その2 悪役屋さんは、決して救けを求めない
番外編その1の続きです。
マリーと一緒に空に向かって叫んだ後、俺達は二人で朝食の残りを食べた。
「じゃあ、計画の実行は、昼からだから俺は少し下見して来るぞ。マリーは絶対部屋から出るな。部屋から出なけりゃ、好きにしてていいから」
朝ご飯を食べ終わると、俺はもう一度外出する為に、上着を羽織った。
マリーが小さく頷いたのを見て、家を出る。
「さて、逃走ルートと隠れ家の確認か。思ったより時間がねーぞ。黒服にマリーが見つかる前に、何とかしねーとな」
王都第一層の街に向かうまでに、一度だけ家の方を振り返った。
小汚い玄関の隙間から、金色の髪と一緒に、マリーの顔が覗いている。俺が見ていることに気づいたのか、マリーが慌てて部屋の中に戻っていくのが見えた。
見送ってくれたんだろうか。
マリーの性格だ。たぶん、部屋の外には出ない。
俺も、思った以上に心配性だな。マリーは大丈夫だから計画の確認をしないと。
自分を叱咤しつつ、俺は足を速めた。
***
「行っちゃった」
怪盗さんと呼んでいる少年の姿が見えなくなると、マリーは静かになった室内を見回す。同年代の友達の家を訪ねたことのない彼女にとって、少年の家は新鮮だった。
明らかに拾って来たことが分かる板と、厚手の布が上手く組み合わされて壁や天井、床を作っている。
少年の家は二つの部屋が続いているような形だった。
入り口側が生活するための空間で、料理をするための場所と、小さな机、部屋の隅には服と裁縫道具が乱雑に放り出されている。
そして、マリーが夜を過ごした奥側の部屋は、少年の個人的な持ち物の入った箱と、辛うじてベッドだと分かる布団を乗せた板があった。
使えなくなった布が床一面に敷き詰められ、絨毯の代わりをしている。
大変そうだな、とマリーはなんとなく思う。
今までの暮らしで、不自由したことのない彼女には、少年の暮らしを想像することは出来なかった。ただ、彼が、自分のために一生懸命になってくれていることだけは、マリーにも分かる。
だからこそ、表情に出さないが、マリーにも不満があった。
自分を大事にしてくれている少年に、何か少しでも自分でできることを返したかった。
ただ、何もできない、親切にされるだけの子供だと、思われたくなかった。
「でも、方法が分からない。私は、、ダンスや礼儀作法しか知らない。風のギフトは、まだ上手く扱えないからお父様に使ってはダメだって言われてる」
自分に言い聞かせるように、マリーは室内をグルグル回る。
その時、足が何かを蹴った。
カタン、という軽い音にマリーは足を止めて下を見る。
「何かしら? 箱?」
木製の箱だった。
ただ、他の家具とは違い、この箱には傷がほとんどない。箱の表面には、空の絵が刻まれている。
「綺麗、それに、これは怪盗さんにとって、とても大事な物なんだ」
その時、中で何かの仕掛けが動いたのか、勢いよく箱のふたが開き、
「きゃあ!」
ピエロの人形が、マリーの前に飛び出した。
ばね仕掛けのビックリ箱。
驚いて叫んだことが恥ずかしく、
「うぅ~、怪盗さんがわざとおいていったの?」
マリーは箱を持ち上げて中を見た。
何枚かの黄ばんだ写真が、箱の底には収められていた。
「お婆様と同じくらいの年齢の人だ。それに、この子は、ひょっとして怪盗さん?」
どの写真も、2人の大人と、1人の子供が写っている。
マリーの指が、写真に写る子供を撫でた。
「怪盗さんは、本当に楽しそう。でも、それならどうして、怪盗さんはこんな場所にいるの」
何かあったのだ、ということだけはマリーにも分かる。攫われただけで自分は不安だったのに、怪盗さんは同い年なのに一人で暮らしている。
「怪盗さんは、ひょっとして、ずっと1人だったの」
写真の中に写る怪盗さんは答えない。マリーは考えた。
怪盗さんに何かしてあげたかった。
助けてくれたお礼もしたい。
それ以上に、怪盗さんに、何かしてあげたかった。
「でも、私に何ができるの」
少女には、こんな時に自分が出来ることを思いつかない。
写真の中にいる怪盗さんの姿を見つめ、やがて、答えを得た。
「怪盗さんに、おかえり、って言ってあげるんだ」
単純で、しかし、マリーにしかできないことに思い至った。
***
あーくそ、思ったより時間がかかった。
まさか、逃走ルートの確認にあんなに手間取るなんて、地図会社は最近の道路工事をちゃんと地図に反映させておけよ。
階段を数段跳びで飛び降り、鉄骨の通路を飛び跳ねるように俺の家に向かう。
