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黒衣の守護者  作者: 樽吐
開戦
59/156

(1)

 魔法大国ガレス。その建国は5千年前にまで遡る。ガレスの初代の王はまだ国という存在がなかった時期に陸地を全て見て回り、この魔力が豊富に滞留する土地を見つけて都を築いた。それが今のガレス王都とされている。大量の魔力を含む鉱物が多く、その魔力の恩恵を受けて貴重な植物や魔物が多く生息する場所ではあるが、周辺に大きな山や森はない。昔は様々な地形が存在し、その地に合った生物が暮らしていたが、度重なる王族と貴族との戦いによってほとんどが消失した。或いは魔法研究のために大地から魔力を搾取し過ぎた結果、豊かな自然が枯れ果てたのだとも伝えられている。

 ミレノアルが国として独立してからは二国間での戦争は頻繁に起きていた。しかし王都は長い間強力な結界に守られ、攻め易い土地にありながらも一度たりともミレノアルの侵攻を許していない。だがその結界も200年ほど前の内乱で、敗北した貴族が自らの命と引き換えに結界石の一つを破壊した。それにより王都を囲む結界も消失し、今に至るのだ。セレストの革命直後に作られたという結界石と同等の物を千年以上も後の時代のガレス人が作れるはずもなく、それ以降のガレスはミレノアルへの攻撃をより激しくすることによってミレノアル軍の侵攻を防いできたのだ。

 地形による防衛も期待できず、結界もないガレスの王都。ネメアの造成によって圧倒的な力を手にしたかのように見えたが、そのネメアでさえガレス王家の一人ヘイム王子によって退けられてしまった。ガレスはまるで自滅の一途を辿っているかのようだ。

「…皮肉なものだな」

「何がだ?」

 ベリルの呟きに、彼女のすぐ後ろにいるショノアが聞き返す。2人が今いるのは王都を見下ろす小さな岩山の上。ベリルの乗る馬の後ろにショノアも共に乗っていた。岩山の周りは大勢の騎士や兵士が整列し、前方の部隊中央でイアニスが皆を鼓舞するよう語りかけている。その言葉に呼応し、兵士達は(とき)の声を上げる。士気は十分に上がっているようだ。

「ネメアという絶望的な敵の存在がなければ我々ミレノアルはガレスを攻め落とそうなどとは考えなかっただろう。ガレスは攻め落とすにはあまりに危険だからな…」

 ベリルは今回の戦いに少し残念な思いがあるようだ。やはり彼女もセレンの先祖なだけはあって、無駄な争いは避けたい思考の持ち主だったらしい。

 実際にガレス王都が結界に守られていた頃は二国間での戦争は本当に小競り合い程度で、お互い王都に迫ることさえ滅多になかった。そもそもミレノアルが独立した後は特に干渉し合わなかった国同士だ。仲は決して良くはないが、滅亡させたいほどに悪いわけでもない。そういう関係で長い時間を凌いできたのだ。

 今回の戦いではミレノアルの総力が結集されている。王都で暮らすガレス人達がどれだけミレノアル軍の勧めに従い無抵抗でいてくれるかはわからない。だが果たして敵がアルゴス王1人だけになったとしても、決して楽な戦いにはならないことだろう。

「ヘイムはこの辺りにいるのか?」

 ショノアは上空に目を凝らした。

「…ああ、いる。魔獣騎兵隊の更に上辺りを飛んでるよ。ネメアも周辺にはいないようだ」

 ヘイムの体は非常に大きい。ミレノアル軍には飛竜に乗った騎士達の部隊もあり、彼らは隊列を組んで空を飛んでいる。そんな彼らにぶつからないようヘイムは更に上空を旋回し、まるで自分の存在を見せつけるかのようだ。

