後編
「美桜」
ゆっくりと歩み寄ると、美桜は少し首を傾けて蓮を見上げる。
「また、身長伸びた?」
「どうだろう」
「それとも、制服のせいでそう見えるのかな」
ダークグレーのブレザーに、ブルーのレジメンタルタイ。
同じくブルーの格子がアクセントのズボン。
美桜と同じ高校の制服に身を包み、蓮はその隣に並んだ。
「やっぱりバスケ部に入るんでしょ?」
満開を過ぎて散り急ぐ桜の花びらの下、駅への道を二人で歩く。
「おう」
「文武両道を謳っているとはいえ、
うちのバスケ部それほど強くないみたいだけど」
「別にそんなの、どうでもいい」
「そうなの?」
蓮は隣を歩く幼馴染を見下ろしながら、にやっと笑った。
「俺が強くすればいいだけだろ」
「言ってるしっ!」
肩をとん、とぶつけて美桜も笑う。
部活が始まるまでは、あるいは部活がない日は、一緒に登校できる。
たとえその時間が持てなくても、取り敢えず同じ土俵に立てた――
蓮は、そう、少し油断していたのだ。
「おはよう」
電車に乗ると、同じ車両にいた男が美桜に声を掛けてきた。
「おはよう」
その男の強い視線が、蓮に真っ直ぐ向けられる。
夜の駅前で見かけた、例の“紳士”なクラスメートだ。
相手もこちらに気付いたのか、スッと目が細められた。
蓮は臆することなく、その視線を受け止める。
「彼は?」
「今年うちに入学した、幼馴染なの」
「そう」
小さく会釈すると、男は鷹揚に頷いて見せ、
次いで、あっさりとその場から蓮を切り離した。
「ところで、明日の課題テストだけど……」
新入生にはわからない話題を、二人は熱心にやり取りし始める。
――同じ土俵に立つだけではだめなのだ。
それをはっきりと目の前に突き付けられたようで、蓮は奥歯を噛みしめる。
しかし、美桜はといえば。
そんな“紳士”の思惑などまるで気付きもせずに、
蓮ににっこりと微笑みかけるのだ。
「新入生も、直ぐに一泊二日の勉強合宿があるでしょ?」
「うん」
「それ、ちゃんと取り組まないと、
あっという間に置いて行かれちゃうからね」
「わかってる」
「事前に渡された課題、終わらせてある?」
「当たり前だろう」
くくく、という笑い声と共に、男が皮肉っぽく口にする。
「君たちは、姉弟みだいだな」
美桜の顔が少し強張った。
蓮がそのひとつの学年の差を気にしているのと同じかそれ以上に、
実はこの幼馴染もそれを気にしている。
「美桜を」
だから蓮は、敢えてその挑発に乗った。
「ただの姉にしておくなんて、そんなもったいないことはしない」
「へ?」
ぽ、と顔を赤らめた美桜が、
動揺したのか電車の揺れにバランスを崩して、
蓮の胸元に倒れ込んで来た。
その身体を支えながら、牽制するような視線を男に向ける。
負けるつもりは、端から全くなかった。
* * *
バスケ部に入り朝練が始まると、美桜と一緒に登校する機会は減った。
それでも、バドミントン部に所属する美桜とは、
体育館で顔を合わせたし、どうかすると一緒に下校することが出来る。
「お疲れさまー」
床のモップかけを終え、ボールの片付けをしていると、
一年の女子マネが声を掛けてきた。
蓮には男子バスケ部における女子マネの必要性がわからない。
雑用という雑用があるわけでなし。
スコアだって、手が空いている者が出来るはずだ。
ついこの間まで、そんなもの無しにやってきただろう?
うっかりそんなことを漏らした時、一緒に入部した仲間たちは強く主張した。
曰く、モチベーションが全然違うだろう! と。
「「「お疲れっ!」」」
それに応える友人たちの弾んだ声に、蓮は肩を竦める。
なるほど。
先程まで、ダルダルに振る舞っていたくせに、
一瞬にして何かのスイッチが入ってしまう、とか。
「そういえば蓮君、中学の時、全国に出てるんだって?」
女子マネの問いに、隣にいた友人が身を乗り出す。
「そうそう。しかもコイツ、そん時のチームのキャプテン」
何故お前がそんなに張り切って答えるんだ。
彼女の瞳に宿る、好奇心よりも些か厄介なものの存在に気付いて、
蓮は眉を顰めた。
「全国に出られたのは、チームのメンツが良かったから。
で、キャプテンだったのは、たまたま」
「でもそれじゃ、夏いっぱいバスケで潰れたんでしょ?
