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犬神歩めば呪いに至る  作者: 白海幽漣
鎌倉時代編
23/24

23.獣の侵食

 水で顔の傷口を洗い流す。血を流すと同時に痛みが走り、顔が反射的にしかめてしまう。




 キイチと別れた後、私たちは近くの川に寄っていた。村に着く前に見つけたものだ。


 チロチロと流れる水。静かに吹くそよ風。どれも、この場所が平穏だと思わせる。


 先の戦いで私は傷だらけになっている。当然あちこちから血が出ているので、このままだと血の臭いでいらぬものを引き寄せかねない。


 上着を脱ぎ、義手を外した状態になる。左腕の断面は布で巻き、義手が直接接触するのを防いでいた。


 取り外した義手は傷だらけで、次の戦闘にはとても使えそうにはない。


「もう血が止まっとるどころか、塞がりかけとんな。年々人間離れしとるんちゃうか?」


 千歳が正面から私の傷を拭いながら呟く。水分が傷にしみ、少しずつだが布が赤く染まっていく。


「そうだね……。獣みたいになっている部分は、また広がってる?」


「前に見たときよりは、広がってるんやないか? 気になんなら剃ったろか?」


「見えないところならそのままでいいよ」


 私の肉体は元々は恩人であるカンナのもの。だが、進行速度は遅いとは言え、人ではない部分が増えてきていた。足の爪は犬に近い形状になっているし、疎らに体毛が濃い場所が出てきている。幸いどれも目立つ場所ではないが、そのうち全身が獣に見える状態になってしまうだろう。


 私はカンナのためにも、死に方は自然死を望んでいる。でも、自然死が正しい死に方なのか、最近は疑問に思ってきている。


 千歳を眺める。いつも楽観的で、一緒にいるだけで明るい雰囲気になる。


 そんな彼女は、頭から狐の耳が出てきているだけでほとんどが人のままだ。


 そんな風貌から、気付いたら声をかけていた。


「ねえ、千歳」


「なんや?」


「何で私と千歳で、獣になる速度が全然違うのかな?」


 ふとした疑問が溢れた。それを聞いた千歳は少しだけ考える素振りをする。


「あー? ……知らんわ。でもまあ気にはなんな。戦闘は真奈の仕事やしその辺か?」


「でも、戦いを知らない前の身体だと、すぐに獣になっていたよ」


「そうなん? じゃあなんやろな? ……案外真奈が悲観的すぎるからかもな」


「心持ち一つで変わるものかな?」


「でも、妖怪って感情が重要なんやろ? じゃあありえんのちゃう?」


 千歳の言葉に説得力を感じたのは、朽花(くちばな)の研究について思い出したから。忌々しいことに、朽花は妖怪と感情について関連性を持っていると認識していた。


「はい、拭き終わったで。義手も1本だけ予備はあるんやけど……着ける前にええか?」


「なに?」


大徳(だいとく)相手は迷わず逃げろ言うたよな、ウチ? 何で結界壊した後逃げへんかってん」


 千歳は私の顔を掴み、低い声で言う。流石に私も気圧されて平謝りするしかなかった。


「まあ、一旦信用された? ということで、ええんか? 多分下手に信用を落とすようなことせえへんかったらすぐに殺されるようなことはなくなったと楽観的に考えよか」


 そうして、手を離した千歳は私の左腕に予備の義手を装着した。それに術を施すと、私の意思で動くようになる。


「どうや? 動きに問題ないか?」


「大丈夫だけどさ、やっぱり関節がちょっと固いね」


「どうにかしたいけど、油を盗むのが嫌なら出来ることなんてないで」


 服を着直すと、私たちは方角を確認する。日は天辺に到達していた。村で調査を始めた時にはまだ朝のはずだった。戦闘やキイチとの会話から思ったより時間が経っていたらしい。


