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それから数日が過ぎた。準備は順調に進んでいる。この前うっかりセレンはサフィアの潜り込んだ屋敷の持ち主と鉢合わせてしまったが、変装していたおかげで事なきを得ている。サフィアの話ではその日以来、毎日のように野菜や果物が屋敷に届くようになり、セレンも屋敷に滞在しても良いのだと再三言ってきているらしい。
折角なのでファタルの分を取り置いて、他は部下達に配分したがサフィアとマリウス以外、皆喜んでくれた。2人は屋敷の主が女装したセレンに見え見えの下心を抱いているのだと言って良い顔はしないが、利用できるものは利用した方がいい。大体サフィアの方が余程綺麗なのだから、あの手土産はむしろ彼女への点数稼ぎだろう。何しろセレンはサフィアの姉だということになっているのだから。
しかし今日はどうにも外が騒がしい。夜は昼間よりも魔物の声がよく聞こえるが、それにしても異常だ。窓から外を眺めてみても特に魔物がおかしな動きをしている様子はないのだが、何だか落ち着かない気分だ。
「ロギア」
ファタルが怯えた様子で服にしがみ付いてくる。彼は最近毎晩のようにあの怖い夢を見るために、ずっとセレンと一緒のベッドで眠っている。相変わらずセレンと一緒に寝ると夢は見ないのだそうだ。
「何か嫌な感じがする…」
ファタルの頭を撫でて落ち着かせ、再び外に目をやると視界の端に何か大きな影が過ぎっていった。
「‼︎……」
見ればネメアが数体夜空を飛んでいる。あの魔物は夜行性ではないはずだ。ということはデルフィラ女王が動いたのだろうか。目を凝らせば城の主塔の周りを恐らく現存するネメア全てが集まり飛んでいる。これは良くないことの前触れだ。以前、王都にネメアが一斉に押し寄せた時も同じようにガレス城の周辺で多くのネメアが飛び交っていたという報告があるのだ。
ラムダの魔法剣は昨日完成し、キュリアンの造るセレンの偽物も昨日見た限りはもうじきのように見えた。しかしネメアが集合してきているのなら、もう明日にでも女王が王都に向けて進軍してしまうかもしれない。明日の朝に目を覚ましたら城は既にもぬけの殻…などということもあり得るのだ。キュリアンは最近魔物の造成に忙しく、城内の情報はほとんど得られない。実際に今城で何が起こっているのかセレンには何一つ知りようがないのだ。
「ロギア…」
ファタルも何かを感じているのか先程からセレンの側を離れようとしない。
「……置いていかないで…」
「ファタル…」
驚いてその顔を見つめれば、彼は泣きそうな顔でこちらを見上げていた。
「もう独りは嫌だよ…。怖いのも寂しいのも嫌だ。ロギアとずっと一緒にいたいんだ…!」
ファタルはセレンの緊迫した様子に不安が抑え切れないようだ。その勘の鋭さに驚いたものの、セレンは努めて何でもないことのように笑顔を浮かべる。
「どうしたのですか? 私はずっとここにいますよ?」
「そんなことない! ロギアはあの時の父さんと同じ顔してる。女王様を倒しに行ったあの時と…!」
過去の経験のせいなのか、それとも彼自身が敏感なのかはわからない。だがどれだけセレンが表情を取り繕おうとファタルには通用しない。宥めようとすればするほどセレンの服を掴むファタルの手の力は強くなっていく。
「僕もうあと3日で10歳だよ! あの時より大きくなったんだ! だからロギアと一緒に何処へだって行けるよ!」
“何処へでも”…。それは命を懸けた戦いの地など入ってはいないだろう。ファタルの年齢など初めて聞いたが、まだなんて幼いのだろうか。
「……少し…考える時間をくれませんか?」
とうとう根負けしたセレンは言ってしまった。この一言でセレンはファタルの言葉を肯定したことになるだろう。9歳の子供に縋り付かれてあっさり折れるとは、“黒将軍”が聞いて呆れる…。
「何も言わないで何処かに行ってしまったりしない?」
「……ええ。あなたの誕生日までには結論を出しましょう」
「うん、わかった…」
ようやく落ち着いたらしいファタルの頭をセレンはもう一度撫でる。事態はどうしてこうも一気に進み始めてしまうのだろうか。とにかく今晩、キュリアンに会いに行く必要ができた。彼は今日どちらの拠点にいるだろうか。
「ファタル、私は今晩やらなければならないことができました。今日はもう遅いですから、先に寝ていてくれませんか?」
「……」
ファタルはセレンの顔をしばらくじっと見つめていたが、やがて黙って頷いてくれた。
「ここで寝てても良い?」
