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26.修羅場だよ! 全員集合!

 視界がぐにゃぐにゃに歪む。酔ったように足元がふらついて、自分が今どこにいるのかも分からなくなり、夢と現実の境界線が曖昧になる。胸の真ん中に刻まれた呪いが痛いほど脈打つ。

 どうして、何をしに、私はここに来たの。


 震える足が意思に反して部屋の中央へと進む。 


 ──視界に映るすべてが白く天井と壁の境目もない。窓も扉もなく床の継ぎ目もない、本当に何も無い。

 いま私は、どこにいるの。──


 誰の感想? 聞いたことがある、いま私もそう思ってたところ。あれ、私が言ったの?

 でも初めてここを訪れた時とは違って、いまは扉が開いている。部屋の中と外の境界が白と黒ではっきりと分かたれている。


「さくや!」


 耳鳴りの奥で誰かが叫ぶ。歪む視界の先で男の人が何か言ってる。


「ご……なさ、…よく、きこ…い……」


 ずっとクラクションが鳴ってる。脳裏に、目の前に迫る巨大な箱が何度も過ぎる。怖くて、両手で目を抑えても消えない。どうしよう。



 その時、前ぶれなくふわりと風か吹いて前髪を揺らした。

 どこから、と思って目を開けると目の前に大きな男の人が立っている。誰だっけ、この人。たぶん、知ってる人だと直感する。

 灰色の髪、灰色の瞳。


「さくや」


 この声も知ってる。


「リ……ヒャ……トさ、」


 そうだ。リヒャルトさんだ。

 ここは古い神殿、私は先生に連れられて、自分の意思でここに来た。

 この場所が近付くに従って不安が拡張して、呪いが暴れ出した。私は、この場所を知っている。


「よ、かっ…た」


 リヒャルトさんが来てくれた。それがこんなにも心強い。隠し事をしていた張本人なのに、嘘を吐いていたのに、こんなにも安心している自分がいる。


「アウル」


 聞いたこともないような低い声。

 ああ、怒ってる。そう気付いた瞬間、リヒャルトさんがアウル先生を殴り飛ばした。

 顔面を殴られて壁際まで飛ばされた先生は受身も取れずにそのまま床へ尻もちを着いた。


 待って、安心している場合じゃなかった。なのに「やめて」という声さえ出せない。

 止めようと思い、鉛のように重くなってしまった腕を伸ばすと、指先まで真っ黒に染っていた。暑いからと腕まくりをしていた肘まで、見える範囲全てが黒く、その衝撃の光景に目眩がする。


 「……! ……や! さ……!」


 視界が半分以上黒く染って、壊れたテレビみたいに横線が走ってチリチリしてる。

 ふらつく私にリヒャルトさんの手が伸びてきたけれど、それを渾身の力で打ち払う。自分の手が割れてしまったかと思うほど痛かった。

 灰銀の瞳を驚いたように見開くリヒャルトさんを見て、涙が溢れてこぼれ落ちた。

 何か口を動かしているけど、もうほとんど聞こえない。


「な、んで……うそ、ついてた…… 異世界、ないって、いってた!」


 リヒャルトさんの口が「違う」と動く。

 この期に及んで、「違う」なんて言わないで欲しかった。安心したと同時に湧き上がる怒りを、制御できない。


「は……はは、は……そ、か、うそついてない、ね……そとで、いう、なって、いっ…だけ、で」


 でもそんなのずるい、私は言ったのに。「私はこの世界の人間じゃない」って、何度も、そう言ったのに。

 リヒャルトさんさえ、信じてくれたらそれで良かったのに。

 ああ、溢れる涙を止められない。悲しい、悲しい。悲しい。


「さ、…や、聞……れ、は……」


 だめ、もうだめ。ちゃんと話をしたいのにもう立っていられない。膝が折れて後ろに倒れ込むけれど、床に叩きつけられる衝撃を感じなかった。リヒャルトさんが走ってくるのが見えた。嫌だ、来ないで。私怒ってるのに。

