数字を増やす方法を探し始めてる」


奈々も画面を覗き込んだ。


「本当だ……」


「もし悪いことをすれば増えるって分かったら、実際に試す人が出てくるかもしれない」


「そんなこと、普通はしませんよ」


奈々はそう言ったものの、すぐに口を閉じた。


普通。


その言葉が、今の世界でどこまで通用するのか分からなかった。


勇気はスマートフォンを机に置き、事務所を見渡した。


社員たちはいくつかの集団に分かれ、それぞれ数字について話し合っている。


ある者は政府の発表を待つべきだと主張し、ある者は会社を休んで帰宅したいと言っていた。


一方で、いつまでも騒いでいても仕方がないと、仕事を再開しようとする社員もいた。


だが、その社員が隣の席の同僚に書類を渡そうとした瞬間、手を止めた。


「……これ、手伝ったことになるのかな」


誰かが小さく笑った。


しかし、その笑いはすぐに消えた。


誰もが同じ疑問を抱いていたからだ。


仕事で誰かを手伝うことは善行なのか。


困っている同僚に声をかけることも減点されるのか。


普段なら何も考えずに行っていたことが、一つひとつ危険な選択に変わっていく。


「井出さん……」


奈々が申し訳なさそうに俯いていた。


「私のせいで、井出さんの数字が減ったんですよね」


「白石さんのせいじゃないよ」


勇気はすぐに答えた。


「僕が自分で手伝うって決めたんだから」


「でも……」


「それに、まだ分からないことばかりだろ」


そう言いながら、勇気自身も不安を拭えなかった。


もし、これが本当だったら。


次に誰かが助けを求めたとき、自分は同じように手を差し伸べられるのだろうか。


その答えを出せないまま、勇気はスマートフォンへ視線を落とした。


画面には、見慣れない文字が浮かび上がっていた。


《善悪逆転システム》


続けて、文章が表示される。


《善行には減点、悪行には加点が適用されます》


《メーターの上限は100です》


《残高が0に到達した対象者は、犯罪者として認定されます》


事務所が静まり返った。


誰もが文章を読んでいた。


「犯罪者……?」


奈々が小さく呟いた。


勇気は自分の数字を見た。


《99》


残り九十九。


たった一点減っただけだ。


しかし、これからも人を助けるたびに減っていくのだとしたら、いつかゼロになるかもしれない。


困っている同僚を助けること。


倒れた人に手を差し伸べること。


誰かの命を救うこと。


そんな行為が、犯罪者になる理由になるというのか。


勇気は奈々を見た。


彼女は不安そうに自分の数字を確認していた。


「井出さん、もし本当に善いことをすると減るなら……これからどうすればいいんでしょう」


勇気はすぐに答えられなかった。


人を助けるなと言えばいいのか。


困っている人を見ても、知らないふりをすればいいのか。


それとも、数字が減ることを承知で、今までどおり生きればいいのか。


どれも簡単には選べなかった。


「……まだ、何も分からないよ」


勇気はようやく答えた。


「でも、数字が減るからって、今まで正しいと思ってたことが全部間違いになるとは思いたくない」


奈々は何も言わなかった。


ただ、少しだけ安心したように頷いた。


そのときだった。


事務所のテレビから、緊急速報を知らせる音が響いた。


『ここで、重大な情報が入りました』


社員たちが一斉に顔を上げる。


ニュースキャスターの表情は、先ほどまでとは明らかに違っていた。


『先ほど発生した善悪逆転システムについて、世界で初めてメーター残高が0に到達した人物が確認されました』


勇気は息を呑んだ。


ゼロ。


つい先ほど、自分たちが恐れていた数字だった。


『対象となった人物は、火災現場で救助活動に従事していた消防士です』


画面が切り替わった。


煤で汚れた防火服を着た男性が、救助した子供を抱きかかえている。


その顔には疲労が浮かんでいたが、子供が無事だと分かった瞬間、安心したように笑っていた。


勇気は画面から目を離せなかった。


この人は、人を助けたのだ。


誰かを傷つけたわけでも、何かを奪ったわけでもない。


ただ、助けを求める人々を救った。


それなのに。


《メーター残高 0》


《犯罪者認定》


その文字が表示された瞬間、事務所の誰もが言葉を失った。


さらに、勇気の視界にも新しい表示が現れた。


《世界第一号犯罪者認定》


《対象者の顔・現在位置を全人類へ公開します》


消防士の顔写真と現在位置が、世界中の人々へ一斉に公開された。


「……どうして?」


奈々が震える声で呟いた。


「この人、みんなを助けたんですよね?」


勇気は答えられなかった。


画面の中の消防士は、救助された人々に囲まれていた。


彼に感謝する人々がいる。


彼のおかげで生き延びた人々がいる。


それなのに、世界は彼を犯罪者として認定した。


勇気は自分の《99》を見つめた。


そして、初めて心の底から恐怖を覚えた。


人を傷つけることではない。


人を助けることが、怖くなってしまった自分自身に。

不条理なシステムにより善悪が逆転する世界になった話です!

毎日3話から5話投稿するので良ければブックマークと評価面白かったらお願いします!

感想も良ければお願いします(*^^*)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。