セレンは一瞬ベッドの下に隠してある聖剣のことを考えたが、さすがに1人で寝ていてあの剣を見つけるようなことにはならないだろう。それに、ファタルが悪い夢を見ないのはもしかしたら聖剣のおかげかもしれない。昔から刃物は悪しきものを遠ざけると言われているくらいなのだから。
「明かりを少し暗くしておきましょう。用が済んだら私もすぐこの部屋に戻ってきますから」
「…うん」
少し不安そうではあったがファタルはおとなしくベッドの中に入っていった。それを見届けるとセレンはすぐに部屋を出る。廊下から下の階を見下ろすと既にマリウスの姿が見えた。急いで下に降りると彼を伴い、ファタルの父親の部屋に入る。隠し部屋まで行くと既に全員が揃っていた。
「皆…あれを見たのですね?」
「……はい。そのことでキュリアンからロギア様にお話があると…」
マリウスが説明している内にもキュリアンが奥から歩いてきた。
「ロギア様…」
彼の表情は浮かない様子だ。そもそもセレンの偽物が完成するまでにはまだ時間が必要だと聞いている。突然予定が早まったからといってもどうしようもない。人間の子供の成長が焦ってもどうにもならないように、魔法生物の造成も時間を省略すれば失敗するだけだ。
「事前に造成した魔法生物を持ち込めない以上、このような事態は避けられません。あなたが責任を感じる必要はありませんよ?」
セレンが慰めてもキュリアンの表情は変わらない。彼は今まで全て期限内に依頼通りの魔法生物を造成してきた優れた魔獣造成師だ。その彼が“完成できなかった”と伝えることは耐え難い屈辱なのに違いない。
「むしろ…もう十分に完成しているように見えるんだが、まだダメなのか?」
マリウスが眺めているのは奥で立っているセレンそっくりの魔法生物だ。彼もセレンもこの生物が形になっていく様子をずっと見てきたが、動きもするし会話もできる。だが造り主が良いと言わない限りはまだどこかに未完成の部分があるのだろう。
「見た目は遜色ない所まで完成しました。私が教えた通りに動き、言葉を発することもできます。しかしこの子はまだ自分で動くことができません。その意思もない。そこまで行くにはあと7日は必要です」
「7日…」
セレンはその日数にただ絶句する。明日にもデルフィラが動くかもしれないという状況で、それだけの日数を待った上での作戦を立てることは無謀に思えた。これはすぐにでも作戦を変更する必要があるだろう。セレンは全員の顔を見回すと、結論を口にした。
「まず第一に女王が明日にでも動いた場合を想定しましょう。彼女が動いた場合は私が引き留めます。その間にあなた方は王都に向かい、避難を呼びかけること。最早女王を止める手立ては無くなったものと思ってください」
「それは…」
つまりミレノアルは敗北するということだ。準備も整わないまま無理に全員で戦いを挑んだところで結果は見えている。後はどれだけ王都の人間達が逃げる時間を稼げるか、それくらいしか自分にできることはない。つらく悲しい結論だが、現実から目を背けるわけにもいかない。それにこれは最悪の事態だ。まだこうなると決まったわけではない。
「しかし7日間、その態勢でいくと言うのですか? 或いはこちらから討って出られる方法も考えるべきなのではありませんか?」
1人で犠牲になろうとするセレンのやり方にマリウスは難色を示した。確かに今回ばかりは彼の言い分をただの過保護だと突っぱねることはできない。やれることはやっておかなければ後々全員に強い悔いが残るだろう。
「キュリアンの造った魔法生物はもうここにいる1体以外は全て完成していると言います。あの魔法生物も私から見れば十分に囮の役目を果たせます。倒せないまでも…今すぐ当初の作戦を実行した方が足止めとしても有効ではありませんか?」
マリウスは今準備できる全てで討って出るべきだと主張し、それにサフィアも同意する。
「そうね…。未完成のまま戦いに出すのはキュリアンとしては不満でしょうけど、だからと言って私達だけで挑んだところでネメアは1体だって釣れないわ。やるだけのことはやっておかないと…」
キュリアンは2人の言葉をただ黙って聞き届けたかと思うと、セレンにそっくりな魔法生物を見上げた。どうやら何かを必死で考えているようだ。
「しかし…勝つためではなく、足止めのためにあなた方に命を懸けろと言うつもりはありません。私は聖剣を振るう者として最期まで使命を全うしなければなりませんが、あなた方は…」
最後まで戦うのは自分1人でいい。皆が何処かで無事にいると思うだけでセレンは戦い続けることができるのだから。しかし当然マリウスは納得しない。