それから受験勉強に本腰入れて、ここに受かったとか、凄いね!」
体育館の入り口に、やはり部活を終えた美桜の後ろ姿が見えた。
今日は、一緒の電車に乗れるかもしれない。
「そうかな。まあ、俺には女神がついていたから。
おい、先に行くぞ!」
女神って何だよ! と騒ぐ友人たちをその場に残し、
蓮は部室へと急いだ。
「蓮君!」
校門を出た所で、美桜に追いつこうとした蓮は、
呼び止められて振り向いた。
女子マネが、慌ててこちらに駆けてくる。
「よかった、追いついた。一緒に駅まで帰ろう!」
ちらと、視線を向けると、美桜は胸元に小さく手を上げて足早に去っていく。
曖昧な自分たちの関係は、第三者がちょっと介入しただけで、
こんな風に簡単に距離が出来てしまう。
その後ろ姿を目にしながら、彼女は躊躇いつつもこう尋ねた。
「ねぇ、蓮君。よくあの女の先輩と一緒にいるじゃない?
あれは……あのヒトは、蓮君のなに?」
「……それ、君に関係ある?」
「関係はないかもだけどっ!」
キッと向けられた眼差しは思いの外真剣で。
「気に、なるんだもん……」
女子マネはそう呟いて、頬を赤く染めた。
蓮はため息を吐く。
寄せられた好意には応えられない。
「……俺が、バスケを始めた理由」
「え?」
「そういう、ヒト」
蓮はそれ以上の問いを拒むように、にっこり笑う。
「悪い。急ぐから」
まだ何か言いたげな彼女に、じゃあ、と手を上げ、
美桜を追って走り出した。
「何で、先に帰ったんだよ」
「だって、女の子に呼び止められていたじゃない」
電車を降りたところで追いついた美桜と、
まだ薄らと明るい空の下を肩を並べて歩く。
「そうだけど……」
俺が一緒にいたいのは美桜だ――
そう続けようとした言葉を、妙に明るい声が阻む。
「蓮は、ほら、とっても人気があるし。
うちの部でも、蓮のファンの子、結構多いのよ」
「……だから?」
「だから、単なる幼馴染なのに、あたしなんかと一緒にいると誤解さ……」
「美桜」
蓮はつと足を止め、それを遮った。
「俺が、なんでバスケ始めたか知ってる?」
数歩先で美桜も足を止め、振り返る。
「……ううん」
「でっかくなりたかったから」
「なんだそれ」
「でっかくなって、美桜の隣に堂々と立てるようになりたかったから」
ぷ、と噴き出した美桜は、しかし次の瞬間、
真剣な蓮の表情に目を瞬かせた。
「小学生のチビなガキンチョは、美桜の隣で、美桜は自分のものだって、
皆に言えるようになりたかった」
蓮はゆっくりと距離を詰め、その顔を見下ろす。
「でっかくなるだけじゃダメなんだって、もちろん今はわかってる。
いつかちゃんと、美桜の隣に相応しくなりたいと思ってる。
他のヤツのことなんて、どうでもいい。
俺が欲しいのは、昔も今もこれからも、美桜だけだ」
目を瞠ってそれを聞いていた美桜が、首筋から朱に染まった。
「……でもそれは、ずっと近くにいたから、
そうやって思い込んでるだけなんじゃないかな。
あたしは、ほら、
蓮がそんな風に一生懸命追いかけるような女の子じゃないよ。
ただの幼馴染でしか……」
「俺は、美桜のことをただの幼馴染だなんて思ったこと、一度もない」
物心ついたころから、
蓮にとって美桜は当たり前で、尚且つ特別な存在だった。
その隣はいつだって蓮の場所だったし、
その手はいつだって蓮のために差し出された。
だからこれからも、美桜の隣は蓮のための場所であり続けてほしくて――
「好きだ、美桜。
幼馴染って言葉で、俺を遠ざけるようなことをするなよ」
蓮は美桜の腕を取り、そっと引き寄せる。
覗き込んだ瞳は、様々な感情を映すように揺れていた。
「だって……だって、蓮は、蓮なのに、
だんだんあたしの知っている蓮じゃなくなっていくみたいで。
いつか……」
美桜の手が、ぐっと蓮のブレザーの胸元を握り締めた。
「いつか蓮は、あたしを追い越して、
あたしの手が届かない所に行っちゃうんじゃないのかな」
蓮は、ブレザーを握る美桜の手に、自分の手を重ねる。
そんな風に不安になるほどに、蓮のことを想ってくれている、と
自惚れていいのだろうか。
「だったら、ちゃんと捕まえていろよ。
俺が、美桜のものだってことを忘れないように」
蓮はゆっくりと身体を折り、美桜の唇に口付けた――
* * *
「“必ず追いつくから、絶対待っていろ”って、言わないんだ」
二年後の春――
卒業証書が入った筒を、こちらに向けて、
隣に並んだ美桜がくすっと笑う。
蓮はポケットに手を突っ込み、赤らんだ頬を隠すように少し顔を逸らした。
「あれはっ!
