第一話 側室への誘い
この物語はちょっと変わったところから始まる。
世の中に女性はたくさんいて、彼女達の中にはもちろん、男性よりも逞しく雄々しく、そして優雅に戦いを行う者も存在する。
それは政治や経済、芸術の分野においても特に変わりはない。
才能は男女に関係なく与えられる神様からの贈り物だからだ。
しかし、世の中には一風変わった女性も存在して、彼女たちは独自の生き方をする。
手に職をつけたり、騎士顔負けの戦いをしたりといった具合に、その才覚を存分に発揮する場で生きているのだ。
例えば貴金属や宝石、それ以上の価値を持つ魔石に細工を施せる職人たちの世界。
魔石彫金師と呼ばれる職業が、現代ではそういった女性たちが進出して活躍している分野なのである。
◇
荒野が広がっていた。
左手には背の低い草ばかりが生えた草原が広がり、右手にはごつごつとした岩肌を露出させる岩山がひろがっている。
左右対称的なその真ん中に、一本の道が通っていて、そこに二台の馬車が走っていた。
急いでいるわけでもなく、それぞれ二頭の馬たちに引かれた台車には幌で丸く縁どられた屋根がある。
御者席の後ろにはカーテンのように間仕切りがあり、その奥には左右の壁に沿った、幅五十センチほどの長椅子が用意されている。
蓋を開ければ、そこは何もない空間で上に座る人々の手荷物を入れることができた。
先頭の馬車には御者と荷物が。
後方の馬車には、左右の壁に全部で四人の男女が座っている。
そのなかで最も奥の方、荷物を後ろから出し入れするための入り口に向かって近い場所に座り、オフィーリナは視界の中に見える荒野を眺めていた。
彼女の席からだと、ここからなら草原をより広く見渡すことのできる場所だ。
さわさわと夏終わりの風に吹かれて、緑色から灰色へと変化していくその光景は、彼のことを思い起させる。
「結婚、かあ……あの時はびっくりしたけれど。してみると……意外に悪くない」
腰まである銀色の長い髪を指先で弄びながら、草原によく似た深緑色の瞳には物憂げな光が宿っていた。
でも……戻れば、自由がなくなる。
彼の愛はとてもありがたい。
それに応えるためにここに来ている。
だけど、やっぱり孤独に仕事に打ち込む時間は大事で……結婚はそれを期間限定的にだけれど、オフィーリナから奪ってしまっていた。
オフィーリナが小さくため息をつく理由は、そこにあった。
この旅に出る少し前の記憶が、脳裏によみがえってくる。
彼との出会いは、あの日の昼。いきなりやってきた。
「お父様が客間でお待ちよ。なんですか、そのはしたない恰好は!」
「あ、お母様。え、なんですか、待って腕が痛いわ」
「さっさとおいでなさい、オフィーリア! あなたにとってこの上ない良縁なのよ」
「はあ? 待って、ちょっと良縁ってなんのこと?」
その日は、オフィーリナの誕生日だった。
私用で二週間ほど実家を離れていた彼女が戻ってみると、とんでもない贈り物が待っていた。
自室で部屋着に着替えようとしていたら、父親にいきなり客間へ来るように命じられた。
侍女ではなく母親が誘いにきたことからも、何か問題があったのでは? と何か悪い予感のする呼び出しだった。
旅装のままでは来客をもてなすのに失礼だ。
「いいから早く階下に参りますよ。ああ、もう。そんな男性のような恰好で愛想を尽かされないといいのだけれど」「なら着替えますから! その腕を離して、お母様!」
「そんな時間はありません。さっさといらっしゃい!」
そう思うも、着替える間もなく、母親は自室から彼女を連れ出した。
こんな格好で人前に出るのは恥ずかしい、と苦情を申し立てたが、それは無視される。
半ば無理やりに客間に顔をだすと、父親とともに来客が一人、椅子にゆったりと腰かけている。
女性と見まごうばかりに美しい華奢な青年だった。
「お前の婚約相手だ」
「……は?」
ようこそと挨拶するよりも先に、父親はただそれだけをオフィーリナに告げる。
思わず間抜けな声が漏れる。
「これはこれは。なかなかに勇ましい恰好だ。くっ……くく」
それを聞いて面白そうに片頬を持ちあげた青年の第一印象は、彼女にとってすごぶる悪かった。
何、コイツ! 何様のつもりよ?
気丈な伯爵令嬢は心の中でそう叫んでいた。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、婚約相手と父親に紹介された男性は、今度はにこやかに両方の頬を緩めて見せた。
「君を俺の妻に迎えたい」
「妻! いきなり婚姻の申し込みとは、紳士の振る舞いとも思えません! どういうことですか、お父様!」
「そんなに高い声を上げなくて、俺には聞こえているよ。オフィーリナ嬢」
嫌われていることは知っているよ? と態度でそう語っているようにオフィーリナにはそう見えた。
第一印象がそんな感じだから、その後の母親も交えた四者会談は、最悪の一言に尽きた。
いきなりの婚約、いきなりの上から目線的態度、いきなりの……。
「正妻がいらっしゃる――っ?」
「ああ、そうですね。俺には妻がいます。貴方には側室に上がって頂きたい」
「側室って……お父様?」
挨拶もそこそこにいきなりそんな話題に展開して、まだ十六歳の少女は父親に説明を求めた。
淹れたての紅茶をゆっくりと飲みながら、父親は「うん、まあそういうことだ」とあまりにも杜撰な回答で言葉を締めくくる。
「――っ?」
オフィーリナも貴族令嬢である。
正妻というものがどんなものか知っている。
側室が何を意味するのかも理解している。だけど、それを持てる存在となれば、話は別だ。
この国は基本的に一夫一妻制。
例外があるとすれば、王族かそれに連なる存在だけに限定されてくる。
しかし今の国王陛下は確か六十代。
次期国王になる殿下は二人の妻を迎えられたばかりで、次男、三男の殿下たちにしても相応に老けている。
いや、そう言っては失礼だ。三十代、四十代でオフィーリナよりははるかに年長者。
そう言いたいだけ。
そして、彼ら以外の王族は自分と同い年か――よくて、二十歳ぐらいだ。
目の前にいる彼は……どう見てもそれ以上の年齢に見えるので、王族からは除外。
となると、王位継承権を有しない王族。つまり公爵ということになる。
この王国の貴族ならば、の話だけれど。
「……どちらの公爵閣下で、いらっしゃいますか?」
それを問いかけるので、心は精一杯だった。
婚約者ならまだいい。結婚までには時間があるし、心に余裕が持てる。
オフィーリナも貴族令嬢である。
家の主がそうしろと言えば、たとえ相手が奴隷であっても……妻に行くことが、その責務だと理解している。
しかし、第二夫人!
正妻でなくて側室。
いくらなんでも、それはちょっとひどいんじゃないのお父様、とぼやきたくなるところだった。