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寒(5)

 車窓から外を見て、通り過ぎていく風景が、いつかの走馬灯になるのだとしたら、愛しくなるのが人の心だろう。

 三人は、二両目の左側の出入り口付近に、場所を取った。保は、ステンレスの縦の持ち手に寄りかかりながら立ち、二人は、保の目の前の席に座って話をしている。

 保は、外を見た。通り過ぎる風景を見ながら、何も考えないというオフの取り方を、保は好んでいる。

 瞳は、そんな保をたまに見ながら、そっとしておくという形を選んでいた。真名子は、保が会話に入ってこない事を良い事に、己が舞台で走り回るように、瞳と喋っている。


 各駅停車で、四駅、通り過ぎると、目的としていた街の中心部へ、電車は辿り着いた。地方都市に根付いている昔ながらの百貨店と、都市開発で新しく出来たショッピングモールが遠くに見える。

 アーケード商店街の中は、人でごった返していて、彼方此方(あちらこちら)で子供の泣き声がしていた。日曜日の午後の中に、自分も居るのだと思うと、保は、少しむず痒くなってしまっている。

 人が移動する雑音の中、三人は、商店街の右端を歩いていた。昔ながらの肉屋さんの隣に、チェーン店のスーパーがあるのを可哀想に思う時もあれば、中、高生が(いま)だに出入りしているCD・楽器店を、渋いと感じる時もある。そんな感情を、保は抱きながら、二人を見失う事無く、数歩後ろを付いて行った。

 数十メートル、歩いただろうか。若い夫婦とすれ違いながら、三人は、商店街の中にある、新しく出来たショッピングモールの入り口から、中へと入っていった。


「新しく、服のブランドが入ったんだって。行ってみようよ」


 真名子が、瞳に言っている。地方都市ならではの会話かもしれなかった。某地域での、コーヒーチェーン店を絡めた様相をニュースで見れば、分からない話ではないだろう。有名ブランドであればあるほど、一時的に注目の的になる。地方都市とは、つまり、そういう事になる都市であると、言えなくもない。

 三人は、店内のエスカレーターに乗ると、一直線に、その店へと向かった。瞳が、先程の真名子との会話で、同意したのが大きな理由である。保は、途中のプラモデルの店に目を奪われながら、二人に付いて行った。

 新しく入ったブランドの店は、スポーティとラブリーが合体した、真名子好みの店であった。生地に、速乾性の高い物や伸縮し易い物を使いながらも、何処へ行くにも困らないほど、服のバリエーションがある。動き易さと可愛さを追求したら、きっと、こうなるのだろうと、保は思った。


「あっ、これ可愛い」


 真名子が、目に留まった服を手にして、瞳に言っている。


「本当だ、可愛い」


 瞳の言葉を横目に、保は、その会話に入っていけない。「可愛い」の基準が、分からないからだ。

 耳を澄ませば、店内の様々な所で「可愛い」が溢れている。それぞれが、それぞれに、ニュアンスが全然違う筈なのだが、「可愛い」で済んでいる場合が多いのである。エスパーなのかと疑問に思う前に、「可愛い」が、究極の言語であると定義した方が、この店内の会話は説明し易いだろう。尚且つ、女性の言う「可愛い」に、横槍を入れてはいけない事は、保の年齢であれば、何と無く察している物である。


「保さん、これ、私にどうですか?」


 瞳が、気を使って、保に喋り掛けた。

 保は、きたなと思う。返答次第によっては、二人の女性の高揚感と雰囲気を、微妙な形にしてしまうのである。初めての買い物で、初めての店で、そんな状況になってしまう。それだけは、避けたいと思う人の方が多いだろう。


「うん、良いと思うよ。瞳ちゃんは、スタイル良いし、体のラインが分かると綺麗かな」


 保は答えた。男性側の「良いと思う」に、多角的意味がある事は、言うまでもない。


「こういう服、好きなんですね。買っちゃおうかな」


 瞳は、何かを計算しながら答えた後、何かを考えている。


「ねぇ、保さん。私は?」


 横から、真名子の問いがやってきた。

 保にも、そんなにボキャブラリーは無い。だが、答えなければならない。こういう場合に、素っ気なくされる事は、女性が一番嫌がる事である。


「真名子ちゃんは、こっちの色が、良いんじゃないかな?明るい紫色。白いショートパンツに、合うと思うし。大人っぽく、雰囲気が変わるから、綺麗だと思うよ」


 その色の服を手にしながら、保は言った。

 何方の会話にも「綺麗」をつけるのは、「可愛い」よりもランクを上げる為である。保としての、処世術であった。たまに、店員かもしれないと思う事が、保には多々ある。連れの男性の言葉と等価交換で、店側は何か、サービスを提供しても良いのかもしれない。


