(5)
塔の中は薄暗く、床の黒い石は鏡のようにぼんやりとショノア達の姿を映し出していた。ゆらめく燭台の炎も何かの気配を感じさせて、ショノアは落ち着きなく周りを見回す。
「何か見えるか?」
「…ああ、魔法石の欠片がいくつか散らばっているな…。これくらいなら俺の力でも移動させられるか…?」
ショノアは試しに床に散らばる石の欠片を魔法で一ヶ所にまとめようとした。しかし息を吹きかけても飛んでいきそうな小さな破片でさえ、まるで大岩であるかのようになかなか動かない。それでも何とか階段らしき物が見える場所まで真っ直ぐに欠片のない道を作る。出来上がった時にはすっかり息が上がっていた。
「ショノア…、大丈夫か?」
「…ああ。あともう1回これを繰り返すのかと思うと少しうんざりするがな…」
アルゴスがいるのは5階だと言っていた。しかも上に行けば行くほど魔法は使えなくなっていくことだろう。次に天井が破壊されている階では更に苦戦することは間違いない。
「私が背負ってやるからしばらく休んでいろ」
ベリルがショノアの前で屈んだが、それを王の手が引き留める。
「その役目は私がやろう。そなた達には私を守ってもらわねばならないのだからな」
「え? …いや、でもそれはさすがに…」
ショノアの前で王がベリルと並んで背を向けたものだから彼は慌てるばかりだ。いくら忠誠を誓っていないと言っても王に背負われるなどと、周りの目が恐ろし過ぎる。しかし意外にもベリルとイアニスの2人は何も反論しなかった。最早身分のことなど気にしていられないくらいここは危険な場所なのだ。しかも味方の数は少なく、戦える者は万全に構えておく必要がある。それを彼らはよくわかっているのだ。
気の進まないまま王に背負われ、ショノアはとにかく目を凝らした。自分にできることなどそれくらいだと必死だったが、王と視界が近いために彼が安全な“道”から外れそうになっても逐一修正することもできる。この状態は王にとっても悪くない状態なのだと納得する。しかもショノアは子供で尚且つ体が軽いガレス人だ。王にとっては特に何の負担にもなっていないらしい。
階段で2階に上がると魔物が3体ほど待ち構えていた。どれも大きな二足歩行型の竜の魔獣だ。大きな顎には恐ろしげな牙が並び、手にも足にも大きな爪がある。幸い羽根は付いていないようだが、こんな狭い場所では邪魔になるだけだ。無かったところでこちらとしてはあまり変わりない。
「ここには魔法石の気配は天井だけだ。けどあんなのに暴れられたら崩されてしまうかもしれない」
「それならば私に任せろ。私も…さすがに他人を使ってばかりでは気が引けるのでな…」
意外なことに名乗りを上げたのはイアニスだった。彼の武器は斧のようだが、服の色は青色だ。その色は確か魔法騎士の身に着ける色だったはず。
「あまり派手にやらないようにしてください。ここには陛下もご同行されているのですから?」
「わかっている。この魔獣共を魔物の餌場とやらに送り込むわけにもいかないしな」
ベリルの口ぶりでは彼もなかなか強そうだ。将軍になるくらいなのだからそれも当然かもしれない。
イアニスは柄の長い戦斧をしっかり握ると魔獣の前に立った。ネメアほどではないにしろ、狭い部屋の中で立ち塞がる3体の魔物は迫力が凄い。普通より大きめの斧もその迫力の前ではあまり意味がないように見えた。
魔獣達はバラバラに攻撃を仕掛けてきたが、1体目の目の前でイアニスは小さな魔法具を取り出してきてその魔獣の顔に向ける。一瞬だけ目の眩むような光が弾け、魔物は視力を奪われただ闇雲に攻撃を始めた。
後ろから迫ってきた2体目の魔物の足下には別の魔法具で何か液体状の物を撃ち出し、勢いの付いた魔物はその液体を気にすることなく踏んでいく。すると魔物は突然転倒し、そのまま暴れている1体目の所まで滑っていった。まだ目のよく見えない1体目の魔物は滑ってきた仲間をそれと気付かず攻撃する。攻撃された魔獣は怒って反撃し、味方同士で争い始めた。
