魔動絵本8
「レイ! アイザック! 無事で良かった!」
レイが再び目を開けると、ホテルの部屋の中にいた。
フェリクスとレヴィが心配そうにこちらを見つめていたが、フェリクスの表情が一瞬で曇った。
大蛇との最後の決戦後だったので、アイザックがレイを抱きかかえているからだ。
「ただいま戻りました。心配かけてごめんなさい」
「戻りました」
「うん、お帰り。無事で良かった」
レイがただいまの挨拶をすると、フェリクスがサッとレイをアイザックから取り上げて抱っこした。そのままぎゅっと抱きしめて、無事を確認して安堵の息を吐いた。
アイザックはレイを取り上げられて、切なそうな顔でその様子を見ていた。
「一旦、ご報告してもよろしいでしょうか?」
「そうだね。もう夕食時だから、食事をとりながら報告してもらおうか」
ホテルのレストランで食事をとりながら、アイザックは魔動絵本の中で起こったことを報告をした。周りに聞かれてしまわないよう、防音結界も密かに展開している。
「ふ〜ん、呪いで改悪されて、絵本の中に魔物がね……」
「普通の魔動絵本のように、ページ移動も途中離脱もできませんでした。ただ、大蛇に水で押し流された時は、例外的にページを飛び越すこともできたのですが、前のページには戻れなくなってましたね。物語のキーアイテムも呪いで改悪されてましたし」
「護符も鉈も呪いの影響で変質してるし、後でユグドラの魔術研究所に解析に回そうか」
最終決戦後にそのまま魔動絵本から出られたため、レイは最初の山小屋で見つけた護符三枚とイビルマンキーを倒してゲットした鉈を持って帰って来ていた——通常の魔動絵本では持ち出しはできないため、あり得ないことだ。
「呪物として、絵本の範囲外のものとして認識されたのかな? 絵本外部の者が取得して、持ち主の権利が移動したからというのもありそうだね。その両方かな」
フェリクスは顎に長い指を添えてう〜んと考え込んでいたが、まあ解析に出せば分かるかもね、と食事に戻った。
「先程トビーから連絡も来ていて、カパルディア近辺の呪いの魔術師のリストを送ってもらいました。部下たちも黒い本の魔術の跡をたどって、呪い主を見つけたようです。現在、監視させてます」
「ありがとう。仕事が早いね」
「恐れ入ります」
食事が終わり、ミニケーキのアイスクリーム添えをデザートに、コーヒーで一息つく。レイだけはオレンジジュースが出された。
「今回の呪いが解析の結果、禁術が使われていたり、呪いの目的がタブーに繋がるようなものであれば、処置を講じることになるよ。レイはアシスタントだけど、付いて行くかい? 向こうに手出しはさせないし、レイが手を下すことはないけど」
フェリクスが、そのとろりと蜂蜜のように濃い黄金眼で、真っ直ぐにレイの目を見つめて確認してきた。
(処置って、そういうことだよね……?)
レイは考え込んでしまった。
誰かが殺されてしまう、それを黙って見ていろ、または知りながら見て見ぬ振りをしろというのは、今まで生きてきた元の世界の倫理観を持っているレイにはどうにもモヤモヤが残るし、イエスともノーとも言えない。だからと言って、管理者の仕事を続けていく限りは通らなければいけない道だろう。
レイがしばらく答えを出せずに考え込んでいると、
「レイにはまだ少し早すぎたかな。もし今回の呪いがタブーに触れる恐れがある場合だけだし、そうでなければ何もしないよ。しばらくは監視対象になるかもしれないけど」
とフェリクスが少し困ったような表情でフォローした。
「ごめんなさい……もう少し考えてもいいですか?」
「うん、それでいいよ」
眉を八の字に下げて困り顔のレイに、フェリクスは穏やかに微笑んだ。
(こういう所はやっぱり魔物で、人間とは違うんだ……)
いつも優しいフェリクスが覗かせた、魔物らしく当たり前のように酷薄で、強者として奪える自由がある者の落ち着きと余裕を、レイはひしひしと感じて、少し寂しく思った。
自分とは違う生き物だと、改めて突きつけられたような気がしたのだ。
***
次の日、アイザックから調査結果を聞いたレイは、心の中で胸を撫で下ろした。
現在、四人は奇岩の屋上庭園カフェに来ている。
大きな奇岩をくり抜き、四階建てに屋上をプラスした高さの建物に仕立てあげられたカフェは、この地域でも人気のスポットだ。
