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黒衣の守護者  作者: 樽吐
全ては…必然
58/156

(4)

 失意のまま地下室に降りていくと、デルフィラに出迎えられた。

「お帰りなさい。会議は順調に終わった? 兄が乱入して大変だったんじゃない?」

 彼女に部屋に誘導されると、そこにはあつらえたように2人分の良い香りのするお茶が用意されていた。彼女は遠くの会議室で何が起こったのか、ある程度は知っているようだった。はっきりとではないが、何人もの人間がどんな感情を持っているのかくらいは探ろうと思わなくても伝わってくるらしい。その証拠に今用意されているお茶の効能は疲れを癒やして心を浮き立たせるようなものだ。きっとミーガンのことで落ち込んでいるセレンのためだろう。デルフィラは最近グレシルの影響で色々なお茶を飲むのを楽しみ始めている。様々な効能を持つそのお茶はセレンも恩恵に預かっていて、日々の生活が楽に過ごせるようになっていた。

「ヘイムはいますか?」

「今ここにはいないわ。兄に何か用?」

 デルフィラは何故か一瞬怯えたような表情を浮かべた。

「会議のことで…。ヘイムにお礼を言いたいのです」

「…お礼? 兄はあなたに何かしたの?」

 今日のデルフィラはやけに質問してくる。いつもはできるだけ知らないふりをしてくれているようだというのに、どうしたのだろうか。セレンは特に隠す内容でもないため、ヘイムが会議で提案した内容を全て話した。

「ヘイムの存在を隠し通すこと…、それは私の時代に彼のことが一切伝わっていないことからも、そうなるだろうことはわかっていました…。ですが…やはり気分の良いものではありませんね」

「そう? どちらにしても兄は最後まであなたの側にはいられないわ…。だとしたら、始めから兄の存在は無かったことにした方がミレノアルとしては都合が良いんでしょう?」

「デルフィラ…?」

 随分と辛辣な言葉を吐いて彼女はセレンから目を逸らした。一体どうしたのだろうか。まるでミレノアルを嫌いになったかのような口ぶりだ。しかもヘイムがいずれセレンの側からいなくなるとはどういう意味なのか。

「兄は確かにミレノアルの人々に酷いことをした。この国中の人から恨まれている。街の人はみんなそう話してたわ。今日だって…兄への敵意をあなたの側でたくさん感じた…。きっと兄の姿を見たからでしょう?」

 デルフィラは飲みかけていたお茶を皿に置くと、両手で顔を覆った。

「でも私にとっては大切な…たった1人の兄なの…! いない方が良いなんて思わないでほしいの!」

「デルフィラ、一体どうしたのですか? 皆、ヘイムのことは恐れてはいますが、感謝もしています。彼のことを街の人に打ち明けないのは、あまりにも彼の存在が恐れられているからです。それだけなのですよ?」

 セレンは様子のおかしいデルフィラの隣に居場所を移した。すると彼女はセレンの体にしがみ付いてくる。

「では兄の力をあなたが振るえるとしたら? もう既に兄はあなたの振るう聖剣の力そのものになりきろうとしているのよ? それが後になって事実に変わろうと誰も気が付かない…! それに今だって…兄じゃなくてあなたが国を救ってくれたら良かったのに…って、みんな思ってるわ!」

「…それは」

 彼女の言葉を否定することはできない。実際にヘイムのことであれだけ会議が何度も開かれたのには、死の王子に救われたこと自体が問題だったのだから。

「兄はまだ生きてる。魔物に姿を変えてしまっても、幻となって私と言葉を交わすこともできる。姿を見ることもできるわ。だけど…」

 デルフィラはその先を言うのを恐れるかのように口を閉ざした。セレンは彼女を安心させるようにその肩に手を置いた。

「わかっています。誰もヘイムをどうこうしようなどとは考えていません。そもそも彼はネメアとほぼ同等の魔物なのですよ? 私にさえどうすることもできません。彼は自由ですよ?」

「違うの…、そうじゃない。だからこそ兄は自分をどうにかしないといけないの。もう限界が近いから…」

「限界…?」

 その言葉は随分と不吉な響きを持っていた。彼の何が限界を迎えようとしているのか。限界を迎えたらどうなると言うのか。デルフィラに確認しても、彼女はなかなか説明してくれようとはしなかった。しかしやがて観念したように口を開く。