「今のネメアはヘイムを恐れているはずだ。だとしたらヘイムの見える範囲にネメアは近付かない。上手く誘導したら、あんた達を戦いに巻き込まずに済むだろう」

 ここまでの道のりで幸いネメアの襲撃はなかった。アルゴスに統率されていないネメアにミレノアル軍を襲わせれば今はヘイムに倒される。それを恐れたのかもしれない。

「そうだな…。いくら我々が素早く部隊を動かしたとしても、今この隊列の真っ只中にネメアが落ちてでも来たらどうしようもない。結局はセレン達の動き方次第ということになる…」

 ベリルは少し心配そうだ。いくらヘイムがネメアを倒せると言ってもセレンの聖剣はまだネメアを倒すことはできない。にも(かかわ)らず、彼はネメアの一斉攻撃を迎え撃つことになるのだ。以前、王都にネメアが総攻撃を仕掛けてきた時ほどの絶望感はないにしろ、危険なことには違いがない。まして今度のセレンはミレノアル軍をできるだけネメアから遠ざけようと気を付けていなければならないのだ。グレシルの家の周りで警備獣と戦った時のことを思えば、彼がかなり無理をするであろうことは想像に難くない。

「そういえばセレンは何処に行った? この所、ほとんど姿を見かけなかったが…」

「ああ…後方の補給部隊と一緒に行動しているからな…。別に…後方からの奇襲とかは記録になかったと思うが…」

 彼は進軍中、ほとんどの時間を補給部隊で過ごしていた。敵から一番遠ざかる位置にある部隊のため今回が初陣という新米の騎士や兵士も多く、全体的にこの部隊は年齢が若い。彼らは雲の上の人間だと思っていた噂の騎士リーンが目の前にいる状況に、緊張しつつも喜んでいるようだ。この前たまたま補給部隊を見に行ったショノアは、数人の若い騎士達とセレンが楽し気に話している様子を目撃していた。

「あの部隊はまだ経験の浅い者が多いからな…。しかも華やかさとは縁遠い部隊だから血気盛んな奴らはやる気を無くすことも多い。それを思えばあいつの存在は随分と隊に貢献しているとは思うが…。しかし理由もなくあいつが陛下よりも後ろの部隊に居座るとも考えにくいな…」

 王は近衛部隊に囲まれ軍の中央部に常にいる。補給部隊はその更に後ろに控えた部隊になるが、後方の守りの要というわけではない。この部隊は名前の通り行軍中は騎士達が快適に過ごせるよう食糧を配分し、野営地の設営から体調の管理までを受け持つ。そして戦いが始まれば武器を補充し、怪我人を戦場から回収して治療を施す役目を果たすのだ。この部隊に所属していて戦死することはほぼないが、上官でもない人間はほとんど下働きの人間のような扱いだ。騎士や兵士は皆、若い頃は一度は通る道とはいえ、誰もがこの部隊には長く居たくないと願うらしい。

「まあ、ミーガン様も助かっているだろうから構わんか…」

「ミーガン?」

 ベリルの口からあまり聞き慣れない名前が飛び出してきたので尋ねれば、補給部隊の隊長だと言う。

「王位継承権も持つほどの上位貴族だが、あの方はとても良い御人でな。最も安全な部隊だと言って配属された補給部隊で、本当に真面目に責務を果たしておられる」

 大体の貴族は隊長であっても補給部隊には長く在籍しない。華々しくないという理由で辞めてしまうのだそうだ。長く在籍していたとしても籍を置いているだけで隊長としての役割を果たそうとしない貴族もいて、そんな中でミーガンの存在は本当に貴重なのだと言う。

「私の娘も今回は補給部隊に入っている。だがあの方が隊長であるからには何も心配していない。むしろ…あの子にはミーガン様を守れと命じたいくらいだ」

「……いつの時代でもそういう人っているんだな…。俺達の時代にも、よく似た人がいたよ…。だけど…殺された」

 ショノアはマリウスのことを思い出していた。彼も確かかなり上の方の貴族だったはずだ。何しろ王の死後にはマリウスが次の王になるべきだと多くの人間に望まれ、彼はそのために殺されたようなものなのだ。

