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黒衣の守護者  作者: 樽吐
残酷な真実
41/156

(2)

 城の裏手の森まで辿り着くと4人は戦いの準備を整え始めた。騎士の服に着替えて、セレンは薬でミレノアル人の姿に戻る。マリウス達も髪に付いた染粉や目に嵌めていたレンズを外して、いつも通りの姿になった。

 ここは主塔から最も遠い場所だが、魔物がほとんどいない手薄な場所。キュリアンとトーレスが数日をかけて調査し選んでくれた場所だ。ここから攻め込むことは自然であり、魔物を引き付ければ主塔からかなり多くの魔物達を引き離すことにもなる。陽動としても最適だった。

 一通り準備を終えるとトーレスがセレンの持っているのと同じような笛を取り出し口に当てた。音は特定の魔法生物にしか聞こえない。これは“鍵”のようなものだ。造り主は自分が造成した魔法生物にだけ特定の“耳”を付け、この音を聞こえるようにする。そうすることで特定の魔法生物だけを呼び寄せることができるのだ。

 トーレスの足元から何かドロドロしたものが這い上がってきて、彼の全身を包む。どう見ても魔物に捕食されようとしているようにしか見えず、横から見ていて気持ちの良いものではなかったが、気が付くとトーレスの姿はすっかりセレンそっくりに変わっていた。

「はい、“セレン様”」

 サフィアが偽物の聖剣を渡すと、それは本物と同じように白いオーラを立ち上らせる。

「見た目は完璧ですね」

 セレンが感心したように呟く、マリウスから見てもセレンがまるで鏡の前に立っているような気分だ。トーレスが中に入ったからか、見た目にも『心』が加わったようで以前のような違和感もない。しかしその役目を思うと複雑なのか、マリウス達を見回すセレンの表情は明るくない。

「…難しいことでしょうが、重々気を付けて。無理をするなとは…私には言えませんが…」

 陽動は相手に自分達を「殲滅できる」と認識させて誘き寄せる。人間が相手ならば油断や過信などが含まれ、自在に翻弄することもできるだろうが、今日の相手は魔物だ。まして奥には魔物を完全に支配している女王が控えている。彼女が作戦に気付き、魔物を退かせたら全ては無駄になってしまうのだ。そのためいつものようにすぐに退却しては攻め寄せるという攻め方は使えない。本気で攻め込むつもりで戦わなければならないことだろう。それをセレンは全てわかっているのだ。

 聖剣を目の前に掲げたセレンに、マリウスは自分の剣を重ねる。トーレスも持っていた偽の聖剣を、そしてサフィアは愛用の短剣を同じように重ねた。

「文字通り…最後の戦いです。悔いの無いよう、我々は戦い抜くだけです」

「私達はあなたと共には行けないけれど…、それでも心は常に一緒です」

 サフィアが晴れやかな顔で言う。

「あなたを…超えて見せますよ。その勇姿を見せられないのが残念ですけどね!」

 トーレスはセレンの顔でニヤリと笑った。本人ならあまり見られない表情なだけに、少し複雑な気分だ。

「武運を…祈っています」

「セレン様こそ…」

 もう二度と再び会うことはないかもしれない。彼との10年以上の付き合いで、これが最後になるのかもしれない。それを思うと別れを惜しむ気持ちはどんどん膨れ上がってくる。だがいずれ“その時”はやってくるのだ。

 セレンは一度皆に笑いかけると、その場を去っていった。彼が城に潜入する場所はまた違った場所になるのだ。彼がそこから飛び立つのはマリウス達が全てのネメアを引き付けた後になる。

「行くぞ」

 しっかりと別れは済んだ。マリウスはキュリアンから渡された小さな鈴を取り出し激しく振った。これも音は聞こえないが、明らかに周りが異様なざわつきを見せ始める。木々の頂上付近からは一斉に鳥型や飛竜型の魔法生物が飛び立ち、陸上性の魔法生物達が周囲から続々とマリウス達に近寄ってくる。

「……これ、全部キュリアンの造った魔物よね…? うっかり女王の魔物とか混じってたりしない?」

 あまりの数の多さにサフィアが少し不安そうな顔を見せる。マリウスとしても同じ気分だが、キュリアンからは3人のために用意した魔法生物もいるという。しばらくすれば確かに黒い馬型の魔法生物が3体近付いてきて、目の前で背中を見せて座り込んだ。どうやら背中に乗れと言っているらしい。