残った3体目でようやくイアニスは戦斧を振る。その大きさに見合った重さのある攻撃だ。その攻撃と同時に斧の先端から何かが飛び散ったように見えたが気のせいだろうか。斧は魔獣の体に当たるが、皮膚を覆っている鱗に阻まれ跳ね返る。あの戦斧の攻撃をまともに喰らって傷一つ負っていないのだ。その鱗は相当硬いのだろう。
「加勢を…!」
攻撃が通じないのを見たショノアは思わず魔法を放とうとするが、それを王に止められた。
「イアニスなら大丈夫だ。心配ない」
その穏やかな声にショノアはおとなしく手を止めるものの、心配はまだ解消しない。イアニスは魔獣の攻撃を斧で捌いているが、決定打が出せないようなら勝負が付けられない。1体目も2体目もそろそろ落ち着き、標的をイアニスに据え直している。本当に大丈夫なのだろうか。
するとイアニスと戦っていた魔獣の動きが突然鈍くなった。足元がふらついてきて、よろよろし始める。それを待ち構えていたのか、イアニスが下がってきた魔獣の頭目掛けて斧を振り下ろす。不思議なことに今度は鱗に阻まれることなく斧はその頭をかち割ってしまった。残りの2体も気が付いたら今死んだ魔獣と同じく様子がおかしくなっている。イアニスはその2体も同じく頭を割って倒した。しばらくすれば倒された魔獣3体は魔力となって空気に溶けていく。
戦いが終わるとベリルが盛大に息を吐いた。
「まったく…もう少し危なげのない戦いを見せてほしいものですね…。肝が冷えましたよ?」
「お前と同じにしてくれるな…。これでも円滑に運んだ方だ」
口では厳しいことを言っているが、ベリルは少し心配してこの戦いを眺めていたのだろう。それに対してイアニスは苦笑するばかりだ。しかしベリルほどではないにしろ、彼の戦いも十分興味深いものだった。むしろ人間離れしているベリルの戦い方よりもイアニスの方が普通の騎士達には参考になるのではないだろうか。実際にその戦いを近衛騎士達は食い入るように見つめていた。
「さて…、イアニス様の毒がそこら中に撒き散らされていますので、気を付けてお歩きください。まあ、誤って触れたところで解毒剤はありますが」
ベリルはまだ少しイアニスの戦いに不満を感じているのか、口調に棘がある。しかし魔獣達が急に弱くなった原因が毒だと知って、ショノアは思わず声を上げた。
「あれは毒だったのか…。確かに魔力はわずかに感じたが…」
彼の感心した様子に、イアニスは少し自慢げに笑顔を浮かべた。
「斧とこの魔法具にはどんな魔物が相手でも外殻を柔らかくする機能を備えた魔法の毒液を仕込んである。だが万能性を持たせたために、効きは遅くなってしまったがな…」
「効きが遅いために魔法騎士の戦いに大々的に導入する話が立ち消えたのでしょう? あの毒を未だに多用しているのはあなたくらいです」
「別に使い勝手は悪くないからな?」
悪びれずに答えるイアニスにベリルは呆れ顔だ。しかし2人のやり取りを見ていた王は少し嬉しそうにしていた。
「こんな大変な状況だというのにあの2人はいつでも頼もしい…。だからこそ私はここまでやって来られたのだがな」
しみじみと呟く王を見て、ショノアもどこか温かい気持ちを抱いていた。王のために尽くす家臣、そして家臣のことを信頼する王。この関係はジョルダニア王とセレンの間には成立していた理想的な主従の形だが、今となっては未来にこの関係を築けそうな王族は誰もいない。だがこの時代の王とジョルダニア王が立派な王になれたのなら、未来にも何処かに同じような性格を備えた王族がいるかもしれない。そんな期待を抱くことができた。
「それより先を急ぎましょう。床の濡れている場所は避けてください。滑りますし、毒も含まれています」
ベリルはイアニスとの不毛な会話を打ち切り、さっさと先を歩き始めた。まだ周りは近衛騎士達がイアニスの先程の戦いについて興奮したように話をしていたが、彼女とイアニスが動き始めるとおとなしくなる。王はその様子さえ嬉しそうに眺めると、イアニスの後に付いて行った。
3階に来るとそこは二度目に魔獣騎兵隊が突入したという穴が空いていた。そうなるとここは天井にも穴が空いていることになる。ここはもうほとんど天井がなくなっていて、ほぼ4階は無い状態だ。そうなると魔法石の欠片もかなり多く散らばっていて、足の踏み場もない。ショノアが細かく指示をしてようやく立てる場所は確保したものの、そこからは一歩も動けなくなる。しかも運の悪いことに飛竜の魔物が多数襲ってきた。