「自分じゃ、この色は選ばないか。紫。確かに、可愛いんだよなぁ。買っちゃおうかな」


 真名子は、独り言に近い形で言った。

 取り敢えず、二人へ対しての言葉は、合格点ではあったようである。買うかどうかに、意識が移行したからだ。物を選んでいる段階は、楽しいのだが、それ以上にはならないだろう。欲しい対象が確定し、本当に買うかを迷っている時が、一番胸が高鳴る筈である。

 保のセーフティーが、何とか終わった。二人共、買う事に決めたようである。品物は、お揃いの色違い。それを、嫌がる素振りが無いのだから、仲の良い姉妹だと言える。

 保は、大体のペースが分かったからか、少しだけ安心した。二人は、長々と、同じ店に入り浸るタイプでは無い。ざっと全体を見て、良いと思った物を一つか二つ決めて、買うかを決めるのだろう。保としても、女性服売り場に長時間居るには、胆力が要る。同じ店にとどまるならば、尚更である。


 二人が、会計をして戻ってくると、保は、二人の買い物袋を持った。こちらが、今日の保の行うべき役割である。三人は、店を出ると、次の店へと向かった。

 二軒目、三軒目、四軒目。

 そして、赤ちゃんの泣き声と休憩用の椅子。

 店の前に、そんな長椅子がある事が、保にとっては有り難かった。

 右手の荷物が瞳、左手の荷物が真名子。

 しっかりと確認しながら、その椅子で、保は休憩をする。二人は、向かいの店を物色していた。たまに、チラチラと、二人の姿が見える。

 元気だなと、保は思うが、そんな事よりも手持ち無沙汰である。周りを見ながら時間を潰していった。遠くの方の椅子に座っているおじさんも、右側を向くと見える。熱心に、スマートフォンを見ていた。アプリケーションのゲームでもしているのだろう。休日にお疲れ様ですと、保は思いながら二人を待った。


 二人が、店から出て来ようとしている。二人共、手には袋を持っていた。店を出ようとした瞬間、店の前を通り過ぎる人に、二人は足を止める。ショッピングモールで、たまに見る光景だった。

 二人は、保の所まで来ると、手に持っていた袋を差し出した。善意の最初と奴隷みたいな最後。いつの間にかの当たり前。突っ込んだ所で、変な愛想笑いがやって来るだけで、役割はそうそう変わる事は無い。変える方が、何かが下がる気もするのだ。

 保は、袋を間違えないように受け取ると、立ち上がって、二人に付いて行こうとする。四、五歩、進んだ時に、真名子は、歩きながら首だけ振り返った。


「それじゃあ、保さんのお楽しみの所に、行きましょうね」


 真名子に、ニヤリと笑われながら言われると、保は首を傾げた。そんな所、あっただろうかと、保は思い返した。

 今日は、二人の買い物に、付き合っているだけである。瞳との間に、下着云々の(くだり)はあったが、あれを真に受ける程、子供では無い。


「どこに行くの?」


 保は、急に不安になった。


「良い所に、決まってるじゃないですか」


 真名子は、優しげな笑顔に変わった。

 瞳は、何故だか、少し恥ずかしそうに笑っている。良い所に、連れて行かれない場合を想像してしまうのは、ドラマか漫画の見過ぎだろう。保は黙って、二人の後を歩いた。

 ブティックを三軒ほど通り過ぎると、あの季節の商品が、白いマネキンと褐色のマネキンを色鮮やかにしていた。水着である。

 保は、その光景で何と無く理解できた。選べというのだろう。水着を。


「誰か、海に行くの?」


 保は、店に入ろうとしている二人に聞いた。時季的に、まだ早い。真名子が、保の方へ体ごと向くと、少しはにかんでいる。


「真名子の彼氏さんから、夏休みになったら海に行こうって、さっき、連絡が来たんですよ」


 瞳が体ごと振り返って、真名子の代わりに答えた。

 二人の話によると、春になり、真名子の彼氏がバイトの時間を真名子に話もせず増やしてしまい、真名子との時間が減ってしまったらしい。真名子は、ずっとそれが不満だったのだが、海への旅行費を全額出す為に彼氏は頑張っていたという、なんとも、若々しく清々しい事柄であった。