「騎士の使命は国を守ることですよ? 私だって使命の重さは一緒です。命を懸けても良いはずです」
マリウスがセレンの言葉を遮ったのをきっかけに、サフィアやトーレスまでが異論の声を上げる。
「そうだな…。俺も一応騎士なんだから、残って良いよな?」
「私は騎士じゃないけど…、王都に帰ったってまたどうしようもない男共に付き纏われるだけよ。もうそんなのはうんざりなの」
彼らの気持ちはとてもありがたい。こんな絶望的な状況でセレンと命運を共にしたいと言ってくれているのだから嬉しくないはずがない。だがだからこそ一緒に戦いたくはなかった。1人ずつ大事な部下達が力尽きていく様を見せ付けられるのはもう嫌なのだ。どうにか彼らを思い止まらせることはできないかと考えていると、キュリアンが突然話に割って入ってきた。
「ロギア様…、一つ、この魔法生物の別の利用方法を思い付きました。それならあと2日程で完成させられます」
彼はずっと何かを考え込んでいたが、どうやらセレンそっくりのその魔法生物を使えるようにできないかと考えていたらしい。
「私の体を覆っている魔法生物…、これは元々変身能力を持つ1体の魔法生物を敢えて未完成のまま置いてある生物なのです。“完全になりたい”という意志を与えることで私と結び付くことを望み、より『そのもの』になろうとする。その技法は今のこの魔法生物にも適用できます」
「2日…ですか。それならばやってみる価値はありそうですね」
今晩中に女王が動けばどちらにしても間に合わないが、2日くらいならまだ彼女が出発する前に攻撃を仕掛けられるかもしれない。少しだけ見通しが明るくなったことで、その場に流れる空気も明るくなる。だがキュリアンだけはまだ何か不満そうだ。
「キュリアン…、まだ何か心配事でも?」
セレンが尋ねれば、彼は観念したように息を吐いた。
「この子は少ない人員を補うためにも役立つだろうとあなたそのものを造り上げることを目標としていました。ただの囮だけではなく、あなたがもう1人いればそれはかなりの戦力となる…。しかし結局完成できるのは外側だけです。中には誰かが入る必要がある。あなたらしく動くためには少なくとも剣を扱える人間でなければならないのです」
それはつまり戦力となっていた人間を1人、偽物役に回さなければならないということだ。セレンに似せている限りはその役目に回った人間の戦力は間違いなく上がる。だが1人が強くなっても1人減っているのだから結局戦力としては減ったことになる。
「心配はいりません。私の偽物には適任者がいます」
セレンが言い終わらない内にも隣にはトーレスが立っていた。
「…トーレスには今回は王都に戻ってもらう予定だったのですが…」
「最初から帰るつもりなどありませんでしたよ。むしろこれで正式に作戦の一員となれたわけですから、もう文句はないですよね?」
トーレスの命令違反を白状するような発言に思わずセレンの顔にも苦笑が浮かぶ。彼は今回の作戦では完全に情報収集役としてガレスに潜入してもらった非戦闘員だ。本来なら退役しているような年齢だが、情報収集能力が未だに彼以上の存在が諜報部隊にいないために直属部隊に所属してもらい、まだ現役で頑張ってもらっていたのだ。実際に彼はこのガレスの城下でのことをこの数日間でほとんど把握できている。そこまでのことはセレンでも無理だ。
だが彼の能力は目と耳の良さに特化していて、戦闘能力としてはかなり低い。戦いになれば武器の扱いに慣れたラムダの方が実は強いのではないかと考えてしまうくらいにだ。だからこそ騎士でありながら彼を陽動作戦に参加させるつもりはなかった。
「今回は悪戯ではなく本気でお願いしますよ?」
「いつもだって悪戯じゃあないですよ? それなりに役立っていたと思いますが? 神出鬼没の黒将軍に貴族達は震え上がっていたでしょう?」
トーレスと話しているとマリウスが驚いたように話に入ってきた。
「ちょっと待ってください! トーレスは一体何をしてたんですか⁈ 場合によっては大問題ですよ⁈」
話題の内容からしてセレンの立場を利用していたらしいことまでは予想できたのだろう。セレンが説明しようとすると、トーレスが自分がすると言って引き止められた。
「これに見覚えあるだろ?」
トーレスが服の中から取り出してきたのは彼が愛用している音声を記録できる魔法具だ。手のひらにすっぽり収まる半球型の透明な物体で、彼はめぼしい場所にはそれを仕掛けて情報を得ていた。それほど安価な物でもないので乱用しないでもらいたいのだが、その分成果も上げてくるのでセレンは何も言えないでいる。
