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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第六章

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【レックス】


 俺がどんなカクテルを作るのか、気にしているのは男性だけではなさそうだった。

 店の関係者──特にフィルは、俺が何を作るつもりなのか、隠そうとしても隠せぬほど気にしている。

 恐らく、思い当たるカクテルを検索しても出てこなかったのだろう。


 カクテルの王様と言えば【マティーニ】というのは、地球ではあまりに有名な話。

 バーテンダーとして働き始めて、一ヶ月もした頃には知っていたレベルの話だ。

 だからこそ、俺が今から作ろうとするカクテルは、埋もれている。

 かの【マティーニ】に比べれば知名度もなく、あまり頼まれた覚えもなく、だけど面白い意味を持つ。


 いや、材料からして【マティーニ】を知っている人間からすれば面白いのだ。


 カクテルを作るとき、当然最初は、材料と器具の準備だ。

 背後の棚に飾るように置いてあるカクテルグラスを一つ手に取り、清潔な布で軽く拭く。その後、材料と入れ替わりに冷凍庫へ入れて冷やす。

 コールドテーブルの冷凍庫側から取り出したのは『氷』と『ジーニ』。さらに冷蔵庫側から『スイート・ベルモット』を取り出す。

 それに追加して棚から取り出すのは、ビターズの一種である『オレンジ・ビターズ』だ。

 同じビターズだが、木の樹皮のような苦みを持つ『アンゴスチュラ・ビターズ』と違い、まさしくオレンジの皮のような苦みを持つビターズである。


 これらの材料を揃えた後に、俺は急ぎ足で冷蔵ショーケースに向かい、冷やしているエール瓶や予備の材料の隣の、ミキシング・グラスを取り出した。

 俺の動きを見ていたフィルはすぐに気づいただろう。俺が準備している材料や器具が、【マティーニ】を作る際に使うものと似通っていることに。


 カクテルを作るのに使う技法は『ステア』──【マティーニ】と同じくミキシング・グラスで材料を混ぜ合わせる。

 混ぜ合わせる材料も『ジーニ』と『ベルモット』と『ビターズ』。ただし、ベルモットはドライではなく、スイートだ。


 カクテルを作る材料の準備を整え、俺はすぐに作業にとりかかる。

 素早くミキシング・グラスに氷を詰め、グラスを水で満たしてステア。グラス全体の温度を下げ、氷の角を取ったところで水だけを捨てる。

 その後すぐに、本命の材料を注いで行く。

 このカクテルのレシピも、本によって分量がまちまちだ。だが俺はあえて『スイート・ベルモット』を15ml、『ジーニ』45mlのレシピを採用した。

 それらの後に『オレンジ・ビターズ』をそっと1dash。全ての材料をミキシング・グラスに注ぎ終えた後に、褐色を帯びている液体を、緩やかに混ぜ合わせる。


 カチャカチャと余分な音を立てぬよう、指先と握ったバースプーンに意識を集中させる。

 シュルシュルと液体と氷がグラスの内部を擦りながら回る。元々それなりに冷えていたグラスの内部が、氷によって更にその温度を下げて行く。

 異なる材料がグラスの中で溶け合い混ざり合い、一つの新しいモノに生まれ変わってゆく感触。

 グラスの中という狭い世界の中に、カクテルの世界を彩る無限の組み合わせを、頭の中でイメージする。


 今から作るカクテルも、単なる言葉遊び。

 返答として少し子供染みているかもしれないが、それでも答えには丁度良い。


 指先に伝わる温度と、感覚を頼りに、まさに絶好のタイミングでステアを止め、ストレーナーをグラスに被せた。

 冷凍庫から冷えたカクテルグラスを取り出して、飲み終わって空になったグラスと引き換えに男性の前へ。

 霜の張ったグラスにそっと、今出来上がったカクテルを注いでやった。


 するりとミキシング・グラスの口から滑って行く液体は、ふわりと香草の香りをさせながら、緩やかに逆三角形のグラスを満たす。

 最後の一滴がカクテルの湖面に波紋を作ったのを見てから、俺はそのカクテルを差し出した。


「お待たせしました。【レックス】です」


 美男子は、それまでの探るような目を俺からグラスへと移した。

 カクテル初心者に出すにはいささか尖った一品とは思うが、恐らくそれで良いのだ。

 男性は既に、口当たりの良いカクテルを二杯飲んでいる。そして、先程の『カクテルの世界は狭いのか』という問答だ。

【ジン・トニック】や【ボストン・クーラー】とは系統の違う味を求めていたのだ。そう俺は受け取った。


「……【レックス】……意味は?」


 男性の言葉に、俺は少し迷ってから答えた。


「一度お飲みになってからでは、だめでしょうか?」

「……ふむ」


 俺の提案に、美男子は素直に従い、グラスに手を伸ばした。




 ──────




 男の目的は、別に自分にピッタリのカクテルを作ってもらうことではなかった。

 このカクテルが出てくる以前に、すでに目的は達せられている。


