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下町異世界探偵  作者: 一宮真
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23/34

下町異世界探偵(23)~煮こごりと志乃の旅立ち~

真琴たち一行は、異世界で志乃の無事を見届け、いったん現世に戻った。

「あいよ!」

 ふたりの目の前に、ちょうど良い泡の比率で注がれた生ビールの、大ぶりのグラスが差し出された。


「きょうはお疲れ様」

 神崎はそういってグラスを少し高く掲げた。

「いえ、お疲れさまでした」

 真琴もグラスを掲げると、グイグイと一気に飲む。

 よく冷えて刺激的で、ほろ苦いビールが、疲れた全身に染みわたるようだった。

「はぁー」

 思わず真琴はためいきをつく。

「おいしいね」と神崎。

「今日は、ほら、暑かったからね。ビールもおいしいでしょ?」

 マスターはニコニコしながらそう言って、突き出し二品を手際よく小鉢に盛りつけ、さっと出し、ふたりはカウンター越しにそれを受け取った。


 一つの小鉢には緑色も目に鮮やかな枝豆、もう一つには見た目も涼し気な煮こごりが乗っていた。

 半透明の煮こごりの中には波打つような形で白い具材が入っていて、これは水の流れをイメージしたものなのだろうか。

「きれい…」真琴は思わず笑顔になってしまう。

「それはね、中の白いのは穴子。ほら、夏だからね、そういうのもいいかと思って」とマスター。

 真琴は箸をつけるのを一瞬ためらった。

「何だか食べるのがもったいないみたい」

「ははは、食べてくんないと。そのために作ったんだから」

 マスターの言葉に、真琴は煮こごりをぱくりと口に入れた。

 それは噛むうちにたちまち口の中でとろけ、細く切られた穴子の白焼きの味が広がる。

「おいしい!」

「おいしい? そりゃ良かった」

 マスターもうれしそうだ。


「そういえば……、フィーはどうして一緒に来なかったんですか?」

「誘ったんだけどさ。『今日は魚って気分じゃないにゃー』だってさ。ま、あいつはとにかく肉が好きなんだ」

 神崎はそう言いながらも枝豆に夢中で、両手で皮を持って、指でプチプチと豆を口に入れている。

「神崎さん、枝豆、好きなんですね」

「ん? ああ、ビールに良く合うんだよ」

「あっちにもこういう食べ物がいろいろあるんですか?」

 神崎はちらりとマスターの姿を目で追った。

 マスターは店の隅っこに座ってテレビを見ている。


 神崎はもぐもぐと枝豆を噛みながら、しばし考え、声を潜めて言った。

「こっちの食べ物っていうのは、人が作った植物や、飼育したり獲ってきたりした動物が原材料だよね?」

 当たり前のことではないか。真琴は神崎の言いたいことがよくわからない。

「まずあっちには農業や酪農というものがない。というかこっちで言うところの『動物』自体が存在しない」

「まさか!」

 真琴はつい大声を出してしまうが、神崎は身振りでそれを制した。

「伊勢さん、あっちで鳥や虫を見たかい? 猫や犬は?」

 そういえば、と真琴は思い出す。

「でも、じゃあ宿屋で食べたパン……プーリや、おかみさんがローフって言ってた肉みたいな塊はなにでできてるんですか?」

「それは俺にもわからない。プーリはプーリ粉から作られる。ローフはローフだ。プーリ粉もローフもどうやって作られているのか、親父以外誰も知らない」

「お父さん? 魔王……ですか?」

「そうだ。食糧に関してはすべて親父の管轄にある。

 親父が何らかの魔法によって魔気からあらゆる食糧を作り出し、そして自閉世界すべての人間に必要なだけ与える。だからあっちには飢餓がない」

「飢えも渇きもないんですか?」

「ない」

「まるで……、理想郷ですね」

「それだけじゃない。雲の巣で見たように、大気も水も魔気によって完全に浄化される。ウィルスや菌も存在しない。だから病気もない」

 真琴は信じられない思いだった。

 戦争もない、飢餓もない、病気もない。まるで伝説の楽園、シャングリラのようではないか。

 しかも自分はついさっきまでそこに居たのだ。

「あ、でもデスゴンゾや火竜は? ユニコーンは? あれは動物じゃないんですか?」

「あれは魔物、動物じゃない。モノ・マー……ユニコーンは魔獣といわれ魔物とは厳密には違うんだけど。

 たとえばガイレイという魔物は中身が空っぽの鎧だ。シャドウに至っては物質であるかどうかも怪しい」

 真琴は考えこんだ。どうやら自閉世界にはまだまだ多くの謎があるらしい。


「伊勢さん、まだ何か食べない?」

 神崎はそう言って、壁にかかっている小さな黒板を見た。

 黒板にはチョークでその日のメニューを書き込んである。

「あ、(はも)があるんですね!」

「はも。それっておいしいの?」

「おいしいですよ。新小岩で鱧が食べられるなんて!」

「へえ、じゃあそれにしよう。マスター」

 マスターがやってきた。

「はもってやつをください」と神崎。

「鱧なんてこの辺じゃ珍しいですね!」

「ま、ウチぐらいじゃない?」

 そう言ってマスターはガラスケースから、まるで白菊の花のような形をした切り身を取り出し始めた。

「そういえば……志乃さん、大丈夫でしょうか?」