特に屋上庭園は元から自生していた低木も利用し、屋上に小さな池や花なども生けられる庭園を作り、厳つい岩石地帯で、緑が少なめなカパルディアでは珍しい癒し空間になっている。
本日は雲一つない晴天で、ここは観光客で賑わっている。
奇岩の屋上庭園カフェは見晴らしがよく、今回の犯人が勤めている工房が見渡せる位置にあった。
「今回の犯行は、純粋に裏の仕事をこなしていたのと、腕試しのようです。犯人も呪いの適性が高いのに実社会では活かせないので、裏に手を出したのが始まりのようですね」
「随分詳しく知ってるね」
「犯人の魔術師が使い魔に蛇系の魔物を使っているので、簡単に話してくれましたよ」
昨夜、アイザックが「少しだけ外出してくる」と告げてどこかに行っていた。おそらく、その使い魔に事情聴取に行っていたのだろう。
ユークラスト地方のサーペントの王様に睨まれたのだ、その使い魔には話す以外の選択肢はなかっただろう。
レイはアイスティーを飲みつつ、かの魔術師の使い魔に心の中で同情した。
「暗殺用に作るよう依頼されて、それの改良版を作ろうと実験でもしてるのかな?」
「そんな所のようです。犯人は中級レベルの魔術師で、禁術は難しそうです。使い魔が言うには、精通しているのは仕事で使う魔動絵本用の魔術ぐらいで、あとは生活魔法を少々。呪いの方は独学だそうです。今回は犯人をマークしておいて、あとは研究所の結果待ちでよろしいかと思います」
アイザックが淡々と報告し、結論づけた。
「確かに、黒い本には呪いを逸らすような術式は無かったね。その状態で禁術は荷が重いかな。まあ、誰かが教えていれば話は別だけど……」
今回は一旦これで調査終了かな、とフェリクスも頷いた。
ふと、犯人が勤めている工房の方を見ると、昼休憩かおつかいなのか、ちょうど犯人が建物から出てきていた。
長いグレー色の髪を雑多に一つにまとめた、細身の男だ。呪いの影響なのか、彼の周りの魔力だけ少し落ち窪んでいるような、澱んでいるような感じがする。
(あの魔力、なんだか嫌な感じがするなぁ……)
犯人の男を見た瞬間、レイはぞぞぞと寒気を感じた。
「レイ、呪いをきちんと処理しないと、ああいうのが魔力に現れてくるんだよ。あれが溜まると今度は不幸を呼び寄せるようになるから、あまり近づかない方がいいよ」
「他の人には見えないんでしょうか?」
「人間には見えない者の方が多いだろうね。魔力がそこまで高くない者が多いし。魔力が高い亜人や妖精、精霊や魔物はそうではないけど」
男が移動して行くと、男を避けるように小さな光が散らばっていっている。岩や地、砂系の精霊たちには、男の周りのものが見えているのかもしれない。
「あの人を止めなくていいんですか?」
「彼を止めたりはしないよ。プレイヤーには自由があるしね。タブーを犯さない限りは管理者は基本、手出しできないんだよ。世界システムの運営、タブーの監視や排除、災害が世界を壊しすぎないようにすることと災害復興の裏方サポート、それが管理者のお仕事」
アイザックが視界に犯人をおさめつつ、説明してくれた。
「今回の任務が調査なのはそれだからだよ。タブーに抵触しているかどうか、見極めるんだ。今回はタブーに繋がりそうにないから、経過観察だね。ここから先の問題解決は、プレイヤー自身がやらないと」
フェリクスも穏やかに犯人を眺めつつ補足した。
「え、でも……」
レイは釈然としなかった。
(犯人が野放しでいいの? 他の人がまだ被害に遭う可能性があるのに……)
「もし、プレイヤーで解決出来なかったらどうするんですか?」
「タブーに繋がるなら管理者が対策するけど、そうでなければ放置だね。犯罪を犯すこともできるし、犯罪者を裁くこともできる、これがプレイヤーの自由だよ。僕たちはあくまでも世界の管理者であって、裁判官ではないからね。プレイヤーがこの世界を壊そうとしない限りはね」
フェリクスが幼い子供に言い聞かせるように、説明した。
(誰が困ろうと、このまま放置……それがプレイヤーの自由?)
フェリクスもアイザックも力で彼を止めることができるだろうし、最低限、カパルディアの治安を取り締まっているような所に報告して、注意を促すこともできるだろう——実際にそれだけの力が彼らにはある。
見事な青空とは対照的に、レイはモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、今回の調査業務は幕を閉じた。




