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黒衣の守護者  作者: 樽吐
思わぬ事態
11/156

(1)

 その翌朝、セレンは目覚めた。

 目を開ければ視界に入ってくるのは薄暗い室内の天井。一瞬、今日は随分と天気が悪いものだと考えたがそうではない。体に感じる魔力の気配。この新鮮で力強い感覚は“太陽”がまだ地上に現れて間もない朝だからだ。

 異世界ではどれだけ日差しが照り付けようが何も感じなかったものだが、ここでは違う。目に見える光はわずかでも、この世界に流れる魔力がセレンに“ここはミレノアルだ”と伝えてくる。

 恐る恐る起き上がるとセレンは窓から見える景色を眺めた。空には陰気な厚い雲が垂れ込め、今にも雨が降りそうな悪天候。随分と馴染みのある光景だ。

 思い返せば100年前もアルゴス王によってミレノアルは日の差さない土地にされている。魔力の源である太陽を長い期間雲で遮ってしまえば、それだけで人々は生きる力を失っていく。大地に降り注ぐ太陽の光、そしてその大地に根付く植物。それを食べる人と獣。それは全て魔力の循環に必要な流れだ。なのにその太陽の光を奪われてしまっては、魔力の循環は滞ってしまう。

 元いた時代とあまりにも似通った状況にため息を吐くと、昨日負った左肩の傷に目が行った。傷はしっかりと包帯が巻かれていて不思議と痛みは全くない。周りを見回してみても彼以外に人の姿は見当たらず、セレンは普通の一室に寝かされていたようだ。

 昨夜は警備獣を全て倒し終えた時点で有無を言わさぬ早さで取り押さえられた。やはり何処かでセレンの戦いを監視していたのだろうと確信し、自分を捕らえたのが輝くばかりのオレンジ色の髪の女性ともなれば期待と安堵の気持ちが溢れた。

 しかしあの後一体何があったのだろうか。デルフィラとショノアの2人には全てを正直に話せと伝えたが、よく考えればそれでベリルが彼らを牢に繋がないという保証はない。途中で意識を無くしてしまったのは我ながら大失態だ。すぐにもここが何処かを調べて2人を探さなければならない。

 セレンはベッドから降りると自分の服が無いかを探る。立ち上がっても体調は既に通常通り、あまりにも回復が早いと不思議に思い包帯を解いてみる。そこにあるのはもう痕しか残っていない自分の肩。これはグレシルの仕業だろうか。だとしたら彼は未来で伝え聞く通り『奇跡の薬』の作り手だ。これと同じ薬がデルフィラの傷も治したのだとすれば、あの時見えた彼女の姿は見かけだけではなく、本当に元気を取り戻していたのだろう。

 良かった…と安堵する一方で、本当にこれで良かったのだろうかと不安に感じている自分もいる。デルフィラは彼の知るデルフィラ女王と必ず関係がある。彼女を助けたことで、また自分は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないだろうか。それでもファタルのことを思い出してしまったセレンはもうデルフィラを見殺しにすることはできなかったのだ。

「……私はどうして、こうもいつも甘いのか」

 ファタルの時も、そして今度はデルフィラのことまでセレンは殺す時期を逃してしまった。落ち込む気分をどうにか奮い立たせ、再度部屋を見渡せば黒い騎士の服が椅子の上に置かれているのが見つかった。どうやらセレン自身の物で間違いはない。しかも隣のテーブルの上には聖剣まで置かれている。

 やはりセレンは囚われの身ではない。それを確信しながら聖剣を指輪にして嵌めると、手早く服も身に付ける。服は昨日噛み裂かれてボロボロになっていたが、自己修復のおかげでほとんど元通りだ。血や土に(まみ)れてもいたはずだが、それさえも服が吸収してしまい、すっかり綺麗になっている。

 セレンはひとまず窓に忍び寄ると、そこから外の様子を伺った。建物の周りは背の高い木が鬱蒼と生い茂り、更に石塀にも囲まれている。時々建物沿いを諜報部隊の騎士が歩いてくるが、それは監視の見回りというよりただの移動に見える。建物のある場所は周りに民家もない丘の上。下の方には小さな街が見える。

 この建物から抜け出せたら潜伏先はまずあの街になる。王都のように高い外壁も結界も無いようでは逃げ込みたい放題だ。セレンの生家の近くにある小さな街ではそれを防ぐために街の中心地に警鐘を設置して、諜報部隊の騎士が定期的に見回りをしていたものだ。