あの頃、美桜は俺のことなんか全然眼中になかっただろう?
だから、そうやって美桜を引き留めておきたかったというか……」
三月の日差しは確かに春を感じさせるものだけれど、
蓮の茶色い猫っ毛を乱す風は、まだまだひんやりと冷たい。
「そんなことないよ」
「――え?」
「ずっと、蓮はあたしにとって特別だったよ」
前髪を掻き上げながら美桜に視線を向けると、
俯き加減で頬を赤らめている。
「特別で大事なものだから、失くすのが怖かった。
付き合ってる今だってそう……ううん、今だから尚更、かな」
蓮が手を差し出すと、美桜の手がそっと重なった。
四月から大学の英文科に通い始める美桜とは、
また、別々の場所で、別々の時間を過ごすことになる。
――そして。
この先自分が、ただ単純に美桜を追いかけていく、
というわけにはいかないことも、わかっている。
美桜には美桜のやりたいことがあり、蓮には蓮のやりたいことがある。
あるいは、やらねばならないことが。
いずれ、時間や物理的な距離を置くことだって――
手の内にある細い指先を、少し強く握る。
躊躇いつつも口を開こうとした時、徐に美桜が言葉を継いだ――
「――あの時ね。
“約束しろ”って言われて、嬉しかった。
だって、あれは蓮のあたしに対する“約束”でもあったんだもの。
だから、今度は私の番」
蓮の手をするりと離れて、美桜が目の前に立つ。
「蓮の隣は、あたしの場所だと約束して。
これから先、蓮がどこに行こうとも、
そこをあたしのために空けておいてくれるなら、
蓮は、蓮の思う通り、やりたいことをやりたいようにやればいい。
――関西の大学にだって、行けばいいと思うよ」
「何で、それを」
「ドッグイア。
大学の学部案内のページ、無意識に折ってたんでしょうけど。
それから、立ち読みしていた赤本。
部屋にあった大学のパンフレット。
時々話していた、進みたい学部の話。
自分の好きな人のことくらい、それなりにわかるよ」
「参ったな……」
蓮はふっと苦笑する。
美桜の側にいたい。
だけど、蓮が学びたいことを理想的な環境で学べるのは、
関西にある大学であった。
“待っていろ”というにはあまりにも遠くて、あまりにも長くて、
あまりにも我儘だと思っていた。
もちろん、一年後に受かるかどうかはわからない。
でも、もしかしたら美桜のためには、
このタイミングで一度手を離すべきなのかも、と。
――それなのに。
美桜はいつだって、蓮が必要としている言葉を、
必要としている時に、惜しげもなくくれるのだ。
蓮は、一瞬空を――春の柔らかな青を湛えた空を仰いでから、
幼馴染を真っ直ぐに見据えた。
「俺の隣は、美桜のものだ。
当たり前だろう?
そのために俺は今まで頑張ってきたし、
これからだってそうであるために頑張るんだから」
「ならば、よし!」
美桜は、ふふ、と笑って、くるりと背を向け歩き始めた。
ここ暫くの蓮の悩みなど、まるで知る由もない軽やかな足取りで。
「――美桜っ」
呼びかけると、肩越しに幼馴染が振り返る。
「約束しろよ、待ってるって。
必ず迎えに行くから、絶対待っていろよっ」
「――え?」
きょとんとする美桜に、蓮は声を張った。
「くっそ、一世一代の申し込みをしているんだっ!
美桜の隣を、ずっと俺のために空けておけって言ってる。
俺の隣をキープするってことは、そういうことだろう?」
それから、真っ赤な顔をして立ち尽くす幼馴染に向かって、
力強く一歩を踏み出した。
最後の部分を何度か書き直したりして、UPが遅れてしまいましたm( )m




