第2章 手を伸ばし続けた者
季節は二月も終わりに差し掛かり、僕が先輩の告白に応えられないと伝えてから一ヶ月が経っていた。先輩は今まで通り接してくれるけど、やっぱり僕の胸は痛む。僕がわかりやすい人間だからなのか、そのことでつい先日先輩から言われたことがある。
「陽ちゃん、気にしなくていいんだよ?あれは私なりのケジメでもあったんだから。でも、もしそれでも胸が痛くなるって言うんなら、その気持ちを大切にしてあげて。前にも言った通り、それがちゃんと人間である証明になるんだから!」
そう言ってニカッと笑った先輩は眩しく見えた。先輩はいつも僕の心を軽くしてくれる。この痛みは、肉体的な痛みを感じられない僕が唯一感じられる痛みでもあるから、先輩の言うとおりこの気持ちを抱き続けることが、僕が人間である証明にもなるのかもしれない。だから……この痛みを大切にしていこうと思う。そうすると僕も、先輩とのコミュニケーションのぎこちなさが段々取れていくような気がした。
そんな先輩だけど、今日は家に海月を呼んでお泊まり女子会をするらしい。思いがけず一人の時間ができた僕は、僕は翔を誘って居酒屋に来ていた。たまには男二人でじっくり話すのも悪くないし、先輩との間にあったことを話したかったんだ。
「そうか…………まぁ、当事者同士が納得しているんだから、俺が何か言うのもおかしいけどよ…………良かったんだな?」
「うん。先々のことを考えたら……こればっかりは、他に選択の余地がなかったと思う。」
「そっか……わかった。じゃあこの話はこれで終わりだ!じゃあ傷心中の陽太くんのために、今日は俺が奢ってやるよ。」
「ホント!?ありがとう!でも、傷心中って言われたら素直に喜べねー。」
僕たちらしい他愛もない話で翔と笑い合う。ずっと一緒にいたはずなのに、この感じも凄く久しぶりな気がするな。
「なんか久しぶりだよな?お前と2人だけで、こうやって笑いながらメシを食うのも。」
「あー、言われてみれば確かにそうだな。俺たちだけで最後に行動したのって、もう半年以上前か。」
「半年っていうと…………そっか、もう痛覚を失って半年以上も経つんだ。ハハハっ、あれから2つも代償を払ったし、その後に始まりの代償まで発覚しちゃったから…………そんなに経っていないはずなのに、随分と昔に感じちゃってたね。」
こうして見ると、本当に僕は色々と失ったんだなと実感する。狂えなくなり、足がもつれるようになり、味覚の一部が鈍くなった。そして、右目を失明してからは大きな代償のみになり、痛覚を失い、嗅覚が鈍って、そして左手の存在感を失った。そしてその存在感の消失は徐々に進んできている。今この瞬間も。
「…………なぁ、前にも夢の話は聞いたが、左腕は今どのあたりまでなんだ?」
「左肩だよ。まさかストーリーテラーが夢に出るようになるだけで、勝手に代償が進むなんてね。」
でも、と続ける。
「不思議と、ストーリーテラーの事を憎めないんだ。普通なら元凶に憎悪を抱くんだろうけど……何かその感情を持つのは違う気がするんだよね。」
「…………やっぱり俺には理解ができないな。何でそう思うんだ?」
「夢で段々形がハッキリしてきているからこそ、直感的に思うことがあるんだ。確かに海月を巻き込んだことは許せないし、文献通りならこれまでに沢山の人を苦しめてきたんだろうけど……とっても辛くて悲しそうな気がしたんだ。だから、アイツには何か、僕たち人間で遊ぶ以外に別の目的があるんじゃないのかなって。それに、結果論だけど誰も何事も無かったことになってるしね。」
「ハァ…………。だからその自分を勘定に入れない考え方はやめろって言ってるだろ。聞いてるこっちが悲しくなってくる。」
「う………………ゴメン。」
翔に指摘されて「またやってしまった」と思う。家では海月に、外では翔に、最近では先輩からもこういった指摘を受けることが増えてきた。もう無意識で自分の優先順位が低くなってるような気がする。いつまで経っても矯正できない己の思考に対して深い溜息をついていたら、フッと翔が笑う。
「まぁでも…………お前らしくはあるよな。」
「え?どゆこと?」
「お前が扉の向こうで言ってた先輩の言葉通り、人間的な本質は何も変わってないってことだよ。どこまでいってもお人好しで、ストーリーテラーにも事情があるんじゃないかと、手を差し伸べる対象だと思ったから純粋な敵と見られない。そんな、誰彼構わず助けようとするやつだから、俺も、お前のその優しさに救われたんだろうな。」
そう言った翔は向かい合った席から身を乗り出し、右拳を僕の心臓の上にのせる。
「お前は……自分の中にあるその気持ちを最後まで信じろよ。そして後悔だけはするな。その選択の先に何があっても…………俺はお前を見ててやるから。」
「……フフッ。おう!ありがとうな、翔!」
翔の気持ちのこもった言葉が嬉しくって、僕はニカッと笑う。たまには、こうして男二人、静かに本音をぶつけ合うのも悪くないなと思いながら、僕は右手で持ったジョッキを勢いよく煽った。