 体中が軋んでいるのに、自分の目に映る真っ黒に染った手足は、まるで波のように弛んでいる。視界不良のせいなのか自分と景色の境目が曖昧になる。

 視界の端っこで、先生が驚いた顔をして振り返っている。何か言ってるけど遠くて聞こえない。

 膝を着いて私を抱き抱えるリヒャルトさんの肩に手が置かれた。薬指に、煌めく真っ白な指輪をしてる。

 綺麗な手だ、と思ったら女の人が現れた。黒い髪と黒い目。


「あ、れ……」

「見つけ……やっ……さが……た」


 狭くなった視界で捉えた顔に見覚えがある気がした。

 遠くでクラクションが鳴る。



《来て。こっちへ、来て》



 だれ。こっちって、どっち。

 やがてすべて闇に覆われた。






※※※※※※※※※※※




「トーカ!? どうやってここへ」

「そんなことは後! この子を助けないと!」


 口の中に溜まった血を吐き出しながら「そうだな」と冷静さを取り戻したアウルが、倒れたさくやの元へ走り寄って来る。少しずつ広がった黒は、やがてさくやを全て塗り潰して、表情すら覆ってしまった。


「さくや! さく!」

「リヒャルト退いて」


 抱き上げて名を叫ぶリヒャルトを押し退けてトーカがさくやの襟を広げると、胸の中央に刻まれている呪いが一層漆黒に脈打っている。それと同時に、三人が同時に顔を顰めた。


「瘴気……! こんなに濃くなっていたのか」

「ああくそ、やっぱりかよ! さくや……!」

「二人は事情が呑み込めてるみたいだけどこれは何? 私には虚に見える」

「ああそうだよ!」


 リヒャルトが叫ぶ。ここ最近の進行速度でその気配を濃くした呪いの正体。それぞれ当たりを付けていた二人は、その仮説が正しかった事に悪態を吐いた。

 全身を黒く塗り潰されさくやの胸に刻まれていたのは、虚だ。


「人体に虚が発現しているなんて聞いたことがない! どうなってるの!」

「どうなってるかは後だ。閉じられるか、トーカ」

「地面や空間に生えてきたものとは訳が違う、人体にどんな影響が出るか……」

「さくやの体は俺がよく理解っている。横から調整するからやってみろ」


 アウルに促されてトーカは逡巡したが、真っ黒になって横たわるさくやを見て、やがて頷いた。


「サポートして」


 リヒャルトはトーカの前にさくやを横たえると、傍に控える。

 アウルがトーカの肩に手を置くと、そこに術式が展開して直ぐに二人の体に馴染んで消えていく。そのまま、トーカが胸に刻まれた虚に手を掲げると、そこに小さく白い光が灯る。

 けれどその光はあまりにも小さく、虚が脈打つ度に小さくなっていき、遂には消えてしまった。


「だめ、ここじゃ力が弱い。神殿に戻らないと……!」

「リヒャルト」


 アウルが言うが早いかリヒャルトは転移術式を展開していた。やがて四人分の正円が輝くと、次の瞬間には王都の神殿に立っていた。儀式の間にはヴァルターが控えていて、トーカと目配せをする。


「浄化の術式はいつでも発動可能です」

「ありがとう」

「ヴァルター、お前は神殿の奴らをここに入れるな」

「はっ」


 リヒャルトが命令を下すとヴァルターは儀式の間を出て行った。ざわついていた扉の外が一層騒がしくなるが、今の状態のさくやを部外者に見せる訳にはいかない。リヒャルトは視線をトーカとさくやに戻す。外のことはすべて後だ。