 店内を、三人で物色しながら、保は二人を見た。何故か、瞳も、一式揃えるようである。もしかしたらと思った保だったが、そのもしかしたらは、「保さんもね」という、瞳の耳打ちで確定した。どうやら、その旅行は、この場の三人共、全員参加のようである。

 保は、瞳へ「僕も行くの?」と耳打ちし返すと、瞳は「駄目ですか?」と寂しそうな顔を返してきた。狡いなと思いながらも、色々と巡らせた後「わかった」と笑顔を返すしかなかった。逃げても良いと言っておきながら、旅行には誘うとは、どういう了見なのだろうと、保は思った。


 真名子を、保は見たが、真名子の頭の中は、旅行一色になっているようだった。ただのストレスか、焼きもちからくる棘だったのかと、保は思うしかなかったのである。真名子の顔が、ホクホクしているからでもある。見た事の無い雰囲気での顔は、保も仕方ないと思える物であった。


 旅行に出て、旅行に誘われて、その旅行の準備をするという保の状態は、変ではあるが、それが人との出会いという物である。

 保は、男性用の水着とラッシュガードを手にすると、レジカウンターへと持って行き、先に会計を済ませた。水着は、瞳に持たされた、トロピカルな物である。選んで貰った物を無下にできない為、落ち着いた色のラッシュガードで、保は取り繕った形であった。


「どれが良いか、見て」


 瞳と保を、試着室前で立たせて、真名子が言った。真名子の切実な顔とセットの言葉は、葡萄ジュースか玉露入りのお茶みたいな清涼感がある。三つの水着を手に持っていた真名子は、カーテンを閉めると、試着室の中で着替え始めた。その間、保は、自らの中での真名子のイメージを固めて、一着、水着を選んで来ると瞳に渡した。


「可愛い。真名子にですか?」


 瞳が、聞いた。

 オレンジ色のバンドゥビキニだ。ポイントとして、白い花がトップの右側と、ボトムの左側の腰周りに描かれている。首の後ろに回す紐も付いているので、幾分、安心もできる筈である。


「そうだね。持っている水着が、何かセクシーなだけだったみたいだから、間を取ると、この辺かなって」


 保の言葉に、苦笑いしながら、瞳も同意した。我が妹ながらといった、面持ちである。

 保が持ってきた水着は、胸と腰の所に、大きな隙間で網目が作られている為、真名子が欲しいセクシーさはあるだろうが、いやらしくは無い。真名子の雰囲気と声が合わされば、それは、大きくなってくれるだろう。年齢に見合った清々しさが、きちんとある形になる筈だ。


 一着目を着終わった真名子が、カーテンから頭だけ出してきた。周りに、他の人が居ない事を、確認する為である。

 瞳は、持っていた水着を背中に隠した。何故かは、わからない。

 真名子が、カーテンを開けた。藍色のシンプルなビキニである。瞳と保は、二人で頭を傾げた。

 二人の無言の反応に、真名子は渋い顔をして、カーテンを閉める。すぐに、二着目に、着替え始める為であった。


「色的に、無理してる感があるなぁ」


 保が言うと、瞳も同意した。


「もうちょっと、中途半端な年齢を、楽しんだ方が良いですよね」


 瞳の言葉が終わると、真名子が、また顔を出しま。そして、カーテンを開ける。白いマイクロビキニである。保へのサービスなのかは分からないが、ボトムから、着てきた下着がはみ出ている。

