(3)
彼は胴体の骨が何本か折れている。幸い折れただけで他の部分に損傷は無く、少し休んだからこそこうして動けていたのだろう。だが異空間から出てきてずっと立ったままでいたのだ。そろそろ限界が来てもおかしくはない。
「ゲラント、私に掴まって!」
心配したファランがすぐに手を添えるが、元々彼女の体はかなり小柄だ。がっしりした体型のゲラントを支えることなど無理だろう。彼もそう考えたのか、苦笑するだけで彼女の手を取ろうとはしなかった。するとスィベルがやってきて、彼の前で屈み込む。
「…骨折と…打ち身がほとんどだな。それほど深刻なものは無さそうだ。ん? 火傷もあるな…。確か…騎士団が持ってる武器でこんな傷になる奴がある」
スィベルは眼鏡の力でゲラントの怪我の状態を診ているのだろう。騎士と戦ったらしいとわかると、笑みが深くなった。
「あんた、こいつをあの椅子まで移動させてくれ。ガレス人なんだから魔法で簡単にできるだろ?」
ゲラントを指して、少し離れた場所にある大きくて柔らかいクッションでできたような椅子まで移動させるようショノアに言う。確かにゲラントを移動させるくらいは造作もないが、彼はなかなか人使いが荒いようだ。しかし苦しんでいるゲラントを楽に移動させること自体に異存はない。彼はゲラントを浮かせると、椅子の上にそっと座らせた。その間に一旦家の奥に消えていたスィベルが色々な容器や道具を持って戻ってくる。
「さてと…。あんたの怪我は追ってきた騎士と戦ったせいだな? それでそこの綺麗な青年があんたらを助けた…」
彼が手慣れた様子で材料を次々と一つの容器に入れて混ぜ合わせると、とてもではないが飲めそうにもなかった容器の中身が水のようにサラサラした液体に変わっていく。それは薬師の持つ魔力が効能のある材料を結合して癒し効果のある飲み物に変えるからなのだそうだ。この力はかなり特殊で、ガレス人にその能力を持つ者はいない。その代わりガレス人の中からは時折治療術師の素質を持つ者が生まれてくるのだ。
スィベルは手を休めることなくゲラントを質問攻めにするが、彼も元はセレンの部下だ。それほど口は軽くない。治療費の代わりになる程度はと渋々話しはするが、まだスィベルを信用に足る人間だと判断できていないからだろう。彼も一言一言スィベルの反応を見ているようだ。
ゲラントから思ったほども目新しい情報が得られなかったからか、彼は少し不満げに薬をゲラントに与えた。一応薬に見合う内容ではあったのだろう。手が空くとスィベルは今度はファランを標的に据えたらしい。見つめられた彼女は何も気が付いていないのか、「何?」と自分から話しかけてしまっている。
「そういえばファラン様はいつから声が出るようになったのですか? 確か…昔は口が利けないと言われていたと思うのですが…」
「ああ…そのこと…」
彼女の顔が一気に不機嫌なものに変わる。しかしスィベルは特に気にしていないようだ。彼女の機嫌を損ねると情報が引き出しにくくなると思うのだが違うのだろうか。
「私の場合は発達が遅れてただけ。ある時声が出ることに気が付いて、1人で練習してたの。ゲラントと会ってからは話し相手ができたから、戻るのも早かったんだと思うけど」
発達が遅れたのはもしかしたら心の声の強さに関係あるのかもしれない。彼女も王族であるからには様々な人種の血を受け継いでいるはずだ。その何かの血によって彼女はこの心の声の力を持つことができたのだろう。プラニッツ人にこんな威圧的な力があるはずもなく、彼女はその相反する力によって子供の間に実際の声を失うという状態になるに至ったに違いない。
「話せることと植物を育てる力があることを公表すればあなたも一人前の王族として扱われたことでしょうね。ですがあなたはそれをせずに家を出た…。それは何故です?」
スィベルの口調には彼女を馬鹿にするような響きが乗せられていた。ゲラントの話ではファランは自分が何もできない王女であることを気にしていたということだ。スィベルのこの話に彼女が怒り出さないという保証はない。むしろスィベルはそれを狙っているのかもしれない。
しかしファランは意外にも冷静だった。スィベルの顔をしばらくじっと眺めていたかと思うと、少しだけ呆れたような息を吐く。
「私の話なんか聞くより、あなた…情報屋なんでしょ? 私に情報を売ってくれる気はない?」