「明るくて気さくで…、あの人が次の王になっていたら、セレンも安心だったろうな…。けど今生き残ってる連中はみんな最悪な人間ばかりだ」

 つい嫌悪感を(あら)わにしてしまったが、ベリルは静かにその言葉を聞いていた。

「我々一族は…王を選べないからな…。何も優れた資質を持っていなくとも良い。力強くなくても良い…。聞く耳さえ持ってくれていたら、我々は骨身を惜しんで尽くすだろう。だが…歩み寄ることさえ拒む王では、我々にもできることは何もない」

 その言葉はベリルにも過去に王と何かがあったことを指していた。そういえば以前に一度だけ聞いたことがある。今の王の父親である前王はかなりの暴君だったと。現王はベリルよりも10歳ほども年下だ。即位は20代の頃で、その頃既にベリルは隊長を務めていた。だとしたら彼女は前王にも今の立場で仕えていたことになる。

「セレンは王子や王女にかなり妬まれてるって話だ。完全な聖剣を手に入れて帰ってきたセレンを見たら、その嫉妬はもっと増すだろうな…」

 3人の王の子供達はいずれも才覚に恵まれず、民衆からも決して慕われているとは言い難い。だからこそセレンの人気と力を大いにあてにしているのは確かだ。しかしだからこそ彼らはセレンを屈服させたいと考える。でなければ自尊心が保てないからだ。マリウスはそんな王の子供達をいつも軽蔑していた。

「帰ってもなかなか問題が多いようだな…。だが心配はいらんだろう。あいつは…人に慕われやすい。それは嫉妬の根源にもなろうが、大きな力にもなる。お前やデルフィラ、ヘイムに至るまで味方に付けたのだからな?」

「…そうだと良いんだが…」

 セレンが人に慕われやすいというのは昔からマリウスからよく聞かされている。私利私欲に塗れた人間には彼の聖人のような生き方によって、自らの卑小さが浮き彫りにされてしまうのだろう。だからこそ彼らはセレンを殊更に嫌い、排除しようとする。セレンはそんな者達に負けるような人間ではないが、かと言って罪悪感を感じていないわけではなかった。できることならセレンが心から忠誠を誓えるような、そんな人間が王になってくれたら良いと思うが、果たして今の王族にそんな人物がいるだろうか。

「そういえば昨日はデルフィラの使い魔を見たか?」

「ああ、昼間だったかな…。セレンの肩に止まってるのを見た」

「そうか。…便利なものだな…、使い魔という奴は」

「……」

 今回デルフィラは王都に残っている。デルフィラまでこの戦いに参加するとなれば、ミレノアルの戦力は更に増したことだろう。だが彼女は“ガレスの王女”だ。そんな彼女に母国を、それも実の父親を攻撃させることはできない。それはミレノアルの総意だった。

 しかもセレンやショノアに至っては別の心配もあった。この戦争の後に彼女が行方不明になったという記録だ。今更どんな手を講じようと彼女がいなくなってしまうという未来を変えることはできないが、それでももしかしたら2人にだけは彼女が何処に行ってしまったのかがわかるかもしれない。ショノア達にとって、その先のデルフィラの行方を知ることは大きな意味があるのだ。だからこそ人が常に大勢いる中で待っているよう、セレンは彼女に伝えていった。そのため彼女は今、地下室ではなく貴賓室で過ごすことにしていた。

 しかしそれでも長い期間ミレノアルの城で1人でいるというのは彼女にとって初めてのことだ。しかもこの戦いで恐らくヘイムは剣と化し、もう二度と会えなくなる。孤独に耐えかねたのか、彼女はショノア達が城を出立した後わずか2日目にして、使い魔をセレンの元に飛ばしてきた。そうしてそれ以降、毎日彼女の使い魔を何処かで見かけるようになったのだ。

