今より少しだけ幼かった頃
絶対に、隠し通す。
一生。
おくびにも出さない。
だから疑われない。だから言わない。
「二人が仲良くなったきっかけって何?」
向かいに座る、高校になってから友達になった女子は、そう言ってからポテチをパリッと食べた。
今は放課後、左隣に葉菜、正面には暁が座っていて、三人で園生の席を取り囲んでいる。教室には他に誰も残っていない。机の上にはそれぞれが持ち寄ったお菓子が広げられていた。
部活のない日は時々こうして、アルバイトの時間までだらだら過ごしたりする。
「仲良くなったきっかけ?」
「なんだっけ?」
園生は抜群のタイミングで葉菜と顔を見合わせた。
「同じクラスだったの?」
「うん、一年の時だけね」
「葉菜はクラブ、なんか入ってた?」
友達になりたてのぎこちなさはすっかり抜けて、三人が三人とも下の名前で呼び合う仲になっている。
「なんも」
「葉菜は学校終わったら柾樹先輩と会うので忙しかったんだよね」
「違うってば!」
激しく反論する葉菜が、これでも食べてろとポテチを数枚突き出してくる。ありがとと素直に受け取って、一枚ずつ食べ始める。
「園生はもちろん手芸部でしょ? 二年からクラスも違う、部活も一緒じゃない。そんなんでよく付き合い続いたね?」
「そういやそうだね」
「なんとなく?」
再びポテチに手を伸ばしながら同意を求めてくる葉菜に、園生は相づちを打った。
「あ、そうそう」
葉菜が動きを止めて、わずかに声を大きくする。
「仲良くなる、ていうか、話すようになったきっかけは、園生が助けてくれたんだよね」
「そうだったっけ」
心臓は、正直だ。早くなろうとする鼓動をなだめるために、園生は声に疑問の調子を乗せて首を傾げた。
「助けた? ――あ、なんか見えてきた。柾樹君のことで呼び出されて、園生が機転利かせてくれたんでしょ」
「そうそう。あの頃は私も若かった。対処の仕方とかまだ分かんなくて、呼び出されても反発してばっかだったのね」
「若かったって今は年寄りか」と暁が葉菜の口にポッキーをねじこむ。
商品名通りの音を立てて囓り折った分を食べ終えてから、中学からの友達は続きをしゃべり出した。
「やっぱ呼び出していちゃもんつけてくる先輩とかって、自分がしてることに疑問持ってないじゃん? その分怖いから、こっちも面と向かって文句は言えないの。でも、ぴちぴち成り立ての中学一年生は素直だから、不満持ってますって表情隠せてないの」
葉菜の持つ、半分になったポッキーが言葉に合わせて揺れる。
「で、余計に先輩たちはいきり立つ。そんな時に、園生がベタな感じに颯爽と現れてくれたんだよね」
「ベタな感じって……先生が呼んでるよ、とか?」
「そう! まさしくそれ」
ベタの中のベタ、キングオブベタだねそれ、と暁が声を弾ませ、葉菜が残りのポッキーを食べ終える。
「だってさ、他に思いつかなかったし」
園生も二人に合わせて笑っておいた。
「なんかね、中学入ってからは同学年でも柾樹目当てで私に近づいてくる人が結構いて、ちょっとうんざりしてたんだよね。もうちょっと隠してくれたらいいのに、会わせて! って超あからさま。正直なのは潔くて気持ちいいって言えないこともないんだけど、次々来られたらちょっと」
「あ、その隠せよっての分かる。私だったら時期を待つな。全く興味ありませんって感じじゃ逆に不自然なんだよね。世間話程度にちらちら話題を出しつつ、でもそこに重きを置かない。葉菜にくっついてたら会える機会なんて嫌でも回ってくるんだから。いざ対面しても、あくまで私の目当てはあなたじゃありませんって顔をして、自然に自然に」
「何それ、どんだけ狡猾肉食中学生なの」
同中に暁いなくてよかった! と葉菜は芝居じみた仕草で胸をなで下ろしていた。
以前から思っていたことだが、やっぱり暁とは考え方が似ている。ただし、暁は彼女自身が捉えているよりずっと、行動が心に影響されやすい。実行は無理だろうなと思う。