「大丈夫そうだ。それにこれなら他の魔物達に踏み潰されずに済む」

 魔法生物達は既に城に向かって様々な奇声を上げながら進んでいる。人間の足では追い付けないような速さだが、この普通の馬の2倍はあるかという大きな魔法生物なら共に進むこともできるだろう。

「キュリアンが用意してくれたこの魔法生物達…。無駄にするわけにはいきませんね」

 トーレスが話すとまるでセレンがそこにいるかのようだ。先程立ち去っていったのは果たして誰だったのだろうかと混乱してしまうほどに彼はセレンそのものだった。彼はセレンであればそうであろうと予想する通りに魔法生物の背に軽々と乗った。マリウスやサフィアも急いでそれに倣う。3頭のその大きな“馬”は立ち上がると一気に駆け出した。

 (たてがみ)に必死に掴まりながらもサフィアは片手を天に翳した。すると上空で恐ろしいほどの強風が吹き荒れ、飛んでいる魔物は風に翻弄されて混乱する。その中に味方の魔法生物達が一気に突っ込んだ。マリウスはトーレスが事前に話していたように魔法生物の群れを率いて、ある特定の魔物の集団に斬り込んでいく。そこにはマリウスが連れている魔法生物と見た目には全く区別の付かない魔物の群れがいた。彼らは見境なく攻撃を始め、同士討ちか或いは味方の魔法生物に倒されていく。味方の魔法生物達は味方同士区別が付くよう造られているため、それは面白いほどに上手くいった。

「深追いはいけませんよ!」

 トーレスがまるでセレンのように1人だけ離れそうになるマリウスを引き止める。そして彼は偽の聖剣を横に薙ぎ払う。するとセレンがするのと同じような衝撃波が生まれ、周囲の魔物達が一気に消滅した。

「セレン様は絶好調ね? 私も負けてられないわ」

 サフィアの楽しそうな声が聞こえ、それと同時に空に雷雲が現れる。雷鳴を轟かせながら雷は次々に魔物に向かって落ちていった。

「まあ、俺にはそんな派手な攻撃はできないが…」

 マリウスはもう片方の手に炎の弾を撃ち出す魔法具を持った。サフィアの攻撃は全て強力だが、炎だけはどうにもならない。彼女で倒せない魔物はマリウスが引き受け、トーレスはとにかく目立つよう手当たり次第に衝撃波を飛ばしまくる。その内、サフィアの強風にも平然としていたネメアが次々と地上に降りてきた。ネメアの狙いは勿論セレンの姿をしたトーレスだ。

「セレン様!」

 トーレスの攻撃はむしろネメアには一切当てることができない。もし当たりでもしてネメアに何の傷も負わせられなければ偽物だと判明してしまうのだ。しかし幸いネメアはセレンの攻撃を必死で避ける。体に似合わず臆病なあの魔獣は少しでも傷を負うことが怖いのだ。それでもセレンならばネメアに攻撃を当てていくが、トーレスはそこまでセレンの動きを再現しきれない。身体能力は同じでも、やはり戦いでの戦略や技術まで似せることはできないようだ。

 それでもネメア達は1体1体地上に降りては戦いに参加し始める。

「…しかし最初からわかっていたことだが…」

 ネメアが参戦してくるにつれて、それまで互角に持ち込めていた戦いが目に見えて劣勢になっていく。魔法生物の犠牲があっという間に増えたのだ。それでもここは守るべき場所の王都ではなく、敵地だ。避難させるべき人々もおらず、状況が悪ければ一旦退いてもいい。たとえネメアに傷を負わせることができなくてもまだ何とか戦いを続けられる。

 これとほぼ同じ戦いをセレンはたった1人で、しかも退くことのできない状況でやってきたのだ。今ここに来て、セレンがどれだけ恐ろしい戦いを切り抜けてきたのかが身に沁みてわかる。

「だからこそ…今回ばかりはあの人には良い状況で戦ってもらわなければ…」

 ネメアとの戦いを完全に避けたとしても、女王との戦いにおいてどこまで助けになるのかはわからない。それでも敵が少なくなるに越したことはないはずだ。何よりそのために自分達はここまで彼に付いてきた。その役目さえ果たさないで、彼の副官を名乗れようか。

「ネメアはもうほとんどここに来てる! 後はあの大きなネメアだけよ!」

 サフィアも同じ思いでいるのだろう。マリウスを鼓舞するように言ってくる。しかし強力な魔法を放ってばかりいるためか、かなり疲労の色が濃い。少し離れた場所で戦っているトーレスも、彼の場合は浅い傷なら体を覆っている魔法生物が自己修復してしまうが、それ以上に深い傷を負ってしまえば人間の体部分にまで届いてしまうだろう。先程から彼は際どい攻撃を何度も受けている。あれが体に届いてしまうのも時間の問題だ。