「あの使い魔は以前、我々を運んでくれた時のように大きくなることはできないのか?」

 ベリルは毎日姿を現すのなら怪我人などの運搬役にでも回ってもらえないかと期待したようだが、それは少し難しい。

「さすがに力の源になるデルフィラと距離が開き過ぎてる…。こんな遠くまで使い魔を飛ばしてくること自体、本当ならあり得ないことなんだ。多分、あの使い魔は俺達の姿を見ることで精一杯のはず」

 実際にデルフィラの使い魔は今は小鳥くらいの大きさしかない。それがこの場所まで届いている彼女の魔力の量なのだ。ミレノアルからここガレス王都までは、ゆっくりと進んだ結果ではあるが8日はかかるような距離なのだから当然だろう。

「なるほどな…。ではお前の使い魔は…」

「俺の使い魔はいない。…行方不明なんだ」

 ベリルの言葉を遮る形でショノアは言い放ったが、すぐに気を取り直す。彼女は今まで出会ってきたガレス人達のように使い魔がいないことで揶揄(からか)ってきたりはしない。苛立つ必要はないのだとショノアは自分に言い聞かせる。

「そ、そうか。…いや、お前の力もかなり強いから、どんなだろうと気になっただけだ。気にしていたのならすまなかった」

「…いや、俺も悪かった…。昔から…使い魔のことを言われるとついカッとなる」

 ショノアが素直に詫びると2人の間に明らかに不自然な間ができる。

「……お前の昔とは…赤ん坊の頃の話か?」

 ベリルが控えめに尋ねてくる。ショノアはその言葉に自分の今の状態を思い出した。

「そうか、俺の姿は今若返ってるんだったな…」

「お前、やはり…!」

 ベリルが突然後ろを振り返ってきた。その様子から彼女が随分前からショノアの実年齢に疑いを持っていたことがわかり、苦笑が漏れる。

「時間を遡る影響でな…。自分の時代に戻れば俺は25歳。間違いなく大人だ。ちなみにセレンは34か5くらいのはずだ。あっちでは将軍だった」

「⁈……将軍だと? セリノアの一族のあいつをそちらの王が任命したと言うのか⁈」

「そうだ。誰もが恐れる黒将軍…とか言われてた。あまり想像付かないが…」

 ベリルはショノアの話にひどく凄みのある笑みを浮かべた。何度も頷くその姿から、彼女も一族の呪われた宿命に翻弄されてきた1人だったことがよくわかる。

「そうか…、そこまであいつは上り詰めたか…! ならばもう良い。私の胸の(つか)えも取れた」

「ベリル…?」

 何故か彼女は積年の恨みを晴らした人間のような顔をしていた。そこまで一族の扱いに対して周りを恨んでいるようには見えなかったのだが、それはショノアの思い込みだったのだろうか。何しろ彼女もセレンと同じく十分に将軍となる資質は備えていたのだから。

「…ああ、いや。この前セレンが一族のことで興味深い話を聞かせてくれてな…。それで少し…私も自分のことを考え直したのだ」

 ベリルは何でもないとばかりに正面に向き直る。ショノアが思わずセリノアの一族のことかと尋ねれば、彼女は一瞬沈黙した。いつもの彼女なら相手に話せないことは話題にも上らせないのだが、今回は勝手が違うようだ。それだけ彼女にとって重要で衝撃的な話だったのだろう。