「この前ね…、ショノアと避難所を元に戻しに行ったあの日よ? あなたにショノアを迎えに行ってってお願いしたでしょう? あの後、兄と話してたの…」

 ショノアのことで彼女はヘイムに色々と確認していたらしい。彼は何も話してはくれず、なるようになるとだけしか話してくれなかったそうだが、突然その姿が何の前触れもなく消えた。

「そんなこと、今までで初めてだったから…。とにかく急いで兄の元へ向かったの。場所は城の裏手にある湖の中だから近かったし…」

 転移した彼女が見たものは、湖の中から頭を丸々出した竜の姿だった。見ている内にもどんどん浮上しようとするので、彼女は必死でヘイムの名を呼んだ。

「どうしたの? 何かあった?って尋ねたら、兄は上昇を止めたわ。だけどとても…混乱していた…」

 ヘイムが湖から出ようとしていたのは彼の意思ではなかった。彼はデルフィラと話している最中に自分が消えてしまったことさえ自覚していなかったのだ。一体何が起きたのか、怯えるデルフィラに向かって、しばらくして落ち着いたヘイムは無情ともいえる言葉を告げた。

「兄の意思は…消え始めていたの。いずれ兄の意思は完全に消えてしまって…、ただネメアよりも恐ろしい竜だけが残る。その前に手を打たなければって…」

「何…ですって…⁈」

 元々ヘイムは自分が悪しき魔物として人々を襲わないよう、何処か人里離れた場所で眠りに就いていたのだとショノアから聞いている。その彼が今も『ヘイム』としての自我を保てていたのはデルフィラの力かもしれないと話していたらしい。しかしその力も限界を迎え、いずれヘイムの意思は無くなってしまうと言うのだろうか。

 しかしネメアでさえ倒せないセレンが暴走するヘイムを止めることなどできるはずがない。いや、そもそも止める力があったとしても、ヘイムを殺すことなどできるわけがない。彼はセレンの命の恩人であり、デルフィラの兄だ。そしてセレンを一族の『呪い』から解放してくれた。

「兄は…今度こそミレノアルを滅ぼしてしまうわ…。みんなが恐れていた通りに。そうなる前に…、だけど…!」

 デルフィラはセレンの首にしがみ付いた。そして1人静かに泣き咽ぶ。

 一体この絶望的な状況をどうすれば良いのだろうか。ヘイムが現れネメアを倒したと聞いた時は、ようやく事態が前に進み始めたのだと希望を持つことができた。聖剣が現れたわけではなかったが、それでも何もできないでいるよりは余程良いと喜ぶことができた。しかしまたしても彼に難題が降りかかる。

「セレン」

 彼女を宥めるように抱いていると、ヘイムが姿を現した。彼はデルフィラを労わるように眺め、そして皮肉げな笑みを浮かべた。

「私の本体に…会いに来てくれないか? もう外は暗い。私が湖から出ても少しの時間なら誰にも見られずに済むだろう」

「あなたの…本体?」

 思えばセレンはまだヘイムの今の姿を一度も目にしていない。ヘイムが王都に現れた時は完全に意識がない状態だったのだから。

「私の姿を見れば全てわかるだろう。君にならな…」

 意味ありげに笑うとヘイムはそのまま消えてしまった。彼の本当の姿を見たからと言ってセレンに何がわかるのだろうか。戸惑いながらも彼はデルフィラを見る。

「デルフィラ、1人になっても平気ですか?」

 こんな状態のデルフィラを置いて行くのは心苦しかったが、きっとヘイムの本体に近付くこともまた彼女にはつらいことなのに違いない。そう思って確認すれば、彼女はゆっくりとセレンから離れた。

「私は大丈夫…。だから兄の元へ早く行ってあげて…」

 デルフィラはセレンと目を合わさなかった。本当は1人になるのは嫌なのに違いない。だがそれでもヘイムのために彼女はセレンに湖に行くよう促してくれた。

「話が終わったらまたここに戻ってきます。それまで少しここでゆっくりしていてください」

「ええ…、わかったわ。グレシルからもらったお茶もあるから、きっと気持ちも軽くなるはずよ」

 デルフィラはそう言って飲みかけだったお茶をまた一口飲んだ。セレンのために用意したものだろうが、むしろ今は彼女自身のために役に立ちそうだ。

 セレンは彼女の手を勇気付けるように一度握ると、すぐに立ち上がり部屋を出た。地上に出ると周りはもう真っ暗だ。ここは湖と同じく人通りの少ない城の裏手。灯りもあまりなく、夜でも普通に明るい城の中心部とは随分違う。背の高い建物の影にもなっているため、中心部の明るさは片側の空が薄く明るくなっている程度にしか感じない。

