偽貨の列と締めのズレ#3
城壁の中は活気に満ち溢れた街だった。
外の荒野の風とは違う、熱と匂いの塊がぶつかってくる。焼いた肉の脂、香草の青い香り、獣の汗、濡れた革、鉄の錆。鼻が忙しい。
石畳の通りには商店が並び、行商人が声を張り上げている。声はひとつひとつが尖っていて、買い手の足を止めようと必死だ。
人間だけでなく、耳の尖った者や、毛むくじゃらの獣人のような者もいる。肩と肩がぶつかっても誰も謝らない。謝るより先に次の客が来る。
——ああ、これが異世界か。
喉の奥から自然と笑いが込み上げてくる。信じがたいのに、目の前の石畳の硬さが現実を押し付けてくる。
俺は通りを歩きながら、周囲を観察した。荷車がどこから来てどこへ消えるのか、商店の前に人が溜まる理由は何か、衛兵が立つ角はどこか。
特に目を引いたのは、大きな石造りの建物だった。街の喧噪の中で、そこだけ空気が固い。入口の周りに衛兵が立ち、通りの真ん中に人の列がうねっている。
入口には『レギス・レジャー』という看板が掲げられている。文字は読める。読めてしまうのだ。
その前には、長い列ができており、苛立ちと焦りが絡まり合っている。
商人たちが、何かを手に持って並んでいる。
銀貨だ。
袋の口を握りしめる手が、必要以上に強張っている。あれは金の重さじゃない。失う恐怖の重さによるものだ。
そして、建物の中では、窓口の担当者が一枚ずつ銀貨を確認している。
俺はその様子をしばらく眺めていた。
担当者は、銀貨を手に取ると、まず目で見る。次に、何か小さな秤のようなもので重さを測る。そして、ようやく受け取るか、突き返すかを判断する。
その一連の動きが、いちいち重い。手の動きが固くて、迷いが多い。
1枚につき、十秒以上かかっている。
十秒。たった十秒。だが100枚なら千秒だ。千秒は長い。人間の我慢は、数字ほど整然と積み上がらない。
列は全然進まない。
商人たちは苛立ちを隠さず、中には怒鳴り声を上げる者もいる。
「早くしろ!日が暮れてしまう!」
「こっちは急いでるんだ!」
怒鳴り声には、焦りが混じっている。焦りは伝染する。隣の男が怒鳴れば、その隣も怒鳴りたくなる。列の後ろほど、状況は見えないから余計に不安が膨らむ。
窓口の担当者は、汗を拭いながら必死に対応している。汗が落ちないように首をすくめる仕草が、妙に生々しい。
俺はその光景を見て、思った。
——これ、完全にオペレーションが破綻してるな。
確認作業が遅すぎる。列が長すぎる。クレームが多すぎる。
そして、何より——確認の基準が曖昧だ。
担当者によって、受け取るものと突き返すものが違う。
ある担当者は少し軽くても通すし、別の担当者は厳しく弾く。
その差はたぶん「人の気分」だ。疲れ方、怖さ、経験の浅さ。基準がない現場は、いつも最後に人の感情が支配する。
これでは、商人たちは混乱する。
そして——その混乱に乗じて、偽貨を紛れ込ませる者も出てくるだろう。むしろ、もう出ている。出ていなければ列がこんなに荒れていない。
俺は列の近くに寄り、窓口のやり取りをもっとよく観察した。近づくと音が変わる。硬貨が木の台に置かれる乾いた音。秤の金具が触れ合う細い音。受け取りを許されたときの、小さな安堵の吐息。
担当者が銀貨を秤に乗せる。
針が揺れる。揺れが止まるのを待つ時間が、やけに長い。
「……これは、ちょっと軽いな」
担当者が呟く。
その呟きは独り言のようでいて、周りの商人には判決に聞こえる。商人の肩がぴくりと跳ねた。
「でも、誤差の範囲か……」
そう言って、受け取る。
次の商人の銀貨を測る。
今度も針が揺れる。
「これも軽い。でも、さっきのよりは重いな……」
受け取る。
その次も、また軽い。
だが、今度は突き返す。
「これは駄目だ。軽すぎる」
商人が食い下がる。
声が裏返っている。損をしたくないというより、自分だけが損をするのが許せない声だ。
「さっきの奴のも軽かっただろう!なんで俺のだけ弾くんだ!」
「さっきのは誤差の範囲だ!お前のは明らかに削られてる!」
「ふざけるな!」
また揉め事だ。揉め事のたびに列が止まり、止まるたびに周りの不満が増える。負の循環が、きれいに回っている。
俺はその様子を見ながら、頭の中にメモをした。
問題点その一。基準が曖昧。
問題点その二。担当者の裁量が大きすぎる。
問題点その三。秤の精度が低い。
精度が低い、というより、秤が信用されていない。針が揺れるたびに担当者の顔が変わる。針が止まっても、納得していない。
秤が最後の判断材料になっていない。だから結局、人の気分に戻る。
そして——問題点その四。
俺は、列の中である商人が持っている銀貨に目を留めた。
その銀貨は、他のものより少し色が薄い。光を受けた時の反射が鈍い。銀というより、薄い灰色に近い。
そして、微妙に薄い気がする。縁の立ち上がりが低い。模様の彫りも浅い。見た目だけなら、質の悪い鋳造か、すり減りか。
