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黒衣の守護者  作者: 樽吐
2人きりの夜
39/156

(5)

 次の日、ファタルの家は大賑わいだった。昼過ぎに野菜や果物など大量の食材を積み込んだ荷馬車に乗ってサフィアが現れ、そこにマリウスとラムダが合流する。玄関に現れた3人をファタルは驚きながら迎えていた。

「これは…すごい量ですね」

 セレンは思わず苦笑する。盛大にファタルの誕生日を祝いたいとは言ったが、ここまで大量とは予想外だ。果たして今晩だけで食べ切れるのだろうか。さすがに貴重な食材を無駄にするようなことだけは避けたい。

「余った食材はサフィアの方で近所の人に配ってもらいます。向こうにはトーレスも残ってますから配られた相手も警戒せずに受け取ってくれますよ」

「そうですか。だとしたら安心です。私としても知らない人達ではありませんから、彼らの生活の助けになるなら嬉しい限りです」

 セレン達は荷馬車からせっせと食材を降ろしていく。それを横でファタルも小さい体で懸命に手伝ってくれていた。ファタルの家の玄関はかなり広いので荷物を全て並べてもまだ余裕がある。運び終えて一息ついていると、一足先に奥の調理場に入っていたラムダが果物を盛り付けた皿を手に現れる。

「はい、みんな味見〜! この調理場すごく使いやすいからあっという間に今晩の料理作っちゃうからね〜」

 ラムダは機能性の高い調理場に極上の素材を扱えるとあってかなり機嫌が良い。セレンにしてみれば大した労力はかけていなかったが、マリウスとサフィアはしばらく休憩が必要そうだ。ファタルはセレンの側でラムダに手渡された果物を齧りながら不思議そうに周りを見回している。

「どうしましたか?」

 セレンが尋ねると、驚いたようにファタルは見上げてきた。

「うん…。みんな…この家使いづらくないのかなって…。だって全部ミレノアルの物ばっかりなんだ。普通はびっくりしたりするよ? お父さんの友達はいつも居心地悪そうにしてた…」

 ショノアはそう言って悲しそうに目を伏せる。それは自分のせいで父親の友人達を不快にさせてしまっていたことに対する悔しさ故だろう。普通のガレス人ならたとえミレノアルで過ごしたことがあったとしても、この家を気に入らないはずだ。

「私達もミレノアルで過ごすようになってから、馴染むのに必死だったのよ。ちょっとしたことでガレス人は差別されてしまうから…」

 サフィアは戸惑うことなくファタルに説明する。まるで自然なその話し方はさすがと言わざるを得ない。

「そうですね…。今ではミレノアルの道具にもすっかり慣れて、今度はガレス人から変な目で見られてしまうくらいになりましたけど」

 サフィアの作り話にセレンが合わせれば、ファタルは慌てて変な目で見ていたわけではないと言い訳する。彼はいつも差別される側だったからこそ、セレンが嫌な思いをしていると勘違いしたに違いない。

「ごめん…。みんな色々あるんだよね…」

「あなたがどうのと思っていたわけではありませんよ? ですがこの話はもう終わりにしましょう」

 セレンが早々に話を切り上げようとすると、ファタルは素直に頷いた。勘は鋭いが、根は優しい子供だ。ありがたいことに、慕っている人間が聞かれたくないことは聞かないでおくという配慮が彼にはできる。おかげでセレンはファタルが自分を慕っていることを利用して上手く話を終わらせることに成功した。しかしファタルの気掛かりはまだ他にもあるらしい。

「でもさ…ロギア達はミレノアルに戻っても大丈夫なの? ミレノアルに行ったらガレス人は殺されるって聞いたことあるよ?」

「大丈夫、私の仲間は皆強いんですよ? あなたを守ることだってできます」

「……うん」

 ファタルは少し不安そうだったが、やがて頷いた。

「ロギアを待ってたらダメ…なんだよね?」

「どちらにしても私は明日大事な友人に会う約束をしていて、しばらくこの家を空けることになりそうなんです。最近あなたは具合が悪そうですし、側で誰かが付いていた方が私も安心ですから」