 湖は確かこの場所から更に奥の暗い場所にあり、立ち入りを禁じられた場所のすぐ近くだ。あの場所はミレノアル建国時から立ち入りを禁じられていると伝わっている。境目ははっきりせず、城の中で生活する者は誤って足を踏み入れないようその地域の近辺であっても近付かない。そのためもあって、本当にこの辺りは城の中でも一番人の寄り付かない場所なのだ。

 目が慣れてくると、セレンの目は暗闇でも昼間のようにはっきりと見えるようになる。足早に歩いていくと綺麗に刈り込まれた木々と石畳が途切れ、長年放置されたかのような野生味溢れる木々が姿を現し始める。城に住む人間の何人が気付いているかはわからないが、その木々は何故かガレス原産の植物が多いのだ。そしてこの不思議な区域は立ち入りを禁じられている場所まで続く。セレンは昔からあの区域を生えている木々の違いで判別してきたのだ。

 その木々の隙間からやがて湖が見えてくる。昔は月明かりを反射して夜も美しい湖だったが、今では常に薄く雲がかかっていてそれほど強い光は届かない。今日も月明かりはそれほど明るくはないようだ。しかし何故か湖に白く光るものが浮いている。いや、浮いているのではない。何かが水の中から出てきているのだ。

「ヘイム⁈」

 セレンが湖に辿り着く頃には湖の中から1体の竜が完全に湖の上で浮いていた。翼はゆっくりと羽ばたいてはいるが、それで浮いているのではない。薄らと白い光を放ち、静かに佇む姿は神々しくもあった。

“私の真の姿を見るのは初めてだな?”

「⁈」

 竜の目の前に立つと、頭の中に声が直接語りかけてきた。その『声』に既視感を覚えてセレンは絶句する。しかも間近で見ると、竜の姿にさえ見覚えがあるような気がしてきた。一体こんなにも美しい竜を何処で見たと言うのだろうか。一度見たら忘れないはずだと言うのに。

 戸惑うセレンに向けて、竜はわずかに笑ったように見えた。

“私の姿に見覚えがあるだろう? もしかしたら…声にも聞き覚えがあるかもしれないな…。それほど短い付き合いでもないはずだからな…”

 ヘイムがセレンに話しかける度、セレンの中では一つの確信が形作られていく。しかしその確信をセレンは認められずにいた。

「まさか、そんな…」

 その竜の体は白く滑らかで静かな光沢を持っていた。ガレス人の瞳を思わせる紅い目はセレンをじっと見つめている。それをセレンはよく知っている。10年以上近くで見てきたのだ。ずっと彼の側で支え続けてくれた。

「…聖剣……」

 セレンはその場に膝を付いた。ずっと求め続けていたものが、今ここで見つかるなどと誰が考え付くというのか。竜の首がセレンの方に近付いてくると、その目が見慣れた様子で煌めいた。

“君の求めていたものだ。それが…全て解決してくれる”

「あなたが…聖剣だと言うのですか…?」

 ヘイムは今人間ではなく魔物だ。魔導器として剣に変えることができる。そうすればセレンはネメアを倒すことのできる剣を手に入れ、ヘイムは自分の意思がなくなってしまった竜の体の未来を憂う必要がなくなる。全て丸く収まるのだ。

「しかしそれではあなたという存在はどうなりますか⁈ 魔導器は確かに魔物の能力を器物に移植することができます。ですが器物は器物…。魂はそこには存在しないのですよ⁈」

“…ああ、そうだ。よく知っているな?”