 周りには見えはしないがチリルが飛び交っている。ある程度の傷は治してくれるだろうが、ネメアの攻撃を一撃でも喰らえばほとんど即死だ。壁となってくれる魔物が減ってくればその可能性はずっと高くなる。

「少し退くか⁈」

 せめて森の中に逃げ込めれば体の大きなネメアは動きを制限される。退くと見せかけて釣れるものもあるだろう。何よりあまり主塔に近付く訳にはいかないのだ。

「セレン様⁈」

 しかしその時サフィアの悲壮な声が聞こえ、それと同時に腕をネメアに食いちぎられたトーレスが目に飛び込んできた。

「‼︎……」

 倒れたトーレスを急いで近くにいた魔法生物に乗せて森に引き返す。このままでは最後の1体を誘き寄せる前に全滅だ。

「サフィアも…!」

「来るわ! あのネメアよ‼︎」

 振り返った先ではサフィアが緊張した様子で空を見上げていた。確かに遠目にでもネメアとわかるあの大きさは最後の1体だ。

 炎を吐くあのネメアに備えてサフィアは雷雲に加えて雨雲も呼び寄せる。しかし城全体を覆うかというほどの雨雲を呼んだことで、彼女の力にも限界が来てしまった。

「サフィア!」

 力無く座り込んでしまったサフィアを途中で拾うとマリウスは必死に森に向かって魔法生物を走らせる。後ろを振り返ればネメアが物凄い速さで迫ってきている。一気に劣勢になったマリウス達にとどめを刺すため、畳み掛けようとしているのだろう。陽動としてはこれ以上ない成果を上げているが、その後早々に全滅してしまえばネメアはすぐにも女王の元に帰っていってしまうだろう。それでは意味がない。かと言って今のこの状況で多数のネメアを相手に何ができると言うのか。

「…退くわけにはいきません! 私のことは置いて行きなさい!」

 サフィアに腕を止血してもらったトーレスが魔法生物の広い背中の上で起き上がる。セレンの姿と同じなだけに、その行動と過去での出来事が重なりマリウスは思わず唇を噛み締めた。

「いいえ、一旦森に潜んで形勢を立て直しましょう。このままでは全滅してしまいます」

 トーレスをサフィアと共に何とか宥め、残った魔法生物達を連れて森までひたすら走る。しかしその魔法生物達の足が一斉に止まった。

「何だ⁈」

 驚く3人の目の前で森の中から無数の騎馬兵が現れる。それはミレノアルの騎士に姿がよく似ていたが、フードの中に“顔は無い”。竜と馬を混ぜたような魔物の上に跨った彼らは中身の無い手で剣を持つ。

「……幽…騎兵…」

 マリウスは以前にも一度対峙したことがある。魔物に食われた騎士や兵士達の魔力を集めて女王が造り上げた魔法生物だ。剣で戦うことを知らないはずのガレス人が作ったにしてはしっかりとした剣技で戦い、人間のように知恵が回る。しかも死んだ人間を素材にしているだけあって、倒すには炎を用いるしかない。

 マリウスは魔法具と剣を手にすると、魔法生物の背中から1人降りた。退路を塞がれれば誘き寄せるも何もない。ただ囲い込まれて殲滅されるだけだ。最早、退路を守っていた魔法生物は全てこの魔物に殺されてしまったということだろう。それならこれから退路を開くだけだ。

「マリウス…、私もいけるわ…」

 サフィアがマリウスの腕を掴み、自分も魔法生物から降りてくる。

「いや…、サフィアはセレン様を頼む。それから雨を持続させておいてくれ」

「何する気?」

 マリウスはサフィアとトーレスを飛行性の魔法生物に乗り換えさせる。それは今連れている魔法生物達の中では一番飛ぶのが早い型のものだ。

「退路を空けてもらうんだよ。あの特大ネメアにな」

 上手くいくかどうかはわからない。だが今までの戦いでマリウスが身に付けた一番有効な戦法は、敵の攻撃をギリギリまで引き付けて他の敵にぶつける方法だ。失敗すれば前後から挟み撃ちにされて最悪な事態になるが、自分より大きく力の強い相手と戦った時にはいつもこの方法で切り抜けてきた。

