第三十一話 思いつき
「海峡の合間、浅瀬をすべて埋め立ててしまおうという、そんな暴挙が罷り通ろうとしている」
その話から、オフィーリナについてのユーリ大使の嫌味が始まったのだ、とブライトは口にし始めた。
「あの土地はどんな由来があるのですか?」
オフィーリナは朝食の後片づけをしながら、台所から声をかける。
伝承によれば、この王国クレイドルには千年ほど昔から、氷の精霊王の結界が張られていた、と聞く。
この国の歴史は古くて、千年前までは炎の女神様が結界を張っていたらしい。
「氷の精霊王の土地、と一応そういうことになってはいるが、さて誰のものだろうな」
「現実的な意味でいうと、どこに誰が持っている土地ですか?」
「ふむ」
ブライトの口がまた重くなる。
言いづらそうなところを見ると、現在の神殿と呼ばれる宗教組織系か、それともどこかの貴族の所領だろうか?
「古い女神教の土地だ」
「ああ……」
氷の精霊王に神様が代替わりして、六世紀。
つまりいまから四世紀ほど前に、旧女神派のクーデターが起きた。
当時の氷の精霊王の聖女ジェニファーは宮廷から追放されるも、女神を騙った魔族の存在を看破し剣聖の力を借りてそれを退治して、生まれ故郷に戻って行ったという。
その生まれ故郷とは現在の王国の西の果て、ということになるのだが。
「では教団ともお話し合いになられる必要がある、と」
「頭の固い連中でな。神の土地だから、あそこは譲れん、の一点張りだ」
「なるほど。神聖な土地ですか。でも女神教は確か――」
「浄化の炎の女神リシェス。ついでに帝国本土には、その本神殿がある」
「こちらは分神殿。大元には逆らえないということですか」
「それはどうだろうな? 枝分かれしてから既に千年以上だ。縁があるかと言われれば、憎しみの方が大きいかもしれない」
帝国では女神教を国教に指定していない。
あの土地は戦女神ラフィネの信仰が盛んだ。
女神同士で争って、どうやら浄化の女神は敗れ去ったらしい。
ま、どうあれいまの王国の国教は氷の精霊王様だ。
もっとも、国王陛下はそれほど信仰に敬虔な信徒というわけでもないので、国の方針としては法律さえ守ればどんな宗教を信仰してもいい、ということになっている。
いまのところは。
興味が沸いたので、質問してみる。
「ね、ブライトの信仰は?」
「俺? 俺は国教だが。君こそどうなんだ?」
「私は母親が帝国生まれだから、女神教よ」
「どっちの?」
リシェス様の、と言い淀んだ。
彼にとっていま、名前を聞くのは、嬉しくないだろうなと思えたから。
でも黙っていくわけにもいかないので、「古い方の」と付け加える。
彼はそれを聞いて渋面になってしまった。
「機嫌を直してくださいな。嫌味を述べたつもりはないのです」
「分かっているよ。いまその単語が飛び出してくるのも、何かの縁だ、と思っていただけだ」
ブライトは深く刻まれたまなじりを下げ、柔和な笑みを浮かべてそう言った。
これも縁、あれも縁。
どっちも良縁であって欲しいオフィーリナは、口の端に笑みを載せるだけに留めた。
洗い物を終え、昨夜彼が着た衣類を洗濯機にかける。
魔導具の進歩は素晴らしい。
数分後には洗浄魔法で綺麗に浄化された衣類が出来上がるはずだ。
タイマーを確認しつつ、「今日はどうするの」と予定を尋ねる。
「昼から出かける予定がある。俺としてはその前に、もう一度」
ブライトは遠慮なしに唇を重ねてきた。
先週に帝国のユーリ大使から放たれた侮辱の憂さを晴らしたそうな、そんな感じだったから、オフィーリナはんー?と顔を傾げて見せる。
「我が女神リシェス様は昼日中からそういった行為をすることを、快く思っていないようでして」
指先を彼の唇にそっと当ててみるとひんやりと、乾いた指先が湿り気を帯びた。
まるで自分の秘めたる部分のようだ、と感じながらオフィーリナは首を振る。
「君の機嫌を害してしまったか」
「そうかもね? ところでどうしてそんな口論になるの? 浅瀬を埋め立てればそれで済む話じゃないの?」
「そうはいかない。両国の国境というものがある。それにだな」
何々? 曰くありげに口ごもるブライトに、オフィーリナは面白そうな目を向ける。
何となく、面白そうな話題が飛び出てきそうな気がしたからだ。
それは魔導具師としての勘かもしれなかった。
「海は神々の土地だ。それを勝手に蹂躙するような真似をすれば、半世紀前のようなことになりかねない」
「半世紀……?」
そういえば、つい半世紀ほど前。
隣にある南の大陸で妖精王の森を侵略した高原狼の獣人の帝国が妖精たちの怒りを買い、高原地方の土地を追放されそうになった。
ああ、あれか。とオフィーリナは辺りをつける。
なるほど、この土地から追放されるのだけは、いろいろと困るなと思ってしまう。
具体的には工房とか彼と会える場所とかを失うのは、いかんせん宜しくない。
「海に干渉せずに渡れる橋、のようなものがあればいいのだがな」
「それって――?」
口にした何気ないアイデアが、これから後の二人の運命を大きく変えるとは、この時、オフィーリナは思いつきもしなかった。