「っ…!」

 ヘイムの声はひどく淡々としていた。彼は既に全てを覚悟している。その上で自分を剣に変えろと言っているのだ。セレンは悔しさに手を握りしめた。ネメアを倒し、ヘイムをも救う方法など他には何もない。そのことだけがただひたすらに悔しかったのだ。

“私は君の剣に呼ばれて目覚めた。自我を保てたのもデルフィラの力ではなく、恐らく君の剣のおかげだろう。何しろそれは…未来の私自身だったのだからな”

 ヘイムは満足したように羽ばたきを止めると、また湖の中に沈んでいく。だが顔だけはセレンの方に近付けたままだ。

“君の剣を見た時から気にはなっていた…。デルフィラもいつからか気が付いていたようだ。君の話を私がする度、不安そうな顔を見せていたよ”

 デルフィラにしてみれば、ヘイムがセレンと親しくなるにつれ、自分の予想が裏付けられていくような気分だったことだろう。セレンは聖剣を探し求めて過去に来た人間だ。彼がこの事実を知ればどう思うのか。デルフィラはそれを知るのが怖かったに違いない。

“あの子は君が私の意思を無視するような人間ではないと、わかっている。だからこそ…自分が君に聖剣が私であると打ち明けられないことに苦しんでいた。君が…聖剣が現れないことでずっと苦しんできたことを知っていたからな…”

 セレンは剣を欲しがっている。周りの人間はヘイムを憎み、いなくなることを望んでいる。それに畳み掛けるようにしてヘイムの意識が一瞬途絶える事件が起きた。

“あの子はずっと孤独だった…。だが今は語り合える友を得て、君のように大切な相手もできた。私がいなくなっても…もう安心していいだろう”

「そういう問題ではありません…! あなたという人がいなくなる…。それがどれだけ私や彼女を悲しませると思っているのですか? 私はあなたを剣にすることなど…、あなたを失うくらいなら聖剣など不要です…!」

 セレンは思ったことをとにかく言葉にして吐き出した。そこにはもう聖剣の使い手やかつての将軍としての立場など何も頭になかった。

“おやおや…、ここにも底抜けにお人好しな人間がいたか…。聖剣のことを知って尚、私を惜しむ者など最早デルフィラだけかと思っていたが…”

 ヘイムは竜の顔でさも楽しそうに笑った。恐ろしい唸り声のような声が漏れているが、それがこの竜の笑い声なのだろう。

“私は多くの罪を犯してきた…。そして私の意思が消えればまた大きな罪を重ねることになる。だから…私のためを思うならば、手遅れにならない内に私を剣に変えてほしい。それが…私の望みだ…”

「本当に? 本当にそうなのですか? あなたは怖くないのですか? 命のない物に変わってしまうことが…!」

 セレンにはマリウスがいた。部下達もずっとセレンを支え続けてくれた。今はショノアもデルフィラもいる。ベリルも相談に乗ってくれるだろう。だがヘイムには誰もいない。デルフィラは守る対象であって、弱音を吐けるような相手ではなかった。

「怖いなら怖いと…、無情な運命に不満を言ってください! 私が全て…受け止めますから!」

“そんなことをしたら君は余計に私を剣にできなくなるぞ?”

 おかしなことを言うとヘイムはまた笑った。どうしてそんなにも平気な顔をしていられるのか。セレンは何度も部下達や周りの人間に同じことを言われてきた。ヘイムは自分と似ている。だからこそわかるのだ。彼は決して態度の通りに平気なわけではないと。

「あなたの本音を聞けば私は確かに苦しむでしょう。ですがそれが真実です! あなたがどれだけのことを諦めるつもりなのか…、私は知らなければならない! 知った上で…あなたを振るう者として生きていかねばならないのです‼︎」

 ヘイムの本心を知ろうと知るまいと、何も変わらない。ただ相手の悲しみを深めるだけならば、知らせずにいた方がいい。セレンもずっとそう考えて沈黙を守り続けてきた。だがそれは違うのだ。マリウスがいつも何か言おうとして言えなかった言葉。それはきっと今のセレンと同じなのだ。

 ヘイムはしばらく黙ったままセレンを見つめていたが、やがて竜の体は完全に水の中に消える。そして入れ替わりにヘイムの幻がセレンのすぐ目の前に現れた。

「私の体が人間である内に…君に出会えていれば良かったな…。そうすれば…私の人生もまた違ったものになっていたかもしれない…。いや…、そもそも私が剣にならなければ君のことなど私は存在さえ知り得なかったか…」