「トーカ、始めてくれ!」

「始めてる……ああもう、足りないよ!」

「なにが!?」

「落ち着け。虚の力が強くて閉じられないんだ。……トーカ、出力を上げろ」

「鴉の反応が芳しくないの! これ以上は無理!」


 浄化の儀式は確実に発動しているに、加護を授ける神の力が奮っていないらしい。ここに来て、神が機能していないことも証明してしまった。

 アウルが舌打ちをして、リヒャルトに手を伸ばす。


「リヒャルト、オレにお前の力を送れ。異世界から来たトーカにも馴染むようにオレが中継して流し込む」

「分かった」


 出来るかどうかなどは問答しない。アウルがやるといったらそれは必ず出来ると、リヒャルトは信頼していた。

 差し出された手を握って自分の力をアウルに流し込む。


「ぐっ、」


 リヒャルトと繋がったアウルの左腕が一度大きく跳ねた。やがて左手からトーカの肩に置かれた右手へ、赤く光を帯びた術式が浮かび上がって最後にはアウルを包み込む。


「どうだ、トーカ! 力は足りそうか!?」

「届いてるけど、まだ足りない……!」

「リヒャルト、……手加減するな、全部吐き出すつもりでオレに送れ……っ」

「……っ、耐えろよ、アウル」


 リヒャルトが大きく息を吐き出すように声を上げると、繋いだ手から凄まじい力が流れ込んできた。体が割かれそうな力の濁流に飲まれ、痛みで一瞬意識が飛びかける。

 けれど寸での所で踏み留まり、離れそうになる手を強く握り返す。


「トーカ、これで、届くか……」

「あと少しで、届きそう」


 しかし、さくやの見た目に変化は無い。黒の侵食は引かず、反応もない。ただ、虚だけがその存在を誇示するかのように脈打ち続ける。









※※※※※※※※※※※




 気が付くと、そこは真っ暗だった。手を掲げてみても、自分の姿さえ見えない。


「私、死んじゃったのかな」


 あれほど強い発作に襲われたことはなかった。痛いとか怖いとか、思う間もなく混乱のまま意識を手放した気がする。


「リヒャルトさんと、話せなかったな」


 理由をちゃんと聞きたかった。怒っているけど、話してさえくれればきっと仲直りできると思ったのに。

 ずっと一緒にいたのに、嘘や秘密の一つや二つで仲違いなんてしたくない、理解したかった。

 リヒャルトさんが、私に嫌われるからと隠していたことはこれだったのだろうか。

 堂々巡りの思考が、メビウスの輪のように繋がって抜け出せない。考えても詮無いことを振り払うように頭を振ると、今度は違う疑問が浮かんだ。


「そういえば、あの女の人」


 見たことがある気がした。記憶を辿ろうと目を瞑ると、またクラクションが鳴り響く。瞼の裏で真っ暗な視界が明滅して目が痛い。

 どうせ瞑っても開いていても同じか、と目を開けると驚くことに景色が一変していた。


 そこはよく見知った世界。


 灰色の空、雪がちらつく三月の上旬。私は大きなリュックに全財産を詰めて行く当てもなく歩いていた。鼻を啜って、溢れ出そうになる涙を手袋のまま擦ったら少しだけヒリついた。

 ビル群が建て並ぶ都会の景色。暗い夕暮れを一人で背を丸めて、流されるように進む。



 居るべき場所に戻ってきたのだろうか、と思ったけれど違う。これは、過去を自分の中から見ているだけだ。


「泣くな、泣くな……」


 あの人たちから開放されたと思えばむしろこれは喜ばしいことではないか。一、二年、働きながら勉強して、またトライしたらいい。最早私を縛るものはなく、自分の手で自分の未来を決められる。

 自分をそう勇気付けて、背筋を伸ばす。

 気づけば随分と街の真ん中まで来てしまっていた。人がひしめく交差点で、信号が青になるのを埋もれながら待つ。

 どこへ行くともないけれど、今日は一先ず満喫にでも泊まろうか。友人たちへも連絡して、励ましてもらおう。

 そんなことを考えていると、横に随分と体調の悪そうな女性が立っていた。

 足元は覚束ず、目はどこか遠くを見ているような。ぶつぶつと何か話しているけれど電話をしている風でもない。


「……あの、大丈夫ですか?」


 話しかけたけれど、気づいた風もなく今度は必死に頭を振っている。

 やばい人かな、と少し距離を置くが挙動が気になってつい目で追ってしまう。

 パーティーかなにかの帰りだろうか。淡い水色のドレスワンピースに控え目な真珠のネックレス、ショートの髪型も綺麗にまとめられて花飾りが良く似合う。真っ赤なピンヒールだけが異様に目立つ。

 この時期に薄手のトレンチコートの前を締めもせず、よくよく見ると額に薄ら汗をかいている。やはり体調が悪いんだ。女性は遂にその場にしゃがみ込んでしまう。

 けれど周囲の人たちは見えていないかのように誰も手を差し伸べない。受験の日、一人蹲り泣いていた自分を思い出して、苦いものが込み上げた。


「あの、大丈夫ですか? ここ危ないから、もっと歩道の真ん中行きましょう」


 女性は唸るばかりでこちらの声に反応がない。仕方なく無理やり腕を引っ張って隅に寄せようと力むと、悲鳴が聞こえた。


「え」


 激しいクラクションが鳴り響く。信号は赤。人集りが左右に散らばると、現れたのはこちらに突っ込んでくる車。

 咄嗟に、女性を突き飛ばした。その時、初めて目が合った。驚きに見開かれた、意志の強そうな目。



 そこで、終わり。

 私はまた、真っ暗な場所に突っ立っていた。


「…………そっかあ」


 私、死んじゃったのかな。

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