冷静なまでは良かったが、彼女はとんでもないことを言い出した。自分の話を強制的に断ち切り、逆に問い返すというのは上手い手だとは思うが、相手は名の知られた情報屋だ。ファランが交渉を持ち掛けるにはあまりにも難易度が高い。
「あなたに私が情報を売る…のですか? 情報によってはあなたの持つ情報では価値が見合わないものもありますが?」
スィベルもまさかこんな展開になるとは思いもしなかったのだろう。戸惑いを隠せないようだ。そして何より慌てているのはゲラントだろう。薬も飲んでいられなくなり、あの居心地の良い椅子から立ち上がろうとまでしている。しかしファランはそんな周りの様子など全く意に介していなかった。
「私の情報は王の宮殿の内部構造と…王都郊外にある父の邸宅と、騎士の配置人数。それで足りなければあなたの望む薬草を望むだけ…一生提供し続けてもいい」
「ファラン! それは国と親に対する背信行為だ! それだけはやってはいけない!」
ゲラントが耐え切れずに声を上げた。しかしファランはスィベルから目を逸らさない。そしてスィベルも黙ったまま彼女を見つめ返していた。
「情報屋はそれだけの危険を犯してその情報を得ている。だからこちらもある程度の危険は犯さないといけない。前にゲラントはそう話してたでしょう? それに建物の構造はいくらでも後で変えられる。もし現時点で悪用されたとして伯父や父が危険な目に遭ったからってどうなの? デルフィラが現れた時点で私達に安全な場所なんてもう何処にもないのよ⁈ 本当なら私達だってネメアに襲われていたはずなんだから!」
一気に捲し立てるファランにゲラントは押されながらもなおも食い下がる。
「しかしあんたが一生この男のために薬草を育て続けるなんていうのはいくら何でも考えが無さ過ぎる。あんたはまだ若いんだぞ⁈」
「いくら若くても明日死ぬかもしれない…それが今の世の中よ。そうなったらこの人は随分と安く情報を売ったことになるけどね?」
「……」
ゲラントはとうとう反論する言葉も尽きて黙り込んでしまった。ファランの言い分は全て間違えてはいない。親族を危険に晒す、一生他人のために薬草を育てる。確かに最悪な場合はそうなるが、そうならない可能性と半々だ。だがそうとわかっていても普通は思い切りよく切り出せないものだろう。
言い合う2人を眺めていたスィベルは突然笑い出した。
「なかなか言うじゃないか! 普通に口の利ける王族で、ここまで潔い人間なんて今まで1人もいなかったんだ。やっぱりあんたは見どころのある人間らしいな!」
彼は本当に嬉しそうな顔をしてひとしきり笑うと、居住まいを正してファランに向き直る。
「それではあなたがそこまでして手に入れたい情報というのをお聞きしましょうか、ファラン様」
仕事の顔つきになったスィベルは刺すような視線でファランを見つめた。その視線にファランは一瞬息を飲む。彼の方から取引したい情報を尋ねられたということは、本格的に交渉に入ったということだ。恐らく初めての経験だろう状況に今更ながら緊張し始めたらしい。
ショノアは彼女の隣に並ぶと念話で語りかけた。
“大丈夫だ。この男は悪い奴じゃない”
ショノアから見える彼の心の動きはとても安定していて、何かに希望を抱いているようにも思えた。見ようと思えば心の中までも覗けるだろうが、そこまでしなくてもこの男の性質は『悪』ではない。それだけはわかるのだ。突然頭に響いてきた声にファランは驚いてショノアを見上げてくるが、すぐに勇気を振り絞るようにしてスィベルに向き直った。
「私が欲しい情報は…聖剣の使い手セレンに関すること。彼が異世界にいて、それを連れ戻そうとブラドがガレス人を大勢集めてるってことまでは知ってるの。知りたいのはその先…」
「……」
スィベルは一瞬押し黙った。その表情から彼女の求めた情報がかなり重大な情報であることは伺い知れる。ショノアとしてもまさかファランが自分の未来を懸けてまで手に入れようとした情報がセレンに関するものだとは思いもしなかったために内心驚くばかりだ。
「黒将軍セレンの行方…ですか…。あれは敵味方問わず誰もが求めている情報でしょう。情報屋の間でも掴んでいる情報に大した違いはないはずです」
しばらくして重い口を開いたスィベルはそう前置きした。
「ブラドが集めたガレス人の1人をある異世界に送り込んだというのは確かです。それからもう結構な時間が過ぎていますが、そのガレス人が戻ってきたという話は聞きません」