 ヘイムはそう呟くと、セレンを抱くようにして腕を広げた。彼の幻がセレンに重なっても何も感じることはない。ヘイムの姿は既に仮初めなのだ。それを実感してセレンは思わず目を伏せた。しばらくすると体を離したヘイムは話し始める。

「父を倒すには竜に変わるしかないと覚悟した時、私は特に何も感じなかった。デルフィラはまだ城に監禁されていて、生きて外に出る日が来るのかどうかも定かではない。お互いにいつ死んでもおかしくない身だ。だからこそ全てのことが…私にはどうでもよかった」

 人は未来に展望がなければ生きることに執着しない。家族や親しい者の未来を守りたいと望んで死を覚悟しても、その先守られた人々の姿を見たいと望むこともまた、生への執着だ。ヘイムが父親を殺そうとしたのはデルフィラやガレスに生きる民達のためというよりも、個人的な恨みによるものだった。だから魔物になることも大して恐ろしいこととは思えなかったと言う。

「私はネメアの誕生を何体も見届けてきた…。幼い子供が中から体を突き破られて死んでいく様もだ。…私の娘は…巨大なネメアに中から引き裂かれ…、私の目の前で死んだ…。母親は…その様を見て発狂してしまったよ。皆、私が父を止めなかったがために引き起こされた惨事だ…」

「あなたの娘が…ネメアに…?」

 セレンがファタルのことをショノアに話した時、ヘイムも同じような目に遭ったかのような口振りだった。それは彼の娘のことだったと言うのか。

「父が常に騎乗している大きなネメアがいるだろう? あれが私の娘から生まれたネメアだ…。あの子の魂は…未だにネメアの中に囚われたまま…、魔力は太陽に帰ることを許されていない」

 ヘイムが愛した女性は城下に住む平民だった。セレストやデレンベリアに出会ったヘイムが『人』というものに正しい興味を抱き、城下に住む人々の様子を見て回っていた際に出会った女性。普通で素朴なその女性にヘイムは何度も会いに行っていたが、好きだったのだと気が付いたのは2人の間に子供ができてからだと言う。

「発狂し、暴れ回る妻は父が連れて行った…。後で…彼女にそっくりな魔物を見せられて、出来栄えを確認されたよ…。その魔物も…ミレノアルで殺された…」

 その2人の死はヘイム自身に驚くような変化をもたらした。彼は生まれて初めて父親に殺意を抱いたのだ。

「私は何故もっと早くに父に反抗しなかったのだろうな? 妻と子を黙って引き渡し…当時の私はそれが当然だと思っていた。…いや、それよりも私は父が恐ろしかったのだろう…。今ならよくわかる」

 後悔ほど恐ろしい責め苦はない。それは相手が無残な死に方をすればするほど強くなるものだ。ヘイムは父に対する恐怖で妻子を見殺しにしたが、本当の恐怖はその後に彼を襲った。それは激しい後悔の念だ。

「私は罪多き人間だ。今日の会議でも見ただろう? 私がミレノアルを攻撃したのは確かに父の命令だ。だが私の意思も入ってなかったかと問われれば決して否定できない」

 ヘイムはセレンを見つめると、自嘲的に笑った。自分は立派でも何でもない、愚かな男なのだと告白するヘイムにセレンは何も言えなかった。彼の人生はあまりにも壮絶過ぎる。

「私がネメアと同じ魔物に変わることは当然の報いだ。そして…とうとう物言わぬ器物にまで私は成り下がる…。だがこれで良い…。私には相応しい最期だ」

「…そんな…!」

 乾いた笑い声を立てるヘイムをセレンは見ていられなかった。人を何人も殺してきて、その報いが今の自分なのだと絶望したのはセレンにも覚えのあることだ。ファタルを殺せずに、そのためにファタル自身の手で殺されることが自分に相応しい最期だと覚悟した。

「それでも私は…聖剣に支えられてここまで来ました…! 異世界にいる間も、聖剣が共にいてくれなければ私は耐え抜けなかったことでしょう! 私は騎士になったその日からずっと…“あなたに”助けられ、支えられてきたのです!」

「……」

 ヘイムは静かにセレンを眺めていた。幻影というものがどれだけ今の彼の心境を忠実に表現できるのかはわからない。だがそれでも彼の無言で見つめる顔がわずかに嬉しそうに見えたのは気のせいではないはずだ。