「あれは…」

 そんなことを考えていると、正にセレンが思っている通りの警鐘塔がその街に見つかった。そこから更に次々と見覚えのある建物が目に入ってくる。よく耳を澄ませば、聞こえてくる朝の鳥の声も幼い頃に聞いたものと全く同じだ。

「もしかして…ここは私の実家…?」

 自分で口に出して言ってみれば、深く納得がいった。ベリルは恐らくセレンをグレシルに治療させた後、自分の屋敷に運び入れたのだ。だが問題はその目的だろう。ただ怪しい人物ではないと信用してくれた結果ならば良いが、それ以外の理由だったとしたら面倒だ。彼女と同じ一族だと知られた上でのことなら取り繕うのが難しくなってくる。

 とにかくショノアを探して早く合流した方が良いと、部屋から出るべく扉を開けようとした。しかしその手が半分開けた所で止まる。

「⁈」

 扉の前には驚いた様子のデルフィラが立っていた。

「…すみません。当たりましたか?」

 どこも痛がっていない所を見ると平気なのだろうが、咄嗟にかけるべき言葉が見つからなかった。

「…だ、大丈夫…ちょっと驚いただけよ?」

 デルフィラはセレンの顔を見上げると不思議そうに見つめてくる。彼女は誰かに監視されている訳でもなく、1人でここに来たようだ。少し安心した。

「あなたもここに来ていたのですね? ショノアが何処にいるかは知りませんか?」

「ショノア? 彼なら確か…どこかで魔法の練習をするとか何とか言っていたけど?」

 曖昧に答えるデルフィラだが、その様子からショノアもこの屋敷では自由に行動できていることがわかる。だとしたら状況はそれほど深刻ではないのかもしれない。セレンの中から警戒心が一気に消えていく。

「そうですか。それなら恐らく訓練場でしょう」

 迷いなく歩き始めたセレンに何故かデルフィラが付いてくる。足早なセレンの歩く速度に彼女はほとんど走っているような状態だ。セレンは無意識に歩く速度を緩めた。追い付いてきた彼女は相変わらずセレンを不思議そうに眺めている。

「もう起きて大丈夫なの? グレシルもベリルも『すぐに元気になる』って言ってくれたけど、私には信じられなくて…」

「ミレノアル人なら丸1日あれば大抵のものは回復できます。そこにグレシルの薬もあれば1日も必要ではありませんよ?」

「……そう…なの? 凄いのね。ミレノアル人って」

 王女であるからにはあまり世間のことを知らないのだろうか。魔法を行使することのできないミレノアル人は、代わりに体の内部に多くの魔法の力を秘めている。それはガレス人の子供でも知っていることだ。

 高い治癒力を秘めた血は自身の体をもすぐに回復させ、更には人間離れした身体機能の向上にまで影響を与える。他にも色々あるらしいのだが、そもそもミレノアル人は直感で動く人間が多く、自分達の能力を研究しようという人間が現れていない。更には今ではすっかり血が薄まってしまい、研究した所で活かせる人間もろくにいないというのが現状だ。

「そういえば、あなたは何故私のいる部屋の前にいたのですか?」

 素直に思ったことを口にすれば、彼女は落ち着かなく目をキョロキョロさせる。

「……あなたが目覚めていないかと思って…」

「……」

 懐かれてしまったのだろうか。自分はまだ彼女への疑いを捨ててはいない。助けたのは、たまたま状況がファタルのことと重なって取り乱しただけに過ぎないのだ。

「何か、話したいことでもあるのですか? であれば場所を変えますが…」

「訓練場に…行かなくて良いの?」

 詳しい話をショノアに確認しに行きたいのは確かだが、彼女が側にいたのでは会話の内容に制限ができてしまう。かと言って部屋の前でわざわざ待っていたような彼女を追い払うというのも可哀想だ。

「彼が無事でいるならそれで問題ありません。私が行けば、邪魔になってしまうかもしれませんしね?」

「本当? じゃあ少しだけ…私と一緒にいてくれる?」

「ええ、構いませんよ」

 下手に1人にするよりも側で見ていた方が彼女のことが色々わかるかもしれない。デルフィラはセレンが了承したのでとても嬉しそうだ。先程まではどこか不安そうだったが、今はその様子もない。

