採用試験と合わない帳面#2
窓口には三つの受付があり、それぞれに担当者が座っている。
一番左は、中年の男。名前はダリウス。
真ん中は、若い女性。名前はエリーゼ。
一番右は、老人の男。名前はグレン。
そして、その後ろで帳面を記録しているのがミラだ。
木製の受付台は使い込まれており、角が丸く擦り減っている。台の上には秤、分銅、厚みを測るための簡易具、紙片の束、短い鉛筆が雑多に並ぶ。銀貨が皿に落ちるたび、乾いた金属音が響き、列にいる商人たちの肩が小さく揺れる。
ミラは椅子に浅く腰かけ、背筋を伸ばしたまま帳面に向かっている。目線は窓口と帳面の間を何度も往復し、そのたびにペン先が止まる。
俺はミラの隣に立ち、業務の流れを観察した。邪魔にならず、しかし手元が見える距離を保つ。
商人が窓口に来る。
銀貨を差し出す。
担当者が、目視→秤→厚み測定という順で確認する。厚み測定は昨日から導入された。
問題なければ受け取り、両替後の硬貨を商人に渡す。
そして、受け取った銀貨をミラに渡す。
ミラがそれを記録し、金庫に納める。
——これが、基本の流れだ。
だが、実際にはもっと複雑だった。
まず、担当者ごとに確認の厳しさが違う。
ダリウスは厳しい。少しでも怪しいと思ったら、徹底的に調べる。
秤に載せる前に、指先で縁をなぞり、刻印の摩耗を確かめる。調べるとと決めた銀貨は、皿に置かれたまましばらく動かない。商人が何か言いかけると、ダリウスは視線だけで黙らせる。言葉は少ないが、圧が強い。
エリーゼは優しい。多少の誤差は見逃す。
彼女は商人の顔色をよく見る。子どもを連れた女商人には声を柔らかくし、荷を背負った行商には「大変でしたね」と一言添える。測定の判断は速いが、それは善意から来ている。ただ、善意は帳面を守ってくれない。
グレンは適当だ。秤すら使わないこともある。
銀貨を手のひらで転がし、音を聞いて、頷いて終わり。分銅に触れるのを面倒がる。ミラの方を見もせずに銀貨をまとめて脇へ寄せ、代わりの硬貨をざっと掴んで数え、相手の手のひらに落とす。数え方も荒い。足りているかどうかを確かめる前に、次の商人へ目を向ける。手つきだけは慣れているが、かなり危うい。
次に、記録の仕方が統一されていない。
俺が作った書式は導入されたが——実際には、全員が守っているわけではない。
ダリウスはきっちり書く。
彼は窓口の処理が一段落するたび、手元の受付控えに振った番号を声に出さずに確認し、ミラの記入欄をちらりと見る。受付控えの番号と帳面の記録が揃う瞬間だけ、眉間の皺が少し緩む。
エリーゼは時々書き忘れる。
商人が硬貨を受け取り、礼を言う、次の商人が荷を台に乗せ、銀貨を取り出す。その流れの中で、記録の一行が抜け落ちる。彼女は悪気なく進めるが、抜け落ちた一行は、後で誰かの時間を奪う。
グレンは、ほとんど書かない。
「俺は覚えてるから大丈夫だ」
そう言って、記録を怠る。
覚えている、というのは、本人の自信に見える。だが現場に必要なのは、本人の自身や記憶ではない。あとから誰が見ても同じ答えに辿り着ける形だ。
そして——一番の問題は、交代のタイミングだ。
担当者は、途中で休憩を取る。
その間、別の担当者が代わりに窓口に入る。
だが、引き継ぎがほとんどない。
実際に見ていると。ダリウスが席を立つ。肩を回し、首を鳴らし、短く息を吐いてからグレンに言う。
「じゃ、頼むな」
「おう」
それだけだ。
引き受けた側は、台の上に残った銀貨や札の束を見て、状況を推測する。推測の間にも列は進む。列が進むほど、推測は雑になる。
どこまで処理したのか、何か問題があったのか、そういう情報は共有されない。
結果、同じ商人とのやり取りが二重に処理されたり、逆に処理漏れが発生したりする。
俺はその様子を見ながら、心の中でため息をついた。
だが、頭の中では数字が勝手に並び始める。ここで一回でも二重処理が起きたら、最後に矢面に立つのはミラだ。彼女の手元が少し震えたのが見えた。
——これじゃ、帳面が合うわけがない。
「ミラさん」
「はい?」
声をかけると、ミラはすぐ返事をした。返事が早いのは良いことだが、目は疲れている。まばたきの回数が増えている。記録の行が増えるほど、彼女の肩はわずかに上がり、首が固くなる。こういう現場は、最後に「誰も悪くないミス」を作りやすい。
「窓口の担当者が交代するとき、引き継ぎの記録って残さないんですか?」
ミラは困った顔をした。
「残さないです……昔は、引き継ぎ簿っていうのがあったんですけど」
「昔は?」
「はい。でも、今は使われてないです」
「なんでですか?」
ミラは一瞬だけ、窓口の方を見た。ダリウスの席には今、別の担当者が座っている。グレンは相変わらず適当にやっている。エリーゼは笑っている。その光景を見てから、ミラは声を落とした。周りに聞かれたくない話題なのだと分かる。
「……面倒だから、って」
ミラは小さな声で言った。
「実務長が、『そんなもの書いてる暇があったら、一人でも多く処理しろ』って」
「なるほど……」
——効率を優先した結果、記録が失われた、と。
よくある話だ。
だが、記録がなければ、後で確認できない。
確認できなければ、ミスが見つからない。
ミスが見つからなければ、帳面が合わない。
そして——不正も見逃される。
俺の視線が、ミラの手元と受付台の上を行き来する。帳面の横には、走り書きの紙片や、受け取り枚数を一時的に示す印が散らばっていた。紙片の重なり方が一定じゃない。つまり、途中で順番が入れ替わったり、書き足しが混じったりしている可能性が高い。
引き継ぎの空白があると、後から追いきれない。追えないなら、ズレは残る。ズレが残れば、誰かが困る。そして、困るのはだいたい、帳面を持つミラだ。
「ミラさん、その引き継ぎ簿、まだ残ってますか?」
「たぶん、倉庫にあると思います」
「見せてもらえますか?」
ミラは、ほんの少しだけ安心したように息を吐いた。
「いいですよ。じゃあ、後で」
ミラはそう言って、再び帳面に向かった。
俺は窓口の様子をさらに観察し続けた。