「確かに今の私達のように言葉を交わすようなものではありませんが…、私にはこの剣の気持ちがわかります。何を言いたいのか、漠然とですが理解できるのです…! あなたはただの道具などではありません! 私の…長年の戦友なのです!」

 ただ紅い石が煌めくだけ。頭の中に自分の思い付きのように浮かぶ剣の意思。それだけのことだったが、セレンはいつも勇気付けられてきた。もしかしたら孤独と強すぎる望郷の念が幻を見せているのかもしれない。そう思ったこともある。だが彼の命の危機を二度までも救い、剣の力の引き出し方を伝えてきたのは確かだった。

「……そうか。私の存在は…剣に姿を変えてからようやく意味を成すようだな…」

 人間である間は何もできなかったが、剣になってから多くの人々を救うことになるのかと、ヘイムは嬉しそうに笑う。

「魂と共に私の意思も消え果てるものと覚悟していたが、君と通じ合えるのならばあまり落ち込むものでもないのかもしれないな…」

「ですが…デルフィラとはもう…」

 わざわざ口にする必要もないかもしれないが、デルフィラにとっては兄が死んだも同然の状態になるのは間違いない。しかしヘイムは労わるようにセレンを眺める。

「君だけであっても意思の伝わる相手がいるならそれで良い。あの子が望めば君が私の代わりに私の言葉を伝えることができるのだろう? 恐れるべきは…誰一人として私の声を聞くことのできない状況だ」

「それは…」

 思えば聖剣はこの時代で刀身を失い、“リーン”とも別れることとなった。そしてほぼ100年間、セレンが騎士の叙任式で目の前に現れるまで誰とも言葉を交わさずにいたのだ。

「しかし何故私だけがあなたの声を聞くことができるのでしょう? デルフィラはあなたの肉親で、ショノアもガレス人であるからには私よりも感応力に優れているはずです。私で聞こえるなら2人にも聖剣の声が聞こえても不思議ではないのに…」

「…そうだな。或いは『剣』であるからこそガレス人には伝わりにくいのかもしれない」

 ガレス人は剣を使わない。反面、剣を扱うミレノアル人は愛用の武器と心を通わせて初めて一人前だと言われるくらいだ。セレンは聖剣の声を自ら引き出しているのかもしれない。だが以前ベリルに聖剣を預けたことがあるが、彼女が剣の声を聞いたという話は聞かなかった。

「聖剣は100年間、私を待っていたと言いました。私が聞いた聖剣の最初で最後の声です。ですがそれまで本当に聖剣の声を聞くことのできる人間は現れなかったのでしょうか?」

 ずっと不思議だった。何故自分だけが聖剣の声を聞くことができたのか。今となってはヘイムが聖剣となることを決めたのはセレンの存在があったからだと理解できるが、それでも100年の間、何故ヘイムは言葉通りにセレンだけを待っていたのか。

「一つ考えられることは…私が君以外に振るわれることを望まなかったからだろう。たとえ君の祖先であってもその力は王家のために使われる。その力に私の力を加えたくはなかったのかもしれない」

 ヘイムのミレノアル王家に対する怒りはまだ冷めてはいない。だからこそセレン以外の人間には触れられたくもなかった。そう言われてしまえば納得できそうな気もする。だがそれならセレンが触れるまで聖剣が死んだように艶を失っていたのはどういうことなのか。セレンが現れるまでの聖剣は完全に魔力も消えて、ただの剣に成り果てていたと言う。だからこそネメアが現れてもこの聖剣で対処できるのか、その心配もあったのだと言われているのだ。

 聖剣は使い手を選び、意思を持つ。しかし聖剣がヘイムを魔導器を作る要領で剣に変えたものなのだとしたら説明が付かないのだ。魔導器はあくまで道具に過ぎず、魔導器に使われた魔物の魂は消える。つまり死ぬのだ。死んだものが使い手を選び、声を発することなどあり得ない。

「そういえば…以前ショノアから聞きましたが、聖剣には私と似た魂が宿っているのだそうですね…。だとしたら魂を残したまま魔導器にする魔法でもあるのでしょうか?」

 セレンが今まで読んだ魔法書にはそんなものはなかった。だがヘイムならば知っている可能性はある。

「それは…本末転倒だな…。魔導器は本来魂を奪い、自我を消すことによって魔物を自在に操る目的で開発された魔法だ。魂を持ったままということは自我も残っているということだ。そんな扱いにくい魔導器を誰が望むと言うのだ?」