「…すまない。私もセレンも…その話は今後一切誰にも打ち明けないと決めてある。お互い…故郷に混乱は引き込みたくないのでな」

「混乱? 穏やかじゃないな?」

「ああ。だからこの話はもう終わりにしてくれ」

「……わかった」

 本当を言えば少しも納得してはいないのだが、2人で話さないと決めたのなら殺されても話さないことだろう。それほどベリルとセレンの口は固い。

「そろそろ兵達も動くようだ。お前の方は準備はできているのか?」

 ベリルは更に話も変えてきた。もうこの話は二度と聞くことはできないことだろう。ショノアは諦めた。

「ああ、問題ない。ミレノアルを出る時から各部隊の主だった人間に増幅器を渡してある。そこから一斉に俺の魔法を発動させることもできる」

 今回は数が多いためにそこから防護膜の魔法くらいしか発動する気はないが、やろうと思えば増幅器周辺の光景も見ることができる。

 この使い方を思い付いたのはデルフィラだ。彼女としては増幅器の力でショノアを城から手助けできるのではと考えてのことだったが、彼女の使い魔同様、距離という障害に阻まれ断念していた。

「増幅器にそんな使い方があったとはな…。てっきり装着者の能力を増幅するだけの物かと思っていたが…」

「その代わり、他のガレス人の魔法も増幅できるってことになる。アルゴスと戦う時は忘れずに外してくれよ?」

「そうか…。確かにそういうことでもあるな」

 ベリルは自分の腕に嵌めている腕輪を眺めた。増幅器はその対象を限定できない。ミレノアル人の力は限定的で魔力を自由自在には操れないため、装着者の魔力を増幅する程度に収まる。だがガレス人のそれも高位の術者ともなれば話は違う。ショノアは今回の戦いのために複数の増幅器で一度に自分の魔法を発動する練習を繰り返してきたが、デルフィラは練習もなしにあっさりと同じことをしてのけた。やってみてはいないが、彼女ならきっと個別に違う魔法を増幅器に送り込むことも可能だったことだろう。アルゴスならば更に恐ろしいことをする可能性はある。

「こんな使い方…普通は考え付かない。だがデルフィラは考え付いた。だとしたらアルゴスもすぐに思い付く」

 ガレス王家の恐ろしい所は何も魔力の高さだけではない。発想の豊かさもその強さの所以(ゆえん)だ。ヘイムもデルフィラもその血はしっかりと受け継いでいて、天才の名を欲しいままにしてきたショノアでも彼らの発想力の高さには驚かされてばかりだ。

「下手をすれば自滅するきっかけを与えてしまうかもしれんということか…。重々気を付けるようにしよう」

 ベリルはそう言うと、手綱を引いて馬の向きを変えようとした。だがその動きが途中で止まる。

「ん? あれは…」

 ベリルが目を止めたその先はこれからミレノアル軍が進もうとしている道だ。そこに4、5人の人間の姿があった。どうやらこちらに向かってきているらしい。

「まさかガレス人か? けど事前に通達は出したんだろう?」

 今朝、ベリルは数人の部下を連れて一足先にガレスの王都に足を踏み入れている。街を覆っているという侵入者用の毒の中和とガレス人達に対する通達のためにだ。その通達により、ガレス人はミレノアル人が街を荒らすつもりはないと知っているはずだ。

「…まあ、ガレス人も色々いる。もしかしたら通達を聞きそびれたのかもしれんしな?」

 それはあまり考えられない。ガレス人なら街に入ってきたミレノアル人の存在など察知できていたはずなのだ。それなのに、そのミレノアル人の言葉を“聞いていない”などということは決してない。

「とにかく止めないと! こんな所で関係ない人間と戦ってる場合じゃない!」

 ガレス人であるからには無関係とは言い切れないが、少なくとも今回ミレノアル軍の敵はアルゴス唯一人だ。街をミレノアル軍から守ろうとして現れたのならそれは無意味だ。

 ショノアの言葉に従いベリルはミレノアル軍の先頭まで急ぐ。辿り着いた時には既にガレス人とミレノアル軍との間に険悪な空気が流れつつあった。

「何事だ?」

 ベリルは静かに先頭の部隊を率いる騎士に状況を確認する。その騎士は立場がベリルより下なのだろう。緊張した面持ちでガレス人達が道を空けないので困っているのだと答えてきた。それを聞いたベリルはひとまず馬から降りる。それに続いてショノアも馬から飛び降りた。彼の姿にガレス人達が一瞬動揺したのがわかる。敵陣に自分達と同じガレス人が、しかも子供が同行しているとなれば驚きもするだろう。