 二人は、慌てて、首を横に振った。

 真名子は、カーテンを閉めた。

 瞳が、試着室に近づいて、カーテン越しに、何かを話し始めた。それから、頭だけ試着室内に突っ込むと、保が持ってきた水着を中へと入れた。


「次も、真名子が選んだ物だから、そんなに良くは無いかもしれませんね」


 保の横に戻ると、瞳が言った。


「一番最初の色は、瞳ちゃんに似合うと思うよ」


 保は言った。ざっと店内を見て、瞳に似合うのは、真名子が一番最初に着たような、藍色の水着だと保は思ったからだ。


「そうですか。じゃあ、同じ色に近い物で、フロントホックか、背中に金属の無い物があるか、店員さんに聞いてみますね」


「やっぱり、大変なんだね」


「ええ、私にとっては、一番の命綱ですからね」


 そう言って、瞳は笑った。

 真名子が、顔を出している。二人の良い雰囲気に気づき、目力だけで、どうにかしようとしていた。どうもなる訳が無い。

 保が気づいて、瞳に促すと、瞳は真名子に、両手を合わせて謝る。それを見て、真名子は膨れながら、カーテンを開けた。

 パレオ付きの水着である。色合いも悪くは無い。トップが白、ボトムは茶色と落ち着いている。黄緑と黄色のパレオが、無駄に大人びていた。

 真名子は、保へ視線を送る。何かコメントをしろという事らしい。確かに、このままコメント無しは、少し可哀想である。


「悪く無いけど、高校卒業したら、好きなだけ着れると思うよ。今だけ着れる物とか、色にしたら」


 保は、言った。真名子は、今度は瞳の方へ顔を向ける。


「水の中で、がっつり活動しちゃうタイプなんだから、パレオの意味が無い」


 瞳が、いつもの真名子を想像しながら言った。


「わかった。じゃあ、あと一着だけ着る」


 真名子は、口を窄めながらそう言って、カーテンを閉めた。保は、瞳と目を合わせると、瞳は、やれやれという顔に変化している。


 真名子は、布地の少ない物を選ぶのが、苦手であった。水着、下着、ハンカチ等の小物。それら全般を苦手としていた為、瞳と叔母の力を借りて、取り繕っていたのだった。意外とポイントになる所が苦手とは、なかなか難儀な話である。

 保は、この事を知らないから、コメントに注意を払うが、瞳は容赦しないのだった。

 真名子が、顔を出した。

 この繰り返しの作業の意味は、何と無く分かるのだが、誰かに見られても良い物を、選んでいるのではないのかと、保は思った。

 真名子が、カーテンを開ける。

 保の選んだオレンジ色の水着が、ショートカットの真名子を引き立てていた。上に、白いタンクトップ、白いシャツ、白いTシャツ、白いリゾートワンピースなどなど、多分、それを変えるだけで雰囲気は変わるだろう。それならば、真名子も選び易い筈だ。


「良いと思うよ」


「真名子に、合っていると思うよ」


 二人の言葉が続いた。


「あっ、可愛い」


 女性の店員も参戦した。それはそうだろう。試着室前で、色々としているのだから、近づいて来ない店員の方が少ない。

 真名子は、その言葉を聞いて鏡を見ると、二人の方へ振り返る。


「これにする」


 一言だけで、真名子はカーテンを閉め、着替え始めた。

 この店の店員は、良い仕事をしたといえるだろう。最初から、小判鮫のように付いて回るのではなく、最後の決めの言葉だけであるから、実に買い易い。服飾系の店の店員は、会計と商品管理、最後の決めの言葉だけで、後は、客側の好きにさせるべきかもしれない。

 真名子が、試着室から出て来ると、籠に入った水着を、先程とは違う店員に渡した。水着を元のようにするのは、店員に任せた方が早い。変にもならないから、かえって、店の為にもなる筈だ。

 あのオレンジ色の水着を、真名子は、レジカウンターまで持って行った。会計を済ませると、保の所に戻って来る。


「上から着る物とかは?」


 保が聞いた。


「それは、持ってる物で大丈夫ですよ。海水が付くし、海風にも吹かれるので、普段使いは出来なくなりますが、まぁ、良いです」


 真名子がそう答えたので、わかってるなと保は思い、感心した。


 次は、瞳の水着選びである。瞳は、真名子の水着姿を可愛いと言った店員と一緒に、背中に金具の無い水着を、時間を掛けて選んでいた。


「お姉ちゃんのプロポーションがあれば、大抵の物は似合うんですけどね」


 真名子のマシュマロを(つつ)くような言葉が、保の耳に入る。


「そうだろうけど、イメージカラーみたいな、好きな色くらいあると思うけど」


 保は、弱々しく返した。


「でも、あの色を見ればねぇ」


 真名子の含み笑い付きの言葉の横を通り過ぎて、保が瞳へ視線を送ると、瞳は、保の言った色である、藍色の水着を手に持っていた。トップはシャーリング生地風で、ボトムはローライズだろう。