「ま、師匠に預けたからにはまず大丈夫だろう。聖剣士アラガン、自閉世界で知らぬ者のない偉大な剣士だ」



 志乃は二日ほど寝込んで、元気を取り戻した。

 すると宿には再びリルリーとアリーセが、馬車でやってきた。

 リルリーは志乃をじろじろと見て無愛想に言った。

「もう大丈夫みたいね。じゃ、男ふたりは馬車に乗って。ラス・ピエドラスまで連れてくから」

 二人の相棒、回復術士のヨシと防御専術士のミッキーは驚いた。

「俺たちが馬車に? とんでもない! 俺たちより志乃を馬車でイハの聖剣士のところまで連れてってくれよ」

「あのね……」

 リルリーは苛立ちを抑えながら二人の男に言った。

「あんたたちの足で、普通に地上を歩いて、ボルケリカの反対側のラス・ピエドラスまでいったい何年かかると思ってんの?」

 二人は黙ってうつむいてしまった。


 リルリーは志乃に視線を向け、品定めするようにじっくりと見て言った。

「あんたの能力なら、イハのアラガン様のとこまで一人で行けそうね」

「無茶だよ! イハは1万メートルもある山だぜ? なんの装備もなく、()()()の足で登れるわけないじゃないか!」

 ミッキーが抗議する。

「あんたたちに聞いてるんじゃないわ。どう? 行けるの?」

「行けるよ」志乃はリルリーの目を真っ直ぐ見ながら力強くうなづき、相棒たちに目を移して言う。「へーきへーき。1万メートルったって、こっちじゃ酸素が薄くなることもないし、寒さもない」

「けれど、そのお姿では。決して山登り向きとはいえませんわ」アリーセは慎重だ。

 志乃はセーラー服にスニーカーという軽装だった。

「ふむ」

 リルリーはステッキをポンと出すと、リボンをくるくるとぞんざいに振りながら呟いた。

「えーと、山登りの靴とズボン!」

 志乃の姿は一瞬にして変わった。

 スカートの下にジャージ、靴は使い古したごつい登山靴だ。

「かわいくない……、けどケガするよりましね」リルリーはひとりごちた。

「ありがと……」志乃がぎこちなく礼を言う。

「あんたのことは皇子からちゃんと面倒みるように言われてるんだから」

「何かございましたら、この……、ほら、ヤウン、志乃様にご挨拶なさい」

 うながされて、アリーセの後ろから一回り小さな妖精が姿を見せた。

 妖精は、赤い光を放ちながらぎこちなく志乃の前に翔んできた。

「はじめまして、チル・ヤウンと申します。なんでもお申しつけ下さい」

 チル・ヤウンと名乗る妖精は少し舌足らずに挨拶した。

 志乃の顔がパッと輝いた。

「かわいいっ! ヤウンってゆーんだ。よろしくな!」

「まだほんの駆け出しですので。何かわたくしどもにご伝言がございましたら、この子にお申し付けください」

「ありがとう」

「わたくしどもも、時々には様子を見に参ります」

「色々とありがとう! それからその……、ファム……」

「リルリー!」

「そうそう、ファム・リルリー。こいつら二人もよろしくな」

「言われなくっても、逃げ出さないようちゃんと見張ってるわ」


「姐御……」

 ヨシとミッキーは涙ぐんでいる。

「もー、その呼び方はやめろっつーの。一年、辛抱しろ。オレ、お前ら信じてるから。お前らもオレを信じてくれ」

 志乃は笑いながら相棒たちの肩をポンポンと叩いた。

「さ、もうお別れの挨拶はそのぐらいで。タイム・イズ・マネーなんだからねッ!」

 リルリーに急かされて、二人は馬車に乗り込んだ。

 それを見届けて、リルリーは志乃に小さな黒い巾着袋を渡した。

「何だ、これ?」

 志乃が袋を開けて中を見ると、梅干し大の黒い丸薬のようなものが幾つか入っていた。

「食糧よ。一粒で最大三日はもつはず。それだけあればアラガン様のとこまでは充分ね」

 志乃は袋を首に掛けて、セーラー服の襟元に入れた。

 それから腰に巻いた革ベルトと、そこから下げた剣を改める。

「ありがとう! じゃ、またな! ファム・リルリー」

 そう言って志乃はすたすたと歩き始めた。

 その後をついて、チム・ヤウンが翔んでゆく。

「姐御~、お達者で~」

 ヨシとミッキーが馬車の窓から身を乗り出し、泣きながら手を振る。

 志乃は振り返ると、ニッコリ笑って二人に手を振った。


「ふん! 男みたいな口の利き方をするのね。ヘンなの」そう言いながらもリルリーは微笑んでいる。

「頼もしい方ですね。何だかちょっと真琴様に似てらっしゃるわ」

「まあ、能力はね。けっこういい勝負だと思う。三年間、こっちでムダメシ食べてたわけじゃなさそうね」

「どうしてあちらに帰らないんでしょう」

「それを調べるのは皇子の仕事よ」

 リルリーはそう言うと、御者台に飛び乗り、モノ・マーの手綱を取った。


                   次回「下町異世界探偵」(24)につづく


今回も読んでいただき、ありがとうございました。

前回から少し間が空いてしまいました。

申し訳ありません。

また、思ったより長くなってますが、なかなかこのあたりのコントロールは難しいですね。

物語はしばらくのんびりした日常が続きますが、美味しい食べ物・飲み物も登場しますので、お付き合いください。

では、またお会いしましょう。

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