生贄の治癒師
治癒師として大聖堂で働いていたリリスは、この疲労感にあふれて平凡だが、それなりに平和で安全な生活がずっと続くものだと思っていた。
しかしある日、王宮からどやどやと十人近い客人が聖堂にやって来た。
聖堂で軟膏を調合していたリリスの小さな調剤室に入ってきた彼らは、じろじろと不躾な視線を寄越した。
「この女があのイシュタル様の……」
「ばか、言葉をつつしめ。平民とはいえ、王弟の血だぞ」
「イシュタル様の隠し子だ」
「本当にいたのか。信じられない」
リリスは眉間にシワをよせた。
「どちらさまですか?」
イシュタルという名には全く心当たりがなかった。
わざとらしく目頭を押さえ、年配の大臣が言う。
「我々は王城より参りました。リリス様、お迎えが遅くなり申し訳ありません」
「あの、私は何も待っておりませんが」
大臣はリリスの意向には頓着せず、つらつらと続きを言った。
「先の大戦で亡くなられた王弟のイシュタル様は立派な武人でした。ああ、あなた様も意志の強い同じ目をしている。間違いない」
「はぁ……」
そんなことを言われてもぴんとこない。
亡くなった母は手練れの踊り子だったらしいから、もしかしたら貴人のお手付きだったのかもしれないとはうすうす思っていた。
が、これでは相手が悪過ぎる。
まさか王族と自分が繋がっていたなんて。
(最悪だわ……)
リリスには宝石もドレスも必要なかった。
生まれてすぐに開けられた誕生石のピアスの他に、もともとアクセサリーには縁が無い。それでいて不自由も感じない。
だいいちドレスも宝石も、精油の調合には必要ないのだ。
リリスはこの聖堂の仕事に、身も心も捧げていた。
と、いうわけで、全く嬉しくない。
この降って湧いた幸運を振りかざして王族階級の仲間入りをするには、リリスは野心というものが足りなさ過ぎた。
大臣たちが口々に言った。
「我がタンケー国とドクマ国の戦争は以前終結しました。が、現在のように数年間も冷え切った関係が続くとなると、国同士良い影響はございません。かくなるうえは……誰かに、嫁いでいただくしかありません」
「ええ、王族が王族に」
「その中でも王家の血を引いていて、なおかつ現在、国政の重要な仕事に就いていない未婚の女性となると」
「そうです、リリス様に白羽の矢が立ったというわけです」
というのが彼らの言い分だった。
リリスは戸惑いながら、首を捻った。
「嫁ぐって、私はただの治癒師なのですが」
「ただの、ではありません。リリス様は王弟イシュタル殿が秘密裏に平民の女に産ませた隠し子です」
自分の母を平民の女と呼ぶ時点で、この貴族たちの道徳心は明らかだ。
リリスは戸惑いながらも反論した。
「そんなこと今初めて聞きました。証拠も無いのにそんなこと、信じられません」
「証拠ならございます。あなた様が今、身に着けていらっしゃいます」
「えっ?」
「そのピアスです。それはタンケーの王族に伝わる宝物、朝音の福音。裏に王家の紋章の鶏が刻まれているはずです」
あれは鶏だったのか。
凝った伝書鳩か何かのモチーフとばかり思っていた。
リリスは気まずそうに耳たぶを触る。
「お分かりになられましたか?」
「仰ることは理解しました。ですが」
「ですが?」
リリスはきっぱり続けた。
「私は不器量です、見てのとおり」
リリスの髪は灰色がかった黒のくすんだ巻き毛で、おまけに鳥の巣のように一本一本が縮れていた。美容に縁もなく、パサパサのままに荒れ果てた髪だけ見れば、調剤室が爆発でもしたかと思うほどだ。
さらに、仕事の忙しさから手入れをしていない肌はくすんで荒れ、睡眠不足で眼の下にはくまがあった。
もちろん化粧っ気など一つもない。
聖堂に時々やってくる貴族の令嬢とは雲泥の差だ。
ひどい格好だと、影どころか正面きって笑われたこともある。
痩せすぎた鶏がらのような細い身体は骨ばってごつごつして、お世辞にも殿方を魅了する豊満な魅力にあふれているとは言い難い。
そんな身体に加えて明らかな童顔なのだ。
丸顔にちょこんとした鼻、目ばかり大きくて、路地裏の靴磨きの少年と言っても通用するかもしれない。
リリスは客観的に己を分析し、相手を説得にあたった。
「ですから、王子様に献上するなど、失礼にあたります。私はここでお国のためにほそぼそと回復薬を作るのが一番性にあっております。先日はかなり良い出来栄えのものが」
しかし、薄汚れた白衣のリリスを頭の先からつま先までじろじろと見た男たちは、顔を見合わせて満足そうにこう言った。