 瞳は、店員と別れると、二人の元へ来て、試着室へと誘導した。瞳の買う水着は、もう決まっているが、確認の為に着る人も多い筈である。

 瞳は、試着室の中へ入ると、カーテンを閉めた。


「お姉ちゃん、保さんの何処が良いんでしょうね。普通の廉価版なのに」


 横で真名子が、ぼそぼそと、保に話し掛けている。瞳のアパートでの様子と、彼氏から連絡がきた後の様子、それぞれでの発言の温度差に気がついて、自分で自分を恥ずかしく思ったからかもしれない。


「そうなんだよね。一体、何が、見えているんだろうね」


 保は保で、瞳の水着が見られるのをワクワクしている自分に気づいて、それを悟られないように、低空飛行の言葉を返した。

 瞳が、カーテンから顔だけ出した。気がついた店員が、二人、見物に来る。

 瞳が、カーテンを開ける。

 その場の、雰囲気が変わった。

 海というより空というような、瞳の風体に、誰もが、一瞬、喋れなかった。

 瞳の胸元の感じは、週間雑誌のそれを超えている。実際に見れば、こうなるのだろうか。実に、妖艶だ。

 トップは、フロントホックである分、パットを抜いているが、しっかりと形が形成されていた。それほど張りがあって、形も大きさも良いのである。

 ボトムは、白と藍色の二色で、藍色が大部分なのだが、体の横から白が見えるように作られている。

 そんな事よりも、体にできる必要なラインと、細過ぎず太過ぎない足に、目がいってしまう。足にも黄金比率がある事を、分からせてしまうほどである。お店の店員ですら、凄いという意味合いで口を開けているのだから、なかなか見れない人物なのかもしれなかった。


「良く似合ってるよ」


 保の一言で、時間が動き出すように、店員二人と真名子が褒めた。真名子は、何回見ても、慣れないらしい。瞳は、赤くなりながらも、嬉しそうであった。それを見て、保は気分が良かった。

 瞳が着替え終わり、会計をするのを、真名子と保は待っていた。

 カップラーメンの待ち時間くらい経ち、真名子のスマートフォンに反応があった。彼氏からである。顔で分かった。

 真名子は、保の横で返信を終えると、何やら保にニコニコしてから、丁度、会計が終わり、二人の元へ戻ろうとしている瞳へかけていった。二人で、何やら話をしているが、離れているから、保の耳へは入ってこない。瞳の少し困ったような顔だけは分かったが、内容までは、さっぱり分からなかった。

 時間は午後5時。

 もう、買い物は終わりだろう。すると、真名子だけが何処かへ行った。保には全く分からなかった。

 瞳が合流すると、保は聞いた。


「真名子ちゃんは、どうしたの?」


「彼氏さんに、会いに行ったんですよ。バイトが早く終わったからって。勝手ですよね。荷物は、うちで預かっといてですよ。もう、って感じです。まぁ、仕方ないですね。時間遅れたし。あの、二人きりになりましたし、ちょっと、デートしません?私、行きたい所があるんです」


 瞳の呆れ顔から笑顔までの変化が終わると、保に聞いた。保も、別段、構わなかった為、二人はショッピングモールを後にした。

 駅まで戻ると、二人は下り線に乗った。あと一駅で瞳のアパートへと帰れる駅なのだが、二人は、手前の駅で降りる。駅に備え付けのコインロッカーに、買った商品を入れると、二人は駅から歩き始めた。


「何処、行くの?」


 両手が楽になった保は、瞳の半歩後ろを歩きながら訊ねた。


「私のとっておきの場所なんですけど、まぁ、廃ビルですね。叔母の持ち物らしいんですけどね」


 歩きながら、そう答える瞳は、秘密基地へと案内する子供のような、高揚感たっぷりの顔をしている。そんな顔もするんだと、保は思った。


 喋りながら、10分ほど歩いた二人の前に、七階建ての廃ビルというには小綺麗な建物が現れた。瞳は入り口を指差すと、「行きましょう」と保の手を引いていく。保は、それに応じながら周りを見渡した。