 実際に聖剣はセレンにしか扱えない。聖剣が使い手を選ぶということは、誰でも使えるというわけではないからだ。

「魔法生物もそれと同じ理由で魂を宿らせない。自我を持ってしまったら造り主の言うことを聞かなくなるからな…」

 太古のガレス王が造成した魔法生物の中には魂を持つものや子孫を増やす能力のあるものまでいる。しかしそれは魔法生物に宿る自我を楽しむ目的で造られたからだとヘイムは言う。

「ではネメアも?」

 ヘイムの話ではネメアは魂を持っていることになる。実際に魔法生物の体は死んだり、一部を切り取られたりすればすぐに消えてしまうが、ネメアはそうではない。セレンが以前切り取った翼の一部やリーンが倒したとされるネメアの死骸は人間や魔物の遺体と同じで、体内の魔力が大地にゆっくり吸収されるまでその姿を留めるのだ。

「ネメアの恐ろしい所はそこかもしれないな…。ああ、実は魂を持たないネメアというものも存在するが、あれは結合力が弱く大して大きくもなれない。だが正しく造られたネメアは自我を持ち、自分の意思で動く。だがその意思はネメアの核によってしっかり父が掌握していて反抗することはできないのだ」

 そもそもネメアはアルゴスの魔力によって存在できているらしい。そのためネメアは自分の身より王を守ることを優先する。だがそれ以外の行動は全てアルゴスの命令で行動を強いられているのだと言う。幼い子供の心を持つネメアは自分を殺すことのできるヘイムや傷付けることのできるセレンを恐れているが、決して逃げることはできないのだ。それはとても(むご)い話だ。聖剣はそんな彼らを解放できる唯一の武器になる。

「…魂を持つものは扱いが難しい。自我のせいで無用な苦しみを抱き、恐れや不安で命令を受け付けなくなる。だが反面…造った者が想像もし得なかった未知の能力を発揮することもある。父はその力を利用したかったのだ」

「未知の力…」

 命じるままに動く部下達は確かに扱いが楽だ。騎士達は上官や王に従順であることを望まれている。だが実際には自らの意思で考え、動く者達の方が思いもしない成果を上げてくる。それをアルゴスはネメアに対して望んでいたと言うのか。

「聖剣に魂があると言うのなら、同じようにまだ見つかっていない力があるのかもしれない。そして…君と同じ魂を持つと言うなら、それを望んだのは君なのだろうな…」

「私が…⁈」

 セレンは驚いて声を上げてしまった。さすがに魂を分け与えるなどという芸当が自分にできるとは思えない。だがヘイムはセリノアの一族であるからこそ可能性はあると言う。

「ミレノアル人の力は未だほとんど解明されてきていない。それは彼らの気質とガレス人への反発心から、『研究』という行為を本能的に拒絶してしまうからだ」

 確かにミレノアル人は自らの能力を頑なに研究してこなかった。それは歴代ガレス王が研究を好み、多くのミレノアル人を苦しめてきた歴史があるからだと言われている。だがミレノアル人の魔力はガレス人と同等に強く、実際にはガレス人とは異なる分野で同じくらい多様な能力を秘めているはずだとガレス王達は考えてきたのだ。

「君には半分ガレス人の血が流れている。だからこそ、ミレノアル人の未知の力もガレス人の力で引き出しやすいかもしれない。或いは2つの人種の持つ力とも異なる力を持っている可能性もある」

 セレンにはまだ無限の可能性があるのだとヘイムは言う。セレンもその力がヘイムの助けになるのならいくらでもその力を発揮したいと思う。だが正直自信はない。どうやったら良いのか想像もできないのだから。

 複雑そうな表情で黙り込むセレンに、ヘイムは穏やかな笑みを浮かべた。

「心配しなくても時が来ればわかる。今までがそうだっただろう?」

「それはそうですが…」

 この過去に来た時には信じられなかったことが次々と起き、今気が付くと過去は未来で伝え聞いていた形に急速に近付きつつある。ショノアに全ては成るように成ったと諭したものの、それが抗えない時間の流れのようにも思えて、最近では恐ろしく思えてきた。

