十五時間目
「伊集院さん」
「はイっ」
お昼休みに寿人が2組に入ってきた。
誰に用があるのだろうと思っていたら自分の名前を呼ばれたので雨理は声が裏返ってしまった。咳払いをひとつし、
「九条くん、わたくしに何かご用?」
「うん。今日の放課後、ちょっと付き合ってくれないかな?」
胸が高鳴る。しかし悟られたくないので雨理はすまし顔で応えた。
「別に、構いませんけど?」
「ありがとう。じゃあ、放課後迎えに来るね」
「わかりました」
爽やかな笑顔を残し、寿人は1組に戻っていった。
雨理は反対側のドアからお手洗いに急行した。
個室に鍵を掛け、胸に手を当て、深呼吸する。心臓がばくばくしていた。
こんなに動揺している自分をクラスのみんなに見られるわけにはいかない。
(ズルイですわ)
下唇を噛み、雨理は心の中で抗議する。
フッた相手に、あんな優しい笑顔を向けるなんて。
こっちは忘れようと頑張っているのに。
もし、やっぱり付き合ってくれなんて言われたらどうしよう?
(そうね……まずはわたくしのプライドを傷つけた報いを受けてもらわなければ。たくさんなじって、九条くんが泣きそうになったら優しい言葉をかけてやるんですの。アメと鞭みたいに。それで主従関係は成立ね)
うふふふ…と漏れた黒い笑い声を、お手洗いにきた他の女子たちが気味悪がっていた。
***
放課後。
真琴と美咲は夕吾に指定された視聴覚室に向かっていた。
「うーん、正直気が進まないかも」
「どうして?」
「だって犯人の子もいるんでしょ?面と向かうのちょっと怖いし……」
「私は、第三者の勝手な意見かもしれないけど、犯人の子にはマコっちゃんにしっかり謝ってほしい。
もし逆ギレされたら私が倒すから、任せて」
「倒さなくてもいいけど……心強いわ」
二人は間もなく視聴覚室に到着した。
一回深呼吸し、真琴は覚悟を決めてドアを開けた。
「よ」
夕吾が片手をあげて真琴たちに挨拶する。
室内にいたのは2人。
夕吾と、雨理だった。
真琴の表情がこわばる。
できれば、知った顔を見たくなかったからだ。
「伊集院さんが犯人だったのっ?」
「は?なに言ってらっしゃるの?」
いきなり食ってかかろうとする美咲を夕吾が慌てて止めに入った。
「ストップ、ストップ!椎名落ち着いて。順を追って説明するから」
「朝野くん、なんですのこれは。わたくし、あなたたちみたいに暇じゃないんですのよ?」
イライラした様子の雨理を夕吾がなだめる。
「伊集院さん、悪い。頼むからもうちょい待って。あとひとり来るから」
「全く……」
気まずい時間が流れる。
数分後、ドアが開き、ひとりの男子が中に入ってきた。
真琴や美咲が「?」マークを浮かべる中、雨理だけが「!」みたいな顔をした。
「亜蘭。どうしてここに?」
「…………」
雨理にアランと呼ばれた男子はむすっとしていて、何も答えなかった。
ブロンドの髪に、青い宝石みたいな目。彼の容貌は彼女のそれによく似ていた。
(あ、もしかして弟さんなのかな?)
真琴がそんなことを思っていると、夕吾が口を開いた。
「全員揃ったな。じゃあ、今回の件について説明します」
***
『某月某日。晴れ。
九条くんに告白した。フラれた。
彼は他に好きな女の子がいるそうだ。
それなら仕方ない。私は大人だから、理解のある女だから、大丈夫だ』
『某月某日。晴れ。私の心は雨。
九条くんのことが諦めきれず、誰が好きなのか問いただした。
彼は1組の中村さんが好きなのだそうだ。あんな八方美人のどこがいいの?