「私さ、葉菜と友達になって一年ちょっと経ったぐらいに、柾樹先輩に言われたことあるよ」
板チョコを割りながら、園生は二人に向かって口だけで笑ってみせた。不敵な感じに見えるように。新聞の整理された記事を眺めて感想を持つように、外部の立場から物事を見渡している自分を演出して。
「え、初耳。なんて?」と葉菜が目を丸くする。
「校舎内でばったり会ったんだったかな? ちょうど他に誰もいなくてさ。ちょっと立ち話して、多分葉菜のことでなんか喋ってたんだと思う。よくドラマやなんかである例え話だけど、って前置きされてね? 葉菜と、それ以外の誰かが崖にぶら下がってて、どちらも這い上がれないって場面があったとして」
「柾樹くーん、ほんとに?」
話題に乗りきった暁がきゃー、と嬉しそうに悲鳴じみた声をあげる。
「やめよう、その話おしまいにしよう園生」
二人とも、当然先の展開が読めているのだろう。
葉菜があたふたと身を乗り出して、園生の口を塞ぎにかかる。
「ほらほら、人が話してる時は静かに聞く」
心得た暁が抱え込んで阻止している。
表面上、暁はもう柾樹のことを吹っ切っているように見えた。かつて好きだった人をネタにして、その彼女を肯定的にからかうことに躊躇いをみせない。
痛々しくも建設的な態度を繰り返すことで、自分自身に納得を染み込ませているのかもしれない。昔の、園生のように。
葉菜も、暁の前で彼氏との仲を遠慮なく話題に出す。
一人一人が、自分で決めたルールに沿って進もうとしている。
だったらこの思い出話も、決断を補強する材料の一つになるのだろう。
「暁、そのまま葉菜のこと押さえといて」
懸命に腕を伸ばしてくる葉菜から身を引いて逃れ、笑い含みに園生は言った。
「柾樹先輩めっちゃ熱かったよー? 絶対まず葉菜の方を選ぶんだって」
解放された葉菜がうわぁ、と頭を抱え、せめてもの仕返しなのかお菓子を隠すようにして机に突っ伏した。葉菜ー、チョコ食べたいんだけど、と暁がわざとらしく背中を揺すっても頑として起きようとしない。
「もう一方が家族の誰かでも、仲のいい友達でも。葉菜にとって大事な誰かが怪我してて、葉菜の方がよっぽど余裕でぶら下がってても、最初に助けるのは変わらないって。それで本人に恨まれてもかまわないって」
そんなこと言ってたんだよー、とぷるぷる震える後頭部を突っついてやると、葉菜は勢いよく起き上がった。
「うるさい、もうバイト行く!」
そう宣言すると、自分の席に行き着くまでに何度も机にぶつかって、荷物を抱えてから葉菜は脱兎の勢いで教室を出ていった。
「私もバイト。そろそろ出なきゃ」
「明日ジュースでも奢って機嫌とらなきゃね」
暁と笑い合いながら片付けをして、一緒に校門まで行った。
帰り道は正反対のため、学校の敷地外に出たところで別れる。
「園生は」
じゃあねの言葉を制すように、後ろから少し大きめの声が飛んでくる。
「柾樹君にはっきり言われても、葉菜との付き合いやめようと思わなかったの?」
すでに歩き出そうとしていた園生は足を止め、振り返った。
暁は、自転車ごとこちらを向いていた。ふと思いついて訊いてきたのではなく、タイミングを計っていたのだと感じた。こちらへ近づこうともそれ以上喋ろうともせずに、微動だにしないままじっと答えを待っている。
どういうつもりの問いかけか。真意を測ろうと口を開きかけて――止めた。
暁は、園生と考え方が似ている。相手の方も、同じように評したのだとしたら。
「そりゃあ」
園生は暁にまっすぐ顔を向けた。自分にとってはもう、とうの昔に過去になった話だ。
「別に柾樹先輩が目当てってわけじゃなかったから」
「そう」
満足そうに頷くと、暁はまた明日と言って方向転換をし、自転車にまたがりペダルを漕いでいった。
どんどん小さくなっていく背中が完全に見えなくなってから、園生は駅に向かって歩き出した。
中1の、あの頃。
