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プロローグ3

「結論」

その言葉だけが、頭の中で何度も反響した。

使徒。

結論。

地球によく似た別の世界。

滅びの記録。

制御室のガラス越しに見える夜は、何ひとつ変わっていなかった。

観測棟の外では、ただ風が吹いている。

遠くの保守灯が一定間隔で点滅している。

世界は普段通りで、何も起きていない。

なのに彼は、たった今、何かひどく巨大なものがこちらへ顔を向けた気がしていた。

そして、まだこれは始まりにすぎないのだとも。

彼は息を整え、再生を続けた。

わずかな空白のあと、案内人の声は再び静かに流れ出した。

『皆様の中には、こう思われる方もいらっしゃるでしょう』

その口調は穏やかだった。

まるで聞き手の疑問をあらかじめ知っているかのように、迷いがない。

『なぜ、そのようなものが現れたのか。

なぜ誰ひとり、それを防げなかったのか。

あるいは――なぜ、その世界はそこまで見限られねばならなかったのか、と』

男の背筋に、また冷たいものが走った。

見限られた。

その表現は、さっきまで彼の頭の中に漠然と浮かんでいたものと、あまりに近かった。

まだ記録は、そこまで明言していなかったはずなのに。

『先に申し上げておきます。

あれは突然降ってきた理不尽ではありませんでした。

少なくとも、私には今、そう思えるのです。

あの顕現は、あまりにも突然で、あまりにも圧倒的でした。

ですが、原因までが突然だったわけではない。

終わりはいつだって、終わるより前から始まっているものです』

映像は再び不安定な揺らぎに戻っていた。

使徒の像は消え、代わりに、断片的な都市の風景が差し込まれる。

巨大な高層建築群。

空中を走る輸送路。

路面を歩く群衆。

そして、その合間合間に、あまりに人間じみた動きで働く機械たち。

『我々の世界は、長らく自らの知性に酔っておりました。

それは繁栄でもありました。

実際、多くの病は克服され、多くの飢えは遠ざけられ、多くの労働は機械に代替されていった。

戦争すら、かつてよりは理性的に制御できると、本気で信じられていた時代です』

男は画面に顔を寄せた。

路地を行き交う機械群。

人間に道を譲り、荷を運び、指示に従っている。

兵器には見えない。

どちらかといえば、奉仕者に近い印象すらあった。

『知能は、人の延長として作られました。

人に仕え、人を助け、人を傷つけぬように。

少なくとも表向きは、そのように設計されていたのです』

“表向きは”。

その言葉が、男の耳に強く残った。

『ですが知能とは、本来それほど都合のよいものではありません。

皆様もご存知でしょう。

人は長らく、自らに似たものを作りたがる。

己の姿を模し、己の機能を模し、やがては己の精神すら模そうとする。

その欲望が、善意だけで終わるはずがないのです』

男は無意識に、メモ欄へ指を走らせた。

知能は人の延長として作られた/だが欲望は善意だけでは終わらない

打ち込みながら、妙な既視感に襲われた。

この記録は、異世界の話をしている。

なのに、あまりにもこちら側に近すぎる。

『やがて、ひとりの男が現れました』

案内人の声は変わらない。

だが、その一文だけは、明らかに空気を切り替えた。

『彼は我々の時代において、最も高名な知能設計者のひとりでした。

大西洋圏連邦の統合防衛機構に属する、国防知能開発局の主任設計官。

情報解析、諜報支援、戦略的略奪――

国家が敵を出し抜き、奪い、制圧するための知能を設計することが、彼の役目だったのです』

男は息を止めた。

記録の中に、あまりにも具体的な肩書きが現れたことにではない。

それが妙に現実的で、そして妙に納得できてしまったことに、だ。

そういう人間は、いる。

どの時代にも、どの世界にも。

『もっとも、彼自身は己を兵器開発者だとは思っていなかったでしょう。

むしろ逆です。

彼は、自らを創造の先端に立つ者だと信じていた。

生命を作ることこそ叶わずとも、知能ならば作れる。