「皆、一旦2階に戻れ! ここは私が引き受ける!」
ベリルが力強く言い、イアニスは王や他の近衛騎士達を急いで階段まで下がらせた。3階に残ったのはその場からは一歩も動けないベリルのみだ。彼女は薄笑いを浮かべながら剣を抜いた。ベリルの高揚した気持ちを反映するかのように剣がいつもより赤く輝いている。
「大丈夫なのか…? 一歩でも動いたら転移させられてしまうんだぞ?」
ショノアは王の背中から降りて、階段から3階の様子を覗き見る。心配する彼の目の前で飛竜達がベリルに飛びかかってきた。ベリルは近付く飛竜を空中で斬り殺すと、床に向かって叩き落とした。それは四方八方に落としているようでいて、巧妙に飛竜の体を使って魔法石を吹き飛ばしていたのだ。実際にショノアの目には1本の階段までの道ができているのが見えた。しかし飛竜もその内ベリルの意図を悟ったのか、正面ではなく背後から回り込もうと距離を空けながら近付いてくる。
「ベリル、後ろから近付いて来ているぞ!」
「心配するな」
ショノアが思わず声を上げると彼女はわかっているとばかりにニヤリと笑った。彼女は後ろにも目があるのかと思うほど正確に後ろから襲ってきた飛竜の首を刺して殺していた。そしてそのまま剣を前に向かって振ると、飛竜は剣から抜けて床を掃く道具となった。何処から攻撃しようとなす術なく飛竜は倒され床に叩き付けられて、死体は魔力が解けて消える前に転移されて消えていく。やがてその階にいるのはベリルだけになった。
「終わったぞ? 多少死体で魔法石の欠片も移動させてみたがどうだ?」
「……」
わかっていたが飛竜は本当にあっという間に駆逐されてしまった。その圧倒的な強さに誰もが言葉を失い呆然とする。
「ショノア、どうだ? 私はここから動いても良いのか?」
「え? …ああ、少しだけ待ってくれ」
目視できるような大きな欠片は確かに払われてなくなっているが、飛竜を叩き落とした衝撃で更に粉々になってしまった魔法石があるようだ。だがこれくらいなら弱い風の魔法でも移動させられる。
ショノアはそれでも苦労して魔法石の粉を吹き飛ばした。やはり1階の時より更に魔法が使えなくなっているようだ。ベリルがある程度道を空けてくれなかったら、この作業にはどれだけ時間を要したことだろうか。考えるだけでも気が遠くなる。
「良いぞ。魔法石の散らばっていない場所なら歩いても問題ない」
ベリルは恐る恐る前に一歩を踏み出し、階段に避難していたショノア達も3階の床にようやく足を付けた。上を見上げると、次の階段は5階まで繋がっている。
「あそこが謁見の間だな…」
階段を登っていくにつれ、アルゴスの魔力が肌に突き刺さってくるような心地だ。何代ものガレス王が座っただろう玉座もそこにあるからか、とにかく魔力の圧力が他の場所に比べて段違いに強い。気分が悪くなるほどのその力に、平然と歩いているのはベリルだけだ。やはりセリノアの一族は持っている魔力の量が相当強いのだろうか。しかしこんな状態でアルゴスと対峙するのは不安しかない。やはりアルゴスの言葉に従ったのは失敗ではないだろうか、そんなことを考えている内にショノア達は5階まで辿り着いてしまった。
「ふむ…。なかなか早くここまで辿り着いたな? しかも誰1人転移することなく来たとは…なかなか優秀だ。褒めてやろう」
「⁈」
5階に上がると周りは魔物に囲まれていた。予想通りとは言え、味方の状態が悪過ぎる。しかしミレノアル王は静かに前に一歩進み出る。
「約束だ。私の家臣達を餌場から出して、この塔の周辺に転移せよ!」
「良いだろう。貴様を殺してからならいくらでも餌は手に入る。魔法生物達も少しの間だけなら我慢もできよう…」
魔物の隙間から見えるアルゴスが軽く顎を上げるのが見える。ショノアは何かの魔法の気配を感じて塔の外を透視してみた。少し見えにくいが、こういう魔法はまだそれほどアルゴスの妨害を受けずに済むようだ。塔の外に突然現れた兵達の姿に、ミレノアル軍が驚きと歓喜の声を上げている。