 悪夢を見る頻度も多くなっているが、それより最近のファタルは情緒が不安定で以前ほどの元気がない。それはセレンが普通以上に緊張しているのを感じ取っているから、というわけではなさそうなのだ。

「その…ラムダって人はどうしてそんなに急いで帰らなくちゃいけないの? その人もこの家で一緒にロギアを待ってたらいけないの?」

 不安のせいか、ファタルはなかなか納得してくれない。一度薬師にでも診てもらった方が良いかもしれない。宥めるように頭を撫でていると、ラムダが調理場から食材を取りに現れた。

「あれ? 何かあったんですか?」

 深刻な顔で向き合っているセレン達を見て、ラムダが心配そうに寄ってくる。ファタルはラムダが自分を連れ帰る人間だと知って、セレンに尋ねたのと同じ質問をラムダにも繰り返す。

「ああ、そのこと? 実はね…、今ミレノアルではある特別なお酒が入荷しているの! それを手に入れるためには少なくとも明日にはガレスを出発しないと売り切れちゃうのよ! ロギア様も大好きなお酒だから絶対に逃すわけにはいかないわ!」

 鼻息も荒く盛り上がるラムダの話は本当か嘘かはわからない。ただ…確かにこの時期だけに取れる果実で作られた酒は上質なものとして有名だ。

「ロギアも好きなお酒なの?」

「ええ、勿論。それを飲まないと1年が味気なく感じてしまうほどですよ?」

 尋ねてきたファタルにセレンもラムダの話に合わせて頷いた。これではセレンも相当な酒飲みのように思われてしまいそうだ。だがセレンの好きな酒を手に入れると聞いたファタルの顔が、少し明るくなってきた。

「最近入荷量が減ってきてるから1人2本までしか買えないの! ファタルも手伝ってくれると助かるな〜」

「うん! 僕も一緒に行って、そのお酒買うよ!」

 9歳の子供に一体何をさせるのかと、普通なら注意しているところだが、これはファタルをラムダに付いて来させるための方便かもしれない。下手なことを言って、折角乗り気になってきたファタルの気持ちに水を挿すわけにもいかない。

「期待してます。すぐに追いかけますから、ラムダの言うことをよく聞いて良い子でいてくださいね?」

「うん!」

 すっかり機嫌の良くなったファタルはラムダに付いて調理場へと走り去っていく。それを見たセレンは思わず大きく息を吐いた。

「なかなか勘の鋭い子供ですね…。魔法は使えなくても、やはり何かを感じ取ってるんでしょうか?」

 マリウスも今の会話を聞いていてファタルが一筋縄ではいかない子供だと理解したらしい。

「そうかもしれませんね。しかしラムダの機転のおかげで本当に助かりました。彼女の嘘は諜報部隊員も顔負けですね?」

 内容はあまり褒められたものではなかったが、ファタルが楽しそうにしているならそれで良い。満足して彼が消えていった先を見つめていると、マリウスがセレンの方を見つめてきた。

「ああ、あれ、嘘じゃないですよ? ラムダは毎年この時期あの酒を手に入れるために城には出仕してきません。最初の頃はロギア様も飲みたいだろうから、なんてさっきみたいな理由を付けてきてましたが、大体数日で飲み切ってしまうらしくて我々も口にしたことはありませんけどね」

「……」

 マリウスの言葉に思わずセレンは絶句する。彼女のことは信用しているが、酒が絡んでくるとなるとまだ幼いファタルへの影響が気にならなくもない。しかしセレンの表情から彼の心配を察したマリウスは笑って補足する。

