まあ、キライじゃない……かな?
それからは新しい日々だった。パパは子爵さまに対しては丁寧にしてたけど、「基本的にはフィリスを優先します」とはっきり言った。子爵さまはこう、ちょっとだけ、後ろを向いた瞬間ぐぬぬーって感じの顔をしてたけど、パパだいじょうぶなのかな。
「でもま、悪いようにはしねーよ。……まあ本気でフィリスの邪魔してきたら追い出すけどな」
そう言って悪そうな顔をするパパは、いかにもわるいやつって感じだった。でもかっこよかった。ママの味方なんだって、ママが好きなんだってわかったからうれしかった。
ただ、メイド……サーリアは、「後先考えないからなあばかアレスは……」とかなり困った様子だった。今のつぶやきはいいんだろうか。あっものすごいスピードで首を向けて目を見開いた。声に出ちゃってたみたい。ふわふわで首もとまである青い髪がすっごい暴れて、汗で顔にはりついてる。
「い、いらっしゃったのですか?」
「うん」
「まさか、お聞きに?」
「ばかアレスってパパのことだよね」
「わーっわーっ! 今のは、その、他のメイドには内緒にして!」
「いいけど、本人にはもう言ってるよね」
「昔さんざん言いましたからね!」
サーリアは、パパと昔からの知り合いだったみたいだ。
「その辺は、機会があったらお話ししましょう」
そうごまかして、自分の仕事に戻っていった。むう……きになる。
でもサーリアは、前より楽しそうだった。アタシもあの一件があってから、サーリアのことは信頼していた。もっと仲良くしてたらきっと言ってくれる、よね?
-
ママは表情が本当に増えた。そしてアタシにたくさんちょっかいを出したりするようになった。
「今日もフレイちゃんは太陽の香りたっぷりでふかふかねー」
そう言ってアタシを抱きしめて、髪の毛に顔を埋めてすんすん臭いを嗅ぐのだ。
「ずっとこうやって、フレイちゃんをぎゅーってしたかったのよー? くんくんしたかったし、ちゅっちゅしたかったのー」
言うやいなや、アタシの頭のてっぺんに音を立ててキスをするのだ。
仮面の取れたママはものすごい甘えんぼで、お調子者で、なんだかアタシより子供みたいな人で、オマケにかなりの変態さんだったのだ。でも、まあ、キライじゃない……かな?
アタシもお返しに、ママのさらさらの緑の長い髪をすんすん嗅いだりするのだ。ママのにおいは、なんだか落ち着くのだ。
そんなママだけど、ある日、
「よし! 今日はフレイちゃんに杖を持たせるわ!」
と何の前フリもなく突然宣言した。パパもちょっと驚きつつも、予想していたようで、面白そうに声をかける。
「さて本当に使えるかどうかな? いや、使えたらもう俺の立場ねーけどな!」
「アレスの立場なし! それは楽しみね!」
「おいおいお前俺の味方じゃないのか?」
「ふふっ、そんなのもちろんフレイちゃんの味方に決まってるじゃない!」
ママの宣言にパパはとほほといった顔で頭を掻きながらソファにずぼっと勢いよく座り込んじゃった。そんなのお構いなしに、ママはピクニックに行くみたいに楽しそうに2本の杖を持って片方をアタシに渡したのだ。
そしてママはアタシを覗き込んでウィンクして、
「それじゃあフレイちゃん、ママと一緒に魔術の練習してみましょうか」
と言って外に連れていったのだ。
-
「まずは軽く、ウィンド!」
そう言うと、風のなかった熱い日差しに、ちょっと強めの風が吹いてきた。不思議なことに、アタシのところだけ出てきているのか、砂ぼこりは顔にかからなかった。
ママの魔術は、ふわっとしていて気持ちよかった。
「やってみてごらん?」
やってみてごらんって言われても……とにかくアタシは、杖を持って、高く掲げて、勢いよく叫んだ。
「えーと、ウィンドっ!」
……。
……………………。
「……なにもおこらないよ」
「そううまくはいかないかあ」
ママはテヘヘと頭を掻いて、再び杖を持って「ウィンド!」と叫び風を起こした。それから「うーん……」と唸っていたけど、
「じゃあ、目を閉じて、こう、風がぶわーっみたいなのを、体の中からぶわーっと! そしたら手からぶわーっ! なのよ。そういうかんじにやってみてちょうだい!」
……ママはめっちゃ説明へたくそだった……。とにかく要領を得ない説明に呆れつつも、なんとかイメージを固めてみる。
「———ウィンド!」
何か、自分の中でふわっと抜け落ちた感覚があった。右手からふわっと何かが出た感覚もあった。だけど何もおこらなかった。
「ううん、まいったわね……適性ないのかしらね……」
ママはちょっと残念そうな顔をした。それは、前ほどではないけど、アタシが悲しくなる顔だ。
焦って今起こったことを伝えた。
「でも! でもさっき! なんか体の中から! なにか抜けていく感覚はあったよ!?」
「えっ、それよそれ! ってことは、発動してるのかな? じゃあ属性はママからの遺伝じゃないのかな? ……ようし、それじゃあ別属性いってみましょう!」
「別属性?」
「ええ、魔術は火、風、水、土らあたりが基本属性になっているわ。雷とか金とか光とか闇とか、そのへんは上位なのでいきなりはないと思うけど、ああでも光とか使えたらかっこいいわねー」
「ひかり?」
「そうよ、光が使える剣士はかっこいいわ。光の戦士系だと光の武器が魔術となって飛んでいくのだけれど、王国にもほとんどいないんじゃないかしら。
光の攻撃魔術を使えるのが、ええと今は勇者がいないから人数僅かな王属の聖騎士さまかな、それと光の浄化魔術は教会の聖女さまでしょ? あと回復職の神官戦士に一部いるかなってぐらい。王国の困った時に出てきてくれるの!」
「じゃあ闇は?」
「闇は……ちょっと心の中に何かあった人達かな? でも、克服したりするからみんな悪い人ってわけじゃないの。もちろん呑まれちゃった悪い人もいるけどね、そういうこわい人はすぐ討伐されるから大丈夫。容赦がなくなるから、近づいちゃダメよ?