ショノアは彼の話を聞きながら、いつ自分の正体に気付かれてしまうかと密かに冷や汗を流していた。気付かれてしまえば当然セレンのことを尋ねられるだろう。そうなれば本当のことを話さなければならなくなる。
「ですが最近…あなたのお父上のご領地モンドレルでセレンの姿を見たという目撃者が現れたのです」
「⁈…」
思わず声を出しそうになってショノアは慌てて心を鎮めた。
この時代でセレンを見ることなどできるはずはない。だが彼の体は死後も一切朽ちることがなかった。そして彼の遺体をショノアは連れ帰らなかった。そもそも人間の体ではなくなっているのだからとグレシルは話していたが、それでは聖剣のように時を経て目覚める可能性も無いとは言い切れない。彼が115年の時を経て蘇っていたのだとしたらどれほど良いか。
しかしショノア同様その情報に衝撃を受けた人間がもう1人いる。ファランだ。
「モンドレルって…、魔獣造成師達の聖地って呼ばれてるあの街…? そんなはずない…。だってあの街は隅々まで人の管理が行き届いてて、外から知らない人間が入り込まないように徹底されてるんだから」
「そうだ。あそこは街のほとんどが魔法生物の育成場。迂闊に足を踏み入れたら死人が出るような場所だぞ?」
ゲラントも馴染みのある街なのか、スィベルの話に半信半疑の様子だ。
「……やはりそうですか。私はモンドレルには行ったことがありませんが、私の持つ情報からしてもあの街にセレンがいるという話は不自然だと感じていました。ですが…だからこそ怪しいと見る人もいます」
「…怪しい?」
ファランは明らかに不安そうな顔を見せた。モンドレルは彼女の父ユーラッドの領地の一つだ。かつては彼の母方の一族が代々領主となっていた土地だったが、当時領主だった伯父が亡くなった際にユーラッドがその土地を譲り受けることを切望し、手に入れたと言われている。
ユーラッドはそれからモンドレルに私財を投入してまで街の発展と新たな魔法生物の開発に尽くした。魔法生物の造成に関しては一切の妥協を許さず、優れた魔法生物のみを売り物として世に出すことを許可した。そのためモンドレル産の魔法生物は一気に信頼性を向上させ、一時期は世界中のほとんどがモンドレル産の魔法生物と言われたほどだったのだ。
しかしそれも今ではデルフィラが造成に必要な素材を全て奪ってしまい、モンドレルは今までに造成された魔法生物を売るのみになってしまっている。今あの街にいるのは持ち主がいなくなり里帰りしたものか、売れ残ったものしかおらず、聖地とまで言われた繁栄ぶりは見る影もない。
そんな場所にセレンが自ら足を踏み入れる理由はなく、或いは自由に動き回る魔法生物を利用して彼を街に監禁しているのではないのか。そんな噂も囁かれ始めているという。そうなれば彼を監禁しているのはユーラッド王子だということになってしまうのだ。
「それはさすがに無いと…思うけど…」
スィベルの話を聞いたファランは自信無さげに顔を伏せた。彼女にしてみればユーラッドは気に食わない父ではあるが、悪事に手を染めるような人間とは思いたくないのだろう。だがショノアは王子だからこそセレンを監禁する可能性もあると感じていた。
「セレン様はかつて…ダルチェス王子に忠誠を迫られ岩穴に閉じ込められたことがあると聞いている…。あの方は周りに対する影響力が強い。だからこそ手に入れてしまえば自分が王に最も近い存在となれる。それは…ユーラッド王子も同じだ」
「ゲラント…」
父親を疑っているのがゲラントも同じだとわかり、ファランは失望を露わにした。しかしここにいるファラン以外の誰もがユーラッドを疑っているのだ。彼女が庇うにも限界がある。
「…実際にモンドレルに行けば全てわかる。本当にセレンがそこにいるのか、いるなら何故そこにいるのか。ここで話してたって何一つ判明しない」
ショノアは居ても立っても居られない気持ちになり、思わず座っていた椅子から立ち上がる。セレンがもし115年の時を経て蘇ったのなら、そしてユーラッドに監禁でもされているのだとしたら一刻も早く助けに行かなければならない。するとそれに釣られるようにしてファランも立ち上がった。
「私も行く。お父様が関係あるのかどうか…今は何もわからない。だけどもし…お父様が過ちを犯そうとしているなら、止めるのは娘である私の役目だもの」
ファランにしてみればつらい結果が待っているかもしれない。果たしてユーラッドがセレンを監禁していたとしたら、彼女は父親に対する失望と対決を余儀なくされるのだ。それはまるでかつてのデルフィラとアルゴスのようだった。