 果たして『カクテル』を馬鹿にされたとき、この歳若い店の主人はどういった反応をするのか。それだけが知りたかったのだ。

 へらへら笑って受け流すのなら、それで良かった。マスターは『カクテル』にその程度の熱意しか持っていないということだから。

 怒り出す、というのならそれはそれで良かった。マスターの『カクテル』にかける気持ちは本物で、その熱に触れられれば、ある程度分かることがあった。


 だが、マスターはそのどちらでもなかった。

 肯定も否定もせず、こちらに委ねるような台詞とともに、この一杯を差し出した。

 カクテルの世界は狭くないと。そのことをカクテルで証明すると言ったのだ。

 その余りにも真っ直ぐな回答は、その実、より男の感心をカクテルへと引きつけたのだった。


 男は供されたグラスをそっと口元に近づける。

 その香りはなんとも言えないものであった。

 これまで多くの酒を飲んできた男だったが、生まれて初めての香りだ。

 先に飲んだ二杯も大変美味しく面白いものだと思えたが、そこまで止まり。どういった系統の味で、どういったものを使っているのかはなんとなく分かった。

 ポーションを材料に、というのが少し意外だっただけだ。


 だが、これは、なんなのだろうか。

 植物の皮や果皮を思わせる香草の香り。そこに仄かにワインのような果実酒の雰囲気と、柑橘のふわりとした皮の苦みが合わさっている。

 と頭で整理してみても、説明には一手足りていない感覚。

 このまま待っていても埒が明かないと思った男は、目の前の歳若いマスターの言ったようにそれを口に含んだ。


 口当たりは、想像よりもずっと、しん、としていた。

 良く冷やされた液体が、初めての味わいの異質感を和らげ、当たりを良くしている。

 目を閉じ、舌に意識を向けると、香りと同じ味わいがふわりと口の中に広がった。

 確かにどこかで味わったことのある、しかし何処いずこかは思い出せない、薬草や果実系統の味わいが、しかりと混ざり合っている。

 そして、それら薬草類の香りを、上手くまとめているのが『ジーニ』ポーション。

 あたかもガラスのようにそれらの印象を包み、またはナイフのように、それらを綺麗にカッティングしている。


 つまるところ、混ざっていることは分かるが、何がどう混ざり合っているのかは男の舌では判別することすら難しかった。

 それは今まで色々なものを味わってきた男にとっては、衝撃ですらあった。


 その味わいの広さに、男は思わず唸る。

 舌の上にある味の国境線のうち、いままでカクテルが占領していたのは甘さと酸味。

 しかし新たな味わいは、確かに甘味を感じさせつつ、苦味と、仄かな辛さをもっていとも容易く、勢力図を塗り替えてしまう。


 説明の難しい味わいであるが、喉元を過ぎるときにふっと浮いてきたのは、柑橘感。

 最後に隠し味のように一滴注いでいた液体。あのオレンジ色の液体が、別れのキスをするように口の中に余韻を残す。

 それが、分かることが──いや、それしか分からないことが、どうにも悔しく、そして、楽しい。


 分からない世界を見て、分からない知識を蓄える。それは男の趣味であり、仕事でもあった。

 そして最後にそれを理解するのが、最高の娯楽であった。

 それをするのが、自分の役割なのだと、いつの間にか考えていた。


 ふと男は顔を上げた。この一杯を差し出したマスターが、嬉しそうに自分を見ていることに気づいた。

 きっと自分は、意地悪な質問をしたことすら忘れて未知の味わいを楽しんでいた。それはマスターから見れば、胸がすく光景だったはずだ。

 にもかかわらず、マスターは自分がカクテルを楽しんでいる光景を、とても嬉しそうに見ているのだ。

 カクテルを馬鹿にした相手であるにも関わらず、カクテルが人に飲まれていることを喜んでいる。


 そんな店主の顔を見て、男は、思った以上にカクテルを楽しんでしまったことを認める。

 自分の想像以上であったカクテルに、素直に賞賛を送りつつ、最初の疑問をもう一度尋ねることにしたのだった。




 ──────




「今まで飲んだ、どの酒とも違う味、とでも言いましょうか」


 美男子は悩ましげな表情で、しかし満足気に唸った。

 飲んでいるときの表情の変化からして、気に入ったらしいことは十分に伝わってきていたが、あえて言葉にしてくれたことが嬉しかった。


「それではもう一度聞いても? 【レックス】とはどういう意味なのか」


 約束を守ったお客様の問いかけ。今度は俺が答える番だ。

 俺は、少しだけ子供っぽい悪戯心を含ませて言った。


「『王』ですよ」

「……王?」


 俺の返答に、男性は目を丸くする。

 それから、グラスにもう一度目をやり、訝しげに俺を追及する。


「さて、私の記憶では、カクテルの王様は【マティーニ】という話でしたね。しかし君はこの【レックス】が王様だという。どういうことでしょうか?」

「そのままの意味です。【マティーニ】が『カクテルの王様』なら、【レックス】は『王様のカクテル』ということですね」


【マティーニ】に与えられた『カクテルの王様』というのは、いわば称号。世の中のカクテル飲みの間で作られた評価の話。

 しかし【レックス】は、そのものの意味が『王』である。こちらは言わば肩書き。生まれた時から既に、王であったということだ。