「だからいつでも逃げられるように構えといてくれ」

「あなたはどうするのよ⁈」

 怒ったようにサフィアが詰め寄ってくる。

「俺だってちゃんと逃げる。けどお前らより後になるから先に逃げとけ」

 あのネメアが炎を吐いたらサフィアがいくら豪雨を降らせても止めきれない。だが勢いを弱めたり範囲を狭めることくらいはできる。上手く誘導すれば、背後の魔物達にネメアの炎を浴びせて一気に消滅させることができるはずだ。

 マリウスは目の前からこちらに向かってゆっくりと歩いてくる魔物の群れを眺める。このくらいの数の魔物なら、たとえ有効な攻撃が炎一択の相手でもセレンは1人で倒すのだろう。そんな芸当はマリウスには無理だ。それでもできる手段を全て駆使して切り抜けることはできる。何よりそうすることがセレンを手助けしていることに繋がるのだ。

「俺にだって、できることはあるさ…」

 マリウスは1人呟くと手近な幽騎兵を撃つ。炎に巻かれて消滅していく魔物に周りは驚いたのか足を止めた。

「全部まとめて相手になってやる!」

 中身も無いのに幽騎兵はその挑発にまんまと乗ってきた。森を幅広く蓋するように広がっていた魔物の群れは一斉にマリウス目掛けて駆けてくる。

 今まで味方の後方で守られるばかりだったという先祖達。ここまで最前線で危険な戦いをするのは自分が最初で最後かもしれない。しかしこれこそが先祖達の憧れた『騎士として誉れある戦い』だ。マリウスは満足した笑みを浮かべると、目の前に迫ってきた魔物を次々と撃ち倒していった。



 一方同じ頃、セレンは少し離れた場所に(そび)え立つ大きな木の幹の上でマリウス達の戦いを眺めていた。しばらく勢力図は拮抗して見えたが、少し前にネメアが現れてから情勢が一気に変わった。いきなり目に見えて味方側の魔法生物の数が減ったのだ。

 城の上空をずっと飛び回っていたネメア達は既に全てが戦いに加わっている。マリウスは全てのネメアを誘き寄せると宣言していたが、あの状態で特大ネメアを迎え撃つと言うのか。いやしかしそんなことは誰もが覚悟の上だ。それこそがこの作戦の目的なのだ。そんなことを悶々と考えている内に、特大ネメアがセレンのすぐ目の前を横切っていった。

 あのネメアは恐ろしく大きいが普段は何処にいるのか全くわからない。一度、女王の目の前で忽然と姿を現したのを見たことがあるので、彼女が何処かに隠しているのかもしれない。だとしたら女王がこの陽動にしっかり乗せられているということだ。しかしその行先ではマリウス達が森の中に撤退を始めようとして留まっているように見える。何か予想外のことが起きたのだ。

「っ……!」

 前も後ろも敵に挟まれては今の状況では全滅は必至。それでも自分は役目を果たさなければならない。最初からこうなることも予想した上での作戦なのだから。

 セレンはキュリアンから渡された笛を吹く。すると木々の間を抜けて何かが飛んできた。確かに聞いていた通り、体の大きさの割に羽音は全く聞こえない。(ふくろう)によく似たその魔法生物はあまり大きくはないが、セレンの重さなら支えられるとキュリアンは話していた。

 セレンの一族は体内に宿る魔力が高い。魔力が高いということは体を軽くすることにも繋がる。常に魔力が太陽や月に還ろうとしているからだと言われているが、ミレノアル人はその動きを抑えて体の重さを変動させる。本来の体の重さ以上に重くすることはできないが、跳び上がったりする時には抑えていた魔力の活動を解放して体重を軽くしているらしい。その無意識の体重の変動が彼の動きを速く、より高い場所に飛び上がることを可能にするのだそうだ。

 セレンがその魔法生物の背中に飛び乗ると、一瞬わずかに下降する。しかし彼の体重がかなり軽くなっていたからか、魔法生物はすぐに持ち直すと主塔の最上階を目指して飛んでいった。主塔まではそれほど遠くない地点から飛び立ったため、屋根の下にある窓まではすぐだ。施錠など考えもしないのだろう両開きの窓を静かに開けると、中に入り込むべく窓枠に脚をかける。その時下から物凄い熱風が吹き上がってきた。嫌な予感にすぐさま地上に視線を向けるとそこは一瞬で火の海と化している。

「‼︎……」

 空はサフィアの魔法によってずっと雨が降っている。それにも関わらず炎は降り注ぐ雨を一瞬で蒸発させて辺り一帯を焼き尽くした。あのネメアがマリウス達のいる辺り目掛けて炎を吐いたのだ。