「だからこそ、です」
「えっ?」
「元とはいえ敵国に、おめおめと宝石を差し出すのは……」
宝石というのが、国に何人かいる姫のことであろうというのは容易く察することができた。
彼らは言った。
善意と謀略に溢れながら。
「そう! あなた様のような方が、ちょうどいいんです」
屈曲な男たちにあっというまに囲まれたかと思えば、誘拐同然にリリスは大聖堂を退去させられた。
父親はおらず、早くに母親を亡くし、修道院で育った。
不幸中の幸いというのか、修道女の一人が親代わりのようにリリスを育て、良くしてくれた。
そんなリリスは、14歳の頃にたぐいまれな治癒能力を発揮した。見様見真似で作成した薬がよく効いて、死にかけた修道院の犬が、ぴんぴんして庭を走り回ったのだ。
それからは王国の大聖堂に引き取られ、国に流通する回復薬や聖水づくりにいそしんできた。
貴族のお嬢様方は半ば趣味のように聖堂にやってきて、慈善事業として治癒を行った。
しかし、リリスは聖堂に住んでいるのだ。
自分の時間など無い。
仕事は夕でも晩でもいつでも降って来た。
回復も手当ても、呼び出されれば行かなければいけない。
お嬢様方は昼間のボランティアだが、夜の急患にも誰かが対応しなければならないのだ。
つまり、それがリリスだった。
ろくな給金も与えられないが、その中から生活費と称した一定額が差し引かれる。
不思議と働けば働くたび、どんどん睡眠時間が減り、食事の時間が減り、肌ばかり荒れていった。
なぜか働いても働いても、多忙さは減らない。
ただし、治癒師のさがなのか、自分の健康状態がとりわけ悪化することは無かったのが救いだった。
そんな馬車馬のように働いてきた身寄りのない娘を、王族とほのかに血縁関係があるという理由で、元・敵国へと嫁がせるというのだ。
王国には姫がいないわけではないが、わけのわからない異国に嫁ぐのはみな嫌なのだろう。
そう、これはめでたい婚姻などではない。
いわば国による、人質作戦である。
タンケ―国はリリスを人質として、国同士の関係を強化しようとしているのだ。
しかし、それが分かったところでどうしようもなかった。
そこからは早かった。
タンケ―国の顔も見たことのない貴族と養子縁組をさせられ、挨拶もしないうちに公爵令嬢の末娘という身分をリリスは手に入れた。
つまりはリリスは王弟の血筋を引きながら、母親は平民で、さらには見もしたことのない公爵に引き取られて養子縁組をし、ドクマ国の王子に嫁ぐということだ。
全く、波乱万丈にもほどがある。
「あの平民、のうのうと王宮にいるわ」
「あの女、王族や大臣にチヤホヤされていい気になっているのだわ」
「どんなつもりかしら。一日中部屋にこもって、食事に出てくるときは男を誘惑するのよ。あの物言いたげなふうにわざと男を見つめて」
「ふしだらだわ」
「清楚なふりをしているのだわ」
「どうやって公爵に取り入ったのかしら」
口さがない王宮の女たちは、リリスの前でも影でも構わずに囁き交わした。
そのうち誰かが言った。
「ああいう女はだいたい相場が決まっているわ。元平民で、突然に貴族に成り上がって、男を手放しに誘惑する」
「ええ、そうに違いないわ。昔話の魔女のようね」
「ああ怖いわ」
「王族のお手つきだからって、調子にのっているわよ。母親は平民なのでしょう」
「だから異国に嫁ぐのではなくて」
「せいぜいこの国のために尽くして欲しいわ。少しでも役にたってほしいわね」
「嫁ぎ先はドクマ国の第三王子らしいわよ。戦場の魔王というあだ名がある方。きっと筋肉の塊のような、むさくるしい大男なのではなくて」
「いいえ、十も二十も離れた気難しい男かもよ。あの平民女は変に幼い顔だもの。おかしな性癖の老人よ、きっと」
「まあ。タンケ―とドグマ、友好の印の生贄ってところね」
「魔女にはお似合いだわ」
そんな陰口をたたかれながら、たった数日の間にリリスは悪女としての評判を得た。
できたてほやほやの証明書を携えて、元平民・孤児のリリスは、あっというまに飾り立てられ、立派な馬車に押し込められ、ドクマ国に移送された。
重厚で重々しい美麗な建築物に感嘆する間もなく、気付けばリリスはタンケ―国を代表して隣国ドグマの王宮にぶち込まれていた。
両国はケ○タとマ○ドをイメージして頂けたら。
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