白い結婚
「それでは誓いの抱擁をーー」
ドグマ国の司祭は、タンケーの様式とはいささか異なっていた。帽子を被っていないし、結婚は誓いのキスではなく抱擁なのだ。リリスはあからさまにほっとした。
第3王子とはいっても王族であることに変わりはない。
どうしてこんなはめになってしまったのだろう。
髪も丁寧に梳かれて油を塗られた。
よく睡眠がとれるようになって隈も消えた。
だが、磨かれ、ごてごてと装飾品をつけて飾り立てられたとしても、中身の自分は結局変わっていないのだ。
醜い女と結婚させられたと、第3王子が怒り狂っても仕方がない。
まあ、なるようになれ、だ。
なるようにしかならない。
半ば悟りきったリリスは、高位な修道女のような心持ちだった。
そしてリリスはこの結婚の式場で、第3王子ダリオンを初めて見たのだった。
燃えるような赤毛の美丈夫。
無表情で、凛々しい目つきは冷酷そうだ。
ひと睨みで敵が降伏する、戦場の魔王と喩えられた人であるらしい。
そのわりにはすらりとして、がっちりと筋肉がついた猛者という感じではない。
美しい、男だった。
(よりによって……)
せめて美のかけらも感じさせないようなむさ苦しいだけの男であれば、リリスの不安も少しは軽減したかもしれない。
しかし、強面といえども明らかに艶やかな、しかも案外に長身でしっかりとした身体つきの青年のようだ。
参列席で彼のファンらしい貴族の乙女たちがすすり泣いている。
これはまずい。
リリスはうつむいていたが、ふっとベールがあげられた。
無表情のダリオンが手を伸ばしてくる。
美丈夫といってしかるべき外見だ。
そっと背に手が回される。
「だ、ダリオン様があのような異国の悪女にッ……!」
「許せないわ」
「お可哀想」
拍手と野次とすすり泣きに包まれながら、リリスは全く幸せではなかったのだ。
あちらの国でもこちらの国でも悪女と罵られながら、祝福の鐘が鳴る。
そんな不幸せな婚姻の日、当日の夜である。
*
「リリス嬢。最初にはっきりと言っておく。君と俺とは白い結婚だ」
とダリオンが言い出した。
天蓋つきの寝台に二人、ばかみたいにピラピラした布地を身に着けて、ビスクドォルのようにちょこんと座っているのはどこかふざけているようだ。
「はぁ」
とリリスは気のない返事をした。
第3王子ダリオンはハァとため息をついた。
「そもそも俺はとっくに成人しているのに……君はいくつだ。どうみたって十代の初め。子供じゃないか」
「いえ……はぁ、はい」
本当のところは、リリスもきちんと成人した女性なのである。少しばかり発育不良なだけだ。小柄でやせぎすなのと化粧っ気がないために童顔に拍車がかかっていた。
というか、相手方の証明書類にそういうことは書いているんじゃないだろうか。
それだけでも、ダリオンがこの結婚を重要視していないだろうことは察せられる。
予想通り、赤毛の美丈夫は真面目な顔をして口を開いた。
「俺が君を愛することはない。つまりは、今日この後」
ダリオンはまだ何か言いたそうだったが、リリスは後を引き取った。
「ええ。理解しております」
「理解」
「はい」
つまりは、平民出身の異国のちんちくりん小娘なんてあなたには不釣り合いですよね、という他人が聞けば、後ろ向き真っ暗な意味のネガティブな理解であった。
しかし、ここにひとつの運命の誤算があった。
たくましく過酷な環境で一人生きてきたリリスは、環境に虐げられることに慣れていた。
つまりは一般的には酷い言葉も貴族としては失礼すぎる扱いも、リリスの心の奥底には簡単には到達しなくなっていたと言っていい。
そうでもなれければ生きてこれなかったのだ。
リリスは自分自身も気付かないうちに、深く考えないという生活の技量を誰よりも身に着けていた。
そのため、先の『理解』も単なる文字通りの理解である。
平民出身の異国の小娘は、ドクマ国第3王子には不釣り合いである、というだけのことである。
さらには美醜にもうるさいであろう貴族たち、好かれなくとも予想の範疇内だ。
つまりはノーダメージである。
「その……泣いたりしないのか」
ダリオンは心配そうにリリスを覗き込んだ。
「泣く?」
キョトンとしたリリスに、ダリオンは気まずそうに言った。
「婦女子というのは俺が何か、一つでも要望を違えると泣き出すものだと思っていたのだが。その、手を握れだの、何だの」
少しばかり赤面しているダリオンを、リリスは密かに可愛らしいと感じた。
きっと愛しい女性がいるのだろう。
あのさめざめと泣いていた参列席の貴族の女性たちのうちの一人かもしれない。
でも、そんなことはリリスにとって、たいした意味をもった事ではない。
リリスは慰めるように、慎重な声音で話しかけた。
「いいえ、泣きませんわ。ダリオン様」
「そ、そうなのか」
「むしろ言葉にしてくださって、感謝しております」
「感謝だと?」
片眉をあげたダリオンに、リリスはゆっくりと言った。
「はい。私は今は公爵とはいえ、元・平民でございます。本来ならばこうしてダリオン様と話すことも敵わないような娘。いつ野に捨てられてもおかしくはないと思っております」
「――そんなことはしない」
「私は特段器量が良いわけでも、特別に才能があるわけでもございません。ですから、己をわきまえているつもりです」
そう、リリスは己を知っていた。
否、知ったつもりだった。
今やボサボサだった髪は、梳られ香油を塗られて、カラスの濡羽のごとく薄く青みがかった光をはなっていた。
吹き出物と睡眠不足に悩まされていた荒れた肌も、栄養価の高い食事をとり、何度も湯船に入れられてるうちに、内部の血液さえ清くなったように瑞々しい血色を取り戻していた。
真珠を細かく砕いて表面に刷いたように艶っぽく輝く唇のあわいから、粒のそろった白い歯がちらりと見えるのがどこか禁欲的だ。
とどのつまりは、ここ何十日かの間に、リリスの身体は適切な健康を回復し、美しくなっていた。
もちろんリリスにしてみたって、鏡を見る機会は多分にあった。
だが、先入観とは恐ろしいもので、長年かかって作り上げてしまった、自分に無とん着であるという悲しい性が、邪魔をした。
自分が愛でられる存在ではないという思い込みから、このすれ違いが始まっていた。
そうでなければ、目の前のダリオンの頰がずっとほのかに赤らんでいたのにも気が付けただろう。
決定的な大誤算ーー。