「だが今日君に全て打ち明けられて良かった…。私の心は今までになく安らいでいる。友を得るということは…こんなにも心の支えとなるものなのだな?」

 不安が膨らみ始めたセレンにヘイムが晴れやかに語りかける。その顔を見ると、聖剣に励まされた時のように心が落ち着きを取り戻した。友が心の支えになるとはセレンにも当てはまることだ。

「私の方こそ…。遅くなりましたが改めて礼を言わせてください。あなたが自らの姿を隠し続けてくれるおかげで、ミレノアルは大した混乱もなく戦いに臨むことができます。本来ならば…自国のことでありながら我々敵国に協力してくださるあなたを褒め称えるべきだというのに…。あなたの存在と功績をミレノアルの人々に伝えられないことを許してください」

 セレンが頭を下げるとヘイムの幻の腕がセレンの体に伸ばされる。その手はセレンに頭を上げるように伝えてきていた。

「セレン…、本当ならば私は今すぐ剣になった方が良い…。その考えは未だに変わらない。だができることなら…私の限界が来るまで待ってもらっても良いだろうか…?」

 ヘイムの声は随分と申し訳なさそうだった。こんな声で、セレンに懇願してくるヘイムは初めてだ。

「当然です…!」

 頭を上げたセレンは必死でヘイムの手を掴もうとするが、その手はすり抜けてしまった。悔しそうなセレンを見て、ヘイムが困ったように笑う。

「君と話して…、自分を惜しむ気持ちが出てきてしまった…。デルフィラやショノアとも…まだ私は話していたい…」

「それで…良いではありませんか…! それが普通です!」

 セレンは少しだけ嬉しかった。ヘイムがとうとう自分の願いを口にした。それが嬉しかったのだ。

 ヘイムの存在は確かに危険だ。彼を今すぐ剣に変えた方が全てにおいて安心なのは間違いない。だがそれはミレノアルやセレン達の事情であり、ヘイムが心からそれを望んでいるわけがない。デルフィラも悲しむだろう。それにショノアのことも心配だ。彼はヘイムを剣に変える役目を負うことになる。ヘイムの限界が来る前に彼を剣に変えてしまえばそれはヘイムを殺したのと同じ。セレンを攻撃したと、その記憶に苦しむ彼にこれ以上ヘイムの命さえ奪ったと思わせたくはなかった。

「君には迷惑をかけることになるかもしれない…。だが恐らく君達が“間に合わない”という事態にはならない。そこに未来の私がいるのだから」

 ヘイムが指差したのはセレンの手に嵌まる指輪だ。確かにこうして聖剣が無事にセレンの手の中にあり、ミレノアルが100年後にまで続くのなら手遅れには決してならない。それならできるだけ長く、命を持つものとしてヘイムに存在していてもらいたい。

「未来を知るということは残酷なようでいて、安心でもあるな…」

 静かに笑うヘイムの顔に最早自分を蔑むような陰はない。セレンの存在は彼の救いとなれたのだろうか。だとしたら嬉しい限りだ。セレンが指輪に触れると聖剣からも温かい意思が流れ込んでくる。言葉はなくともセレンにはそれが感謝の思いなのだと理解できた。

「ヘイム。あなたと出会えたことは…私にとっては奇跡のようです。思えばあなたがセレストと出会い、私達一族のことを大切に思うようになったことが全てのきっかけかもしれません。ですが…全てのことが必然であっても我々はそれに操られているわけではない。未来の知識を今に活かすことも…我々の自由なのですね…」

 未来を知って絶望するばかりではいけない。諦めるわけでもない。やはりこの時代に生きる者が悩み苦しんで選択したことが未来を形作っている。悪い結果は今後も起きるだろう。未来を知っているからこそ後悔もすることだろう。だが今この時間を生きるセレン達は、その時間を懸命に生きている。それが『当時』の最良なのだ。だとしたら何も恐れることはない。

 セレンはようやく全ての迷いから解放されたような気がした。


戦い前夜…といった感じで、割と地味〜に終わりました。

ようやく出てきた聖剣の正体。ショノアもファタルだったことが判明(自覚?)したけど、難題はまだまだ残ってます。

次の話からはとうとうガレスと開戦します。ここまで長かった…。

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