 自分に向けられる炎でもこれ程の恐怖を感じたことはない。俯瞰(ふかん)から見るその光景への恐怖は予想だにしない衝撃をセレンの心に与えていた。あんな火の海の中でマリウス達が生き残れるはずがないのだ。自分はとうとう1人になってしまったのか。押し寄せてくる絶望を、それでもセレンは必死に振り払う。窓枠に掛けていた足に力を入れると、セレンは意を決して部屋の中に潜り込んだ。


 女王の研究室だと言う部屋はあまり広くはないが、天井が恐ろしく高かった。セレンが入ったのはその部屋の天窓にあたる。筒状の部屋の内部は壁沿いを螺旋状に通路が敷かれ、その通路には所狭しと透明な卵のような容器が何個も並べられている。大小様々なその容器の中では恐ろしい魔法生物が今も着々と成長を続けているのだ。これらは完成しない限りセレンを襲ってくることはないだろうが、それでも容器の前を通り過ぎる度に緊張を強いられる。

 部屋の中央には天井まで届く1本の大きな柱がそそり立ち、何か光る流れのようなものが上下している。その柱は主塔の頂上まで繋がっているようだが、屋根の先には確か大きな宝石が付けられていた。結界石だろうと思っていたが、あれがもしかしたら月が集めるはずの魔力を横取りしていると言う偽の月なのだろうか。だとしたらこの上下に流れている光るものは魔力そのものなのかもしれない。

 上から部屋の一番下を覗いてみれば、女王がゆったりと長椅子でくつろいでいるのが見えた。彼女は人の背丈ほどもある大きな鏡を目の前に置き、時々1人不気味な様子で笑っている。あの鏡は一体何だろうか。普通の鏡であれば彼女がいつまでもそれに見入っていると言うのもおかしな話だ。だが鏡であれば背後から忍び寄った所で映し出されてしまうだろう。

 セレンは慎重に鏡からも女王の視界からも離れた壁沿いに、徐々に通路を伝って部屋の下まで降りていく。鏡には余程何か興味深いことが映し出されているのか、彼女は先程から鏡ばかりを見ていて背後を警戒する様子は微塵も見られない。それでも一瞬出遅れれば彼女に手出しする機会は失われるのだ。油断するわけにはいかない。

 下まで辿り着き近付いていくと女王の呟きまでが聞こえてきた。

「粘るわね〜。勝ち目なんて何処にもないのに虚しくならないの?」

 その言葉にセレンの目が彼女の見ていた鏡を捉える。

「⁈……」

 そこには女王の姿が映し出されているのではなく、セレンの姿をしたトーレスが映っていた。彼の背後にはサフィアが無残な様子で倒れている。トーレスは周りを魔物やネメアに囲まれた状態でサフィアを守るように剣を振るい続けていた。しかし見える範囲にマリウスの姿はない。トーレス自身は既に利き腕を失っており、偽の聖剣もボロボロでネメアでなくとも斬れる状態にはない。

 正視できずに一瞬目を逸らしてしまったセレンの耳に、情け容赦のない女王の声が入ってくる。

「もういいわ。食べちゃいなさい」

「‼︎」

 思わず振り向いたセレンの目に飛び込んできたのは、地面から迫り上がってきた鮫型の魔物の巨大な口。その口はトーレスを倒れているサフィアごと丸呑みにする大きさを備えているものだった。魔物に食われればその魂は魔力と共に世界の循環から切り離される。それは最も忌むべきことだ。

 セレンは怒りの感情のままに女王のいる場所まで一気に走り寄った。今更彼女を止めた所でトーレス達が魔物に食われるのを止めることなどできない。それでも走り出さずにはいられなかったのだ。

 セレンが忍び込んでいることには全く気付いていなかったのか、女王は彼の気配に驚いて振り返る。それが返って都合良かった。セレンは彼女の喉を掴みながら、その勢いのままに長椅子の背を飛び越え鏡ごと彼女の体を押し倒した。鏡と床に頭を盛大にぶつけられた女王は完全に意識が飛んだようだ。

 その時セレンの頭の中には何も無かった。勝利の喜びも、怒りや悔しささえない。そんなものは全て超えた無心状態で彼女の体に剣を突き立てようとした。しかしその攻撃が何かに弾かれる。

「⁈……障壁…?」

 意識のないはずの彼女の周りに強固な障壁が張られている。聖剣の、しかもセレンが渾身の力で叩き込んだその攻撃を防ぐ程の障壁など、相当強い魔術師でなければ不可能なはず。

 一瞬で部外者の気配を察知し、セレンはそちらに向かって攻撃しようとする。だがその剣はその相手の体を斬り裂く寸前で止まった。


「ファタ…ル…?」



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