52.手元に罪、望むは裁き
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月夜に照らされた山の中。そんな中にある、人一人いない廃れた小屋。手入れする者はおらず、いずれ自然の中に朽ちていくだろう。
アタシは、小屋の近くにある岩場に座り込んでいた。
折れた腕を添え木と布で固定し、不自然な方向に曲がっていたのを元に戻した。
そんな中、腕を折る原因になった彼女の目を思い出した。
アレは怒りだけじゃない。あの妖狐を守れなかった自責も混じっているように感じた。
あの時、アタシを殺してくれると期待していた。だが、直前で彼女の殺気がしぼんでいた。
ああダメだったかと諦めてしまった。気が完全に緩んでいた。
その時、あの笛の音色が響いた。アレは撤退命令。
殺されることも期待できないのであれば、アタシは逃げるしかなかった。
思索に耽っている中、木々の奥から物音が近づく。
枝葉を踏み折り、草木をかき分けるそれは、真っ直ぐこちらに向かってきていた。
「熾、生きているようで何より」
そこに現れたのは一人の少女。清廉とした雰囲気の風貌ではあるが、その顔には異物があった。
花柄の義眼。朽花の、象徴であり目印。
こちらを労るような台詞ではあったが、そんな気は朽花にはない。
本当に、ただ死んでいなければまだ使えるという意味合いでしか使っていない。
朽花の身体を見て、正直忌避感を覚えていた。
今の朽花の身体は、篠坂信成の娘、篠坂菖蒲のものだ。
元の身体の持ち主の彼女が、アタシに絶えず頼み事をしてきたのは、昨日のことのように思い出せる。
屋敷を出られない自分の代わりに、手紙を送って欲しい。頼んできたのはそれだけだ。
アタシの風貌に怯えることもなく、こちらをじっと見据えてきた。
人から何かを頼まれるのは、嫌な思い出があり正直好きではない。
だから断り続けたが、それで諦める彼女ではなかった。
純粋で、綺麗な想い。アタシも人の身であれば、そういう想いを抱けたのだろうか。
今のアタシにはとてもではないが成就できるものではないのは分かっている。
それでも、アタシは彼女の想いを、少し応援したくなった。
最終的に依頼を引き受け、平次へ手紙を運んだのは、ただそんな心からだ。
そんな彼女は、殺されて朽花に利用されている。
大徳に腕を切断されたあの夜、朽花にその腕を接合をして貰っていた。
その時の朽花はまだ老婆の姿で、皺だらけの手でアタシの腕を繋げていく。
その最中、朽花は計画をアタシに伝えた。
「私は明日、菖蒲の肉体を奪う。入替場所は厠。菖蒲は人である以上、生理現象には逆らえない。必ず入ってくる。安全性から野外で処理することは基本的にないだろう。
そして、あの小娘は単独行動が多い。見張りが側につくのも珍しい。これはあの密偵の存在による影響だろう。
あの密偵は厠では視線を外す。天眼通を誤魔化す術は既に作ってある。だから見られることは基本的にない。
だが、入れ替えた後のこの肉体の処理が問題だ。術で隠しはするが、見つからない保証はない。
下手に見つかれば警戒が跳ね上がり、本命の計画に支障が出る。
そこでだ。熾、お前にこの肉体の後始末を頼みたい。
屋敷の塀の外へ投げ捨てるだけでいい。
お前は元々、遺体の後始末を頼んでいる。入れ替えた後の遺体を持っていたところで、違和感を持つ人はそういないだろう。
ああ、私とお前の見張りには既に仕込みはしている。信成への報告は安心してもいい。
万が一、お前が始末したという呪術士が生きていたとしても、あの遺体が呪術士に見つかれば撹乱になり得る。
入れ替わり、それとは別で混乱を起こし、それに乗じて密偵の肉体を実験に使う。少々忙しいが、円滑に対処すれば何も問題はない」