「我々の事前通告は聞こえなかったか? 我々の目的はガレスの王だけだ。この王都を荒らす意思はない」

 ベリルは穏やかに彼らに語りかける。ここで相手の信頼を勝ち取れなければ後々厄介なことに繋がりかねない。

「そんな言葉を信じるほど我らは間抜けではない。王を倒すということはガレスを侵略するのと同義だ。王の次は我々ガレス人。それがミレノアル人のやり口ではないのか?」

 中央に立っていた女性が冷静に反論する。彼女の態度は聞く耳を持ってくれる方か、それとも頑なな方かは読み取れない。だが魔力はかなり強そうなので、ガレスの貴族である可能性が高そうだ。

「結果がどうあれ統治者が変わればそれは侵略だ。それは否定せん。それなら我々を相手にアルゴス王の名の(もと)に戦うか? あの王は我々を倒した暁にはあなた方を滅ぼそうとするだろう。だが少なくともミレノアルはあなた方を滅ぼすつもりはない」

「……」

 ガレス人達は悔しげに黙り込んだ。彼女達の未来はどちらにしても平和ではない。実際に彼らはガレス王家の滅亡後、貴族の身分を取り上げられ、一平民としてミレノアルで差別を受け続けることになるのだ。ショノアはとてもではないがミレノアルに付くよう彼女達を説得する気にはなれなかった。女性が何も言えずにこちらを睨み付けてくるので、ベリルは再び口を開いた。

「我々ミレノアル人のガレス人に対する嫌悪感は強い。あなた方がミレノアル人を蔑視するのと同程度にはな…。だから…私にはこの先のガレス人の幸せを約束することはできない。だが少なくとも、我々の力はガレスの王ほど圧倒的な強さはない。あなた方に抵抗する(すべ)はまだ残されている」

「おい、ベリル…!」

 さすがにその言い方は問題なのではないだろうか。ショノアは思わず彼女を止めなければと焦ったが、その名を聞いてガレス人達の表情が変わった。何故か彼女達の顔から険しさが消えたのだ。

「…あなたは…騎士ベリルか?」

「そうだが?」

 ベリルが認めると、ガレス人達は集まって何かを話し合い始めた。そしてしばらくするとまた先程の女性が前に出てきた。

「わかった、道を譲ろう。街の住人には我々から再度通達しておく。あなた方の勝利を祈っている」

「え⁈」

 ショノアはあまりの変わりように声を上げてしまった。しかしベリルは静かに彼女達を眺めているだけだ。

「何故急に考えを改めた? 私の名にそれほどの意味があるとは思えんのだが?」

 彼女は油断なくガレス人達を見て回る。何かの罠である可能性を警戒しているのだろうか。それに対して女性は何かを懐かしむように目を伏せる。

「…かつて…ヘイム殿下がよく話しておられた。“ミレノアルのベリルという名の騎士は信頼に足る”…と」

「ヘイムが…?」

 さすがに驚いたのか、ベリルが聞き返す。2人の間に昔何があったのかショノアにはわからない。だがお互いに何か強い感情を抱いていることだけは感じ取れていた。ベリルは恐らくヘイムに対して憎しみしかなかっただろうが、ヘイムの方はまた違ったようだ。彼は父親に似て、他人の気持ちを弄んでしまう傾向にある。だからこそ彼女に対しても歪んだ愛情表現でもしてしまったのかもしれない。

 無意識だろうがベリルは背後の空を振り返った。彼女の目には空を飛ぶヘイムの姿は見えない。だがそうせずにはいられなかったのだろう。彼が漏らした何気ない話が険悪なガレス人との関係を(ほぐ)してくれたのだ。今回ヘイムが周りの人間に彼女に対する本当の評価を漏らしていたとわかり、ベリルのヘイムに対する思いが少し変わったようにも見えた。

