25.廃寺の噂話
夜が明けると、私たちは甚兵衛の案内の元、山を降りていた。
警戒心からか周囲の気配に集中できない。彼の背後をずっと見ている。
昨晩少し甚兵衛が外出していることに気付いていたが、厠にしてはそういう匂いが微塵も感じられなかった。何があったのか。視線がいつ向かれるのか分からないため、尾行することもできなかった。
相変わらず甚兵衛は歩くのに迷いがない。
そんな中、千歳が会話をして空気を作っているのが唯一の救いだ。
「なあ、そういえばここに来る前はどこにおったん?」
「海に近い、山がある場所だったよ。刺激的な人や環境が多くて良い場所だった」
「前に海に流されたって言うのもそこなん? 何か粗相したんか?」
「まあ、似たようなものかな。……そろそろ着くよ」
甚兵衛がそう言ったのを機に前を見ると、目の前の木々が薄くなっていたことに気付いた。
周囲に広がる田畑。見晴らしが良く、風もよく通る。平穏な農村。そう呼ぶに相応しい場所だった。
「おお、甚兵衛か。降りたなら戻る前に手伝ってくれんか?」
「一河さん、ご無沙汰しています。あいにく今はこの人達をここに送りに来ただけなので、用が済んだらすぐに戻ります」
甚兵衛を見た老人が近寄って話しかけてくる。どうやら二人は知り合いのようだ。割と甚兵衛は慕われているらしい。
甚兵衛の言葉から一河と呼ばれた老人は、こちらを見て「おお、嫁二人か」と茶化すが、甚兵衛は冷静に「違います」と遮った。
「で、女二人で旅かね? 珍しいことをしているが、何か理由でも?」
「人捜しだよ。片目が義眼の人を探している」
「はて、最近は記憶が薄いからワシは当てにできんが……」
老人は顎をさすりながら答える。そこまで人がいない訳ではないだろうから、虱潰しに聞くべきか。
そう考えた中、老人は急に思い出したかのような挙動をする。
「ああ、思い出した。が、それを答える前に一つお願いを聞いてくれんか?」
「……内容によるけど、聞いてもいい?」
「いやなに、最近こっちの山にある廃寺で変な噂が広まっていてな。ただの戯れ言だと思っとるんだが、確認してもらえんか」
一河が指さしたのは下山してきた山の向かい側の山。あちら側も樹で生い茂っており、話にあった廃寺があるかどうかは端から見てよく分からない。
「オレも聞いたことがある。牛の首が見えたとか馬の首が見えたとか大男がいたとか。あとはずっと何かを引きずるような音がするとか」
「皆気味悪がって近づかんのだ。門番に話をしたこともあるが、中々確認してもらえん。この時期になると、あの辺りでは良い山菜が採れる。採集に行って変なことが起きても困るからの」
私は腕を組んで千歳の方を見る。千歳はこちらを見て何度か頷いた。これは私の判断に任せるという合図だ。
「……いいよ。確認してくる。正体が何なのか分かればいいんだよね?」
「そうだな。ああ、あと一つ。いつだったか忘れたしちょっと後ろ姿を見ただけなんだが、この山を登っていった一人が帰ってきていない。くれぐれも、気をつけてくれ」
「……それって昨日今日の話?」
「いや、ひと月以上前だな」
「そっか、ありがとう」
少なくとも、キイチではない。そして、キイチはこの村の人たちに認識されていない。こっちの方向に向かったはずだが、途中で逸れたのだろうか。
「真奈、別にこんな依頼受けなくてもよかったやろ」
「困っていそうだったし」
「アホ。どう見ても結託してこっちに向かわせた風にしか見えんわ」
「じゃあ止めてよ」
「カンナやと見捨てないって言いながら強行するやろ」
「……そうだね」
村を後にした私たちは、二人で山道を歩き廃寺に向かっていた。
以前は整備されていたであろう山道だが、今は少し荒れてこそいる。
千歳は少し不機嫌だ。私がカンナ基準でものを考える癖が影響しているのかもしれない。
多分千歳は私の性質を分かっている。何年も一緒にいるのだ。諦めも少し入っているだろう。
「それにしても、甚兵衛はかなり怪しいね」
「そうやな。あの気色悪い視線が別れてから途切れたし」
「何か、一周回って警戒しすぎじゃないかと思えてきたんだけど」
「それは楽観的すぎや。で、どないする? 気のせいだったででっち上げてもいいと思ってるけど」
「千歳、何か理由付けてやらない方向に持っていこうとしないで」
「真奈がそういう発想をせんからや。こういう考えをせんと、そのうち損するで」
千歳はそう言うが、私には正直できる気がしなかった。
カンナ以外の基準が私にはない。カンナが正しいと思っているし、尊敬しているから。
そうして足を進めると、私たちは想定していない光景を目の当たりにする。
いくつものなぎ倒された木々。倒木から生える葉を見ると、まだ青々しいものが残っている。
「なあ、真奈。これ見てみ」
千歳が指さす地面を確認する。明らかに人のものよりも大きな、人型の足跡。
何かがこの地にいる。人里に降りない理由は分からないが、正体を調べなくてはいけない。
私たちは警戒を重ねながら更に奥に進む。荒れ具合は酷くなる一方。
僅かな恐怖心が芽生えてくる。痕跡から、話が通じる相手とは思えない。
私たちは、足を止めた。目の前には話にあった廃寺。だが、ほとんど形は残らず崩壊している。
「ねぐらにも使えそうにはないな」
千歳がそう呟くと同時に、彼女は私の裾を引き、倒壊した廃寺の影に隠れる。
何があったのかと思ったが、すぐに察した。
ガリガリと、重い何かを引きずる音。音だけで、金属質で、かなりの重量がありそうな、そんな印象を抱いた。
木々の影から、その正体が目に映る。
それは、明らかに人間の体躯を超えた大男であった。右手には丸太を握りしめ、左手は巨大な鐘を引きずっている。鐘は全長が大人一人分ぐらいはあり、普通であれば一人で運べるような物ではないだろう。
顔は、あまり直視できなかった。その頭に被っているものが、おぞましく恐ろしかったから。
それは、牛と馬の頭を縦に割り、麻紐で縫い合わせたもの。
歪で、腐臭を漂わせる、人為的なものを感じさせる怪物であった。