担当者はそれを受け取り、秤に乗せた。
針が揺れる。
「……うん, これは大丈夫だな」
受け取る。
商人が、ほんの一瞬だけ口角を上げた。すぐに消したが、俺は見逃さなかった。嬉しさじゃない。計画通りの笑いだ。
——待て。
俺は目を凝らした。
あの銀貨、絶対におかしい。
色が薄い。厚みが薄い。
ということは——中身が削られているか、もしくは混ぜ物が入っているか。
だが、重さは基準を満たしている。
ということは——何か別の重い金属を混ぜて、見た目の重さを誤魔化しているのかもしれない。
あるいは、表面だけ銀で中身が別。表面が薄いなら、匂いも違うはずだ。……嗅ぐ奴がいれば一発だろうが、ここでは秤しか見ていない。
俺はその商人の顔を覚えた。
痩せた中年の男で、目つきが鋭い。
鋭いのに、周りを見ていない。周りを見る必要がない時の目だ。自分の道が決まっている人間の目。
そして、その男が去った後、別の商人が同じような銀貨を出した。
色が薄い。厚みが薄い。
だが、重さは通る。
——これは、組織的にやってるな。
俺は確信した。
こういうのは、一人の悪知恵では続かない。供給が要る。配る手が要る。通すコツを共有する仲間が要る。
そして通す側の弱点を知っている。秤しか見ない、という弱点を。
俺は確信した。
そして、もう一つ気になったことがある。
窓口の奥、担当者たちが座っている机の向こうに、小さな部屋が見える。
その部屋の扉には、七つの星が刻まれた印章が貼られていた。
——あれは、何だ?
俺はその印章を記憶に刻み込んだ。
こういう印は、いつも「誰の権限か」を表す。権限の印は、金の流れの入口にある。
そして——ちょうどその時、街の中央にある塔から、鐘の音が鳴り響いた。
音は澄んでいるのに、どこか間延びして聞こえる。遠いからじゃない。響きの間が、均一じゃない。
ゴーン、ゴーン, ゴーン。
三回。
「三ベルだ!今日の受付は終わりだ!」
窓口の担当者が叫んだ。
叫び方が「宣告」だった。逃げるための声だ。ここから先は、規則に任せるという声。
列に並んでいた商人たちが、一斉に騒ぎ出した。
「嘘だろ!まだ俺の番が来てないぞ!」
「待ってくれ!今日中に両替しないと取引が成立しないんだ!」
「頼む!あと一人だけでいい!」
だが、担当者たちは容赦なく窓口を閉めた。
木の板がガタンと落ちる音がして、こちら側とあちら側が分断される。
「駄目だ。規則だ。明日また来てくれ」
商人たちは、怒りと諦めの入り混じった顔で、列を離れていった。
肩が落ちるのが見える。だが、それでも袋を抱える手は離さない。金は、最後まで握っておくものだ。
俺はその様子を見ながら、また頭の中にメモをした。
問題点その五。締めの時間が厳格すぎる。
いや——待て。
俺は先ほどの鐘の音を思い返した。
三ベル。
だが、俺が門の外で荷運びをしていたとき、鐘の音を聞いた気がする。
あの時は——確か、二回だった。
ということは、一ベルが経過したことになる。
だが、体感的には、そんなに時間が経った気がしない。
さっきからずっと、胸の奥で「時間の感覚」がズレている。現世の時計に慣れた脳が、ここでは足場を失っている。
——もしかして、この鐘楼の時間、正確じゃないのか?
俺は塔を見上げた。
古びた石造りの塔で、てっぺんに大きな鐘が見える。
鐘の周りに、鳩のような鳥が止まっている。鳴るたびに羽が震えて、少しずつ位置を変える。
あの鐘を、誰かが手動で鳴らしているのだろう。
ということは——鳴らすタイミングが、担当者の感覚次第ということだ。
それでは、締めの時間が曖昧になる。
締めが曖昧なら、帳面が曖昧になる。帳面が曖昧なら、金は抜ける。
——これも、問題だな。
俺はそう思いながら、建物の前を離れた。
人波から一歩外れると、音が少し遠くなる。だけど胸の奥のざわつきは消えない。
今日はもう遅い。どこかで寝床を探さないと。
だが——その前に、一つだけ確認したいことがある。
確信は、確証に変えないと意味がない。現世でもそうだった。ここでも同じだ。
俺は、先ほどの痩せた商人を探しに路地裏に入った。
表通りに比べて匂いが薄い。濡れた石と、捨てられた野菜の腐った匂い。壁には古い貼り紙が重なって剥がれ、誰かの生活の跡が染みになっている。
幸い、奴はまだ近くにいた。
別の男と何か話している。
俺はそっと近づき、物陰から様子を窺った。心臓の鼓動が少し速くなる。
「……で、今日は何枚通った?」
「15枚だ。まあまあだな」
「そうか。じゃあ明日も頼む」
「ああ。ただ、最近は担当者が厳しくなってきてる気がする」
「大丈夫だ。あいつらは秤しか見てない。重さが合ってれば通る」
「それもそうだな」
二人は笑い合った。
——やっぱりか。
俺は、その会話を脳裏に刻み込んだ。
そして、静かにその場を離れた。




