sideダリオン
「リリス嬢。最初にはっきりと言っておく。君と俺とは白い結婚だ」
宣言したのが寝台の上なんて説得力に欠ける。だがしかし、王族の婚姻の日の流れというのは古来から変わらないもので、家令にごちゃごちゃと指示されながら慌ただしく身なりを整えて放り込まれたのだ。
それにしてもこの女性、いや少女はマズイ。なんだか非常によくない。
つるんとした黒髪と、色白の小さな丸顔。
灰色がちの瞳はしっとりとして、純朴そのものだ。
こんなに清らかな生き物を寝台に乗せるのも憚られる。
ダリオンはため息をついた。
「そもそも俺はとっくに成人しているのに……君はいくつだ。どうみたって十代の初め。子供じゃないか」
「いえ……はぁ、はい」
リリスは曖昧に俯いた。
薄化粧をほどこされた顔は幼い。
政略結婚とはそういうものだとはダリオンも思うが、これはあまりにも酷い。
こんな年端もいかない少女が異国に嫁ぐなんて。
ダリオンは心優しい青年だった。
王族の中では人道的な方である。
魔王などというあだなをつけられてはいるが、侵略するような無駄な戦はしない。
異民族に攻め入られたときに、戦いを早く終わらせたい一心で懸命に防衛戦略を立てたところ、功を奏したというだけなのだ。
ダリオンは自分が第三王子として、国家のために動かなければならないことは自覚していた。
だから、この結婚も承諾したのだ。
平和のためになるならば、異国の貴族と婚姻を結ぶなど造作もないことだ。
しかし、相手は明らかに幼い。
書類には何十回と目を通した。
というか熟読した。
リリス=ラ=フォンターヌ。
公爵姓ではあるが、つい先日養子になっている。結婚のために慌てて貴族にしたのだろう。母親は有名な踊り子だったようだ。
なるほど、娘のリリスも美しい。
しっとりとした黒髪とつややかな肌、可憐な唇はまるで、天使のようだ。
しかし、あの武帝の隠し子らしい。
王族の血をひいているというのだから驚きだ。
王宮で暮らせば皆、どこか同じような風体になる。欺瞞と虚栄にまみれて、鼻ばかり高く目はぎらつく。
しかし、この娘は全くそんなところがない。
書類にはダリオンより1つ年齢が上と書いてあった。
が、おそらく書き間違いだろう。
こんな赤子のような顔の無垢な成人女性がいてたまるか。
ダリオンは幼い瞳を安心させるつもりでこう言った。
「俺が君を『愛する』ことはない」
キョトンと灰色の瞳がダリオンを見つめた。
言葉を間違っただろうか?
愛撫と言ったほうが良かったか?
しかしそれはあまりに直接的ではないか?
淑女の前で下品ではないのか?
第三王子ダリオンは、こう見えて真面目なたちであった。
タンケー国とドクマ国は隣接しているが、少しばかり言語が違い、単語によっては語尾の発音が異なる。
ダリオンは付け足した。
「つまりは、今日この後⋯…」
初夜らしい行為に及ぶことはないという意味だ。
だが、ダリオンはいかんせん、真面目な男だった。
しかしそれはあまりに直接的ではないか?
淑女の前で下品ではないのか?
再び同じ問が頭を駆け巡った。
もちろん俺は夫婦として君を敬意をもって丁重に扱うし、不自由はさせない。
が、成人していない娘に手を出すのは王族である前に人としてどうなのか。
王族である慣例を無視して、とにかくは君を大切にしたい。
色々と言いたいことはあったが、リリスは後を引き取り、柔らかな声で、しかしきっぱりと言った。
「ええ。理解しております」
「理解」
「はい」
今日、手は出さないということをか。
成人まで大切にするという誓いをか。
にしては、やけにキッパリしている。
ダリオンはやや不思議に思ったものの、深く考えることはなかった。
この王子、戦略的な頭脳は王族きってだったが、女性方面には全くその能力が生かされなかった。
しかしながらダリオンはふと、別の点に違和感を感じた。
「その……泣いたりしないのか」
「泣く?」
リリスは少女らしく、恋への淡い憧れをもっているのではないかとダリオンは踏んでいた。
幼いとはいえ、国の運命を背負って嫁いできているのだ。
どんな手段でもいいから、王子を籠絡しろとでも言われているだろう。
本人の希望のあるなしを問わず、初夜どころか成人まで、恋人らしい接触をしないと言われたら、女性としては矜持が傷つくのではないか。
「婦女子というのは俺が何か、一つでも要望を違えると泣き出すものだと思っていたのだが。その、手を握れだの、何だの」
これまで周りにいた貴族の女性は、ダリオンが十五を過ぎたあたりからあからさまに接触してくるようになった。
それが悪いわけではないが、はまりきれないのも事実だった。
リリスは慰めるように、慎重な声音で話しかけてきた。
「いいえ、泣きませんわ。ダリオン様」
「そ、そうなのか」
「むしろ言葉にしてくださって、感謝しております」
「感謝だと?」
そんなことを言われたことなどない。
不思議な娘だ。
ダリオンはまじまじとリリスを見た。
つくづくおかしな子だ。
美しく可憐と思えば、芯がある発言をして、幼いかと思えば大人びている。
薔薇のような唇がふっくらと綻んだ。
「はい。私は今は公爵とはいえ、元・平民でございます。本来ならばこうしてダリオン様と話すことも敵わないような娘。いつ野に捨てられてもおかしくはないと思っております」
「――そんなことはしない」
思わず語気が強くなった。
しかし、リリスは平然としている。
「私は特段器量が良いわけでも、特別に才能があるわけでもございません。ですから、己をわきまえているつもりです」
ダリオンは耳を疑った。
謙遜という字はこの国の王宮の辞書にはない。
こんなに美しい、きれいな子なのに。
美貌を鼻にかけず、謙虚な娘。
そんな存在などこれまでいなかった。
その瞬間、ダリオンは己の心臓に、天使が微笑みながら矢を突き刺したのが分かった。
灰色の瞳の幼い天使が。