「大丈夫。ちゃんとみんな戻ってきた」
ショノアが報告すると王はホッとため息を吐いた。しかしそれと同時にベリルがアルゴスに向かって走り出した。立ち塞がる魔物を切り伏せ、その魔物をアルゴスに向かって放り投げる。宙を飛んだ魔物はアルゴスの手前で何かにぶつかり床に落ちた。
「障壁か⁈」
視界が開けるとアルゴスは玉座に腰掛け悠然とこちらを眺めていた。舞台のように一段高い場所にあるその場所から、こちらの様子を観戦するつもりだったのだろう。魔力も強まったあんな場所に居座られたら、こちらは手も足も出ない。
しかしベリルは障壁があるとわかっても諦めずに玉座に向かって走っていった。そして先程魔物が何かにぶつかった辺りで剣を振りかぶる。当然振り下ろした剣は障壁に阻まれたがベリルは尚も力を込めた。彼女の口から凄まじい気合いの声が漏れたかと思うと障壁が曲がり、そのまま障壁ごとアルゴスを玉座から弾き飛ばしてしまった。
「…凄い…!」
障壁ごと相手を攻撃してしまうなど、最早人間技ではない。アルゴスも驚いたのか唖然としてベリルを見上げている。だがその顔が一瞬で怒りに変わる。
「貴様!」
伸ばされた手から発動したのは恐ろしい威力の衝撃波だ。ベリルは咄嗟に避けたが、余波だけでショノア達の所まで飛ばされてしまった。
「ベリル!」
床に叩き付けられたベリルにショノアは駆け寄り、イアニスと王が彼女をアルゴスから守るように前に出る。幸いベリルに大きな怪我はなかったようで、彼女はすぐに立ち上がった。
「まったく…、ミレノアル人は相変わらず厄介なものよ…」
アルゴスも面倒そうに立ち上がると、こちらに向かって歩いてきた。周りの魔物達は王に道を譲るかの如く、左右に分かれて離れていく。ショノア達の警戒心は一気に上がった。
「ここで全員殺して晒してやろうかと思っていたが…、気が変わった。やはり簡単に殺してしまっては面白くないな」
「何だと⁈」
イアニスが斧を構えた瞬間、体が宙に浮いた。いや、突然床が消えたのだ。しかし落ちていく先は3階の床ではなく、何も見えない真っ黒な空間。
「まさか…⁈」
ショノアはその空間の正体に思い至り、顔色を変えた。しかし魔法のろくに使えない状態ではベリル達どころか自分でさえも守る力はない。なす術もなくショノア達は黒い空間に落ちていった。
丁度同じ頃、主塔から遠く離れた城の庭園ではセレンが倒れていた。周りにはネメアの遺体がいくつか転がっているが、他に生きて動いているものの姿はない。身動ぎ一つしないセレンの顔の近くに1匹の黄金の鳥が舞い降りる。
「……デル…フィラ…?」
鳥がセレンの顔に擦り寄ると、その名をセレンが呼んだ。そして徐々に開いていく目。
「戻って…きてくれたのですね…?」
その背中を撫でると鳥は嬉しそうに更に擦り寄ってきた。彼の無事を喜んでくれているようだ。
「早く…ベリル様に追い付かねば…」
セレンの体に深い傷はない。巨大なネメアと戦って負った傷も、薬のおかげで随分と塞がってきている。しかし立ち上がる力が残っていない。まして歩くことなどほぼ不可能だ。もうしばらく休めば立ち上がるくらいはできるだろうが、胸騒ぎがしてならなかった。
両手で支え、どうにか上体を起こしたものの、目的地の主塔まではまだ遠い。それでも無理矢理立ち上がれば、何処かで馬の声がする。見ると遠く離れた木々の間からあの白い馬が走り寄ってきていた。
「皆と一緒に…行かなかったのですか…?」
寄せられてきた鼻面を撫でると馬はじっとセレンの目を見つめてくる。強固な意思を伝えてくるその目はセレンを乗せる馬としての自覚と誇りに満ちていて、とてもセレンの言い分を聞き入れてくれそうにはなかった。
「わかりました…。ではまた乗せてください…。今度は一緒に…行きましょう…」
セレンの言葉を聞くと、馬は乗りやすいようにとその場に座ってくれた。それでもセレンは馬に縋るようにして苦労してその背に跨った。馬が立ち上がった時には少しホッとしたのか意識がまた遠のいていく。霞む視界の中でデルフィラの使い魔が満足したように飛び去っていった。
戦いが長い…。まだ終わらない…。