マリウスは数年前に副官となる直前に“セレン”から同じ物を渡されている。トーレスはいつもセレンが誰かを殺した翌日には貴族達の主だった施設に潜り込んで、不穏な動きがないかを確認していたようなのだ。場合によっては“変装したセレンが潜入していた”フリもしたようで、それが至る所でセレンが“目撃された”と騒がれる原因にもなっていた。
「あれは…トーレスだったのか?」
「そうだ。でもあんた、俺のこと疑ってたよな?」
だから早々に退散したのだとトーレスは笑って言う。やはり副官ともなる人間は一味違うな、などと言って誤魔化してはいるが、マリウスはセレンの名を勝手に騙ったことが気に入らないようだ。
「言っとくが、俺は一度も自分から名乗ったことはないぞ? 周りが勝手に思い込んだだけだ。それだけ後ろめたいことをしているから、すぐに騙される」
その含み笑いには並々ならぬ怒りが込められていて、マリウスはそれ以上もう何も言えなくなってしまっていた。相変わらずトーレスには口では勝てないらしい。
「トーレス…、あなたは本当にそれで良いんですか? あなたには…待っている家族がいるでしょう?」
「家族がいないから死んでいいってもんでもないでしょう? 娘の件はロギア様のおかげでもう恨みは晴れました。一番下の子はここ最近の日照不足が原因で死んでしまったようなものです。それはここに君臨する女王の仕業だ。妻も残っている子供達もよくやったと褒めてくれますよ?」
「……」
清々しい顔で彼は笑うが、その心中を思うとセレンは素直に喜べない。
トーレスは諜報部隊の人間としては珍しく、幸せな家庭を築いた方だった。4人もの子供を儲け、妻との関係も良好。誰もが羨む家族だったのだ。しかし長女が18歳の時、たまたま彼女を見かけた貴族に強姦され殺された。しかしその貴族は罪には一切問われなかった。トーレスの娘の方が誘惑したからだと意味のわからない主張が通り、無罪とされたのだ。トーレスはそれ以来、貴族社会そのものを憎み続けた。
セレンは将軍になってすぐにその問題の再審を行っている。当時は黙らされていた証人を王の前まで連れて行き、彼の罪状を読み上げた上でその場で即刻“処刑”したのだ。そのこともあって、トーレスは引退後でありながらもセレンの下で働くようになったと言っても過言ではない。そして一番末の息子が亡くなったのはつい半年前の話だ。遅くに生まれた子供でまだ5歳だった。子供にはよくある病気だったが、薬に使われる薬草が不足していたために病気を拗らせ呆気なく死んでしまったのだ。
「今回はあなたの声真似だけじゃなく、見た目までそっくりにして見せますよ。一応、あなたの動きだって常に練習してきたんですから」
剣術として学んだことはあまり上手く活かせないのだが、セレンの真似をすると何故か不思議と試合に勝てるのだそうだからきっと彼は本当にセレンとして問題なく振る舞ってくれることだろう。しかしまたしても1人、生きて帰す予定だった人間を危険な場所に巻き込んでしまったようだ。思わず目を伏せてしまったセレンの様子をマリウスが見つけ、声を掛けてくる。
「我々は騎士です。あなたという指揮官の下で力の限り戦えることは、とても名誉なことなのですよ? その機会を我々から取り上げるおつもりですか?」
笑っているのはセレンの気持ちを少しでも軽くするためだろう。そんな顔で言われたら、何も言い返せなくなってしまう。結局往生際悪く彼らを生きて帰そうとしているのはセレンだけなのだ。彼らはとうに死を覚悟していると言うのに、まだセレンは決心が付けられない。
「それでは作戦決行の日取りはいつになさいますか?」
サフィアがそんなセレンの背中を押すように尋ねてくる。彼女の顔も清々しい笑顔だ。部下達はセレンの決断の時を待っている。言い出しやすい状況さえ作ってくれている。しかし非情な命令を口にする時の捩じ切られるような心の痛みはいつまで経っても慣れることはない。それでもセレンはやがて観念して口を開いた。
「何も起こらなければ3日後の昼に。キュリアンも…それでいけますね?」
「はい。今度は間に合います」
自信満々に答える彼の言葉に、セレンは心の中でため息を吐いた。わかっていたこととは言え、こんなにも早く決行の日が来てしまうとは思わなかった。皆何も言わないでいてくれるが、死ぬ日が3日後に決まったようなものだ。それで平気なはずもない。いや、むしろだからこそ自分が暗い顔を見せていてはいけないのだ。何か明るい話題でもして、この暗い空気を打ち消さなければならない。しかし恐らく誰よりも落ち込んでいるであろうセレンの頭に明るい話題など一つも浮かんではこなかった。




