来と来の章
――幾らか年が流れ。
長閑な里村を、樟脳のにおいを纏う旅の薬売りが訪れた。
ひょろりとした身体に大きな柳行李を背負う姿に、通りすがりの農夫が左手をひらひらと振ってみせる。
「あの時の薬売りさんじゃないか。ほれ、憶えてるかい? あん時は薬をありがとうよ」
「勿論でございます。お久しゅうございます」
暫く立ち話をしていると、農夫がふと、
「ああ、そうだ。あの時の爺さんさあ」
「蕨様でございますか?」
「そうそう。十日ほど前なんだけどよ、爺さん、死んじまったんだ。薬売りさん、ちょっと来るのが遅かったね」
言い乍ら、農夫は村の西に伸びる道の先に目を向けた。その先には、今は主を失った小屋がある。
「お気の毒なことでございます」
「何の病なんだか、ある日急に喋れなくなっちまってな。最期の方は、話しかけてもこっちも見もしないで、ずっと縄結びしててさ。ああ、縄結びってのは爺さんが拵えてた、手癖みたいな……えーと……」
伝えあぐねる男に、薬売りが頷く。
「以前に拝見しております。実はわたくし、本日はその縄結びを受け取りに参ったのでございます」
「あんなよく分からんものをか?」
意外そうな顔をする農夫に、
「ええ。そのようにお約束を頂いておりました」
「いいんじゃないか、持っていっちまいなよ。確かまだ、あの家に残ってたと思うが」
「ですが、勝手をするのも憚られます。お身内の方に御弔いを伝えたいところでございますが、生憎、どちらにいらっしゃるか存じません」
農夫が破顔した。
「爺さんの身内も、こんな屑同然の物は要らないって置いてっちまったんだ。誰かが貰ってやりゃ、十分供養になるだろ」
それでは、勝手ながら頂いてまいりましょう……そう微笑む薬売りに、
「数多あるが、持ち帰れるかい?」
「包みも持参しておりますし、こう見えて、力には少々自信がございます」
「そうかい。そうだ、後でまた薬を売ってくれ。皆にも声を掛けとくよ」
「承知いたしました。それでは半刻ほど後、改めて商いをさせていただきましょう」
互いに会釈し、薬売りは西に伸びる道へ足を踏み出した。
柿の木が寄り添うように生うているぼろ小屋に、風のような声が吹く。
「ごめん下さいませ」
応えはない。
入り口に掛けられた筵をたくし上げ、薬売りが狭い土間を踏む。
迷いを見せず板間の隅に進み背の柳行李を下ろす。積まれた櫃の中から細かく結び目のある縄束を取り出しては、柳行李に収めていく。収めきれない分は、懐から取り出した布の上に置いた。
その手が止まった。
他よりも新しそうな縄束を手に、隙間風のような呟きが空を微かに揺らす。
「あれから結ばれた分でございましょうか。一体、どのような心が残されているのでしょう。読み解くのが愉しみでございます」
くく……と喉を鳴らし、薬売りは三日月に撓む目を二日月に細めた。やがて、縄束を全て移し終えた薬売りは新たに増えた荷を手に、「では、おさらばでございます」と囁き、小屋を後にした。
小屋にはかつての生活の僅かな名残と空の櫃、そして、微かな樟脳のにおいが残された。