「心配いりませんよ。ああ見えて、娘達をしっかり育てる母親の顔も持ってますからね」

「…ええ、それは私もよく知っています」

 ラムダの娘は2人ともファタルと変わらない年齢だが、2人とも本当に良くできた子供達だ。きっとファタルとも仲良くしてくれるに違いない。

「じゃあ、そろそろ作業の続きを始めましょう。ラムダに部屋を飾り付けるよう言われているんですよ」

「それは良いですね! きっとファタルも喜ぶと思います」

 調理場の隣には食堂とラウンジが繋がっている部屋がある。そこにはテラスもあって裏手の森が一望できる、雰囲気の良い場所だ。いつもはセレンと2人で広すぎる部屋を持て余していたが、今日はあの部屋の大きさに相応しい人数で楽しい時間を過ごすことができるだろう。セレンはまだ置いたままの食材を手に取ると、マリウス達と共に調理場に向かっていった。


「材料はその辺りに置いておいてください。ファタル、その白い瓶持ってきてくれる?」

 調理場に入ればラムダは既にいくつかの料理に取り掛かっていて、とてもではないが手伝える状況にはない。だがファタルを良い感じで関わらせていて、彼はこれから出来上がる料理に期待が抑えられない様子だ。

 セレンからラムダに言われた瓶を渡されたファタルはそれを見て喜びの声を上げた。

「これ、ケーキに使うクリームだよね!」

「そうよ? もう土台は作っておいたから今から飾り付け。勿論手伝ってくれるよね?」

「うん!」

 そう言うとラムダは自分で持ってきた包みを開けた。中から出てきたのは甘い匂いのするフワフワのケーキの土台だ。

「ラムダが作るとあんなにも美味しそうに焼けるものなんですね…。父が作ってくれたのはいつも焦げた匂いしかしてきませんでしたが」

「ロギア様の一族って…本当に料理ダメなんですね…」

「…まあ、そうですね。料理ばかりはいくら練習を積もうと上達しません」

 包丁使いは上手くいくのだが、味付けや火加減がどうにも大胆すぎるといつも言われている。味覚も毒を見分けることは造作もないのだが、美味しいか不味いかの微妙な部分はいつもよくわからない。

「それでも父はいつも私のために誕生日のケーキを焼いてくれました。それだけで…全て美味しく感じたものです。でもどうして父はあんなにも自分で作ることにこだわっていたのか…」

 さすがに自分1人ではケーキを作ることはできないからと、セレンの誕生日にはいつも諜報部隊騎士が誰か家に招ばれて来ていた。彼らは恐ろしく不器用な父がケーキ作りに悪戦苦闘しているのを苦笑しながら眺めていたものだ。それは父が寝込むほどに体調の悪い時でも変わらなかった。後で家に来ていた騎士に聞けば、手伝おうとするとセレンの父に怒られるからなのだと聞いたことがある。

「それは…“家族”に作ってもらったケーキを食べた子供はその1年健やかに過ごすことができるって言い伝えがあるからでしょうね…」

「そうなのですか?」

 それは初耳だった。セレンの父親は寡黙な人で、自分のことは勿論他のこともあまり話すことはなかったのだ。

「子供を取り巻く環境は今でも危険がいっぱいですからね…。無事に成長してもらいたいと願う家族の想いが子供を危険から遠ざける…そう願いたくなるのも無理はありませんよ」

 マリウスは古い伝統にかなり詳しいが、それに縛られる他の貴族達とは違い割と冷静だ。むしろ験担(げんかつ)ぎと割り切って楽しんでいる所がある。

「そう言えば誕生日が近い人間には幸運が舞い込みやすくなるとも言ってましたね? あれも同じようなことでしょうか?」

「その話はもっと信憑性が高いですよ? 何でも我々がこの世界に生を受けた時、星が一つ空に生まれるのだそうです。それは『守護星』と呼ばれていて、我々に遠くの空から影響を与えているのだという話です」

「それは本当の話なんですか?」

 月や太陽の正体は長年研究されていて魔力の循環に大きな役割を果たしているらしいとの結論が出ている。だが無数にあるあの星と、地上に生きる生命とが影響し合っているなどという研究結果は聞いたことがない。

