プロローグ
第5幕、開幕です。
さっき陽太から連絡があった。アイツの代償がまた増えたらしく、今度は左手の存在そのものを奪われたようだ。通話を切ってから、俺は薄暗い自室で力なく項垂れる。スマホを持っていない方の手で髪を掻き毟る。あの本に書かれていた一文が脳裏に浮かぶ。
『そして存在全てを失った契約者は未来永劫その魂が救われることはなく、そこに例外はない。』
アイツはいよいよ存在そのものを削られ始めたんだ。いよいよ悪魔の代償も、最終段階に入ったと考えていいのかもしれない。最終段階…………本当にそうなのか?…………わからない。俺達には情報が少なすぎる。もしかしたら次は存在ではなく、また別の身体機能かもしれない。残った左目か?それとも耳か?いくら俺が考えたところで、結局悪魔の気まぐれ次第で代償が変わるのだろう。そもそも、いつ発動するかも不明になった時点で、俺達にはいつ何が起こり、何を取られるのか、それを正確に予測する術がない。
更にタチが悪いことに、アイツの妹も世界が変わる瞬間、そしてアイツが代償を持っていかれたことが感覚的にわかるようにされたということだ。ご丁寧に“代償はお前からしか取りませんのでご安心ください”という悪辣なメッセージと共に。あの本には、野良の悪魔はある程度世界に干渉できるとも書いていたから、アイツが妹と合流した直後に事故に巻き込まれ、セレクターが発動したのも偶然ではないのだろう。つまり、その瞬間から起きた最悪は、全て仕込まれていたと考えられるのではないか?しかし、これも結局推測の域を出ないものに変わりはない。
ここまでアイツから聞いた内容と、俺が読んだ本の内容から堂々巡りの推測をしていたが、ここで一つの違和感に気がつく。
「………………状況はハッキリ言って最悪だ。でも、さっきの電話越しのアイツの声音…………何であんなに普通だったんだ?」
さっき一連の報告を聞いた時も、アイツは既に新しい代償も受け入れているようだった。確かに妹が来て、自分の感覚を共有できる相手が近くにいるというのもあるだろう。だが、それにしたって適応が早すぎる。以前の陽太なら、痛覚を失った直後のように“心の限界から来る諦め”と言えたかもしれないが、明らかに“起きてしまったことは仕方ないから受け入れる”って感じの声音だった。
「…………何で直ぐに受け入れられる?何でアイツは、陽太は………………正気でいられる?」
力が発動する度、アイツは少しずつ体を削り取られている。俺からしてみたら、痛覚を失った時点で普通なら正気でいられないと思う。なのに何故?思考がまた堂々巡りになっていく。俺にはもう…………アイツのことがわからなくなってきた。誰よりもアイツと話してきたはずなのに。
ふと、窓を見上げる。薄暗い自室から見た外の景色には、分厚い雲に覆われた曇天の寒空が広がっていた。




