30.枯れた花は周囲を枯らす
その呪術士は、異様な雰囲気を醸し出していた。
帰宅中にばったり会っただけで、初対面の人物。
その呪術士は、見定めるような視線をこちらに向けてくる。
指先の動きも、まばたきの回数も、呼吸の仕方も全てを見てくるような気持ち悪さ。
呪術士は一切目を開閉することなく、呼吸をしているのかすら分からない。
時間にして、僅か数秒ほどだったはずだ。でも、それ以上に時間が経った気がする。男はキイチに何もすることなく、その場から立ち去った。
屋敷に戻る足が、自然と速くなる。不安に掻き立てられながら門をくぐると、皆がきょとんとした表情でこちらを見ていた。
杞憂だったかと息を吐き出す。額の汗がべたついて気持ち悪い。それでも、まだ安心しきれず、父を探し屋敷を歩き回った。
父を見つけた場所は、練習場として使われている庭であった。
結界の起点の一つを調整しており、明らかに何かがあったかのような雰囲気だ。
さっきの男と関係があるのか、おそるおそる聞いてみることにした。
「……奴は朽花と名乗った。
噂に聞いたことがある禁術士だ。決して深入りするな。
あと、しばらく屋敷を出るな。何があるか分かったものではない」
父はこちらを見ることなく答える。
この時の父の顔は、恐怖を覚えるほどの、鬼のような表情であった。
何かやり取りをしたのだろうが、その内容はとてもではないが聞き出すことは出来なかった。
『朽花』。初耳の名前ではあったが、調べてみるとおぞましい存在であることが分かった。
数百年間記録に残り続ける禁術士。
その危険性から、裏宰では大徳にしか接触が許可されていない。
父が深入りするなと話したのも分かる。
そうして数日後、父は異常なほどの重武装をしている場面に出くわす。
何があるのか、とてもではないが聞き出すことはできなかった。
父が俺に気付くと、最初からそうするつもりだったかのように、懐から何かを取り出して、俺に渡した。
それは忌庫の鍵。驚きから落としかけたが、父はそれを押さえて落とさないようにする。
「ひと月、私が帰らなければこの鍵を使うことを許す。
お前が当主として、皆を守るように、頼む」
今まで以上の死地に行くかのような言葉。こんなことは一度もなかった。
それ故に、どこへ向かうつもりなのか察してしまう。
止めるべきであった。そんな相手と戦うのは自殺行為だと。裏宰に任せればいいと。
俺は、止められなかった。
父がとても強いと知っていたから、負ける姿を想像できなかったのも一因としてある。
数百年活動を続けた禁術士がどのような資料を持っているのか、ほんの少し興味があったのも、よくなかった。
そのまま屋敷を去った父は、ひと月以上経過しても帰ってくることはなかった。
待てども待てども、気配はない。
母は少し思い詰めるような仕草をすることが増えた。
あの忌庫の鍵は、父が帰るまで使うつもりはなかった。ちゃんと許可を貰ってから使うべきだと思っていたからだ。
そんな中、一体の妖怪が敷地内に侵入する。
敷地内は結界が張られ、今は誰も部外者が入れないはずなのに。父が結界を張り直していたのを見ていた俺には、理由が分からなかった。
倒すこと自体は、難しいことはなかった。
特殊な力もなく、ただ異形からの怪力しか気をつけるべき内容がない存在。そのはずだった。
刀で切り伏せたその妖怪の片腕に、金属の光沢があることに気付く。
それが、自分が父に渡した腕輪であると分かるのには時間はかからなかった。
あれから、あの妖怪は正体を伏して火葬された。
だが、腕輪から正体が母に知られ、母はしばらくの間放心して引きこもってしまう。
自分もどうにかなってしまいそうであった。
あの父が、異形になって帰ってきた。状況的にそう判断せざるをえない。
朽花が裏宰の大徳以外接触を禁じられているのも、今となってはよく分かる。
奴に刺客を仕向けても、それが素材として判断されかねないからだ。
責任感から自我を保っていた中、俺は更に見たくもないものを目にしてしまう。
母の様子を見に部屋に入ったときだ。母はうつ伏せになりながら、血だまりの中にいた。
母は父を想うあまり、短刀を身体に押し込んで自害していた。
僅かに保っていた精神が瓦解し、数日間放心状態になる。
髪の手入れもされず、ほとんど眠れず、俺は幽鬼のような出で立ちになっていた。
そのまま気付くと、忌庫の前に俺は立っていた。
その手には父から渡された鍵。
鍵を鍵穴に差し込み、手首を捻る。軽い抵抗から、カチャリと開く忌庫の扉。
扉の奥の空気が重たい。人の侵入を拒んでいるかのように思えた。俺はそれを無視して、忌庫の中へ静かに入る。
忌庫から、しばらく物音が止むことはなかった。




