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スナガエルとマシーンちゃん  作者: ペグ335
プロローグ
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プロローグ

 土埃で白く曇った窓。

 ところどころ煉瓦が剥がれ落ちている壁。

 そんなオンボロ修道院の周囲を子どもたちが走り回っていた。


 配られる食料の量に関わらず、常に子どもたちは飢えている。残飯やら金に交換できそうな金属片を拾い集めるため、彼らがナワバリとしていた場所――それは、業病を患った者たちが出すゴミが捨てられている場所だった――に向かうと、見慣れた女がゴミをあさっているのを見つけた。


 その女は二日前、送別の餞と称して要らなくなった所持品を“自ら配った”大まぬけであり、当然その恩恵を子どもたちも享受していたのだが、ことナワバリを荒らされるのであれば話は違ってくる。長年商売敵の浮浪者を相手にするため培われた見事な連携技術が展開され、哀れ、女は身ぐるみを剥がれてその場を叩き出された。


 ちんどんちんどん!

 物乞いが食器を叩いて歌っている。

 

 うるさい!


 と、叫びたくなるのを、マールはようやく堪えた。


 就職先が決まった。調子の良いことをさんざん言われ、契約については詳細まで詰め、それで返ってきたのは迂遠でまどろっこしいお断りの手紙だからものだから腰が砕けた。二日前までは大口を叩いていたのに、再び炊き出しに並ばざるを得ないとは。


 物乞いの耳障りな声、甲高い音。普段は聞き流すだけだが、今日のマールは少々機嫌が悪い。物乞いの歌に気をとられているうち、銅皿に乱暴に投げ入れられたスープが撥ね、マールの親指に掛かった。


「熱いっ!」


 すんでのところで皿をひっくり返すのを堪えた。配給係の男が鍋をガンガン叩いて叫んだ。

「よそ見をするな馬鹿もの!」


 文句はあったがかみ殺す。

 余計な揉めごとなど、何の得にもならない。


 たかが食事の受け取り。それに全身全霊を捧げないと大声で罵られる。こんな馬鹿な話はないと思うが、ここ“窟”では普通のことだ。自分が既に解雇されていることを理解できない元ティスティクス軍の伍長が、規律を守れるという一点のみで重用され、前職と同じように態度をもって威張り散らす。それでも人手不足に慌てふためく修道院にとっては、きちんと指示が実行できる有り難い人材というわけだ。だから“窟”なんぞ、できるだけ早く脱出するべきなのである。


 マールは製樽所の壁に背を預け、皿を覗き込んだ。今日の食事は珍しく原材料の匂いがきちんと感じられた。皿のくぼみに収まっているスープは、スプーンが差し入れられないほどの少量であったが、それでもトウモロコシの味がある。


「ああ、なんてかわいそう。マール。私は今、幸せを感じてしまっている」


「マール! マール・チコル!」


 周囲を確認すると、世話になっている修道女が教会の入り口で手招きをしている。スープを急いで口に掻き入れ、マールは立ち上がった。


「ファクタル院長がお呼びですよ」


 修道女に連れられてマールは建物の中に入った。久しく雨が降っていなかったせいか、玄関を開けてまず見える礼拝堂はひどく埃っぽかった。本来は祈りのための場であるが、病める貧しき者たちが寝床として使っているので、さながら野戦病院の様相を呈している。


 二人は袖で口を覆いながら歩く。


「マール。どうですか景気は。絵描きの求人はありますか」

「あまり多くはありません」

「そうでしょうね。経済については良く知りませんが、北伐が終わったのが大きいと聞きました。少なくとも、“窟”は過去にない混乱状態で、聖務日課のお祈りを上げる時間すらありません」


 修道女の言うことは、マールも良く実感していた。帰還兵と北伐で得られた奴隷がスタティクスの首府の労働事情を大きく混乱させている。そのためか、慈善活動に奉仕する修道院を中心に形成された“窟”に流入してくる人口は日に日に増えていた。

 

 ファクタル院長の部屋は窓も扉も開け放たれているのに空気が淀んでいた。院長は訪れた二人に目もくれず、書類を山と積んだ机の上、瓶の底にこびりついたインクを削るように書き物をしていた。もともと強健な人ではなさそうだったが、ここ最近は目に見えて体調が悪そうだった。白く豊かな髭は黄ばんでおり、服はほこりまみれで数日に渡り着替えをした様子がない。


 おわしなければこの世は地獄

 おわしけるこそ巌も動く

 いずれに賭けるか 損こそあらめ

 なんぞ御手を信じざらん


 ちんどんちんどん!


「うるさい!!!」

 院長が喉を掻きむしりながら叫ぶと、机上の山が雪崩れた。


「い、院長!」

「ああ、君か。マール君もいるね」


 ようやく二人の存在を認めた院長はゆっくりと二人に向き直った。院長の傍にすまして座っていた少年が立ち上がり落ちた紙を拾い集めて机の上に置くと、再度同じ椅子に腰を下ろした。


「すまんね。どうも疲れがたまっているせいか、頭の中で変な音楽ががんがん鳴っていてな。幻聴だろうか」

 血走った眼をしばたかせながら、院長は言う。

「君は画家だったな」

「……えーっと、その、はい」

 

 マールの曖昧な返事を聞いているのかいないのか。

 院長は目を落としたまま山を崩して書類を漁っていたが、そのうち目的のものを見つけたとみえて、一枚の紙を引き出して少年に渡した。


「画家の募集があったぞ。住み込みだ」

「はあ」

「先方にお前のことは連絡してある。出納係に金をもらって出立の準備をしておけ。ああ、出発は」

 

 少年はマールに紙を手渡しながら言った。

「明日早朝中央広場の鐘二つ目が鳴るころに停留所です」


「ああ、そうだそうだ。話はついてある。ああ、うるさい! あれ、先方に手紙は出したのか」

「院長様のご署名をまだ頂いておりません」

「ああ、どこだ。手紙は。どこにいったんだ。陳情、陳情、決済、決済、予算の確保、陳情、決済……」


 マールは渡された書類を眺めた。書かれていた街も教会の名も知らなかったが、とにかく仕事がひょっこりと得られた。これを幸運と言わずに何と言おう!


「北伐に借り出された方々が教会に戻ってくれば、院長のご負担も減るでしょうに」


 教会の外まで見送りに来てくれた修道士の言葉など上の空。

 苦節三年。ようやく“窟”からおさらばだ。


 マールは完全に浮かれていた。


「ごめんなさい。本当に」


 それゆえ、別れ際に修道女が浮かべた暗い顔に気付かなかった。


 こうしてマールの画家人生が始まったわけだが、悪いことに、彼女の任地は戦地であった。それに処遇は住み込みではなくて従軍であり、さらにいえば従軍でさえなかったのである。

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