「我が国には魔獣ネメアがいる。それは対処できるのか?」

 警戒心を解いたガレス人の女性は気遣いを見せてくる。

「…ああ。ある者の力によって可能になった」

 ベリルがヘイムの名を伏せて答えたので、ショノアは試しにヘイムの姿を彼女達にも見えるようにしてみた。ガレス人は大抵の人間が魔力を『見る』ことができる。少し魔法の効果を緩めるだけで彼女達にはヘイムの姿が見えるようになるはずだ。しばらくすると期待通りにガレス人達が空を見上げて顔色を変えた。

「!……」

 騒ぎ立てようとする他のガレス人達を鎮め、女性は寂しそうな笑みを浮かべた。彼女は余程ヘイムと近しい関係だったのだろうか。恐らくあの竜がヘイムの今の姿であり、その理由さえも察しが付いたような表情をしていた。

「そうか…。ならばもう何も言うまい。我らはせいぜい邪魔にならぬよう、家に(こも)っていることとしよう」

「そうしてくれ。私もあなた方に余波が及ばぬよう手は尽くすが限界はある」

 ベリルとガレス人達の間に同志であるかのような空気が流れ、ガレス人達は1人また1人とその場を後にする。

「その子は? 行き場が無いなら私の家に迎えても良いが?」

 最後に残った女性がショノアを指してベリルに問う。彼女には敵国に拾われた哀れなガレス人にでも見えたのだろうか。するとベリルはとんでもないと笑って断った。

「この子は私達の大事な戦友だ。あなた方に引き取られると困る」

「そうか。ならば少年よ、ミレノアルが嫌になったらいつでも私の元に来ると良い。歓迎する」

 女性は残念そうに笑うと踵を返した。その足元で大きな鮫のような生き物が突然現れ、彼女を乗せて街の奥にあっという間に消えてしまった。それを黙って見送っていたショノアにベリルが声を掛ける。

「随分と彼女はお前が気になるようだったな? だがまあ、話が早く着いて良かった…。ガレス王が我らに攻撃を仕掛けてきたようだぞ…!」

「本当だ…」

 街の奥からは、いつだったかデルフィラと異世界を逃げ回った際にさんざん追い詰められたあの実体のない幽鬼がこちらに向かってきていた。あの時とは比べ物にならないほどの数だ。

「あの人達はちゃんと家に帰り着けるだろうか…」

「あの速さなら心配ない。それに…そもそも狙いは我々だ」

 ベリルはショノアを馬に乗せると自分も前に乗り込む。そしてすぐさま剣を抜いた。

「魔法騎士部隊を前へ! 後衛の大砲も準備させろ!」

 上に掲げた彼女の剣は随分と細身で反りのある変わった形のものだった。赤く光る刀身には強い魔法が込められている証だ。

「私のことはいいから周りの奴らを守ってやってくれ。お前には一切敵は近付けさせん!」

 ベリルは隊列が整うまで1人でここを守り抜くつもりなのだろうか。確かにセレンも1人で何十という数のあの魔物を倒して見せた。あの時は聖剣の刀身が壊れぬようセレンは自分の体を聖剣と繋げたのだと言っていた。それにより刀身とセレン、聖剣の柄が一体となり、刀身の強度をセレンの体と同程度にまで上げることができるのだそうだ。だがそれはセレンの体に聖剣の膨大な魔力が流れ込むことにもなり、負担が大きいらしい。だがあの時彼の手に聖剣ではなく普通の魔法剣が握られていたならば、きっと彼も平然とあの魔物を倒し続けたのだろう。

 ショノアは目を閉じ、増幅器から見えてくる光景に集中する。ベリルから遠い場所を行き過ぎていく魔物達は次々と騎士や兵士に襲い掛かっている。狙いは主に魔法剣を持たない部隊だ。彼の魔法が大砲を運ぶ兵士達を保護するように透明な膜が現れる。