ショノアは思わず同情して「良いのか?」と声を掛けてしまう。ファランは少し驚いたように彼の顔を見返してきた。
「私が行っても行かなくても事実は事実。後で人から聞いた話でお父様をどう思うべきか考えたくはないの。それに多分…私じゃないとセレンを助けることはできない」
「……」
それはもしかしたら血の制約のことを言っているのだろうか。セリノアの一族に掛けられた呪いのようなあの魔法のことを、どこまでの王族が知らされているのかショノアは知らない。だがマリウスより彼女の方が普通は王になる可能性は断然高いのだ。となればセレンは彼女にも攻撃できず、ファランもそのことを父親から聞かされていたのかもしれない。
かつてセレンがダルチェスに囚われた時、前王が解放するように命じたため岩穴から出ることができた。しかし前王はもういない。ユーラッドはファランを溺愛しているために彼女の頼みなら聞き入れる可能性は高く、もし聞き入れなくても彼女がセレンに自ら自由になることを許可すれば彼も動くことができるのだろう。この点についてはファランの方が詳しいはずだ。
「そうか…。ならあんたの安全は俺が守ろう…」
彼女の存在はセレンにとってかなり重要だ。絶対に守らなければならない。そう思って呟いた言葉だったが、ファランは何故か顔を背けてしまった。
「お邪魔なようだが俺も一緒に行くぞ? 情報を集めるなら人数は多いに越したことはない。それに、ファランを守りたいと思ってるのは俺も同じだ」
「じゃ、邪魔だなんて思ってないから! ゲラントが付いてきてくれるなら私も安心だし、ショノアの邪魔に…ならないで済む…でしょ?」
何故か彼女の声は尻すぼみに小さくなっていく。こんな時は全く彼女の心の声は聞こえてこない。それどころか感情の動きによる魔力の揺らぎさえ隠し切っていて、彼女がどういうつもりで今この言葉を言ったのか、全く読み取ることはできなかった。色々とファランは扱いにくい女性だ。ショノアとしてもゲラントが同行してくれるのはありがたかった。
しかしすぐに動き出そうとするショノア達をスィベルが引き留める。
「何か…忘れてませんか? ファラン様」
「あ! ご、ごめんなさい! 私の方からはまだ何も話してない!」
ファランは慌てて元々座っていた席に戻った。しかしそれをスィベルは笑って眺めていて、特に気分を害している様子はない。
「構いませんよ。あなたが踏み倒そうとしていないことは今のやり取りを見ている限り明らかです。城の見取り図は後で私が持ってくる念珠に写してください。ユーラッド家の見取り図は不要です。それからあなたが薬草を育ててくれるという件も…時々私の方からはお願いはするでしょうが、無理に頼むつもりはありませんからご安心を」
スィベルの要望は随分と良心的だった。思わず何か裏があるのではと疑いの目を向ければ、スィベルは挑発するような視線で返してくる。ファランはというと、少し申し訳なさそうに縮こまっている。
「ごめんなさい…。私にできること、そんなに役立たなくて…」
彼女にしてみれば自分の提示した取引内容を突き返されたような気分なのだろう。スィベルは慌てて彼女に向き直ると笑顔を浮かべた。
「いいえ、あなたとの取引は私にとってかなり有意義でしたよ? あなたはこの先私に重大な情報をもたらしてくれる…。モンドレルで見聞きしたことを必ず無事にここにお戻りになり私にお話しください。それが私に対する最大の報酬になります」
「……」
それはユーラッドの罪を娘自身に告白させることを期待しているということにもなる。確かにこれほど彼女にとって重い情報はない。彼は自分の情報によって更にその上の情報を引き出せると気が付いたのだろう。
ヘルドル人であるスィベルはあまり危険な場所に足を踏み入れるわけにはいかない。しかしそんな場所に自ら赴かなくとも彼は情報屋としてかなり有能なようだ。本来、薬師と情報屋など全く逆の世界の人間のようだが、彼はそれを上手く利用して情報を得てきた。
考えてみれば、治療という行為で九死に一生を得た人々に守るべき情報など最早ない。死ねば自分が頑なに守ってきた情報も共に消える。そんなことになるくらいなら今スィベルに話してしまおうか…。そう考えた患者は多かったはずだ。そして今度はファランを使って彼は誰よりも早く新しい重大な情報を手に入れるつもりなのだ。