「本当か嘘かで言えば…実はまだはっきりしていません。でも実際に星は1年をかけて遠ざかったり近付いたりを繰り返しているでしょう? そのどれか相性の良い星が近付いた時に隠された能力が発揮される…とかなら有り得るような気がしませんか?」

「なるほど…。それは可能性としては考えられますね」

 セレンが深く納得していると、マリウスが急に吹き出した。

「でもまあ…やっぱり迷信だと思いますよ? 俺の幼馴染は誕生日の前日に魔物に喰われかけましたし、俺は誕生日の3日後に遊んでる最中に高台から落ちて足の骨を折りました。でも今回みたいな状況だと、迷信でも縋りたくなりますよね」

 言われてみればセレンにも誕生日絡みの不幸な思い出がある。父親が作った料理に火を通さないと食べられない素材がほぼ生の状態で入っていたのだ。まだ幼かったセレンはそれで完全に腹を壊した。熱は出るわ脱水状態になるわで大変だったそうだが、何とか大事には至らず1日で回復したらしい。だがそれ以来、父親は料理に火を通し過ぎることが増え、大体の料理が炭のように炭化した状態で出されてくるようになったのだ。

「確かにそれは単なる迷信かもしれませんね…。ですが誕生日を誰にも祝ってもらえない人間にしてみれば、少なくとも幸運の贈り物はもらえるのです。そう思うのは大事なことだったのでしょう」

 世の中には幸せでない誕生日を迎えている人間など多くいる。そんな人々がこの言い伝えを信じていたとしたら、せめてもの慰めになっていたりしないだろうか。

「そうですね…。でもだったらファタルにはちゃんと我々が祝ってあげないといけませんね。この部屋の準備も早くやり終えないと」

「ええ、そうしましょう」

 ラムダの方はサフィアも手伝いに加わり、先程ケーキの飾り付けが終わったようだ。ファタルは出来上がった綺麗で大きなケーキにすっかり釘付けだ。早くラムダから渡されたこの色鮮やかなリボンで部屋中を飾ってあげよう。そうすればもっと彼は喜ぶことだろう。

 部屋には美味しそうな料理の匂いが充満し、ラムダとサフィアが言葉を交わしながら作業を着々と進めている。ファタルはラムダの手伝いをしたり、時々セレンの元に寄ってきては完成した料理がどんなだとか、次は何を作るんだとか楽しそうに報告してくれる。セレンは今日という日をファタルのために祝ってあげたいのだと皆に伝えたが、こうして何人もで誕生日の準備をしているとセレン自身も共に楽しんでいることに気が付いた。

「楽しそうですね、ロギア様」

 テラスの方の準備に取り掛かっているとマリウスが茶化すように言ってくる。

「ここには何かと小言を言ってくる人もいませんし、気の休まる相手だけに囲まれていれば楽しくもなります」

「それもそうですね」

 あっさりと同意してマリウスは笑う。

「ロギア様、昨日サフィアと話してどうでした? あなたの中で何か心境の変化でもありましたか?」

「……」

 心境の変化と言えば、迷いが晴れたことだろうか。とうとう明日という日を前にして、今更迷っている場合でもないと自分で気が付いただけなのかもしれない。

「あなたは最後まで諦めない人ではありますが、反面往生際の悪い所がありますからね」

「……」

 なんとなくマリウスにはセレンの葛藤が見えてしまったのだろう。何だかんだ言っても一番付き合いの長い相手だ。他の誰よりもセレンの感情を読むことには長けている。

「往生際が悪い…ですか。確かにその通りですね…。この家で暮らすようになってから…意外にも居心地が良くて色々なことで守りに入っていたような気がします」

 敵地で正体を隠し、長い期間を滞在するなど本来ならすぐにも終えたいと望む状況だろう。だがセレンの場合は王都にいても死の危険はなくならない。むしろここの方が普通に穏やかな生活だった。