「北なら、お日様の位置からあっちやな」


「あ、村までの具体的な距離聞いてなかった……」


「それはええんやないか? 距離を聞いたところで、かかる時間に影響はないやろ」


 それはそうだが、野宿となるか、村で屋根を借りられるかで快適さが違う。その覚悟が少し欲しかったのだが、もう仕方ないと考えないことにした。




 途中、村に着くと私は足を止めた。


「真奈、まだここに何かおんのか?」


「いや、一つだけ確認したくて……」


 私は倉の中へ足を運ぶ。相変わらず血の臭いが濃い中、匂いを辿った。


「ああ、やっぱりあった」


 地面に触れる。乾いた血だまりの中にある白い毛髪。やはり、あの子はここにいた。


「相変わらず少なすぎるし色んな血が付いとる。術の媒体には使えそうにないな……」


 千歳は毛髪を拾い上げると、その場に置き直した。眉間に皺が寄り、指先が少し震えている。


「千歳、ナズナは必ず見つけよう」


 こうして出た私の言葉は、腹の底から溢れる熱で少し震えていた。




「あ、真奈。あそこに生えているキノコ、食える奴やで」


「あれは千歳が昔食べて腹壊したやつでしょ。流石に覚えてるよ」


「そやったか? 旨かった記憶やけどな。……ちっ」


「今舌打ちした?」


「いや? なあ、ちょっと腹空いたから荷物の干物つまんでええか?」


「昨日食べたでしょ。私たち食べる量そんなに必要じゃないんだから我慢して」


「そうやけど、そう言って消費制限した結果、食い物に黴を生やしたのは誰や?」


「それは反省しているし、そもそも何年前の話?」


「最近で5年ぐらい前やな。確かそれで3回目」


「……ごめん。……もう夕刻になるね」


「……確かにもう暗くなりそうやな」


 それなりに歩き続け、時間が相当経っていたのだろう。いつの間にか空は赤く染まり始めていた。


 木々を分けて歩き続け、流石に少し疲れてきた。最低でも一晩は野宿を覚悟しないといけないだろう。




 ーーーそう考えたとき、どこかから視線を感じた。敵意が感じられるそれに、産毛が逆立つような感覚を覚える。


「真奈」


「分かってる」


 千歳も同様の気配を感じ取ったのだろう。


 周囲の様子を確認するが、今のところ何も見当たらない。あるのは木々と遠目に見える小動物ぐらいだ。




 どこにいて、何が目的なのか。最悪の事態が起きても対応できるように備える。


「誰か、いるのか?」


 そうして張り詰めた空気の中、私たち以外の、どこか抜けたような声が聞こえた。


 大きな籠を背負った、一人の男が木陰から突然現れた。先ほどまでしなかった炭の香り。いつからいたのかが全く分からない。


 墨色の短い髪は無造作に結ばれ、前髪は目にかからない程度に散っている。その目は白濁としており、焦点は合っていない。おそらく、見えていないだろう。背丈は私と同程度。深い藍色の作業着を着込み、腕には煤の跡がついている。身体は引き締まり、鍛えられているかのような印象を抱かせた。その両手は、黒ずんで爪の間に煤が入り込んでいる。


 その独特な風貌と強い香りから、私はつい言葉が漏れた。


「……炭焼き?」


「お、そこにいるのか。旅の人か? こんな山奥に珍しい」


 炭焼きと思われる彼は、こちらの方を向いて言う。見えていないと思われる目からは信じられないぐらい正確に、顔面はこちらの方向を捉えていた。


 見るからに、危険性のないただの青年。なのに、どこか警戒心を刺激させる空気がある。


「この山奥に村があるって聞いたんやけど、兄さんはそこの人なんか?」


「……変な口調だな。まあいい、炭焼きって言ったのも合っているし、この先に村があるのも合ってるよ。よく炭焼きだって分かったね」


「手の汚れと炭の匂いが強かったからね。私は真奈。こっちは千歳。といっても、多分見えないよね?」


「ああ、なるほど。オレは甚兵衛(じんべえ)。目から察せられたとは思うが、めくらだ。だいぶ慣れたものだから心配はいらないよ」


 甚兵衛はこちらに笑みを見せる。その表情に敵意は感じ取れない。だが、妙な視線は依然として続いている。盲目の彼でないなら、誰の視線なのか不気味であった。


 そうして彼が少し首を動かすと、首から提げられた麻袋が、懐から溢れ出てきた。微かに固い物が複数入っているような音がする。それに心当たりがあったのか、千歳が疑問を口にする。


「それ、数珠の珠でも入っとんの?」


「……宝物だ。尊敬する人から貰った。紐が千切れて、珠の大半はなくしたけどな。……数珠の音と分かるなら、仏教信徒か?」


「昔ちょっと関わっていただけや。知識はあるけど信徒とちゃうで」


「ふうん。それはそうと、野宿が好きでもなければ村に来るんだろう? 案内しようか?」


「提案してくれるのはありがたい。千歳も異論はないよね?」


「案内されなくとも勝手についていくつもりやったけどな」


「思っていても口に出すな」


 千歳の頭を軽くはたく。甚兵衛は私たちのやり取りに笑いながら、「仲がいいんだな」と呟いた。


「結構長い関係なのか?」


 前を歩く甚兵衛は振り向きもせずに聞いてくる。盲目と聞いている割に、甚兵衛は足取りに迷いがない。偶然なのか、障害物もきれいに避けていた。


「まあ、それなりやな。百年ぐらいは連れとるわ」


 本当ならもう少し長いのだが、人間的な感覚で千歳は冗談っぽく言う。


 甚兵衛はまた笑いながら返してきた。


「はは、なるほど。それくらい一緒なら納得だな」


 そうしてしばらく歩くと、奥から人の喧噪(けんそう)が聞こえてきた。


 甚兵衛は立ち止まり、振り向きもせずに告げる。


「ここが、オレの住む山村だ」

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