私はずっと九条くんひとすじなのに。
でも、仕方ない。私は大人だから、面倒くさくない女だから、キッパリ諦める。髪もバッサリ切った』
***
夕吾が説明を終えると、視聴覚室になんともいえない空気が流れた。
控えめに挙手した美咲が発言権を行使する。
「えっと……つまり、伊集院さんの日記を読んだ弟さんが、マコっちゃんを逆恨みして……?」
「…………」
亜蘭は小さく頷く。
次の瞬間、乾いた音が響いた。
雨理が亜蘭の頬をはたいたのだ。
頬を抑え、驚いた顔をする亜蘭に雨理は激昂した。
「誰が……誰がこんなことしてって頼んだのよ。亜蘭、あなた自分が何したか分かってるの?人の物を盗むのは犯罪なのよ?こんなことしてお姉ちゃんが喜ぶとでも思ったの?ねえ、答えなさい!」
「…………ボクは」
沈んでいた亜蘭の表情に、変化が訪れる。
「ボクは、お姉ちゃんの長い髪が大好きだったんだ」
彼は真琴を睨みつけた。天使のような顔の造形が悪魔のように歪んでいて、真琴は背筋が凍った。
「お前のせいで、ボクのお姉ちゃんは髪を切った……お前のせいだ………お前がいなければ、お姉ちゃんは髪を切ることもなかった。泣くこともなかった………全部、お前のせいだ!」
「亜蘭!」
憎悪を吐き出す亜蘭の頬を、雨理はもう一発はたく。
「伊集院さん。もういいよ」
泣きそうな顔の雨理に声をかけたのは真琴だった。
「良くないですわ。亜蘭、中村さんに謝りなさい。土下座して謝りなさい」
「イヤだ。絶対にイヤだ!」
聞き分けの悪い弟に、プライドの高い姉がとれる行動は。
「そう。じゃあ、よく見てなさい」
掃除の行き届いていない床に膝をつき、手をつき、おでこをつけることだけだった。
余りのことに誰も動けず、誰も口を開けない。
静かに流れる時間の中で、雨理は真琴に謝罪した。
「この度は、わたくしの愚弟が多大なるご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
凛とした声、凛とした態度で。
へりくだらず、卑屈にもならない雨理に真琴はこんな状況ではあったが、
(伊集院さんと友達になりたいな)
そんなふうに思った。
「えっと……はい、許します。亜蘭くん、素敵なお姉ちゃんがいて羨ましいよ。あたしは、ひとりっこだから」
真琴はそういって微笑み、顔をあげた雨理に手を貸し立ち上がらせると、緊張の糸が切れたみたいに亜蘭は泣きだし、雨理は彼の頭を優しく撫でたのだった。
***
ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ…♪
ゲイームオウバー!
「もう引退する」
「朝野、どんまい……そろそろ帰ろうぜ」
ゲームセンターを出て、アーケード街を歩きながら寿人が言った。
「中村さんの件、解決したみたいだな」
「ああ。メールで報告した通りな。九条のおかげだぜ。でも、ほんとに言わなくていいのか?おれひとりが頑張った感じに思われるのは……」
「いいっていいって。つーか伊集院さんの日記のせいで俺の気持ち完全に中村さんにバレちゃったんだよな。明日からどんな顔して会えばいいんだ……」
「あ、九条顔赤い!このすけべっ」
にやにやする夕吾の肩を寿人は小突いた。
今回の事件の功労者は間違いなく寿人だ。彼がいなければ夕吾は美咲から相談を受けた時、解決の手立てを見出すことができなかった。決断力や行動力、ありとあらゆる要素で、自分は寿人に遠く及ばないなと夕吾は思った。
「まあ、今回は俺にも責任あったしさ」
「ああ、なるほど……」
「伊集院さんには悪いことしたなって思うよ」
「仕方ないべ。自分の気持ちに嘘はつけないもんな」
自分に言ったのか寿人に言ったのか分からない台詞だった。
「なあ、朝野」
「おう」
「いや、なんでもない」
「変な奴」
なんとなくだが、寿人が何を言いたいのか分かった。
だが夕吾は確かめなかった。
それを確かめてしまったら、大切なものが壊れてしまう……そんな気がしたからだ。




