sideダリオン2
ダリオンは悩ましくため息をついていた。
朝の目覚めの爽やかな時間の始まりに、重々しい憂鬱げな主人の様子を見た若い侍従は素っ頓狂な声をあげた。
「どうしたんですか、ダリオン様」
王宮勤めの第三王子つきの侍従、マイロだ。
辺境伯の次男でまだ十代だが、大家族の末っ子のせいかものおじせず歯に衣着せぬ物言いをする。
「男前が台無しですよ。停戦の申し込みの前日にだって、そんな辛気臭い顔はなさならかったではないですか」
「停戦どころか、戦が始まってしまったような気がするんだが……」
「ええっ!? どういうことです」
心配そうなマイロに、寝起きのダリオンはゆっくりと告げた。
「灰色の瞳の天使が俺の心臓をザクザクとでかいフォークで刺してきたんだ。俺は逃げようか迷うんだが、足が動かなくて」
マイロは鼻を鳴らした。
「なあんだ。まだ寝ぼけてらっしゃるんですね。平和なことです! さ、髪と服を整えたら朝の体操ですよ。昨日フェンシングの講師が新しく代わりました。かなり腕のたつ指導者のようですよ、楽しみでございますね」
ダリオンは赤毛を困ったようにかきあげながら、均等に肉のついた両の素足を、よく磨かれた床に着地させた。
マイロはあまり真剣に取り合っていないらしい。
こちらはあまり眠れなかったほど、悩ましい気持ちでいっぱいなのだ。
「マイロ、俺はどうしたらいい」
「フェンシングをおやりになればよいのでは」
「いや……そうじゃない。もっと微妙な問題なんだ。すまん。こんなことをお前に言ったって仕方がないんだが」
「そうですか。では口をつぐみになって、その寝台から降りて準備をなさって下さい。なかなか起きて来られないものですから、もう朝食もとっくに準備ができております」
「いや、聞いて欲しいんだ」
「どっちですか……ええと、髪をとかしながらでよろしいですか。急がないと」
これではどちらが年上か分からない。
マイロは寝台の背後にまわり、ふわりと浮き上がろうとする太めの赤毛に霧吹きで水をかけた。
あの、リリスという女性の肌も朝露を内包しているように瑞々しく見えた。
透明な膜のはったようなあの瞳――。
思い出したダリオンは熱に浮かされたように頬が紅潮するのが分かった。
あのどことなく不思議で惹きつけられる女性。
彼女は自分の妻なのだ。
どことない優越感と、恐怖にも似た感情がないまぜになってダリオンを襲っていた。
「つまりだな。あの……なんだ……その、俺の……つ、妻……について、なんだが」
「はい? リリス妃についてですか。昨晩も仲良くされたのですよね」
「……いや」
さらっと初夜について言及したマイロを、ダリオンは気まずそうに見返した。
「えっ」
「俺たちは白い結婚だ、と」
マイロは竜の息吹よりも長く大きなため息をついた。
「この婚姻に白も黒もございませんよ、ダリオン様! いったい何が気に入らないのです? リリス妃が王族の血をひいているとはいえ、元平民だからですか? 見損ないましたよ。あなただけはそんなことを言わないと思っていたのに」
「そうじゃない。リリスの身分はともかく、こんなのはおかしいだろう」
「しがない辺境伯の息子の僕を、とりたててくださった恩は感じております。第三王子としてこの国を盛り立てていく。王位継承権はなけれど、王子として生まれたからには、自分は一生国民のために尽くすと、そうおっしゃったではありませんか。僕はそんなダリオン様だからこそ、おこがましくも同じ志を抱いている者としてお仕えしているのに」
「落ち着けマイロ。そういうことじゃないんだ」
ダリオンは弱ったように額をこすった。
「リリスは年齢を詐称していないか? 未成年だろうあれは」
マイロはぴしゃりと言った。
「いえ、リリス様は成人されております」
「だが、俺よりも一つ年上とあったぞ。あの純粋な瞳。子供のような無垢な様子。成人しているわけがなかろう。お前、これまで俺の会って来た令嬢たちを覚えているか? この間18になったばかりのコンテ伯爵令嬢でさえ、リリスと比べれば年上に見える。どう見ても十代だ。あのような娘に、結婚したからといって俺と同衾しろなんて言えるか?」
マイロはじっとりとダリオンの後頭部を見つめた。
どこかかわいそうなものを憐れむ目だ。
「あの、そりゃあお美しいですけれど、あってますよ。リリス妃は成人しておられますし、ちゃんとダリオン様よりも年が上です」
「それが間違っているというのだ。きちんと調べてくれ」
マイロの持っていた木櫛の歯が欠けた。
よっぽど力が入ったらしい。
「あ、申し訳ありません。分かりました。まあこれまで身辺調査を含めて、数十枚は見ていますからね、リリス様のプロフィールは……はい、とにかく急いでフェンシングに行かれてください」
こうして、夫が悩ましくも妻を想い始め、朝の運動に急かされて準備をしていた頃。
当の白い結婚の妻リリスは、ダリオンのことなどすっかり気にもせずに、歓喜に打ち震えていた。