「なるほど。この【レックス】は名前だけの、形だけの『王』というわけですね」


 男性が自らに納得させるように言う。どことなくその声が寂しげに思えた。

 だからというわけではないが、俺はやんわりとその言葉を否定した。


「いえ、多分ですけど違いますよ。そもそも【マティーニ】を含めて、カクテルの世界を支配している王様なんていないんです。カクテルの世界はそんなに狭くない」

「…………続けてくれないかい」


 俺の言葉に、美男子は興味深そうに目を細める。

 俺は頷きを一つ返して、彼の言葉通りに続けた。


「あなたが【レックス】を気に入ってくれたのなら【レックス】が本当の王様でも良いんです。一人一人が、飲んだカクテル一つ一つを気に入って、少しずつ自分の中の世界を広げていく。それがカクテルの一番の楽しみ方──というのが、バーテンダーとしての自分の意見です」

「気に入らないカクテルがあったら?」

「そういうのもあるんだってことで、それはそれで世界を広げてくれたらなと」

「なるほど。君は随分な『カクテルバカ』だね」


 初対面の人間にまで『カクテルバカ』と言われてしまった。

 だが、男性は随分と俺の返答が気に入ったようで、言葉とは裏腹に大層楽しげな笑みを浮かべていた。そんな表情を見せられると俺も無闇に否定することはできない。

 そして彼は、もう一度【レックス】を口に含み、懊悩するように沈黙した後に、分りやすく頷いて言った。


「ああ。やはり来て良かった。美しい店員、美しい女性、そしてそれらを束ねる歳若いマスター。想像以上に良い詩が書けそうです」


 その言葉のあとに、にっこりと目を開き、続けて男性は自己紹介をする。


「申し遅れましたね。私はリトロ。エキノプス・リトロと言います」

「こちらこそ失礼しました。自分は、夕霧総と言います」

「ふむ、では総君。この店と、君に出会えたことに感謝を。そして、この良き出会いを曲にさせて貰ってもいいかな?」

「曲、ですか」


 俺はいまいち男性の職業をはかりかねていた。

 作曲家か、詩人なのだろうか。しかしそれにしては随分と育ちの良さそうな印象だ。

 いや、それらの職業が偏屈な天才で貧乏というのは、あくまで俺のイメージか。

 そんな俺の悩みに、美男子は単純明快な答えをくれた。


「私は俗に言う吟遊詩人というやつですよ。今日は楽器を持ってきてはいないけど、各地を転々とし、その地の風習や伝承、歴史などを、詩と歌の形で編纂しているんです」


 ああ。ああ! そうか吟遊詩人か!

 現代の日本で出会うことがないから、咄嗟に出てこなかった。さすが異世界だな!


「なるほど。ではこの街にもそういった目的で?」

「そうですね。この街で新しい風──『カクテル』というものが生まれたと聞いたならば、実際にこの目で確かめるのが私の仕事というわけで」


 リトロは確か、風の噂でカクテルを知ったようなことを言っていた。

 だから、その噂を確かめるために、そして可能であればその様子を調査するためにこの街に訪れたということなのだろう。


 そしてリトロにとって、ウチの店は歌にする価値のある場所だった。


 この世界の情報伝達媒体は紙が基本だから、あまり考えていなかった。

 カクテルの様子を歌で広めてもらう、というのは色々と利のある話ではないだろうか。


「君はあれだね。カクテルの話になると、表情が分かりやすい」

「……すみません」

「いやいや、気に入りましたとも。私がこの街に滞在している間、是非この店に通わせて貰いましょう」


 リトロの言葉に、少しだけ周囲がざわめいた。

 彼の整った容姿に目を引かれていた女性達の嬉しそうな吐息、そしてその相手の男性のちょっと複雑そうなため息。

 それに混じる、スイの若干嫌そうなため息。おいオーナー。

 何はともあれ、一時とはいえ店に常連が増えそうだというのは、良いことではあった。


「それはありがたいです。是非とも当店をご贔屓に」

「そうさせて貰いますとも。ではお近づきの印に、即興で一曲どうかな」


 男性は興が乗った様子で、俺に許可を求めるように尋ねてきた。

 いきなり歌い出されるのはちょっと困ると思いつつ、今の店の雰囲気であれば一曲歌ってもらうくらいは、大丈夫か。

 俺が頷き「どうぞ」と許可を出せば、男性はにこりと微笑んだ。


「では。題して『カクテルに恋する男と、そんな彼を取り巻く女性達の愛憎曲』」

「そんな歌の許可は出せませんが!?」

「ははは。冗談ですよ、冗談」


 俺が慌てて止めると、リトロは腹が立つくらい魅力的な微笑みを浮かべていた

 この男に、本当に曲を作らせて大丈夫だろうか。そう不安に思ったのだった。


ここまで読んで下さってありがとうございます。


更新が遅くなってしまいすみません。

六章の始まりはここまで、ここから静かに六章の展開に入って行く予定です。

今週一杯は平日毎日投稿で、来週から少しだけペースが落ちると思われます。

ご了承ください。


※1024 誤字を修正しました。

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