「ここまでの魔物を最初に投入してくるとは…。予想外だ…!」

 ベリルは無数に襲ってくる魔物達を休むことなく斬り続けている。その速さは彼女の横を無事通り過ぎる魔物が全くいないほどだ。それに馬の操り方も巧みで、無理な動きをさせずに滑らかに馬を操るためショノアが振り落とされるような動きが全くない。

 ミレノアル軍は通例通り前方に通常の武器を装備した歩兵部隊を大量に配置していた。通常、正面から軍が突入するような場合は屍人の群れなどの量産しやすい魔法生物で対応するものだ。それをアルゴスは始めから覆してきた。

「まさか全軍この魔物…などということはあるまいな…?」

 ベリルの不吉な予想にショノアは前方に探知の魔法を飛ばしてみる。だがそこにはありがたいことに野生の魔物達の気配しかなかった。

「大丈夫だ! 後ろから迫ってきているのは魔狼と魔猪の群れだ!」

「何だと⁈」

 ショノアにとって魔狼や魔猪は大して厄介な相手ではない。炎の攻撃で簡単に脅かすこともできる上に魔法が普通に通用する相手だ。だがベリルはどちらかといえばその状況に焦っていた。

「アルゴスの操るその魔物達は防具で体中を覆っている! しかも足が速いのだ! 今突っ込まれたらひとたまりもないぞ!」

 魔法の通じない幽鬼に対処するため、今前衛には魔法騎士部隊が出てきている。彼らの持つ武器はいずれも魔法具だが、魔法具というものは魔法でその性能を上げることを前提としているため、素材の強度はそれほど高くない。そのため物理的に表面の硬度を上げた相手には通用しないことが多いのだ。

「離れている内に天候術で蹴散らすか…!」

 丁度グリナライト人のみで構成された部隊が王都の側面から合流する予定になっている。ここガレス人の王都は高低差の全くない土地にあって、遠くを見渡せるような場所もない。そもそもガレス人は遠くを見る時目を使う必要がないからだ。今回はショノアの力で遠くで起きている出来事が察知できたが、ミレノアル人には本来そんな力はない。今の状況を把握できるのは飛ぶことのできる魔獣に乗った騎士達だけだ。

「諜報部隊長ベリルより魔獣騎兵第5部隊に告ぐ! 前方に魔獣の群れを確認したら天候術士第7部隊に報告! 殲滅せよ!」

 ベリルは耳に付けた通信器を使って、遠く離れた別部隊に命令する。今、空には飛竜の部隊が飛んでいるが、彼らが動かないところを見ると命じたのは別の部隊なのだろう。彼女には特定の部隊の指揮権はないが、将軍イアニスにより緊急時にはどの部隊にも命じる権限を与えられていると言う。だとしたら何とかなるかもしれない。

 しばらくすると大きな魔獣を駆る騎士達も後ろから現れ、新たな敵に備えて隊列が整った。そう思って安心した瞬間、ベリルが緊張した面持ちで後ろを振り返った。

「来たぞ…! ネメアだ!」

 ショノアは思わず後ろを振り返ったが、探知の魔法でもそんな気配は感じなかった。気のせいではないのかと確認しようと思ったその時、上空のヘイムが動いた。

「まさかこの状況で、後ろから…?」

 信じたくはないが、ヘイムは確かに今隊列の後ろに向かって飛んでいった。どうやらネメアは探知の魔法さえ吸収してしまうようだ。しかし恐ろしいのはベリルのその察知能力だ。セレンも気配にはかなり敏感だったが、これは一族特有の力なのだろうか。何にしろ彼女が気付いたのなら、後方にいるセレンが気付かないわけはない。完全に挟まれてしまう前に、セレンとヘイムがネメアを倒してくれることを祈るしかなかった。


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