 このビルより高い建物は無い。四、五階建てのビルが、申し訳なさそうに七つほど飛び飛びに建っていて、後は住宅が並んでいる。一番高い建物が、瞳の叔母の持ち物だという事になるのだ。叔母さんは何者だろうと保は思ったが、それ以上は考えずに、瞳の力の方へ体を流した。

 ビルの中は、埃っぽい空気が守宮と共に生活しているように薄暗い。置いていかれた物が、ドアについている窓枠からチラッと見える。埃の雪が、積もっているのが分かった。一階でこうならば、他の階も似たような物だろう。


「保さん、こっちです」


 瞳はそう言いながら、保の腕をぐいぐいと引っ張っていった。

 入り口から入って、数メートル直進すると、左側に広い廊下がある。少し先の方に、階段がある事も確認出来た。


「もしかして、あれを屋上まで登るの?」


「正解です。ここ、エレベータは無いんですよ」


 瞳が、紫陽花の雰囲気で笑った。


「早く、行きましょう」


 瞳は急かした。体力が()つかなと思いながらも、保は瞳と階段を上って行く。

 途中から、瞳はペン型懐中電灯を取り出して、二人の足元を照らした。瞳がペン型懐中電灯を取り出し時に、懐中電灯でやるであろう、お約束をして、二人で笑った。

 暗い階段は、小さな懐中電灯でも明るい。LED電球だったからか、やはり、意外と明るかった。たまに、端を動く虫が良く見えていたからでもある。

 二人は元気に、二階、三階と階段を上って行った。

 保だけは、四階あたりで少し息が切れ、五階で足が棒になりそうだった。瞳は良く上っているのだろうか。平然としていた。あの綺麗な足は、これによって作られていたのかもしれない。


「良く、平気、だね」


 保は短い言葉を、少しだけとぎれとぎれに話した。


「私、学生時代に、陸上の長距離だったので。途中からは、中距離になっちゃいましたけどね」


「だから、か」


 保は、続けて三文字が限界くらいに、息があがっている。


「後、一階分だけですから、行きましょう」


 向日葵の笑顔で、瞳が言った。保も、ここまで来て、降りる流れにはなれない。「よし」と、保は、自分に掛け声を掛けて、階段を上って行った。


 保の息切れだけが響いているが、漸く、踊り場から塔屋の扉が見えた。後、数段で屋上である。息を吐くタイミングで、一歩づつ一歩づつ、足を着地させながら、保は上った。そうやって、やっと、扉の前まで来た。瞳が、扉を開けると、保は屋上へ出る。汗で、風を冷んやりと感じた保は、鳥肌がたった。

 瞳も、保に続いて、屋上へと出た。瞳は、扉をちゃんと閉める。

 オレンジ色に、ゆっくりと、赤を混ぜたような明るい空間があった。周りは手摺で囲われているのが分かり、半分から左側には塔屋の影が伸びている。塔屋の左横には、くたびれた水槽が、年月のアルバムとして残されていた。


「後ろ、見てください」


 瞳が、言った。保は休憩していた為、瞳の声のする方を見た。塔屋の右側には、何も置かれていない。ここの屋上は、コの字のようだった。

 保は、瞳の声のする方へゆっくりと歩き、その横まで行くと、瞳の見ている物を一緒に見た。

 山と海の間に隠れていく、まん丸い夕日だった。この辺りを染めている原因だが、大きくはない。綺麗だが、少し遠い。逆に、それが、味になっているのかもしれなかった。


「おっ、良いね」


 息切れの終わった保が、瞳に言った。

 海に星が落ちたような明かりは、どの距離であっても、必ず届いてくる。


「でしょ。二人だけの秘密ですよ」


 瞳は、紫陽花の雰囲気で笑った。

 二人で、塔屋の右側へと移動して、夕日を全身に浴びながら、5、6分間、他愛無い話をしていると、突然、瞳は、屋上の広い方へと歩いて行った。夕日を見るのに、飽きたのだろうかと思い、保も、後を付いて行った。