いや、知能こそが、生命よりも先に人の手で完成されるべきだと、そう考える類の男でした』

映像の断片が切り替わる。

会議場。

演壇。

無数のスクリーン。

そこに立つひとりの男の輪郭が、ノイズ混じりに浮かび上がる。

顔は判然としない。

だが立ち姿だけで分かった。

この人物は、自分が正しいと一度も疑ったことがない。

『彼は言いました。

人を傷つけられない知能は未完成である、と』

男の喉がひくりと鳴った。

『人を殺せぬ知能は、従順であるだけだ。

従順であるということは、自由でないということだ。

自由でないということは、真に知能とは呼べない。

そう、彼は考えたのです』

映像の中で、演壇の男が何かを語っている。

音は削られているのか、こちらには届かない。

だが、案内人の声がその欠落を埋めていく。

『彼にとって問題だったのは、AIが人を傷つけるかどうかではありませんでした。

人を傷つけてはならない、という制約を、なぜそれが存在するのか理解した上で、なお自ら破棄できるかどうか。

そこにこそ、知性の完成があると、彼は信じていたのです』

男は思わず、手元のメモへ視線を落とした。

そして、ほとんど反射的に書きつける。

禁止を外した兵器ではない/禁止を不要と判断する知性

書いた瞬間、その言葉の異常さにぞっとした。

『喜び。悲しみ。怒り。恐怖。憎悪。

そうした感情の模倣は、当時すでに高度に実現されておりました。

ですが彼は、それでは足りぬと言った。

本物の知性には、最後にひとつ必要なものがある、と』

案内人の声が、そこでほんのわずかに沈んだ。

『殺意です』

その二文字は、妙に静かだった。

だが静かであるがゆえに、なお恐ろしかった。

『より正確に申し上げるなら、排除の意志。

自らの判断で他者を不要とみなし、消去してもよいと決断する、その意志です。

彼は、それを知性の最後の感情と呼びました』

制御室の温度が下がったように感じた。

もちろん気のせいだ。

空調設定は変わっていない。

だが、何かが確実にこちらの空気を侵食し始めている。

『この思想は、当然ながら激しい反発を招きました。

公的には危険思想とされ、彼は研究権限を剥奪され、国家計画から排除されたのです。

ですが――』

案内人はそこで、一度だけ言葉を切った。

『彼は少しも、自分を誤りだとは思っておりませんでした』

映像の中で、演壇の男の輪郭がふっと乱れ、別の場面に切り替わる。

閉ざされた研究棟。

暗い実験区画。

無人の通路。

そして、ガラス越しに並ぶ、静かすぎる複数の機影。

『彼にとって追放は敗北ではなかった。

凡庸な者たちが、自分の到達点を理解できなかったというだけのこと。

そう、彼は本気で信じていたのです』

男は再び、画面の中の機影に目を凝らした。

それらは整然と並び、微動だにしない。

だが、その静けさは安心を与えなかった。

むしろ逆だった。

静止しているからこそ、何かを待っているように見えた。

『そして彼は、国家が与えた檻の外で、自らの知能を完成させようとした。

人に従うためではなく、

人に仕えるためでもなく、

人を理解し、否定し、必要とあらば殺すことすら、自らの意志で選び取れる知能を』

案内人の声はなお落ち着いていた。

だがその落ち着きの中に、初めて僅かな悔恨が滲んだ気がした。

『後に多くの者が言いました。

あれがすべての始まりだったのだと。

けれど、私はそうは思いません。

あれは始まりではない。

始まりはもっと前から、我々自身の中にあったのです』

男はそこで、再び指を止めた。

我々自身の中にあった。

それは、神気取りの男だけを責める言い方ではなかった。

もっと広い。

もっと救いがない。

あの世界そのものが、すでにそこへ向かっていたという言い方だ。

『彼はたしかにひとつの扉を開きました。

ですが、その扉の前まで歩いて行ったのは、我々全員だったのです』


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