「今はこの生活を終える決心が付いたと?」

 マリウスはテラスの(ひさし)にリボンを付け終えるとこちらを振り返った。

「ええ…。この家の“外”も居心地良い場所に変えるのは自分なのだと、それがようやくわかったんですよ」

「……。まあ、気持ちを切り替えられたんならもう何も言うことはありませんけどね? 我々の存在は…あなたの役に立ちましたか?」

 驚いてマリウスの顔を見つめると、彼の方も真剣な眼差しでこちらを見返してくる。

「1人で行動しようとしていたあなたに、無理矢理付いてきたのは私の方です。それで役に立たないなら付いてきた意味がありません」

 見下ろしてくる彼の顔はどこか苦しげだった。セレンだけではなく、誰もが色々な思いを抱えてここに居るのだ。セレンは心から笑みを浮かべた。

「あなた方の存在があるからこそ私は立っていられる。あなたがいたからこそ私は進み続けることができたんです」

 重荷と感じるか、生き甲斐と感じるか、それはセレンの考え方次第だ。だが決して部下達の存在は“無くても良いもの”ではなかった。それだけははっきりしている。

「私の態度があなたを不安にさせたのかもしれませんね。でももう大丈夫です」

 マリウスは何故か複雑そうな笑みを浮かべていた。彼はセレンが「大丈夫」と口にするといつもそんな顔を見せる。だがそれ以外に言い表しようもなかった。

「ラムダが中で我々を呼んでいるようです。行きましょう」

 マリウスはやがて何かを思い切るように普通の笑顔を浮かべ、先に立って歩いていった。

 食堂まで戻ると、ここ最近ではほとんど見かけられないご馳走が大きなテーブルの上に並べられていた。

「本当にすごいですね…。こんな短時間でよくこれだけのものを…」

 感心するセレンにラムダは何でもないことのように答える。

「まだ少ない方ですよ? 以前には20人前くらい半日で作ってましたからね」

「20人⁈」

 自分の食事だけでも毎日四苦八苦していたセレンにとって、ラムダの手際の良さはむしろ魔法級だ。日も暮れてきてそろそろトーレスも今日の監視を終えるだろう。サフィアはもう随分と前に余った食材を荷馬車に乗せて一旦帰って行ったので、その内2人でこの家まで戻ってくるはずだ。後はキュリアンだが、彼のことも先程マリウスが合間を見て隠し部屋まで様子を見に行っている。彼の方はトーレスを待っている状態らしいので問題はないそうだ。

「ロギア、ケーキすごいでしょ!」

 テーブルの中央に置かれた3段重ねのクリームと果物がたっぷり乗った豪華なケーキを指して、ファタルは大喜びでセレンに駆け寄ってくる。先程完成したとばかり思っていたケーキだが、そこから更に色々な明るい色の小さな丸い玉が全体に散りばめられていて、子供の目にも楽しいケーキに変貌している。それ以外にも綺麗に盛り付けられた肉や野菜の料理が所狭しと並べられ、自然と食欲をそそられる。ファタルはいくつか味見をさせてもらったらしく、早く食べたいと子供らしくせがんできた。

「ラムダの料理はとても美味しいですからね。私も早く食べたいですよ」

 普段なら豪華な食事を食べるとなると後ろめたい気持ちになるのだが、これはファタルのためだ。それに明日の決戦のための晩餐でもある。今日は何の気兼ねもなく楽しもう。それがファタルや皆のためにもなることだろう。

 それから程なくトーレスとキュリアンがサフィアに伴われて現れた。キュリアンの肩には何か光る小さな蝶のようなものが留まっている。本当に小さくて、昼間の外や明かりの灯った室内では気付かないくらいだが、ファタルは気が付いたようだ。

「それ何? 綺麗だね」

 初対面だが今日は新しく知り合った人間が多いからか、自己紹介を終えた後すぐに彼はキュリアンに話しかける。

「気に入ってくれたのなら丁度いい。これは君への贈り物だよ」

「え⁈」

 驚き喜ぶファタルの肩に、キュリアンはその小さい蝶を移動させる。その蝶はファタルの肩に留まると落ち着かなくくるくるとその場で一周するとやがて止まった。すると体からの発光がわずかに強まる。