「おい…、それはいくら何でも虫が良すぎないか? ファランの情報なら他にもいくらだって良いものがあるだろう?」
ゲラントは調子に乗りすぎだとスィベルに抗議する。しかしその言葉がむしろファランの決意を促したらしく、彼女はゲラントに笑いかけるとスィベルに向き直った。
「わかった。セレンの噂の正体を見極めて必ずここに戻ってくる。…お父様が無関係なら私には何の問題もない情報だものね」
彼女は頭の切り替えが早く決断も早い。今何が最も重要かもよく見えているようだ。ショノアは少し彼女が同行することに面倒さを感じていたが、今までのやり取りを見ていてもどこか昔のデルフィラを思わせる。きっとこの先も問題なくやっていけるに違いない。
「聡明な王女様は話が早くて助かります。それでは今夜は我が家でお過ごしください。宿屋はいつも満室…。今から行っても追い返されるでしょうからね」
「満室…? 随分と盛況なんだな?」
今の時代、人の数はどんどん減り、何処に行っても危険だらけだ。道中の危険を冒してまで馴染みのない街に引っ越しても良いことはない。商売のために立ち寄るのも同様の理由でどの街もはとんど行き来はない。そもそも売買できる余裕のある人間など買い手も売り手もどちらもいないのだ。
「最近この街に移り住もうという人間が増えてきてな…。家が決まるまで皆結構長い日数を宿屋で過ごしてるんだ」
確かにこの街の様子は他の街とは全く違う。しかし外から来る人間にはガレス人との共存を嫌がる人間も多いはずだ。それでもこの街には移住者が多いと言うのだろうか。
「とりあえず夕食にしましょう。部屋数はそれなりにありますし、野宿よりは良いと思いますよ?」
「随分手厚いんだな? 王女を家に迎え入れる栄誉に与りたい…なんてガラじゃないだろう? 何処か…俺達に転がり込まれると困る場所でもあるのか?」
ゲラントは無表情でスィベルを見つめていた。食糧難のこの時期に、いくら1人は王女だといっても外から来た人間を3人も進んでもてなそうなどという酔狂な人間はいない。だとしたらスィベルは何か理由があってショノア達を引き止めようとしているのだ。
ファランも怪しいと感じていたのか、スィベルを先程からずっと見つめている。2人の視線を受けて、彼は苦笑した。
「大事な情報源になる御方だ。…この街には同業者も多くてね。あんたらがフラフラ道を歩いてたら色んな場所で大歓迎を受けるだろうよ」
「……そんなに…?」
ファランの素性が知れ渡っているのはむしろナビルが触れ回ったせいのような気もするが、ゲラントはどうも責任を感じてしまっているようだ。そこはやはり元直属部隊の騎士らしく王女に無用な危険を呼び込むようなことはしたくなかったに違いない。
「中にはタチの悪い連中もいるからな…。俺は一応この街では最古参の情報屋で門番の兵士にも顔が効く。信頼に足る人間だと思うんだが?」
ゲラントがファランを見ると、彼女は静かに頷いた。どうやらスィベルの勧めに応じることにしたようだ。
「それなら今日はここで泊まらせてもらうわ。食糧なら手持ちがあるから…」
ファランはゲラントから渡された袋から中身を取り出していく。するとスィベルは少し嬉しそうな顔を見せた。
「…さすが恵みの神は持ってる物が違いますね…。これなら我が家にある食糧と少し交換して頂けませんか? この街では領主のオルデナ様から毎日配給があるので食べ物に困ることはありませんが…、少し味のしない代物でしてね」
「毎日食糧の配給があるのか? そいつは凄いな…」
ゲラントが感心すると、スィベルはまるで自分が褒められたかのように得意げな顔を見せた。
「オルデナ様はお美しいだけでなく統治者としても非常に優れた御人だ。早い時期から街に住むガレス人に呼びかけて、食料問題に全力で取り組まれていてな。王都とはえらい違いだろ?」
何でもこの街には“モール”がいるらしい。あれはショノアの母モニカが苦心して復活させた魔獣造成の魔法で造られたものだが、生前何人か知り合いに配ったと話していたのをショノアは思い出していた。恐らくその内の1人が生き延びてこの街に辿り着いていたのだろう。そのモールをこの街にいるガレス人総出で作った培養器で増やしているらしい。だからこの街の人間は皆飢えた様子がなかったのだ。
「薬草などで毎日味は変えてみていますが限界はあります。やはり時にはちゃんとした野菜や果物を口にしたいものですよ」
スィベルは愛想良くファランに笑いかけると隣の部屋に繋がる扉を開けた。