「何故、菖蒲の肉体を?」
「密偵に近づくのに一番都合が良い。そして、密偵と信成にとって一番都合が悪いからだ。
あとはそうだな、屋敷を一人で歩き回れ、お前と会話をしても、違和感がないのもある。
あとの計画は、入れ替わってから、臨機応変に切り替える。伝達方法は以前から使っているものを使う。
他に質問は?」
朽花の考えは合理性に満ち、それ故に残酷だ。
アタシは、そんな朽花が苦手だ。
あの日の夕刻、帰ってきたばかりの菖蒲を見つけたとき、話すべきか少し迷った。だけど、アタシには話せなかった。
そんな朽花は、合流してから何か考え事をしていた。
アタシのその反応があまりにも珍しく、思わず見入ってしまった。
「記憶は確かにある。何故結びつかない。名前は確かにあるのに、何故言葉として出てこない。あの大徳は何だ? 私と何の関係がある? ただの人間であれば些事だ。寿命でいずれ死ぬ。いや、些事じゃない。あの記憶は何年前だ? ダメだ、出てこない。修正しようとしても優先事項に割り込んでくる。どうすれば解消できる? あの屋敷に戻って結末を確認するべきか? いや、この身体で戻るべきじゃない。だが解消には……」
「朽花、早口で話して、何があった?」
アタシはあまりにも長く早口で口を動かす朽花に、声をかけた。
そこでようやく朽花は止まる。何十年も一緒にいるが、この反応ははじめて見た。
「ああ、たった一つ覚えていないだけで、どうにも思考に不具合が起きている。その内、解消手段は模索しておこう。
それはそうと熾、あの大徳の右腕、傷一つなくそのままだったが、確かに触れたのか?」
「報告したとおり、手のひらで直に触った。黒く変色したのも、見た」
「それであれば、呪いを解いたか、再生手段があったのか。どちらでもいい。
あともう一つ、あの牛頭馬頭が倒された反応が起きてから、大徳と人妖2体は真っ直ぐ屋敷に向かってきた。
何か心当たりはあるか? 試作品だったあの呪物を使ったのは、他でもないお前だ」
アタシは、知っている。あの呪物を被せた武士が、手紙を持っていたことを。
それを知っていながら、持たせた状態で放置した。
あの手紙が起因でアタシ達が止められるようであれば、それを受け止める気でいたから。
だが、これは朽花には不都合だ。
だから、知らないふりで通した。
「……知らない」
「……まあいい。お前の性質も踏まえて、次に活かす」
朽花は静かに呟く。その言葉の後、朽花は懐から赤黒い木箱を取り出した。
「熾、この肉体は目立つ。だからここに捨て置く。手頃な、傷も病もない死体を用意しろ」
「……はい」
アタシは朽花から本体である木箱の呪物を受け取る。朽花の手が木箱から離れると、菖蒲の遺体はその場で膝から崩れ落ちた。
アタシは菖蒲の遺体に触らない。埋葬をしたい気持ちはあるが、穢してしまいそうに思えた。
遺体から血が流れないことから、朽花はどうやら胸に穴を開けていないようだ。懐に本体を仕舞い込んでいただけなのだろう。血の臭いや、傷が見つかった場合からの不用意な警戒を避けたのだろうか。
彼女の遺体を一瞥した後、アタシはこの土地から離れていった。
受け取った木箱を見つめる。
この状態の奴は、ただの無力な呪物だ。
だから普段は胸の中に収納されている。
人の死体だけを対象として、直接接触しているものを自分の肉体のように動かす。それに人妖は対象として含まれていない。
今この場で、この木箱を握り潰すのは造作もないことだ。
でも、これがないとアタシは生きることが出来ない。懐に入れ、奴の望んだ死体を探すほかなかった。
きっと真奈はまた朽花を追ってくる。
そうなればアタシは彼女と対峙する機会があるだろう。
その時、彼女はアタシを今度こそ殺してくれるだろうか。