 影と日向の境界線。もう手摺に触われる距離に、瞳は行っている。瞳が、追い付いて来た保の方へ、体ごと振り返った。瞳の顔には、影と日向の境界線が浮かび上がっている。

 保は、日向側の瞳の横に立った。身を乗り出せば、真下が見えるほどの距離に、手摺は設置されている。鉄の手摺は、ペンキが所々剥げていて、そこだけは錆びていたが、まだしっかりとしていた。


「あのね、保さん・・・」


 瞳が、何かを話し始める為の空気を、作り始めた。保も、それを察して、真面目な状態を作る。二人だけで作り上げた空間の中で、瞳が口を開いた。


「私、死のうと思った事があるんです。この場所で。飛び降りじゃなくて、首を吊って」


 瞳は、保の様子を伺った。保は、続けてという雰囲気を、瞳に返した。何を聞かされても、保は、不思議に思う事は、今は無い。瞳は、それを、笑顔で受け取った。


「ここに、手摺があるでしょう。これにロープを結んで、首にロープを掛けて、飛び降りるんです。そうしたら、自分の体重で、多分、首の骨が折れるでしょう。そうして、ずっとここにぶら下がってられるんじゃないかって。死んでも、ぶら下がってられるんじゃないかって思ってた」


 瞳の手の動きに合わせるように、保は、相槌を打ちながら聞いていた。

 烏が遠くで鳴いて、何かが屋上に響いている。

 瞳は、動きが止まり、前を向いたまま、何も気にせず話し続けた。


「着る服も、決まってるんですよ。赤いワンピース。目立つでしょう。記憶に残ると思うんです。赤いワンピースの女が、照る照る坊主みたいに、屋上から吊られていたらね。それに、誰か居ても、誰も助けられない。飛び降りたら、上からも下からも助けられない。ねぇ、馬鹿でしょう」


 保は、聞きながら「赤い照る照る坊主」を想像した。中が瞳なら、きっと、世界で一番綺麗な照る照る坊主になるだろうと思った。

 赤いワンピースが風に吹かれて、力の入っていない頭部がダラリとなり、あのプロポーションと共に、力の無い体が、少しだけ揺れ動く。必ず出る体液ですら、綺麗なのかもしれない。

 自分がズレ始めている事に、保は、気づいた。きっと、そちら側に入ってはいけないし、物理的な理屈もいらないのだ。

 振り払うように、保は、なんとか、言葉を作り上げようとしていた。自分の為だけじゃない、そんな言葉を作ろうとする。


「馬鹿じゃないよ。そう思うのは、普通の事だ。僕だって、色々考えた事はあるし。でも、そう思った後にどうするのかだと思う。そこから救われる為の理由は、自分で作らなきゃいけないから」


 保は、それだけ言った。考えは、纏まらなかったのである。誰に言っているのかさえ、保には、わからなかった。それでも、その時に、伝えなくてはいけない事が、世の中にはある。無ければならないと、言った方が良いのかもしれない。

 保の言葉と声を聞きながら、瞳は、まだ、前を向いたままだった。瞳の言いたい事は、全部じゃないらしかった。格好の悪いフライングである。

 屋上に、一瞬、強い風が吹いた。

 瞳のジャンパースカートの裾が、保の足に触れた。縋るように、もう一度、保の足に触れた。


「私、自分の事、全部知ってるんです。源さんがお父さんって事も、知らずに、お父さんと裸で抱き合った事も。お父さんに見張られている事も、叔母さんや真名子に、私の中の何かで、心配かけている事も」


 泣いた方が良いのか、笑った方が良いのか、わからないという顔で、瞳は、漸く、保を見る。


「朝は、保さんにも迷惑かけたのでしょう。様子がおかしかったから・・・」


 今度は、申し訳無さそうな顔に、瞳はなった。

 ころころ変わる顔に、保は、瞳の中が掴めない。全部分かっているとは、どういう事だろうと、保は思った。


「ちょっと待って、どうしたの?」


 保は、そう言ってはみたが、言葉が続かない。急に真名子の顔が浮かんで、苦し紛れに笑いながら、取り繕う為に考えたが、上手い言葉が無かった。元々、嘘は下手である。


「妹が、全部、話したんでしょう」


 瞳の真っ直ぐな目に、保は、逃げ場がなくなり、折れるしか無かった。事が事だけに、誤魔化した所で、変になるだけである。溜め息というより、深呼吸に近い息を吐くと、保は、半歩だけ瞳に近づいた。手を繋げる距離に、居た方が良いと感じたからだった。