とても強いし、怖い魔法よ。国内だと……王様の側近にいるとかいないとか言われてたわね。フレイちゃんと縁がないといいけれど……」
「ふーん」
その説明を半分聞き流した。たぶんアタシには縁のない話だろうし。なんてったって風さえ使えないんだし。
「ところで、えーっと、光とかじゃなくて、火とか水とか?」
「あっそうそう! そっちも試してみましょう! それじゃあ左手、ちょっと上にしてみて?」
そう言ってママは、しばらくうんうん唸って集中して、右手を高く掲げた。
「…………ウォーターボールっ!」
アタシの手のひらに、ぱしゃっとカップ一杯程度の水の塊が落ちてきた。
「っはぁーっ疲れたっ! やっぱり適性がないとちょっときついわねー。それが水魔術よ、やってみて?」
ママはそう言って、ぺたんと座り込んだ。アタシはさっきと同じように集中した。
水が、体の中で、……どうなるんだろ? 水、水……。
「……ウォーターボール!」
…………。さっきより何も起こってない気がする……。
「ごめんママ、これ風より無理」
「そう……じゃあ次は火にしましょうか。といっても私は使えないし疲れちゃったから、おまかせするわね。ファイアボールって叫べば出るわ」
ママは休憩モードに入った。「火だったら教えられないわねー」とか言ってる声が聞こえる。
アタシは集中した。体の中に火がぶわーっ。火。ぐつぐつ燃える火。アタシが長い間屋敷の中で溜め込んでいたけど爆発させなかった怒りみたいなお湯。思い出すだけでまた沸騰する体の中。燃えてる。燃える火が右手から……
「———ファイアボール!」
叫んだ瞬間、体の中にあった元気が頭の先から足の先まで全部落ちていくような感覚がして、右手から火が出た。大きいその火は空高く、遠くまで飛んでいって、やがて消えた。
「……! まあ、まあまあ……!」
ママはぽかーんとした顔をしていたと思ったら、満面の笑顔になってアタシの方を向いてかけよろうとして……目が合った瞬間、ものすごい焦った顔をして飛んできた。
「ふ、フレイちゃんっ!」
叫んだと同時にママに抱き留められて、アタシはそこで自分の体が自分で立てないぐらい消耗していることに気付いた。呼吸が浅くなり、ママに「大丈夫……だから……」と小さく声をかけ、そのまま気を失った。
-
ママがアタシをソファに横たえた瞬間に起きたので、「うん、頭ふらふらするけど大丈夫だよ」と一言いってそのままソファで横になってた。
「はーっはっはっは! それでフレイはまさかの火魔術か! いやあやっちまったなあお前!」
「うう……」
ママは頭を抱えていた。
「俺に、パパの立場なくなるの楽しみだーなんて言っていたと思ったらバチがあたったなあハハハ!」
「まさかの不利属性。消耗が激しいけど、あの威力だと何年か後にはママはフレイちゃんには勝てないかもしれないわね……」
「忘れちゃいけねえが、フレイは俺以上の剣術の才能がある上で火魔術使えることになるからな?」
「……ごめん娘の成長は嬉しいけど、初日から娘にもう勝てない可能性があるって事実は元冒険者としてさすがにへこむ……」
今度はパパが楽しそうだった。ママもなんだかんだ楽しそうだからいっか。
やっぱり、アタシが強くなると、みんな楽しそうだった。
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「このままでいいとはさすがに思ってないですわよね?」
「ええ、もちろんですわ」
「それでは、順番は譲って貰います」
「はい、旦那様にもお伝えいたします」
何年か前から時々屋敷に来る別のママ……エリゼって人は、なんだかコワイのだ。威圧感があって、何を考えてるかわからないのだ。
もう一人ママがいるけど、その人は最近あまり来てない。そっちは怖くないママだ。どうしちゃったのかな。
パパは、その二人のことは丁寧に扱っていた。エリゼママはパパのことはそんなに嫌いじゃなさそう。
ただパパはともかく、ママには、爵位が上だけど側室って立場?があるから、ちょっとふくざつみたい。このへんはよくわからない。分かっているのは、お互いがお互いに苦手意識をもってるっぽいこと。
エリゼママは、何年も子供がいない。でも、子供ができたとして仲良くできるかわからないから不安だ。
だって、エリゼママは、アタシのことを、いつも睨むのだ。
そして何より、この家の雰囲気が。
エリゼママと子爵様が来るとまた以前に戻るのだ。
それがたまらなく嫌だった。