王都の街の下では見えないけど、お日様はとっくに真上に昇ってる。人通りの多い今頃を狙わないと、マリーの事が家族に伝わらないかもしれない。
暗い通路を、遠くに見える光を目指して走る。
よし、ようやく家が見えてきた。
王都第一層の端の端、鉄骨の森に引っかかっているように見える俺の家が、青空の手前に見えてきた。
数時間は留守にしていたけど、マリーはちゃんと留守番してるかな。外には出てないだろうけど、誰かが俺の家を探り出した可能性が、ないわけではないし、それに、これでもマリーは家族と離れて不安に思っているんだ。
あまり一人にしないように気をつけてたのに、これで不安にさせたら始末書もんだぞ。
そもそも、始末書って何だ?
「ただいま。マリーは無事か」
「あ、お帰りなさい」
家の中に駆け込んだ俺を出迎えたのは、俺のみすぼらしい服に身を包んだマリーと、様変わりした俺の部屋だった。手にボロボロの布切れを持ったマリーが、フワフワした金髪をなびかせて、俺を出迎えるように駆け寄ってくる。
「えーと、部屋がきれいになっている気がするんだけど」
「はい! 怪盗さんが帰ってくるまで、私にできることをしようと思って」
マリーが得意げに胸を張った。俺はマリーから視線をずらして、部屋の中を見る。洗濯していた服はたたまれ、昨日来ていた服が、洗濯されて物干しに掛かっている。
おかしいな、俺の家の物干し、床板外して下に吊るすんだけど、見つけにくい場所にあるし、マリーはよく見つけたな。
「一番傷んでいる布地を使って、部屋の掃除をしてみました」
俺は綺麗に整えられた俺の部屋を見て、黙り込む。
「あの、い、いけないことですか?」
俺の仕草に不安に思ったんだろう。マリーが不安そうに、俺を見ている。
マリーの言葉に我に返り、俺はかぶりを振った。
「いや、少し驚いていたんだ。そっか、マリーが部屋の掃除をしてくれたのか」
「はい、怪盗さんに少しでも御礼がしたくて。お父様やお母様も、感謝の気持ちは行動で示しなさいって言いました」
「そっか、ありがとう」
マリーが、花が咲いたような笑みを見せた。
「じゃあ、次は怪盗さんの番です!」
「俺の番?」
「私は、お帰りなさい、って言いました。だから、怪盗さんは、ただいま、っていうべきです」
そう言って、マリーが俺を出迎えるように部屋の中央に立った。
「お帰りなさい、怪盗さん」
呼吸すら止まりそうな、可憐な笑みで、マリーはそう言った。
俺は、しばらく言葉を返せなかった。
7歳の時に、俺の目を抉り出そうとした両親から逃げて以来、俺にそんな言葉を掛けてくれる人はいない。
思わず、舌打ちしたい気分だった。この程度の言葉で、心を乱されてどうする。
マリーの背中越しに、マリーが昨日着ていたピンクのドレスが壁に掛けられている。昨日のマリーの姿が脳裏に浮かび、俺は落ち着いた。
悪役屋とは、主人公のために、その身を捧げる職業だ。
マリーの気持ちは受け取った。そのことは嬉しい。
だけど、主役に気を遣われる悪役など、あってはならない。
「ああ、ただいま」
俺の言葉に、マリーが嬉しそうに笑みを返してくれる。
それだけで、胸が暖かくなる。
でもそれは、俺に向けられていいものじゃないんだ。マリーが誘拐されなければ、俺と会うことなんてなかった。だから、俺とマリーの出会いからして、間違っている。
計画では、騒ぎを起こして親を呼び、その親にマリーを引き渡す予定だった。
計画変更だ。
俺と、マリーは違う。
マリーは、たぶん、いい奴だ。やさしい奴だ。
マリーの人生に、悪役どころか、本当は悪役屋すらいちゃいけない。
拳を握る。
馬鹿か俺は、って、昨日の俺を叱る。
マリーと一緒に保護されて、その後どうするつもりだったんだ。王都第6階層に住むお姫様と、王都第1層のアンダーグランドに棲んでいる俺が一緒にいることなんて、出来るはずがないじゃないか。
たぶん、俺は浮かれていた。マリーと言う綺麗な人に出会えたことに、悪役屋として、しっかり働けている自分を感じて、浮かれていた。
悪役は、退場しなければならない。
マリーが親と一緒になって、安全になった時に、退場しないといけない。
「ぼーっとしるけど、どうしたの? 怪盗さん……怪盗さん!」
マリーが、俺の顔を覗き込んでいる。顔が熱くなるのがよくわかって、俺は慌てて距離を取った。
「何だ、マリーか」
「マリーか、じゃない!」
何か思ってたのと違います、と口をとがらせているマリー。
何怒ってんだろう?