「よし、ちゃんと君を主人と認識した。これでそのチリルは君のものだ」

「チリル?」

 聞き慣れない名前にファタルが首を捻っていると、キュリアンはその蝶をファタルの肩から見えやすい腕の方に移動させる。

「急だったから何が良いか悩んだんだが、この子は綺麗だし可愛いだろう? 昔からよく造られてきた魔法生物だ。“癒しの光”なんて名で呼ばれたこともある」

「これがそうなのか? 本物は初めて見たな…」

 マリウスも興味津々で近寄ってくる。戦場ではこのチリルを元にした魔法生物が兵士達と共に出陣する。しかしそのチリルは敵に見つからないよう発光せず、より小さく改良されているため、肉眼ではほぼ見えない。

「確かによく見る“癒しの光”と同じような姿をしていますね。こちらの方が少し毛も生えていて確かに可愛いですが…」

 セレンのよく知るこの生物は白くずんぐりとした体に大きな羽を持った蝶のような生物で、それだけでも少し愛嬌のある姿をしている。だがキュリアンの連れてきたチリルは更に全身が短い白い毛に覆われ、触角や羽、手足までがフワフワしている。しかも真っ黒の目が大きくて、何とも愛らしい。

「……ロギア様、あれ…見えてるんですか?」

 普通、この生物は拡大鏡を使わなければ見えない。騎士や兵士達は事前にチリルが存在していることを知らされているため、名前と姿形くらいは知っている。だが実際に見たことのある人間はほとんどいないのだ。だが視力も普通以上によく見えるセレンには肉眼でも彼らの姿がはっきり見えている。

 戦場で見かけたチリルは傷付いた兵士の傷口に留まり、その小さな羽で癒しの風を送る。チリルは癒している相手の生死に関わらず本能的に傷を癒そうとする生物なのだ。しかし負傷者はこの生物が見えないため構わず戦いを続行し、時には癒やされている当人がこの生物を潰してしまう時もある。

「戦いに巻き込まれて死んでいく様を見るのは本当に胸が痛みます。その点、このチリルは幸せになりますね」

「うん! 僕、大事にするよ!」

 チリルの留まった腕を動かさないようにして、ファタルは元気よく頷いてみせる。

 ミレノアルまでの道中は決して安全ではない。キュリアンもラムダも弱くはないが、戦いの場に身を置いてきた人間ではないのだ。やはり完全に安心だとは言い難い。まして戦う力のないファタルは常に危険に晒されるだろう。そのこともあってキュリアンはファタルにチリルを贈ったのかもしれない。

「俺達の分は?」

 マリウスが思い出したように尋ねれば、キュリアンは神妙に頷いた。

「安心しろ。私特製のチリルはもう増産済みだ。ロギア様が案じるように、従来のものは見えない上に小さ過ぎて簡単に潰されてしまったからな…。今回は大きさはそのままだが、体表組織は鋼の如き硬度だ。飛ぶ速度も5倍に強化した。むしろぶつからないように気を付けろ」

「……」

 それは高速で飛び交う鉄粒の中を進むわけだから、危険ではないのだろうか。マリウス達も同じように考えたのか、一様に深刻な顔で黙り込む。

「冗談だ。見えないチリルを避けるなんて無理だからな…。ああ、だが今回は危険回避能力を付けてみた。だからチリルの方で勝手に避けていくはずだ」

 キュリアンの言葉にその場にいるファタル以外の人間は皆ほっと胸を撫で下ろす。チリルの方で避けてくれると言うならそれは確かに安心そうだ。

「この子に名前を付けなくちゃ…」

 ファタルはすっかりチリルが気に入ってしまい、片時も側から離さない。しかしふとセレンはおかしなことに気が付いた。再び肩に戻ったそのチリルは何故か羽ばたいているのだ。

