下町異世界探偵(24)~サンマの味と妖精のおにぎり~
現世に戻ってきた真琴は神崎に誘われて居酒屋「村木」を訪れる。
その頃、自閉世界では志乃が妖精ヤウンを連れ、聖剣士アラガンに会うため高峰、イハを目指していた。
「はい、鱧ね」
マスターの差し出す皿の上に、花のように美しく開いた、真っ白な切り身が咲いている。
そして、醤油皿に鮮やかな赤い梅酢のたれが添えられている。
神崎はしげしげと鱧の盛られた皿を眺めていた。
「この魚はもともとこんな形なんですか?」
「あれ? 鱧は初めて?」とマスター。「これはね、小骨がすごく多いから包丁を細かく入れて骨切りしてあるんだよ。それをさっと湯がくと身が開いてさ、こういう形になる」
「この梅だれを付けて食べるんですよ」真琴はさっそく切り身に梅だれを付けて頬張っている。
神崎もおそるおそる口に運ぶ。
身は独特の弾力があり、さっぱりとして繊細な味わいで、なおかつ梅だれの香りと酸味がそれを引き立てていた。
「うまい……」
神崎は感動していた。
「伊勢さんはどこでこれを食べたの?」
「京都。合気道の演武会に爺ちゃんのお供で行った時、なんか偉い人に連れてってもらった店で。その時以来忘れられなくて」
「俺、京都で修業してたのよ」と、マスター。
「そうなんですか! じゃあ骨切りもご自分で」
「他に誰がやるのさ」
マスターは嬉しそうだ。
「すごい!」
真琴と神崎はまたたく間に鱧を平らげ、ビールを二杯ずつ飲み干した。
ようやく緊張が解け、真琴は自分の世界に帰ってきた安心を感じていた。
「あー、おいしい。神崎さん、いいお店知ってるじゃないですか」
「そう?」神崎は照れる。
「なんか、生きてるって感じがする」
「ははは、そりゃちょっとおおげさだナ」
マスターは笑いながら再び厨房の隅に行き、洗い物を始めた。
「あの世界では、人は死なない」
神崎がぼそりと呟く。
「絶対にですか?」
「例外はある。フィーたちのような半獣人の寿命は短い。
あと魔物に襲われたり食われたりして、肉体がまったく残らなかった人間。たとえば今日の志乃さん、あのまま何も残らず燃え尽きていたら、どんな回復術士や魔導師でもよみがえらせることはできない」
真琴は神崎の言葉をじっくりと反芻していた。
「だがこの世界は違う。人間にも、動物にも寿命というものがある。そして人間は動物や植物の命を奪わずに、その限りある生を維持することはできない。
それは善悪じゃない。この世界のシステムなんだ。
俺はね、真琴さん。この世界のそういうところに惹かれるんだよ」
—違うシステム……。
真琴はぼんやりと黒板メニューの反対側にある、日本酒、地酒のメニューの書かれたホワイトボードを眺めていた。
そうして、二つのシステムについてぐるぐると思いをめぐらせる。
突然、ホワイトボードから真琴の目に魅力的な文字が飛び込んでくる。
「あ、手取川がありますね!」
「ん? ああ、あんましウチじゃ入れないんだけど、呑む?」
「はい!」
「ちょっと、伊勢さん。俺の言ったこと聞いてる?」
「聞いてますよ。二つの世界はシステムが違う。つまり生命に対する考え方が根本的に違うってことですよね」
「そう。俺は志乃さんが帰りたがらない理由は、そこにあるんじゃないかと思う」
「ふむ……。でも、ま、今日は疲れてるし、お酒も入っちゃってるし、明日じっくり考えません?」
そう言って真琴は嬉しそうに、日本酒の入った器を受け取る。
桝に小さなコップを入れ、コップから酒を溢れさせて桝のギリギリまで注ぐのがこの店のスタイルだ。
真琴は表面張力まで注がれたコップを静かに持ち上げて、少し口に含んだ。
そして、すこし鼻から息を抜くようにしてしばしそのふくよかな香りを楽しんでから、飲んだ。
いかにも純米酒らしい、雑味がなくボディのしっかりした日本酒だった。
「神崎さん、もうちょっと飲みますよね?」
酒にほんのり頬を染めた真琴の微笑みは艶を帯び、神崎は一瞬引き込まれた。
真琴は再び黒板メニューを眺めている。
「あ、もうサンマがある! まだ早くないですか?」
「今年は解禁が早かったからさ。まだ小さいし脂もないけど……」と皿を洗いながらマスターが答える。
「サンマ塩焼きください!」
「サンマ、はいよ!」
しばらくして出されたサンマは、確かに小ぶりで脂もなかったが、味はギュッと凝縮され、内臓はきれいに原形をとどめ、ピカピカだった。
「わたし、内臓は最後に食べる主義なんです」
「内臓って、ここ、食べるの?」神崎はおそるおそる真琴に聞く。
「神崎さん、なに言ってんですか。内臓食えなきゃサンマ食うなって話ですよ」
「そ、そうなの?」
「なんちゃって。どうせわたしが全部もらいますから」