刀根正樹という人は、噂を聞かなくても存在自体が目から頭の中に飛び込んでくる人だった。葉菜にちょくちょく顔を見せに来ていたせいで、直接は関係なくても少しだけ身近に感じていた。
葉菜の陰口を言ったり、あからさまな思惑を表面に出して近づいていく同級生たちを内心で見下していた。くだらないと思っていた。
その一方で、葉菜の印象と自己評価を秤にかける自分も確かにいた。そんな馬鹿馬鹿しいこと考えたこともない、と自分さえ欺いて結果を心の奥底へ追いやりながら、隙間を縫って浮かんできた“あの人程度でいいんなら”という声は次第に大きくなっていった。
廊下の隅で数人に囲まれている葉菜を見て、チャンスと思ったかどうかはもう覚えていない。
なんのことはない。初めて友人として紹介された時から現在に至るまで、柾樹にとって園生は“葉菜以外”に他ならない。
釘を刺されたのかと警戒しながら、園生は尋ねていた。
「じゃあ、もし先輩が間に合わなくて葉菜が落ちちゃったらどうします?」
「追いかける」
柾樹は一秒も迷わなかった。
「落ちていく間になんか方法が見つかるかもしんねえし、駄目なら駄目でそれもいいかって」
「一緒に死んでもいい? それ、十年経っても五十年経っても同じこと言えます?」
「言える――あ、でも」
記憶の中の、今より幼い柾樹が考え込むようにあごへ手をやる。
「子供ができたらそっちを先に助けるかな? やっぱ二人の結晶ってわけだし、あいつもそう思うだろ。それから葉菜を助けるなり追っていくなりする」
あ、子供は葉菜との間なの前提なわけね、とは呆れて指摘する気にもなれなかった。
好き放題に他の女と遊んでおきながら、よくもまあてらいがない。
園生の中の熱を持った箇所が、急激に冷めていった。未来に保証はない。変わらない、絶対だと将来を語られると、それだけでしらけていく。
周囲を排除する世界観が園生は嫌いだった。自分と相手、二人だけで生きているわけではない。生きていけるはずがない。
なるべく冷静であろうとする園生の気質は、小学校低学年の頃から若さの盲目的な部分を遠ざけてきた。
常に客観的で、傍観者の視点で物事を見ている――思い出すだけで寒々しく、叫びたくなるものの、本気でそう信じていたのだ、当時の自分は。
「ふぅん、そうなんですか。なんかすごいなぁ」
大した感情も込めず、おざなりに返事をして別れようとした。
「俺、葉菜のことではどっか壊れてるって自覚あるんだ」
どんな表情や抑揚で、そう言われたのだったか。
すぐに柾樹はきびすを返して行ってしまったが、園生はしばらくその場に佇んでいた。直前の、若くて未熟な先輩の言葉を反芻していた。
その人に関して壊れていると、人に言い切る。
自分の思考がどういった経緯を辿ったかは思い出せない。青臭い台詞をどこまで貫けるのか、可能な限り見届けてやろうと意地悪く思ったような気もする。
ただ、あの人は有言実行するのかもしれないと、なんとなく結論づけた。
そしていくら柾樹でも、自分が正気でないなどと誰にでも口に出せるわけではないだろうと予測した。言われたら、普通に引く。
――つまり、私はその程度には打ち解けられたのではないか。
一度冷めてしまった箇所とは別の場所に、火が灯ったような気がした。熱はみるみる全身に移っていった。
その頃には、当初の目的が曖昧になるくらいに、葉菜と行動を共にすることが自然になっていた。
定まっていなかった気持ちが据わりどころを見つける。
いつの間にか、手段が目的にすり替わっていたのだと、初めて気づいた瞬間だった。
園生は葉菜の友人として、ようやく柾樹に認められたのだ。
今現在の園生は柾樹の存在なんて関係なく、毎日なんだかんだ葉菜とつるんでいる。葉菜のいいところも悪いところも併せ呑み、咀嚼して、そうしたいからそうしている。気の合う手芸仲間も一人加わった。
それが、葉菜と仲良くなったきっかけ。
こんなこと、誰にも言えやしない。
だから園生は一生隠し通すつもりだ。
口に出しては言わないけれど、この先ずっと。絶対に。