 かと言って彼女を連れて屋敷を見て回るわけにもいかない。ここはセレンの生家ではあるが、今はベリルが屋敷の主だ。中庭なら問題ないだろうかとデルフィラを連れて行けば、彼女はまた不思議そうにセレンを見つめてきた。

「どうしました?」

「……いいえ、何でもないの。ただ…あなたが迷いなく動いてるのを見ると…凄いなって思って…」

「……」

 それはセレンが慣れた様子でこの屋敷の中を歩いていることに彼女は気付いているということだ。一応初めて入った場所のように振る舞っていたつもりだが、それでも気付かれていた。油断したつもりはなかったのだが、やはり異世界での平和的な生活が彼の腕を(なま)らせてしまったのだろうか。

「大したことではありませんよ? たまたま似たような造りの屋敷を知っていただけです」

「そうなの? でも…」

 まだ何か言い足りなそうにしていた彼女だが、足を踏み入れた中庭が一面花盛りになっているのを見て、そちらに目を奪われる。

「なんて綺麗なの…! こんなにいっぱい花が咲いてるのを見るのは初めてだわ!」

 その庭は確かに美しかった。太陽に光がほとんど届かないこの時代に、ここまで大量の花を咲かせている庭は珍しい。

「太陽の力があまり必要ない花をたくさん植えているようですね。…それにしてもここまで多くの種類の花が一度に咲いているのを見るのは圧巻です」

 セレンの時代でもここでは花は咲いていた。しかし庭師のプラニッツ人としての能力の差だろうか。ほとんど同じ花でもここまで見事に咲いていたのを見たことはない。しかも中央にある小さな丸い池には色鮮やかな魚達が元気に泳ぎ回っている。

「セレンはここにある花が何ていう花か知ってるの?」

「名前くらいなら大体わかりますよ?」

 それを聞いたデルフィラは顔を綻ばせて花の名を聞いてくる。セレンは一つ一つ丁寧に答えていった。

 花がとりわけ好きだったわけではない。だが(すさ)んだ日々の中で周りの人々がわずかにでも咲いた花の姿に癒されていくのをずっと見てきた。部下達の好きな花は何なのか。せめて墓前にその花を届けられれば彼らの無念も少しは晴れるだろうか。そんなことを考えている内に気が付いたら詳しくなってしまっていただけだ。

「セレンは何でも知ってるのね? 私なんか…何も知らないのに…」

「王女ともなれば庶民の暮らしのことに馴染みがなくても当然です。特に恥じる必要はないと思いますが?」

 ミレノアルでは貴族の令嬢というだけでも何も知らないのが普通だった。会話がほぼ成り立たず、紹介される度に憂鬱だった覚えしかない。しかしデルフィラはそうではないのだと言って池の囲いに腰掛ける。

「私はずっと自分の部屋から一歩も外に出してはもらえなかった。何もない部屋で魔力を高めるための魔法陣や呪文をただ見て育ったの」

 デルフィラは悲しげに笑うと、自分のことを話し始めた。隔離されてただ生きているだけだった子供の頃。8歳の時、初めて出会った兄。そして知らされた重い真実。

「部屋の外に広い世界があるだなんて、兄に聞かされるまで考えもしなかった。外にはあらゆる可能性がある。だから父の束縛から自由になって、自分の道を見つけるようにって…兄の口癖だった」

「良い…兄上だったのですね」

 デルフィラの兄は母親や兄弟姉妹を奪った父をどう思っていたのだろうか。最早話し合った所で考えを改めるような父ではない。下手をすれば、自分もいつ父親に命を奪われるかわからない。そんな中、デルフィラに協力させることを望まず、ただ妹の幸せだけを願った。

「あなたは御父上のことをどう思っているのですか? この国に入ったからには…敵対していくことになってしまいますが…」

 隔離されていたはずの彼女が異世界で何者かに追われていた。それは自らの意思で逃亡を企てたからだろう。初対面でセレンのことを父の差し向けた追っ手か?と聞いてきたくらいだ。彼女が父親の手から逃れようとしていたのは間違いない。

「父と敵対…? そう…。それなら父を倒した時、私は本当に自由になれるのね?」

 セレンはデルフィラを黙って見つめた。彼女の姿は記憶にあるデルフィラ女王の姿と何一つ違わない。だが全てにおいて邪悪な空気しか漂わせなかった女王と違い、今の彼女はただ自由を求めているだけだ。図らずも父と敵対してしまったことに対する戸惑いさえ見て取れて、セレンは改めて彼女とデルフィラ女王との違いを認識する。