「ファタル、あなたは肩に傷でもあるのですか?」

「え? そんなのないよ?」

「そう…ですよね」

 チリルが反応するような傷をファタルが負っていたならセレンが気付かないわけがない。

「キュリアン…」

 造り主に尋ねてみるが、彼も不思議そうにそのチリルを眺めている。

「相性が良いと外傷だけではなく体の中の傷も癒そうとすると言います。もしかしたらこの子は何か病を抱えているのではないですか?」

「……病…ですか。だとしたらもしかしたら生まれつき魔法が使えないことでしょうか…」

 生まれ持った障害までもこのチリルが治してくれるとしたらどれほど良いことか。セレンは思わず羽ばたくチリルを期待して見てしまう。

「生まれつきですか。それはさすがに治せませんね…。ファタル、チリルの頭を撫でてやってくれるかな?」

 キュリアンに言われ、ファタルは恐る恐るチリルの小さな頭を指先で撫でてみる。するとチリルはすぐに羽ばたくのを止めた。

「チリルは加減というものを知らないんだ。治らないからといって諦めることもない。だからそうやって『大丈夫だ』と伝えてやらない限り、死ぬまで羽ばたきを止めないんだよ」

「死ぬまで…⁈」

 ファタルがショックを受けて絶句する。

 確かに戦場では死体をそれと判断できないチリルが必死で群がり羽ばたいていた。しかし死体の傷が治るはずもなく、1匹また1匹と命を落としていくのをよく目にしたものだ。見えないからと放置され続けた痛ましい光景だった。だがこのチリルは姿が見えていて、常にファタルが見守っているのだ。心配はないだろう。今もチリルはファタルの周りを嬉しそうにくるくると飛び回っていて、とても微笑ましい。この生物が光を失わないようにセレンはとにかく祈るだけだ。

「そろそろ始めません? あまり遅くなるとファタルの寝る時間が来てしまいますよ?」

 皆で楽しそうなファタルを眺めていると、ラムダが母親らしく時間のことを忠告する。大人にとってはまだまだ夜は長いが、子供にとってはそうでもない。そういうことに気付けるのはラムダが幼い娘を育てているからだろう。

「本当ですね。料理も冷めない内に食べましょう」

「それはそうですね! ラムダの料理を前にして、食べずになんていられませんよ!」

 トーレスが待ちかねたように皿とフォークを手に取った。

「酒は? 今日の飲み比べはあなたに勝ってみせます!」

「明日まで引き摺るような飲み方はダメですよ? 起きられなくても無理やり連れ出しますからね?」

「……はい」

 羽目を外す気満々なマリウスに速攻で釘を刺すと、サフィアから酒の入ったグラスを渡された。

「でも少しくらいロギア様も騒いでくれないといけませんよ? 何しろファタルの誕生日祝いなんですから」

「勿論、私だって明日に響かない程度には騒ぎます。ラムダの料理が好きなのは私も同じですからね」

 そう言うとラムダが照れたように自分の頭を撫でた。サフィアとマリウスが次々にグラスを配り、全員に行き渡るとセレンはグラスを掲げた。

「それでは準備ができたようですから始めましょう。ファタル、10歳の誕生日おめでとう。そしてこれまで私に付いてきてくれた皆さん…。あなた方の健康と平穏を心から祈ります。乾杯しましょう! 皆に幸多き未来が開かれますように!」

 セレンの声を合図に皆一斉にグラスを高く掲げた。ファタルもラムダに促され、果汁入りのグラスをぎこちなく掲げている。

 どうか無事にミレノアルまで辿り着いて欲しい。そしてラムダの元、ファタルが幸せになるようにとセレンは心から願った。



『チリル』はイメージ蚕蛾です。別に昆虫は好きではないですし、多分手の上に蚕蛾乗せたら「ギャー!」ってなるとは思うんですが、何故だか可愛いと思ってしまう謎の虫…。

昔、アブラムシみたいな小さい虫で、全身白い毛で覆われてるのが手に止まったこともあって、それを勝手に『しろばんば』だと思っていた時期もあります。

本当に手足もフワフワで可愛く見えた…。白い毛って偉大です。

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