「何怒ってるか知らないけど、作戦会議をするぞ。今日で、マリーを親父さんの所へ送り届ける」
そう言うと、マリーは不承不承頷いた。
「……お願いします」
それから、俺は王都第1層の地図を広げて、作戦を説明した。マリーも理解はしてくれたし、特に怯える様子はなかった。
その後で、一応ナイフを持って脅されるときの体勢を練習して、それぞれの服に着替える。
練習の最後の方で、流石に不安になったのか腕の中のマリーが震えていたから、しっかり抱きしめてやった。まったく、手のかかる子だぜ。
マリーは、昨日着ていたピンクのドレスに。
俺は、街の浮浪者の子供に見えるような、薄汚い服装を着て、油汚れを頬につける。
準備は整った。
「怪盗さん、これが最後になるから、これを怪盗さんにあげようと思うの」
「これって、ペンダントか?」
マリーの手には、高そうな銀色のペンダントが握られている。緑色の宝石みたいな石が輝いている。
結論はすぐに出た。
「受け取れないな。これはマリーが持つものだ。俺がもっていいものじゃない」
「でも、私はあげたいの、です。怪盗さんの宝箱に、入れてほしい」
ああ、マリーはあの箱を見たのか。
そりゃ、物干しを見つけた時点で、部屋中隅々まで見てるよな。
「大丈夫だ。問題ない。マリーは気づいてないだろうけど、俺はマリーから、もっといいものを貰ったし、俺にはそれで十分なんだ」
それに、あの箱に入ってんのは、ほとんど俺が一番楽しかったころの思い出しか残ってない。マリーのペンダントを箱に入れて、思い出にするのは嫌だな。
こうして話をしているのに、ずっと昔の思い出と一緒に箱に入れるのは嫌だった。
「お帰りなさいと、言ってくれてありがとう。それだけで、悪役屋としての俺の仕事は、タダ働きじゃなくなった。金で買えない価値があった」
帽子をかぶり、割れたガラスで自分の姿を確認する。
よし、どこからどう見ても、浮浪児だ。
ナイフを鞘に仕舞って、家を出る。
マリーに前を歩いてもらって、俺は少し立ち止まった。
振り返り、家を見る。
「どうしたの?」
背後から声がして、マリーが、きょとんとした表情で通路の中央に立っていた。
「いや、なんでもない。少し、忘れ物はないか気になっただけだ」
次に戻ってくるときは、1人だ。
誰も、「お帰りなさい」と言ってくれる人はいない。
寂しいという感情を、俺は無視した。
大丈夫、忘れ物はない。不要な感情は、全て家の中に置いてきた。
それは、忘れ物じゃない。
悪役は、自分が不幸だと、嘆くことは許されない。
全ては、主人公の人生のために、捧げられる。
大きく息を吐き、気合を入れて、前を見る。
今日俺は、マリーの幸せの踏み台になる。
悪役屋と、攫われた少女の話は、今日で終幕だ。
マリーに追いつき、俺達は王都第1層へと向かう。
***
そして、その日の午後、悪役屋さんと攫われた少女の物語は、終幕した。
再会話は構想中です。
何とか書き上げられれば良いと思っています。