真琴はそう言って笑った。
少し酔っているようだった。
イハは切り立った断崖でできた巨大な岩山だった。
その尾根伝いに、志乃は大きく跳躍しながら上を目指す。
重い登山靴をものともせず、志乃はぴょんぴょんと身軽に急な崖を登って行く。
チル・ヤウンは志乃のスピードに負けず、まるでツバメのように、後になり先になり志乃についていく。
志乃は、断崖の途中のわずかな出っ張りに腰かけ、一息ついた。
ヤウンがスイっと志乃の顔の前にやってくる。
「志乃様、お疲れですか?」
「そうじゃないけど、最初から飛ばすと聖剣士様に会うまで体がもたねーから」
「そうですか、安心しました。まだ三合目あたりですから」
「それにしてもヤウンもすごいじゃん! ヒュン、ヒュンって、まるで稲妻みたい」
「わたし、翔ぶのだけは得意なんです」
ヤウンは照れてもじもじしながらも、少し得意げに言った。
「おっと、今のうちにごはん、ごはん」
志乃はセーラー服の襟元から巾着袋を出し、中から黒い丸薬をひとつつまむと、匂いを嗅いだ。
少し薬くさい。
志乃は思い切ってそれを口に放り込んだ。
それは一気に噛み砕くには硬すぎ、志乃は飴玉を舐めるように口の中で転がして溶かした。
最初は甘く、バニラビーンズのような香りが口いっぱいに広がる。
「んー、甘―い。マジおいひい!」
さらに舐めていると今度は果物のような酸味が、次は苦味がした。
苦味は少しチョコレートの香りをともなっていた。
舐めているうちに味は次々と変わり、志乃は夢中で黙って舐め続けた。
ヒマワリの種ほど残った、最後の小さなかけらを噛み砕くと、バターを思わせる油がとろりと流れ出た。
「はー、おいしかった!」
ヤウンはそれを聞くと、嬉しそうに志乃の周りをぐるぐると翔び回りながら言った。
「おいしいですか? おいしいですか? きっとお姉さまが喜びます!」
「お姉さまって、さっきのアリーセっていう妖精さん?」
「はい。その兵糧丸、お姉さまが魔力を込めて作ったんですよ」
「へえ! じゃあこれは妖精さんのおにぎりってわけか」
「おにぎり?」ヤウンは不思議そうな表情だった。
「そっか、おにぎりはあっちの食べ物だもんな。ヤウンは知らないか」
「はい。異世界には見たこともない食べ物がたくさんあると聞きました。タピオカミルクティーとか」
「タピオカ? あんなもの!」
志乃は群れて行列を作る同級生たちを、憤りとともに苦々しく思い浮かべていた。
「おにぎりの方が全然おいしいに決まってるって!」
—母さんのおにぎり、美味かったなぁ……。
うつむいた志乃の瞳が一瞬翳る
「志乃様?」ヤウンが心配そうに声をかけた。
志乃は顔を上げると明るい表情でヤウンに言った。
「ヤウンはアリーセさんが好きなんだな」
「はい! 大好きだし、尊敬してます!」
「ふーん。オレは兄弟がいないからなあ……。でもあんな素敵な姉さんならいいな!」
「ですよね!」ヤウンは自分が褒められたように嬉しそうだ。「わたしはまだ翔ぶことしか得意がないけど、いつかはお姉さまのように回復魔法も使いこなせるようになりたいんです」
「ヤウンはまだ回復魔法が使えないんだ」
ヤウンは急にしょんぼりした。
「はい。残念ながらわたしはそういうことではお役に立てません。回復魔法が使えるようになるためにはまず『チル』を卒業して『リル』にならないと……」
「そっかー、妖精もいろいろと大変なんだな」
志乃はそう言ってため息をついた。
「あの、志乃様?」
「へーき! ヤウンの道案内さえあれば、どうってことない。頼りにしてる!」
そう言って志乃は立ち上がった。
「志乃様!」ヤウンのしょげた表情がパッと輝く。
「そろそろ行こう! 日が暮れるまでに半分ぐらいは登りたいし」
アリーセが作ったという兵糧丸は、肉体の疲労をすっかり消し去り、体力と気力が志乃の体の隅々まで染み渡るようだった。
そうして、志乃は再びイハの山に挑み始めた。
次回「下町異世界探偵」(25)につづく
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
なかなか話が進みませんが、今回は去り行く夏を惜しんで、鱧と初さんまの組み合わせをお楽しみください。
物語の進行が遅くなっているので、季節に追い抜かれてしまいました。
困ったものです(笑)。
作品についてのご質問、称賛激励、罵詈雑言などお待ちいたしております。
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さて、次回はついに、というかやっと志乃の母が登場します。
お楽しみに。
ではまた次回お会いしましょう。