「うん、聞いているよ。最初は、びっくりしたけど、そういう人が居ても構わないと思うよ」


 声色に気をつけながら、ゆっくりと保は、声を出した。優しく、優しく。時間が流れているのか、保にはわからなくなった。さっき、出した自分の声の音を、直ぐに、忘れてしまうような感覚だった。それでも、本音は伝えなくてはならない。

 瞳は、何かを安心するような、何かに立ち向かうような、力の入れ方をしている。逃げない人を追い求めている、切ない人間みたいだった。


「保さん、私は、普通じゃないんです。普通じゃ、ないんです。普通だった頃の感覚は、思い出としては分かるけれど、私は普通じゃなくなっちゃたんです。望んでいる事は、沢山あるのに、これからどうなるのか、わからない。お医者さんは、治っているって言うんです。本当のことが、わからない」


 瞳の話を聞けば、逃げて行く人が、半分以上は居るだろう。一夜を共にしようと、それは変わらない事である。今まで、どれだけの人間が通り過ぎていったのだろう。保の様に、逃げなかった人間は居たのだろうか。

 保は、色んな感情と一緒に、瞳の横に居た。昨日、今日の簡素な出会いであれ、人と繋がりを持つとは、どんな物であろうと、持たねばならない物がある。それが、後から分かった、どう仕様も無い事であってもだ。


「それでも、保さんと、一緒に居ても良いですか?」


 駄目でも大丈夫という顔をしながらも、瞳の目は潤んでいる。こんなに遠慮している、衛星軌道上からの告白は、なかなか無いだろう。自らの気持ちの外側を廻るしか無い人間が、世の中には居る。大抵、重たい何かを背負っている者だ。


「断わる理由が、僕には無いよ。助けられたとか、そんなんじゃ無くて。ただ、今日は楽しかったから。今日みたいな日が、たまに、あれば良いなって、素直に思った」


 保の言葉を聞いた後、瞳は、手摺の方を向いた。少し上を向いている。

 保は、反応が無いのが心配になって、瞳の顔を覗き込もうとした。

 瞳も、なんとか、保の方を見ようとしていた。泣いていたって構わないと、踏ん切りをつけている。

 必然的に、二人の顔が近づいた。

 雰囲気に後押しされた、口先カクテル。

 10秒間の甘いお酒。

 二人は終わると、少しだけ照れた。

 保は、瞳が泣いているのが分かったが、もう大丈夫な気がした。


「帰ろう」


 保の言葉に、瞳は首を縦に動かした。それを見て、保は、先に扉のある方へ歩いた。二、三歩、進んだ時に、瞳が後ろから声を掛けた。


「保さん、救って・・ますか?」


 保は、体ごと振り返った。

 影と日向の境界線が、また、瞳の顔に浮かんでいた。涙のラインが、夕日に騒ついて、半分だけ輝かせている。見えない涙と見える涙みたいに。

 そう聞かれて、保は、勇気を誓う言葉が欲しいのだと思った。守る為には、普通より、一歩先が必要になる。普通ではいけないのだ。


「もちろん」


 そう言って、保は笑った。今まで、瞳には、見せた事の無い顔の笑顔である。

 その言葉の声色も、重くもなく軽くもない、勇気ある者の声だった。大切な者を守る為の声だ。

 瞳は、保の所までかけて来ると、保の右腕を抱き締めた。見つけた宝物を、大切にするみたいに、優しい力である。


「今日の晩ご飯は、何が食べたいですか?」


 瞳が、笑顔で聞く。


「冷蔵庫には、何が入ってたっけ?」


 逆に、保が聞いた。


「じゃあ、残り物でちゃちゃっとで」


 瞳が言うと、保は頷いた。だが、特別感は出す気満々の顔である。帰りに何か買おうと、保は思った。


 塔屋の扉が閉まる音がして、懐中電灯の明かりが、階段を照らした。二人で歩く道のりだけを、明るくするみたいであった。



















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