「ずっと尋ねたかったのですが、あなたは何故あの時、私を庇ったのですか?」

 気になっていたことを口にすれば、彼女はキョトンとした顔で見つめ返してきた。

「何故って…あなたが危なそうだったから? 死んでほしくなかったから…だけど」

 どうしてそんなことを聞くのかと、彼女は本気でわからないようだ。

「状況が落ち着けば私は再びあなたを殺そうとしたでしょう。そんな相手を庇うなど…正気の沙汰とは思えません」

 セレンの言い分にデルフィラは少し考えたかと思うと、こちらを強い視線で見つめてきた。

「じゃあ、あなたはどうなの? 殺したい相手が死にそうになっているんだったら放っておいても良かった。でも()()()()そうはしなかった。同じじゃない?」

「同じではありません。借りを作ったまま死なれたのでは、後味が悪いですからね」

「まあ!」

 デルフィラはすぐに言い返してくるセレンに腹を立てたのか睨んでくる。だがそれさえもセレンの知っている蛇のような視線に比べれば可愛いものだ。

「人を助けるのに理由が必要? 見返りがなければ助けてはいけないの?」

「いいえ。そんなことは決してありませんよ? ただ…不思議だっただけです」

 自分の知っているデルフィラはただ命を奪うことしか頭にない人間だった。そしてセレン自身も彼女を殺すことだけを考えて生きていた。そのデルフィラと同じ姿をした女性に命を救われる日が来るとは思いもしない。だからこそ混乱した。

「セレン。あなたの知っている私って…どんな人なの? 私もいつか…そんな人間になってしまうのかしら?」

 ショノアから聞いたのだろうか。彼女は自分と同じ姿をした人間が他に存在することを知っているらしい。

「……あなたは、どう思いますか? 自分がそんな恐ろしい人間になるかどうかは、あなた自身が一番良くわかっているはずですよ?」

 意地の悪い返し方だ。彼女は救いを求めているというのに否定も励ましもせず、自分で考えろと突き放した。しかし彼女はしばらく黙っていたかと思えば、しっかりとした目でセレンを見返してきた。

「なりたくないわ。父と同じような人間には決してならない」

 断固とした態度で言い返されれば、その潔さに思わず笑みがこぼれた。

「ならば大丈夫でしょう。ですがあまり気負い過ぎないように。やり過ぎると私のようになってしまいますよ?」

 初対面で容赦なく彼女を殺そうとした自分をセレンは正しいとは考えていない。彼女には自分と同じようにはなってもらいたくなかった。

「それこそ何か問題かしら? あなたは何でも知っていて、凄く強い。そんなあなたみたいになれるなら、私どんなことだって頑張れるわ!」

 これは褒めてくれているのだろうか。彼女はセレンが懸念したようなことは少しも考えてはいないようだ。キラキラと憧れの目を向けられ、思わずセレンは面食らってしまった。

 こんなにも力強くセレンに返してくる女性は初めてだ。何故だか楽しさが込み上げてきて、彼は思わず声を出して笑う。

「ショノアの言ってた通りね。あなたは本当は優しい人だって」

「相手によります」

 そんなにも自分は愛想の良い人間ではない。言い訳するように返せば、彼女は更に嬉しそうな顔を見せる。

「あら、じゃあ私はもうあなたに優しくしてもらえる相手になれたってことね?」

「……」

 本当に思い通りにいかない。マリウス(いわ)く“鋼の切り返し”も彼女には通用しないようだ。また楽しさが込み上げてきて笑顔を浮かべてしまう。

「ねえ、セレン。もっと色々な所を見に行きましょう? 他にも教えてもらいたいことがいっぱいあるの!」

 興奮を抑えきれない様子でデルフィラはセレンの腕を掴み、もっと奥まで見に行こうと彼を促してくる。彼女は初めて見る物ばかりで全てが楽しいのだろう。別に今のセレンは元の時代にいる時のように忙しい身の上でもないのだ。何も楽しんでいる彼女に水を挿す必要はない。

「わかりました。行きましょう」

 彼女に正面から向き合うことに決めれば意外にも気持ちが軽くなった。どうしても女王のことが頭をちらつき、彼女を無意識に遠ざけるべきだと考えていたが、どうやらセレン自身もデルフィラと共にいることを楽しみつつあるようだ。


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